第81話 献帝からの密詔 Ⅲ

 「魯粛、ちと頼みがある」


 孫権は軍師の一人である魯粛を呼び、騒乱の最中にある荊州に探りをいれるよう命じた。


 「わかりました。では、私自らが参りましょう」


 まさか魯粛自ら行くと言い出すとは思わなかった孫権は大切な家臣である魯粛を行かせるわけにはいかないと止めたが、彼は


 「いいえ、むしろ荊州で得る情報の方が大切です。孫呉の将来を決める重要な情報ですので、この目でしかと見てきます」


 と言って孫権の了承を得た。


 

 建業は発った魯粛は揚子江沿いを西進し揚子江と漢江が合流する地、江夏地域に到達した。

 船で向かうと怪しまれるので、陸路での西進であった。


 もちろん、彼は行商人の姿に変装し、その身分がバレることなく辿り着いたわけだが・・・


 「もしかして魯粛殿じゃない?」


 と誰かが呼んだので驚く。


 「だ、誰かと思えば風魯大将軍ではないですか」


 「そうそう、お久しぶり」


 風魯と魯粛は孫呉で共にしたことがあるので、お互い面識があったのだ。


 「あ、ちょうどいいから魯粛殿に会いたいっていう人がいるんだ。だから会ってくれない?」


 風魯がそう誘ったが、魯粛は情報を探りに来た以上いちいち構っていられないので、


 「風魯大将軍、悪いのですがそんな遊びに構っている時間は・・・」


 と断ろうとしたが、


 「せっかく孔明殿が会いたいと言っているのになぁ」


 と風魯がこぼすのでびっくり。


 「えっ、孔明殿ってまさか水鏡先生が臥龍先生と称えた諸葛孔明殿?」


 「そう。てか、それ以外にあり得る?」


 「いえ・・・、風魯大将軍にそんなすごい方と面識があったとは」


 「類は友を呼ぶということわざに相反する人脈で・・・」


 「ん?何か言った?」


 「いいえ、何でも・・・。とにかく会わせてください」


 臥龍先生の存在は孫呉でも多くの人々が知っているという。

それは劉備に仕官する以前のことからであり、実は孫権も招聘を目論んだことがあったようだが、まったく相手にされなかったのである。


 「しかし、まさか風魯大将軍と面識があったとは・・・」


 魯粛は孔明のいる宿に行く途中でもまだそんなことを言っているので、風魯も流石に頭にきて一言、物申してやった。


 「だって、孔明殿の兄である諸葛瑾殿を推挙したのは私だよ?」


 「あっ」


 これっきり魯粛は黙り込んでしまった。

魯粛も諸葛瑾からその話は聞いていたので、それをやっと思い出したようだ。


 

 「初めてお目にかかります。孫権配下の魯粛、字を子敬と申します」


 孔明のいる宿に着くと魯粛は彼に対して深々と頭を下げる。


 「こちらこそ初めまして、諸葛亮、字を孔明と申します」


 「どうぞ、お座りになってください」


 孔明に促されて魯粛は孔明の前に座った。


 「孔明殿がこの私に会いたいと仰っていると伺いまして・・・」


 「え?そのようなことは申しておりませんが?」


 と孔明がうそぶくので魯粛は驚き、


 「えっ、でも確かに風魯大将軍からそう聞き及びましたが・・・」


 と聞き返すと孔明は嘲笑うかのように、


 「例え魯粛殿に話しても事は動かないでしょう。私は孫権殿にお会いしたいのです。ただ、残念ながらあなたにお願いしたとて・・・」


 「孫権様に会わせます。私を舐めないでください」


 孔明に煽られた魯粛は怒りのあまり、かつて孫権の招聘を孔明自身が断わったことも忘れて承諾してしまったのだ。

 こうして、孔明は風魯を連れて孫呉へと向かうことになった。


 また、それを孫権に伝えるため魯粛は一足先に帰路につき、それを追うように孔明一行が船で江南に向かうという手筈であった。


 「風魯大将軍、魯粛殿が出立して二日経ちましたから、そろそろ行きましょう」


 孔明と風魯は魯粛出立の二日後に江夏を発つ。


 なお、この一連の行動はもちろん、劉備の了承を得ており、劉備自身から人生の行く末を託されたと言っても過言ではない。


 秋風が爽やかに頬を撫でる揚子江。周囲の木々も色づき始めている。


 風魯は船の甲板に立って悠久の大河のその先を見据える。

とは言ってもただ景色を見ているだけだが、その手には確かに密詔が握られていた―

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