第116話 荊州の譲渡人 Ⅱ

 荊州は今、劉備によって平定された。


 「これまでの事で遺恨があるにも関わらず、降伏を受け入れて下さり、誠に感謝しております」


 曹操に脅かされて劉備と争っていた長沙太守韓玄ならびにその他の郡の太守が劉備に降伏したのである。

 彼らの悩みの種である襄陽との往来を禁ずるとのカードを切ることによって曹操は彼らを操っていた訳だが、襄陽を劉備に奪われたことにより一切の効力を失ったのだ。


 その結果、荊州南部の各郡は襄陽の新太守、劉備に従うことで往来を再開させた。


 まさに孔明が描いた通りの結果である。


 「韓玄殿。あなたは曹操に脅かされて仕方なくやっただけのこと。遺恨などありません」


 劉備は韓玄らを受け入れて、各郡には劉備配下の武将を赴任させつつも、土地勘のある彼らを補佐として登用し、劉備軍の一員とした。


 こうして、劉備は荊州を平定したわけだが、その地盤は固いものではない。


 劉備はあくまでも荊州太守劉琦に代わって治める人であり、もし劉琦が何かしらの理由で亡くなってしまったりすると、江南の孫権にすぐに奪われてしまう、そんな土地なのだ。


 その劉琦が健康であればまだ良いが、彼には持病があっていつまで生きられるかは不透明。

 つまり劉備にとって永住できる土地ではない、ということである。


 そのことは孔明もよく分かっており、劉備には荊州を固め次第、左隣の益州を占領するべきと進言していた。


 劉備は益州太守の劉璋りゅうしょうが同族であるという理由から決めかねている節があったが、劉備にとってこれが最善の策であり、他に手はなかった。


 「劉備様。そろそろ決断の時です。既に荊州は平定されました。今、荊州の軍勢を動員すれば、いくら地形の険しい巴蜀はしょく(益州)でも押し切れることでしょう」


 孔明は襄陽で何度も決断を促した。

しかし、劉備はまだ決めかねているようで・・・


 「私は同族で殺し合うようなことをしたくない。気分的に良くないことも一因としてあるが、何より皆の私に対する信頼を損ねかねない」


 劉備はそう述べて、さらに大義に逆らうことになるとも言った。

それに対して孔明は、


 「考えてもみてください。ここで同族を攻めてはならないという小さな義にとらわれて巴蜀入りをためらっては、この乱世を鎮めることが叶わず、大きな義を失うことになります」


 「みんなが劉備様に求めているのは、その大きな義なのですから」


 という風に劉備を説得したが、やはり乗り気にはなれなかったようで、


 「孔明、もう少し時間をくれ」


 といって退出してしまった。



 

 「はぁ、我が君はなんで乗り気にならないのか・・・」


 孔明がため息をつきながら襄陽の廊下を歩いていると、


 「あ、孔明殿。ちょっと話が・・・」


 風魯が話しかけたものである。


 「すいません、今はちょっと話を聞ける状況には・・・」


 孔明は劉備を説得することで頭がいっぱいであり、風魯の話を避けようとしたが、


 「孔明殿、元気がないなら尚更聞いてほしいのだけどなぁ」


 と風魯が言うので、思わず聞き返してしまった孔明。


 「なんですか。手短にお願いします」


 「孔明殿は確か独り身でしょ?だから、孔明殿を元気づけてあげられるような方を紹介しようと思って」


 「お気遣いは感謝しますが、伴侶を持つ気には・・・」


 「ふーん、でも彼女は父親曰くすごく頭が良くて美人みたいだから、癒しになるのは勿論、孔明殿の悩みなんかも解決してくれるかもよ?」


 孔明は途中まで聞き流していたが、すごく頭がいいという文言に興味を持ってしまった。

 天才風魯が認める天才に孔明は会ってみたいと思ったものである。

それは男女云々ではなく、才能に対する興味であった。


 「・・・そこまで言うのなら、今度会ってみましょう」


 孔明がそう返すと、風魯は興味を持ってくれたみたいで良かった、と漏らして去っていった。


 この興味という言葉の意味。

孔明にとっては才能に対する意味だが、男女としての興味だと勘違いした風魯は、


 (彼女には孔明殿にその意思があるって伝えておかなくちゃ・・・)


 と思いながら襄陽を出てその彼女―黄承彦の娘にそれを伝えに行くのであった。

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