第3話 その鐘を鳴らすのは雷撃

==ヴァルトール帝国・郊外ブリスブルク・裏山==



その日はいつもより寝覚めが良かった。


ーーあの夢のおかげだろうか。不思議と今までを、今の自分をも肯定されたような晴れやかな気分だ。


とはいえ、寝ぼけまなこに映り込むのは相変わらずの殺風景。


住み込みの世話役達と同じ間取りの質素な部屋に質素なベッド。

そのかたわらにある質素な姿見、そこに映る質素な自分。


何より質素な黒い髪、この髪色も昔から嫌いだった。


聖女である母は美しい白銀の髪をしていたらしい。

その銀髪を完全に受け継いだのが上の妹リア、下の妹シアは銀髪と黒髪が半分半分に混ざっている。


僕は剣も魔法も髪色さえも聖女の意志を継ぐことは出来なかったのである。


まるで童話の『醜い水竜の子』のようだ。

どうして自分だけ……いつもそう思って生きてきた。


ーー絶対に見返してやるんだ、絶対に。


そう『醜い水竜の子』はやがて、飛竜として空に羽ばたく。

僕も冒険者になって大陸中を駆け回ってみせる。


ーーこの怒り、憎しみ、憤り。全てを雷撃の魔法に……か。



雷撃らいげき…………試してみるか」



僕は手早く朝食と準備を済ませ、今日も懲こりずに秘密の特訓へ向かう。


まずは基本的な筋力トレーニング、走り込み、木剣を手にして剣の鍛錬。

それらを終えた後、魔法の練習に残りの時間を費やす。


そして、今日は初級魔法の中ではかなり強力な“雷撃”を習得する予定だ。

強力なだけに習得難易度も高いが、幸いベースとなる知識だけは蓄えてある。



「魔導書、良し。呪文、良し。魔法陣、良し」



呪文や魔法陣、補助となる術式を事前に魔導書に記して来た。

そうすることで感覚を掴みやすくするとともに、詠唱を省略することもできる。


ーーあと問題なのは自分自身の魔力や感覚だ。


こればかりは生まれながらの素質と類稀たぐいまれなる研鑽けんさんが必要不可欠。

今日明日でどうにかなる問題ではない。



「考えていても仕方がない。とりあえず感覚を掴むために何度か試してみよう」



別宅敷地内にある裏山の中でも比較的ひらけた場所。


小高い丘のさらに岩の上に立ち、周りに人や動物が居ないことを確認してから僕は大きく深呼吸をした。


仕上げに深く吸い込んだ息を全て肺から出し尽くす。

それと同時に自分の中から湧き出る魔力の流れを感じ取る。


そして、集中力を高めたまま魔導書へ魔力の注入を開始した。


ーー余計なことは考えるな、今はひたすら集中だ。


何度となく自分に言い聞かせる。

劣等感を、失敗する未来を、過去のトラウマを跳ね除けるため。


ーーそんな単純な理由だけではないのが少々複雑なもので。


魔法に欠かせない“集中”という工程において、僕は一つ大きな問題を抱えている。


それは“頭の中に響く声”だ。


昔からそう、僕が魔法を魔法を発動しようと集中すればーー



<<まだ時ではない……いずれその時は来る>>



激しい耳鳴りとともに、そんな女性の声が頭の中に響き渡る。

何度なく、頭の中をかき回すように、僕の集中力をかき乱すように。


それはまるで、僕に“魔法の詠唱を禁じている”かのような冷酷な警告アナウンス


それを周囲に話そうものなら、魔法の使えない劣等生に“言い訳ばかりの嘘つき”や“頭のおかしな子供”という悪評まで付いてきた。


それがつらくて苦しくて、宮廷魔法師団の英才教育もアカデミーでの学園生活も放り出して僕は引きこもった。

我ながら追放されて当然の立場だ。


ーーそれでも、それでも何もかもを諦めることは出来なくて。


僕はかかさず剣を振り、魔導書を手に取った。

声に邪魔されながら炎撃の魔法だって習得出来たんだ。


ーーあの時以上の集中力を発揮すればいい、ただそれだけ。



「よし…………いいぞ、ここまでは順調だ」



魔導書の呪文と魔法陣が黄色い光を放ち始める。


空中に魔法陣が浮かび上がり、上空から一筋の雷が落ちればそれが成功の合図。

雷撃の威力、効果範囲、効果時間、その対象は使用者の魔力とイメージ次第だ。


とりあえずの目安として、今回は少し離れた位置にある大岩を壊せるくらいの雷をイメージして魔力を注入し続けた。


ーーすると、案の定“あの声”が頭の中に鳴り響く。



<<時は来た……今こそ、雷撃の魔法に全てを込めよ>>



それはいつもとは違う、穏やかでありながら威厳のある高貴な女性の喚起かんきの一声。


ーー昨日の夢で聞いたあの声だ。


いつものように邪魔をされないばかりか、暖かな女神の美声が想定以上に僕の魔力と集中力を高めているのを感じる。


まるで心の奥底に眠っていた何かが目覚めるような感覚。

全身に電撃が走り、血液、魔力、身体を循環する何もかもが凄まじいスピードで駆け巡っていくみたいだ。


その溢れんばかりの力を自分でもコントロールできそうにない。


そしてーー



「雷撃!」



仕上げの詠唱をにも力が入る。

より強い光を放ち始める魔導書。


最初から惜しみなく魔力を注ぎ込んだ渾身の雷撃であったがーー



「あ……あれ? 何も……起きない…………のか?」



確かに手応えはあった。

しかし、浮かび上がった光の魔法陣は空中で霧散、雷撃を落とすまでに至らなかったのだ。



「やっぱり……ダメなのか?」



そう気を落としかけたその時ーー突然、大地が激しく揺れ始めた。



「じ……地震⁉︎」



小刻みな横揺れが数秒続いた後で、大岩を中心とした地面に巨大な赤い魔法陣が浮かび上がる。


ーー次の瞬間、僕の視界は“赤黒い光”に埋め尽くされていた。



「う……うわっ……うぁああああああああ!」



僕はその凄まじい衝撃と轟音に驚いて腰を抜かす。


光は地面の魔法陣から上空へ向かって伸び、雲を突き抜けてなお上限が見えない。

数秒経った今もなお巨大な光の柱のよう、消失することなく顕現けんげんし続けている。



「な……なんなんだ、これ」



大地の揺れはさらに強くなり、その場から逃げ出すことはおろか立ち上がることすら難しい。

唖然、呆然、茫然自失、僕はただ目の前の光景を見ていることしか出来ない。


そこまで時間にして約五秒ほど、けれど僕には永遠にも等しい時間に感じられた。


明らかに中級、いや上級魔法レベルだ。

求め続けた圧倒的な破壊力、効果範囲、効果時間。


僕の頭もようやく目の前の状況を理解し始めた。

そこに鳴り響く“雷鳴”と逆巻く無数の“雷光”。


つまり、目の前のそれはーー



「雷撃……なのか」



まさかそんなはずはないーーという常識を、目の前の現実がくつがえす。


それから何度となくその“緋色の雷撃”を見上げては、自分自身の魔力が消費された実感とそれに伴う倦怠感けんたいかんを身に覚える。


ーーもし魔法の発動が失敗したのなら魔力が消費されることはない。



「信じられないけど……これは“僕が放った雷撃”だ」



少しずつ冷静さを取り戻し始めたところで、赤黒い光の柱も収束し始める。


赤い雷撃の余韻が空中を走り、やがて雷撃と魔法陣が消えた。


ーーと……とんでもない威力だ。


明らかに普通の雷撃ではない。


昔、宮廷魔法師団に雷撃、中級の豪雷撃、上級の極雷撃を見せてもらったことがある。

あの“緋色の雷撃”は上級の極雷撃に近い威力。


雷撃系の魔法は下から“雷撃らいげき”、“豪雷撃ごうらいげき”、“極雷撃きょくらいげき”があり、上級の魔法は素質のある魔法使いが何十年も修行してようやく会得できる代物だ。


さらにいえば魔法師団は装備や“神の寵愛”で強化されているはずだから、緋色の雷撃は素の極雷撃と同等かそれ以上の威力ではないだろうか。


ーーそして恐ろしいことに、それが初級魔法“雷撃一発分”の魔力で発動出来てしまったのだ。


魔力は“倒した魔獣から還元”されるから、これは魔力効率が良いなんてもんじゃない。

雷撃一発はスライム換算でだいたい五体分、あの効果範囲なら余裕も余裕だ。


ーー対モンスター戦においては“永久機関”と言っても過言じゃないだろう。


少しニヤけた顔に喝を入れ、意識を空想から現実に戻す。

まるで夢でも見ていたかのような感覚に襲われたが、確かに大岩は吹き飛び、辺りの木々は焼け落ちている。


ーー夢じゃない。夢じゃないんだ。


驚きと恐怖に支配されていた感情が次第に達成感で満たされてゆく。


ーーこの力さえあれば冒険者になれる!


ずっと目標だった、大陸中のダンジョンを巡る冒険に出られる。

父さんを、妹達を見返すことだって出来るかもしれない。


やがて湧き上がるもう一つの衝動。


ーーもう一度試したい。


そう思った時、裏山のふもとに位置する村落の監視塔で“鐘の音”が鳴り響いているのが聴こえた。



「危険を報しらせるための警鐘けいしょう?」



ーー村で何かあったのだろうか。



「いや…………待てよ」



よくよく考えなくても、タイミングが合い過ぎている。

あの鐘の音が先程の“雷撃”に対するものだとすれば、全て辻褄つじつまが合ってしまう。



「まさか……まさかね…………あはは」



それを裏付けるように、街は見渡す限り平和そのものだ。

その事実に気付き僕は冷や汗を滲ませる。



「うん……一刻も早く屋敷に戻ろう。そして何事もなかったし、何も知らないという事にしよう。うん…………そうしよう」



かつてない期待と高揚感、そして高鳴る鼓動を抑えつつ、僕は足早にその場を立ち去った。


その後、こっそり屋敷へ戻った僕を迎えたのはいつも通りの無愛想な世話役達。

この時ばかりは何も聞かずにいてくれることを感謝するのだった。

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