第108話 弓矢の黄忠、盾の魏延 Ⅱ

 「韓玄さまぁ、大変ですだぁ」


 長沙太守韓玄が劉備討伐を決める前日のこと。

長沙郡の住民たちが中心都市臨湘にある韓玄の城を訪ねて訴えた。


 「襄陽への道という道を塞がれて、通れないですだぁ」


 「な、なんと」


 「太守様もご存じの通り我々は品物を襄陽に売りに行って生計をたててますだぁ」


 「しかし、これでは襄陽に足を運べず、生きるための収入がありませんだぁ」


 長沙郡はもとより僻地で土地が貧しく、布などを作って売りに行くことで生計を立てていた。

 太守韓玄もそういう土地柄なので襄陽への行商を推進していたが、これには襄陽を治める曹操との協力関係が欠かせないため、これまで曹操とは干戈を交えず友好関係を築いてきた。


 しかし、その道が塞がれてしまい、簡易的な関所が設けられ長沙郡の人々は追い返された。

 韓玄の使者が赴き封鎖解除を求めると、


 「封鎖を解いてほしいならお前たちで劉備を討て。さもないと解除はないぞ」


 と関所を管轄する曹操配下の文聘ぶんぺいにそう脅されて逃げ帰ってきたものである。


 

 (はて、どうしたものか・・・)


 韓玄は悩んだが、劉備を討つことで解除が叶うなら、それしか方策はなかった。


 「劉度りゅうたく殿、金旋きんせん殿、趙範ちょうはん殿に文を出せ。我々とともに劉備を討たないかとな」


 韓玄が荊州南部の他の郡の太守に手紙を書くと、彼らの郡も長沙郡同様、封鎖されて困り果てていたらしく、快諾して兵を出してくれた。


 こうして、荊州南部各郡の諸軍勢に黄忠、魏延が率いる韓玄の手勢が臨湘に集結。


 劉備の軍勢を遥かに凌ぐ大軍となって、劉備のいる江夏に進軍したものである。



 「鄧艾、様子はどうだ」


 「丞相様、事態は良く進んでおります。これで劉備の息の根を止める日も近いでしょう」


 一方の許昌では曹操とこの作戦の提案をした鄧艾が話し込んでいた。


 「しかし、おぬしの作戦は見事だ。韓玄の民を憐れむ心を利用して戦を起こさせるとは」


 「お褒めいただき、恐縮です」


 そう、鄧艾の作戦とは、襄陽と荊州南部を結ぶ道を悉く封鎖してしまおうというものだったのだ。

 これにより、曹操の勢力に逆らえない韓玄は自分より勢力の弱い劉備を叩くと踏んだものである。


 「しかし、万が一。韓玄が苦戦したら如何する」


 「丞相様、ご安心ください。孔明もまさか韓玄を警戒してはいなかったでしょう。ただ、もしも、苦戦してお互いに消耗することがあれば、それは漁夫の利を得るべきかと」


 「なるほど!確かにお互い一筋縄ではいかぬ相手だ。これで消耗し合ったらそれはそれで良いということか!」


 「はい。韓玄と劉備が戦っている間に我々の軍備も整うことでしょう」


 曹操と鄧艾はこの作戦の成功を信じて疑わなかった。

だが、それをこの男がぶち壊す。


 「すいません。黄忠殿はいますか」


 韓玄の陣営に足を運んで黄忠を呼ぶ男・・・


 その存在感のない風貌、まさしく風魯である。


 「黄忠様ならこの奥におられるが、貴様はだれだ」


 「私?風魯だけど」


 「えっ、風魯大将軍ですか。それは失礼しました。今すぐ黄忠様に取り計らいますので少々お待ちください」


 風魯と聞いて番人の男は驚き、後方へ走っていった。


 「おお、これは風魯大将軍。お久しぶりです」


 少しして目の前に黄忠が現れた。

彼とは劉表のもとにいた時に面識がある風魯。


 「あ、お久しぶりです」


 軽い挨拶をして、陣所に入れてもらった。


 「して、この私に何用でしょうか」


 「ええと、、黄忠殿は劉備殿の陣営に来る気はない?」


 風魯は憚ることなく真っ直ぐに質問をぶつけた。


 「わざわざ来て何かと思えばお誘いですか。しかし、韓玄殿には拾ってもらった恩がある。それを仇で返すようなことは・・・」


 黄忠は劉表の死後、身を寄せるところがなく各地を転々としていた。

だが、そんなときに韓玄に会い、雇ってもらったので、彼には多大な恩があるのだという。


 「ふーん、じゃぁ韓玄殿は黄忠殿にとって一番の恩人ってわけね」


 風魯がそう尋ねると黄忠は頷く。


 「恩人を裏切るだなんてできないよね。失礼しました」


 風魯は諦めて黄忠の陣所を退出。

だが、それと入れ替わるように総大将韓玄がやってきて・・・


 「黄忠!なぜ、あの風魯大将軍を討たなかったのか!」


 と黄忠を叱責。


 韓玄にしてみれば、敵将がプラプラと来たようなもの。

しかも、風魯は曹操の大軍を負かした張本人であり、これの首を取れば曹操の機嫌も直り、封鎖解除も容易となる、というわけだ。


 叱責された黄忠は少し黙っていたが遂に口を開き、


 「わかりました。風魯大将軍はまだ近くにいるはずですから、我が自慢の弓矢で射殺してみせましょう」


 と主君に風魯射殺を約束した。


 彼の弓矢は矢の届く距離ならばどこであっても正確に的をとらえると評判だ。

一方の風魯はというと・・・


 (このあたりは花が咲いていて綺麗だなぁ)


 と周囲を一切気にせずのんびりと花見をしている始末。


 風魯、危うし―



 ※人物紹介


 ・文聘:曹操配下の武将。

 ・劉度:零陵郡太守。

 ・金旋:武陵郡太守。

 ・趙範:桂陽郡太守。

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