第103話 究極の離間計 Ⅱ

 「鄧艾殿、話があります」


 ある日の夕方、持参の愛読書を読み耽る鄧艾を荀彧が訪ねた。


 「こっ、こ、これは荀彧様!わざわざの来訪、何かあったのでしょうか!?」


 鄧艾はだいぶ出世したとはいっても荀彧とは歴然とした差があった。

その荀彧が自らやってきたので、鄧艾は言葉につまるのと同時に何かを察したものである。


 「ああ、これから話すことは重要な話だから人払いを」


 「わ、わかりました」


 鄧艾は荀彧の指示通り陣所の配下を離れたところに払って、そのうえで荀彧と相対した。


 「これから話すことは機密情報だから他言無用。よいな」


 「は、はい」


 「我々はこの戦役で勝利を得るために、孫権と周瑜の間を引き離す離間計を計画している。本当はこんなことしなくても勝てる兵力差だが、なにぶん孔明と龐統が曲者だからな」


 「や、やはり龐統は間者でしたか・・・」


 「ほう、それを感じていたのなら話は早い。鄧艾殿。君には使者として建業の孫権のところへと向かってほしい」


 「そこに着いたら孫権に会い、敢えてこれを見せるのだ」


 と言って荀彧が鄧艾の前に差し出したのは、黄蓋らの内応の証書である。


 「えっ、これを敵に見せることなどあってよいのでしょうか・・・」


 荀彧の奇策に鄧艾もついていけなかったが、荀彧の説明を三度聞き、さらに頭で三周ほど巡らせてようやく理解したものである。


 「わっ、わかりました!!使者として任された以上は必ずや目的を達成してみせます!」


 「流石は鄧艾殿だ、理解が早い。実は初めは鍾繇しょうよう殿にと思い話をしたのだが半日経っても理解できなかった」


 「よって鄧艾殿に役目が回ってきたという訳だ。この役目は此度の戦況をガラリと変え得る大役だから、出発するまでよくよく最善の方法を考えてほしい」


 荀彧は最後に出発は明後日、とだけ残して去っていったが、鄧艾は今になって困り果てる。


 (最善の方法を考えてほしいって・・・、口説く道具はあってもそれをどうやって最大限に生かすのかは私次第なのか!)


 鄧艾は確かに道具として例の証書を受け取った。しかし、目的を達成するためには孫権の怒りを増幅させる必要があるようで・・・


 (はてさて、どうやって孫権の感情を爆発させるものか・・・)


 彼は出発ギリギリまで悩んだが、出発日の朝になって閃いた。


 (よし、この役目は私に任されたのだから、私にしかできない手法でやってやろう!)


 鄧艾はこう決意して曹操陣営を発った。

しばらく大河に沿って東進し、徐州のあたりで渡河。すると、そこに広がるのは建業の街並みである。


 建業は揚子江に近く、川を渡ればすぐそこにあるが、この一帯は要塞と化しており、大軍をもってしても破れる気はしない。

 もちろん、鄧艾は使者の旗印を掲げていたため、川の渡河が許されたものである。


 

 「なに、曹操から使者が来たと?」


 孫権は配下の顧雍こようからの知らせを聞き、隣にいる張昭に意見を求めた。

多くの重臣が赤壁に出払っている現状において、張昭は孫権が唯一頼れる重臣だ。


 「戦況は膠着しておりますから、恐らく休戦かなにかの使者でしょう」


 「話だけでも聞くべきです」


 張昭は使者を迎え入れるよう勧めた。

実際の戦況はその当時は孫呉有利であったが、戦を前線に任せているため、建業には実態が伝わっていないようである。

 よって、張昭は少ない情報から戦線膠着と踏んでそう進言し、孫権も使者を迎え入れた。


 「は、は、初めてお目にかかります。と、とと、鄧艾と申します」


 鄧艾は幼いころから抱えている吃音の症状を敢えて増幅させながら話すので、孫権は次第に苛立ち・・・


 「鄧艾殿とやら、もっとつっかかりなく話せないのか」


 と声を上げたが、ここで張昭が孫権に耳打ちする。


 「かの者は以前、我が陣営に仕官したいと訪ねてきた者です。鄧艾と申すものが来たが吃音があって使えそうにないから追い払ったと周瑜都督から事後報告を受けています」


 だが、張昭は近ごろ耳が遠い影響か、小声でも声が大きくなっており鄧艾に丸聞こえであった。


 「そうですか、周瑜殿は私を役立たずと考えて追い払ったのですか。他人を敵味方構わずに見下す周瑜殿がやったというのなら納得です」


 「な、何、周瑜をけなすのか!?これ以上言うのなら容赦せずその首を刎ねるぞ!」


 「・・・はて、首を刎ねなければならないのは私と周瑜殿のどちらでしょうか?」


 鄧艾はこう言って例の証書を見せ、孫権に渡した。


 「な、何!?なんだ、この証書は、張昭!見てみよ」


 「・・・なんと!孫呉の諸侯の重鎮が名を連ねておりますし、この印からして偽物ではございません!」


 そう、その証書には黄蓋、甘寧などの重鎮が曹操軍に内通するという内容が書かれていたのだ。おまけに本人の印まで捺してあるではないか。


 「孫呉の重鎮の方々は周瑜殿に見下されて罵倒され、黄蓋殿は挙句の果てに百杖の刑まで受けました。この証書は周瑜殿に対する恨みの現れです」


 鄧艾がそう述べると、苦肉の策という作戦が実行されていることを知らない孫権はいよいよ感情を爆発させて立ち上がり、


 「周瑜め!!これまでお前を信頼して目をかけてやったのに、思い上がるあまり周囲をけなすとは!断じて許さんっ!」


 こうして孫権は周瑜に建業への帰還命令を出したのである。

もちろん、戻ってきたら問答無用で首を刎ねるつもりだ。


 孫権はもう我々の敗北は決定的だと考えて、人生の最後に戦犯だけでも処罰しておこうと考えた模様である。


 また、鄧艾は孫権が激怒して取り乱している間にそっと建業を離れることに成功し、握りしめた拳を力一杯振り下ろしながら、烏林の曹操陣営へと生還するのであった。



 ※人物紹介


 ・顧雍:呉の臣、のちに出世し、丞相に至る、口数は少なかったが、その発言は的を得ていたと伝わっている。


 

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