第9話 針の筵《むしろ》

==針林しんりんダンジョン・二合目==



ーーいったん逃げて体勢を立て直す。


僕の身体は自分でも驚くほど早く“逃走”を選んでいた。

木々の隙間を掻かい潜くぐって一目散に。


ーーそこでようやくこのダンジョンの恐ろしさを理解する。



「痛っ……!」



ここは針林ダンジョン、針のように固く鋭い木々の枝葉えだはが身体中に擦れて傷を作るのだ。


それも奥へ行けば行くほど木々の間隔は狭くなっていく。


簡単には逃走を許さないーーまさしく針のむしろ


全身に細かく刻まれてゆく生傷なまきずがさらに精神を削り取っていく。


ーーやばい、このままじゃやられる。殺される……!


それでも後ろを振り返る余裕はない。

さっきからほとんど無意識で行く道を選んでいる。


ーーというよりこれは、おそらく選ばされている。


考えなしに逃げれば別のコボルトの群れと出くわし、また方向を変えた。

そうしている内に、背後から聞こえる無数の足音と鳴き声は先刻より明らかに増え続けている。


ーーまずい、どこかで一度立ち止まって冷静になるべきだ。


しかし、頭で分かっても心にそんな余裕はない。

もはや身体の制御が上手くいかないほど、僕は必死に全力疾走を続ける。


時に木々の根につまずき、時に針の樹木に手をつき、気づけば身体は満身創痍。


ーー確実に、着実に追い詰められている。


思い返せば、今日は朝から一日中歩きっぱなしだった。

慣れない地で、魔法を使いながら、頭も使いながら。


自分の身体は自分自身が一番よく分かっている。

そろそろ“限界”が来る。


ーーそのはずだった。


そうーーーーそれが昨日までの僕なら。



<<時は来た……>>



頭の中の声が今一度僕にそう訴えかけていた。

そこでようやく自分自身の違和感に気がつく。


迫り来る恐怖と全身の痛みにばかり気を取られていた。

けれど、明らかにいつもより身体が軽い。以前では考えられないほどの速さが出ている。


そうして一度後ろを振り返ってみれば、コボルト達との距離は予想以上に開いていた。

自分でも気づかないうちに急成長していた肉体がものの見事に敵の群れを振り切っていたのだ。



「あ……あれ? それにまだ体力も思ったより余裕があるぞ」



想定外の展開に一度足を止め、心を落ち着かせる。

どうやら周りも自分自身すら見えなくなるくらい焦っていたようだ。


ーー冷静になれ僕、一度深呼吸だ。


気づけば周りの木々はかなり濃い密度で生い茂っている。

針林ダンジョンの“かなり中心の方”まで走って来てしまったようだ。


ーーこれ……ブリスブルクまで帰れるかな?


そんな心配が出来るくらいには心の落ち着きを取り戻すことができた。



「うん……まぁきっとなんとかなる!」



体力にはまだまだ余裕がある、魔力も当然。

一番の問題は全身の裂傷れっしょうと痛みか。


魔法を扱えるだけの集中力がどれだけつだろう。


次点で厄介なのはーー視界が最悪だということ。


無数の木々が重なり合うように生い茂る針林ダンジョンの中腹では索敵さくてきは絶望的。モンスターがどこから攻めて来てもおかしくない。


ーー地の利は完全に敵側にあると言えるだろう。



「いいや、見えないなら……見えるようにすればいい!」



それは“策”と呼ぶにはいささか幼稚な考えだが、力こそ正義。力任せのゴリ押しこそ大正義だ。


痛みを紛らす意味も込め、僕は少しだけニヤリと広角を上げる。


足も手も指先までボロボロだが、魔導書を開くことくらいは問題ない。


ーー痛みで集中力を切らさないようにだけ気をつけないとな。


全身に刻まれた傷は名誉の勲章だ。

これから始まる冒険譚の表紙を飾るにはこれくらい派手でちょうどいい。


またゆっくり深呼吸を一つ。

痛みも少しだけやわらいだーーような気がする。


そして、僕は改めて魔導書を開き、集中力を高めた。



「よしっ……散々追い回してくれたお返しにとびきりのやつをくれてやる! 雷撃らいげきっ!」



まだ木々の隙間から小さく垣間見かいまみえるコボルトの群れに向け、僕はがむしゃらに雷撃を放つ。


その目的は敵の殲滅せんめつではない。


ーーあくまで視界の確保だ。


広い効果範囲を持つ緋色の雷撃が一つ、また一つと円形の焼け野原を作り出す。

その中心に移動し再び雷撃を放ち、また移動して三度みたび雷撃を浴びせかける。


そうしていくうちにコボルト達が続々と木陰から姿を現し始めた。


ーーそれでもまだ距離は十分にある。


例え一度攻撃を外したとしても、逃した敵がこちらに辿り着くまでに再度どぎつい雷撃をかましてやればいい。


加えて移動速度はこちらの方が上だと分かった今、もう怖いものなんて無い。

ヒットアンドアウェイの要領で一定の距離を保ち続けることだって出来る。


ーー大丈夫。いける……今の僕なら勝てる!



「雷撃!」



さらに視界を確保しつつ攻めの一手。

それでも未だ敵の全貌は掴めない。



「雷撃っ!」



手応えがさらに大きくなった。

もはや十匹、二十匹じゃすまない量だ。



「雷撃! ………………雷撃!! ………………雷撃!!!」



既に視界は良好。痛みにもある程度慣れ、集中力はさらに高まっていく。

気づけば雷撃が消えてから再発動までの間隔は十秒程度まで縮まっていた。


その威力や効果範囲はまるで変わらないが、クールタイムの減少は大きな強化と言えるだろう。


そしてまた上空に伸びる赤黒い光の柱が次のコボルトを呼び寄せ、十、二十、三十、それ以上と、面白いように雷撃の餌食となっていく。


ヤツらも“数”というゴリ押しで僕を追い詰めようとしているのかもしれないが無駄である。

撃退と同時に補給されていく魔力、もちろん尽きる気配は全く無い。


ーー改めて化け物じみた魔力効率だ。



「雷撃!!!!」



ついには繰り返した雷撃の行使によって、あら不思議。

視界を埋め尽くしていた針の樹々は次々と焼け落ち、広大な平野に生まれ変わったではありませんか。


その敷地面積たるや、庭付きの大豪邸が何軒も建てられそうなほど。


ーーなおもで来るコボルトの勢いは衰えない。


その焼け野原はさながらコボルトホイホイ、複数の群れが四方八方から僕を追い詰めようと迫ってくる。



「雷撃!!!!!」



そして今度は示しを合わせたのか、一目では数え切れないほど多くのコボルトが一斉に詰め寄って来た。



「望むところ…………有言実行だ。ちょうど一気に蹴散らしたい気分でね!」



ーーもはや“逃走”という選択肢は無い。この場を勝ち残って……僕はさらに先へ進む。


そう心に決め、僕は無数のコボルト達に焦点を合わせた。


魔力を注がれた魔導書がこの上ない輝きを放つ。

そして、少年の眼はそれ以上にギラギラと輝くのだった。

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