第5話 業炎のアルフレッド・スティンガー

==ヴァルトール帝国・南方・国境付近==


見上げればもう天辺てっぺん近くまで日が昇っている。

僕は日差しに腕をかざし、額の汗を拭った。



随分ずいぶんと遠くまで来たなぁ、早く帰らないと心配されちゃう……なんてね」



家を出てもうすぐ半日経とうというところ。


仮にも屋敷の主人が失踪して今ごろ家では使用人達が大騒ぎしているーーーー訳もなく、大半は不在に気付いてすらいないだろう。


少しだけ複雑な気持ちをこじらせつつ、裏山からまっすぐダンジョンへ向かう。


北方に位置するヴァルトール帝国は寒冷な地帯であるが、南側半分では雪が降ることもまれだ。


朝方に比べれば大分だいぶ気温も上がり、かれこれ数時間も歩けば流石に体温も上がる。



「ふぅ……そろそろ国境を抜ける頃か」



ヴァルトール帝国は西を雪の山脈に、東を大河に挟まれた天然の要塞。

歩いて国外に出る方法は南の針林ダンジョンか南東の街道のみ。


南東シドニア公国に続く街道には関所があり人通りが多い。

そのため僕が向かったのは南の国境ーーそのまま針林ダンジョンへと続く“草原地帯”だ。


ーーろくに整備されていない獣道である。


時に小高い丘を登り、時に小川を渡り、時には野生動物に遭遇した。


ーーそして野生動物がいるということは、それを捕食する下位のモンスターも出現する。


その為この辺りは僕のような冒険者見習いや、登録されたばかりの“Fランク冒険者”が下位のモンスターを相手に腕試しをするにはもってこいの場所だろう。しかしーー



「流石にここで“あの魔法”は試せないなぁ。また騒ぎになりそうだ」



そうぼやきながら、僕は幾つかの冒険者パーティを横目に眺めつつ真っ直ぐダンジョンへ向かう。


剣を振るい狼と対峙する者、スライムを相手に魔法の修練をする者、傷ついた彼らを回復する者。

様々な職業の冒険者達が相互に役割を果たす。



「やっぱり一人で来るやつなんていないよなぁ……」



ーーと少しだけ自分の愚かさを実感し始めたその時、一匹のスライムが僕の行く手を塞いだ。



「スライム! 本物だ!」



ドロリとした半透明の液体、それがウヨウヨと波打ちながら移動している。

目や口と思われるくぼみが三箇所あり、見れば見るほど不思議な生物だ。


引きこもっている間様々な文献に目を通していたけれど、こうしてモンスターを間近で見るのは初めてのこと。



「ううぇ……何か思ってた何倍も気色悪いな」



スライムは飛びつくか身体の一部分を射出することで獣や人体に取り付き、酸で獲物を消化しダメージを与える。

最下級のモンスターだが、群れを相手取るとなれば決して侮れない相手だ。


僕は立ち止まり、応戦することにした。

とはいえ、今あの雷撃を使うわけにはいかない。



「ダンジョンに着く前に、雷撃が発動出来ない時の対策ももっと考えておかないとな」



残りの手段は念のため持ってきた剣、それと初級魔法の炎撃のみ。

しかし、スライム相手に物理攻撃は効果的じゃない。


ならば選択肢は一つ。

僕は魔導書を開き、火の魔法を行使する。


初の実戦、じわりの冷や汗を滲ませながらも冒険者としての第一歩に興奮を隠せない。


左手に魔導書を、右手をスライム達のいる方へ向けて集中力を高める。


ーー落ち着け、集中だ。


大丈夫、雷撃の魔法は使えた。想定以上の威力だったこと以外は問題なく。


あの邪魔をする声はもう無い。

炎撃の魔法も前より簡単に発動出来るはず。



炎撃えんげき!」



そして右の手の平に収まる程度の火球が現れ、仕上げの詠唱とともに射出。


直撃した一体のスライムを難なく倒すことに成功した。



「よし、成功だ!」



ーーそうして初勝利を実感していたその時、背後から別のモンスターの鳴き声が急速に迫っていた。



「ーーーーッ」



怒声に慌てて振り返ると、そこには一体のゴブリン。

既に鋭く尖った爪で攻撃態勢に入っている。


ーー速い! 全然気が付かなかった。


痩せ細った緑色の小鬼。

まだ十四の僕と比べても半分ほどしかない小さく醜い姿。


しかし、その小ささを利用した機敏さが奴らの武器だ。

そして油断しきっていた見習いの冒険者など彼らの恰好かっこうの獲物だろう。



「しまっ……!」



ーー完全に反応が遅れた。


おそらく軽症は免れないだろうーーーーと腹を括ったその時。



「【空気】ーー【加熱】ーー【発火】ーー【燃焼】ーー烈々れつれつたる火の神よ、ここに強大な炎の一撃をもたらせ! 【豪炎撃】」



こちらへ向け魔法を行使する男の声が聞こえた。


次の瞬間、僕に襲いかかっていたゴブリンが“火の渦”に飲み込まれて焼失。

その“豪炎撃”は僕の鼻先すれすれをかすめて燃え盛る。


ーーた……助かった。けど危うく僕にも直撃する勢いだ……!


救われた安心感と凄まじい炎の威力に圧倒され、僕はその場にへたり込む。するとーー



「はぁ……魔導書がないと魔法も使えないひよっこがまた一人……これにりたら冒険者ごっこは辞めたまえ少年」



強力な炎撃を放った魔法使いの男がり返って説教を始めた。


ーー助けてもらっておいてなんだけど、初対面なのに随分ずいぶんな物言いだな。



「人呼んで業炎クリムゾン、業炎のアルフレッド・スティンガーとは私のことさ」


ーーや……やばい人だ、この人。


見るからに魔術師と言わんばかりのとんがり帽子にローブを羽織り、長く伸ばしたピンク色の髪をファサっとなびかせながら近づいてくる。


ーー僕の直感が告げている。この人と長く関わってはいけないと。



「ふっ……怯えているね? まぁ無理もない。私には一目で分かる……君は魔法使いに向いていない。私は、君のような弱者が同じ“冒険者”を名乗るのが許せないんだ! 即刻引き返すがいい!」



以前の僕なら必死になって言葉を返していただろう。


ーーでも、今の僕には“あの雷撃”がある。


冒険者になれる可能性が目の前に広がっている。

焦る必要も、気を落とすこともない。


今はあの雷撃を使いこなすことだけ考えればいいんだ。



「本当に助かりました……ありがとうございます。けど冒険者になるのは諦めません」



僕のその言葉を聞いて、魔法使いの男はさらに表情を険しくする。



「けっ……! これだから最近のガキは!」


「どうどう……ごめんねぇ、きみ。こいつの言う事は全部無視でいいからね」



悪態をついた男が、後ろから来た赤髪の女性に背中を小突こづかれて去っていく。


ーー僕はその女性に軽く会釈で返す。


魔法使いの男はじつに気に食わなさそうな顔をこちらへ向け続けている。

彼も黙っていれば色白の優男やさおとこなのだが非常に勿体もったいない。


ーーけれど、実力は本物。


淡い桃色の髪に大きな帽子、立派な装束と大きな杖は一人前の冒険者にふさわしいものだ。

そして、なんと言っても魔法の威力がそれを物語っている。


ーーだけどどうして詠唱の省略をしないのだろう。魔導書も持っていないようだし。



「あーそれから……」



赤髪の女性の声にふと我に帰る。

彼女は言い残したことがあるような素振そぶりで、上半身だけこちらに振り返って言った。



「ここから先は本当に危ないから絶対に一人で入ったりしちゃ駄目だよ? 怪我する前にちゃんとおうちに帰ってね、お姉さんとの約束」



小さな子供をさとすようなその口調に、僕は苦笑いで返すしかなかった。


ーーきっと実年齢よりもさらに幼く見られてるよなぁ……これは。


僕も自分が幼顔おさながおであることは理解している。

学院アカデミーに通い始めた頃もよく女の子だと間違われ、まるで三姉妹のようだと言われ続けてきた。


それでも僕は今年で十四、働き始めるには早すぎるということはない。

かくいう彼らも十八歳前後といったところだろう。そんなに歳は変わらないはずだ。



しかしながら、歳が変わらないからこそ“実力の差”を実感させられた。

正直に言ってなめられても仕方がない。今は。


ーーあの炎撃の威力からして間違いなくEランク以上……いやDランク以上の冒険者だ。



「すぐに追いつく……今が踏ん張りどころだ!」



そんな詮索せんさくに一人花を咲かせた後で、僕は改めて冒険者になる決意を固める。


そしてーー



「大丈夫?」



尻餅ついて倒れている僕に手を差し伸べる一人の少女がいた。

空色の髪、眠たそうな瞳、か細い手足、白い肌をした絶世の美少女だった。

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