第80話 献帝からの密詔 Ⅱ

 「そなたらは孫呉をどう扱うべきと考えるか」


 秋風が残暑の終わりを告げた頃、曹操は配下の陳羣ちんぐん鍾繇しょうようを呼び、孫権にどう向き合うか相談をした。


 「そのような重要な話なら、荀彧殿や荀攸殿でも・・・」


 予想外に大変な相談であったので鍾繇は困惑し、荀彧などに相談するべきと伝えたが、


 「いやいや、彼らにはもう聞いている。ただ、わしはもっと多くの意見を聞きたいのだ」


 と曹操が述べたので、


 (そうか!丞相様は我々にも意見を述べる機会を与えて下さったのか!)


 と鍾繇と陳羣は感激し、自らの考えを述べていく。


 「この陳羣、孫権よりも先に劉備を叩くべきと心得ます」


 「なぜなら、かつて私はその劉備に仕官したことがありますが、あの男は幾度となく失敗を犯しています」


 「ほう、失敗を繰り返すあの劉備を危険と申すのか」


 「はい。あれだけ敗退を繰り返し、各地を流浪しても決してめげることがない。よって、生きているうちは諦めることなどなく、丞相様にたてつくでしょう」


 「うむ、そういう意味では孫権よりもうっとうしいな」


 という具合に陳羣は仕官経験のある劉備の息の根を止めることこそ優先されるべきと説いたが、それに鍾繇は一定の理解を示しつつも、こう述べた。


 「しかし、孫権と劉備では力の差がありすぎます。よって私は孫権を降伏させることが叶えば、劉備も乗る船を失って海の藻屑となりましょう」


 これに曹操は尤もだ、と納得の意を示したが、陳羣がこれに反論する。


 「確かに孫権を従えれば、劉備もそうなりましょう。ただし、劉備としてはそれを防ぐために孔明を孫呉に送り、味方に引き入れるでしょう」


 「そうなれば、孫呉の軍勢も精強で水戦に長けてますから、我が軍が不利となります」


 陳羣はそうなることを危惧し、さらにこう続けた。


 「揚子江を渡って孫権を叩こうとすれば劉備と孔明は孫呉を抗戦へと導くでしょう。それならば、まずは劉備を叩いて荊州を完全に掌握し、そこから陸路で西進して陸戦を挑めば、孫権は強みを生かせずに降伏致しましょう」


 陳羣は水戦を挑むことの危うさを指摘した。


 ただ、その思いは曹操に届かなかったようだ。


 「いくら孫呉の水軍が精強と言えども、我らが百万の軍勢には及ぶまい」


 「ここは強気に行くのが良いと考えるから、鍾繇の意見を採るとしよう」


 曹操はそう決断を下して両者を下がらせたが、実はまだ荀彧などの参謀には一切相談していなかったのだ。

 なぜなら、この二人に曹操が大きな期待を寄せていたからである。


 ただ、まだ誰にも聞いていないと伝えてしまうと硬くなってしまうので、もう話をしてある程度決まっていると見せかけたのである。


 これにより両者は重責を感じることなく、自身の意見を述べることに集中し、のびのびと論じることができたのだった。


 これは曹操が会得した意見を聞く技であり称賛に値するものだが、結局最後は曹操自身が決めることなので、この決断が吉と出るか凶と出るかは、孔明らの活躍如何にかかっていた。




 「風魯大将軍、明後日には出発しますよ」


 その孔明が風魯に話しかける。


 「え?明後日、どこかに行く用事なんてあったっけ?」


 「江南の孫権殿の下へと行きます」


 「えっ」


 いきなりの旅予定に俺は驚きを隠せない。


 (そ、そういえばこの前、孔明殿がポロっとそんなこと言っていたっけ・・・)


 「え、えーと・・・?」


 「そんなに驚く素振りを見せておいて、実はその気だったんでしょう?」


 「え?」


 孔明は言う、司馬懿から密詔を受け取った時点で孫呉を頼るしか道はないと考えるのが至極当然であると。


 (そ、そんなぁ。俺、確かに悩んだけど何も思いつかなかったぞ・・・?)


 どうやら孔明はまだ、風魯のことを物事が分かる天才だと勘違いしているようである。


 いずれにせよ、風魯と孔明は江南に向かうこととなったが、それはあの男が来訪してくると確信してのことであった。



 ※人物紹介


 ・陳羣:後漢末の名士、陳寔ちんしょくの孫、曹魏の重臣となる、三蔵法師の先祖でもあった。

 ・鍾繇:曹魏の重臣、息子の鍾会は75歳の時に生まれた。

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