第124話 焦る風魯、ダメもとで趙雲を笑わす Ⅴ

 「え、風魯大将軍の奥方が慌てて出て行った?」


 重臣、麋竺びじくからの一報に孔明の脳裏には嫌なものが走る。


 元々徐州で多くの人と繋がり富を得ていた麋竺は、この荊州に来てからも人脈が厚く、知り合いから風魯大将軍の奥方が慌てて船に乗るのを見たとの話を聞いたようだ。


 「分かった。麋竺殿の報告感謝する」


 孔明は彼を下げてから、一人で考えを巡らす。


 (この状況からして、一行に何かしら予想外の危機が訪れているということだろう。それで風魯大将軍が奥方に手紙を書いたに違いない)


 ただ、孔明は考え抜いた末に、一切関与しないという決断をした。


 (封書一には喬国老(二喬の父、呉の実力者)にまず会って婚儀の件を明かしてもらうように書いた。さすれば彼は呉夫人に聞いた話を伝えるだろう。すると呉夫人はなぜ私にこのような大切なことを相談しなかったのか、と孫権に詰め寄る。そこで孫権が謀殺の策を伝えれば呉夫人は我が娘を囮に使うのか、と怒り喬国老が間に入って劉備が孫尚香の婿に値するなら殺すのを止めればいい、と伝える。それを聞いた彼女は劉備の人柄を確かめて謀殺を止める。孫権は親孝行だから断念し周瑜に諮って劉備に贅沢な日々を送らせて骨抜きにし、建業に留めさせようとするはずだ。そこで、封書二に書いてある通り、趙雲から荊州に曹操が攻めてきたとの嘘の一報をしてもらう。これで劉備様は我に返り孫尚香を連れて帰途につくはず。呉の追手が来る中、途中で行き止まりになって川を渡る術もなく困り果てるだろうが、そこで封書三を開けば私が船団を引き連れて到着すると書いてある。私もその通り船団を引き連れて向かえば合流して荊州に帰れる)


 (・・・この筋書きに寸分の狂いもないはずだが、もし狂った場合には風魯大将軍に託すしかない。私がひれ伏すほどの天才だ。なんとか収めてくれるに違いない―)



 孔明はすべてを風魯に託した。一方で風魯らがいる建業では・・・



 「あはははは!あーっはっはっはーっ!」


 趙雲が腹を抱えて笑い転げていた。


 「おい趙雲っ、何がおかしいっ!?」


 周泰らが槍を向けて脅しても趙雲は笑いを止めない。


 これには趙雲の後ろにいる劉備も、


 「趙雲、なに急におかしくなったのか。早くわしを守れっ」


 と慌てて趙雲に正気に戻るよう促したが笑いが一向に止まらない。

客観的に見て、これは劉備を斬る絶好機だが、呉の将兵たちは趙雲の大笑いに呆気に取られて立ち尽くしていた。


 と、ここで笑い転げる趙雲の懐から劉備に向かって三通の書が出てきた。

そのうち二つは封が開けられていたが、一つは閉じたままであったため、


 (なるほど、これは孔明の入れ知恵か。そして、この一通は困ったとき―つまり今、開けろということに違いない)


 劉備が趙雲に代わって封書3を開くと、そこには”左側の壁を叩くべし”と書かれていた。


 (よくわからないが意図があるに違いない。よぅし)


 劉備は左側の壁を思いっきり叩く。

すると、そこの壁の一部がペコっと開いた。


 どうやら隠し扉があったようだ。


 (なんと、ここに隠し扉があるのを孔明は察知していたのか。流石は孔明だ、これで逃げられるかもしれん)


 劉備は悩む間もなくその扉を開けて狭い空間に入っていく。そして、それに周りをキョロキョロと見渡していた風魯が気づいて後ろにつき、趙雲も気づいてその後ろを護衛しながら、狭い空間をつたっていく。


 「ややっ、隠し扉に気づかれるとは、一生の不覚!皆の者、扉の先に廻って捕まえるのだ!」


 孫権は慌てて配下に命じたが、なにぶん皆趙雲の大笑いに気を取られていたところである。反応が一歩遅れた。


 その結果、劉備一行は反対側に早々と抜け出すと、一目散に逃亡を計る。

すると、その途中で婚儀の支度に追われる孫尚香に遭遇した。


 「あら!?劉備様たち、もういらしてたのですか!?待ってください、すぐに支度を・・・」


 孫尚香は慌てて支度を進めようとしたが、劉備は事情は改めて話すから、と彼女の手を引っ張るとそのまま建業の外に向かって走る。


 彼女は理由はわからずとも何かがあったことを察し、


 (私は劉備様の奥方になった以上、ついていく。それしかない・・・!)


 と考えて抵抗もせず、むしろ途中からは自らの足を使って走った。


 建業は婚儀があるということで人々がごった返してのお祭り騒ぎ。その中に紛れ込んで一行は建業から脱出すると、郊外に繋いであった馬に跨って荊州のある西へと駆ける。


 風魯も馬に跨って必死に後を追っかけた。

やっと生きれる希望が見えてきた。そう思ったのも束の間・・・


 「趙雲!大変だ、この先、山と揚子江に挟まれて行き止まりで乗れる船も見当たらない」


 先頭を駆ける劉備と孫尚香がそこで味わったのは絶望感だ。

荊州に行くには川を渡る必要があるが、船が周りに見当たらないという危機。


 後方からは呉の追手も迫ってくる。

劉備はもちろん、元来気の強い孫尚香や護衛の趙雲も絶望して諦めかけた。


 だが、そこへ一隻の小舟がやってくる。


 それは何人かの漕ぎ手と女人が一人乗っていて、何やら手を振って近づいてきた。


 「おぉーぅい!あなたー!大丈夫ですかー?」


 それはなんと、心配して様子見にやってきた、風魯の妻であった。


 「おお!助けに来てくれた!ありがとう!」


 風魯は涙目で彼女を迎えると、事情を簡潔に話して乗せてもらい、後は呉の追手に船団もいるため、必死に総出で川を漕いだ。


 そのうち呉の船団も近づいてきたが、その瞬間風向きが変わり、呉の船団は帆で進めなくなった途端、進みが遅くなった。


 そのおかげもあって一行はなんとか荊州にたどり着き、呉も荊州に踏み入れるのは諦めて引き揚げていった。


 

 「孔明、ただいま戻った」


 劉備は留守居の孔明に再会し、その策を賞賛した。

一方の孔明はその策が失敗したはずだし、計画では数日後に帰ってくるからそこで船団を出すはずであったが、思わぬ帰国に驚いた。


 だが、孔明は自分で納得する。


 (これは風魯大将軍が事態を収めて、あたかも私の計画であったかのように振舞ってくれたに違いない。ありがとう、風魯大将軍!!)


 そんな中、風魯が疲れたー、と言いながら帰ってくる。

すると、孔明は抱きつく勢いで風魯に近づき謝意をこれでもか、と示した。


 (なんで感謝されているのかなぁ。むしろぶち壊したはずなのに・・・)


 風魯はよくわからないまま帰宅し、ただただ妻に感謝の言葉を伝えるばかりであった。



 ※人物紹介


 ・麋竺:劉備の重臣、劉備が徐州太守になった時に前太守の陶謙配下であった麋竺を家臣に迎え入れた。弟に麋芳びほうがいる。また劉備の室である麋夫人は彼の妹にあたる。

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