第82話 怖気づく孫権 Ⅰ
秋を感じたのは数日の間だけであった。
孔明と風魯が江南についた頃には夏をぶり返したかのような暖湿な風が体を包み込む。
「風魯大将軍、魯粛殿がまだ帰国しておられないようです」
孔明は風魯にそう告げたが、その表情はどこか落ち着かない。
「ふーん、じゃぁ待てばいいのでは?」
風魯は軽くそんな風に返したが、孔明はそう上手くいかないと覚っていたのだ。
「ほう、あの孔明が来ているとな」
「孫呉を戦争に巻き込みに来たのだろう」
「どうだ、みんな。孔明という若輩なんぞ論破して返り討ちにしてやろうじゃないか」
孫呉の人達はそのほとんどが曹操には敵わないと見ていた。
張昭などを中心に降伏派が主流である。
彼らは要するに曹操と戦いたくない。だから、決戦を望む孔明は敵に等しかった。
さらに孔明を若輩と舐め切っている韓当などは、孔明に恥をかかせるべく議論の場を求めたのだ。
「ようよう、諸葛孔明殿。まぁそこにでも座るといい」
上から目線の韓当に促されて孔明は感情を押し殺すように座った。
(ま、とはいえわしが出ることもあるまい・・・)
韓当は年下で弟子のような存在である徐盛や丁奉に相手するよう目配せする。
すると、徐盛、次いで丁奉が孔明を論破すべく議論に入り、孔明の弱点を突こうとした。
「孔明殿が仕える劉備殿は今や風前の灯火。こうなってしまったのはあなたのせいなのでは?」
しかし、孔明は彼らの意見を悉く強気に論破していく。
「確かに風前の灯火かもしれません。ただ、それはあなた方も同じでしょう」
「曹操に降伏し、仮にその時は助かったとしても、結局は皆殺しにされます」
「荊州の劉表の嗣子、劉琮がどうなったのか、貴殿もご存じですね?」
孔明が言った劉琮は蔡瑁の画策により曹操に降ったが、その後まもなく討たれてしまっていた。
それを引き合いに出して曹操に降ることの非を唱えたのだ。
さらに・・・
「二つの灯火を掛け合わせて大火にし木々に移せば、大風が吹けば吹くほど敵陣を焼き尽くします。よって、風前の灯火と大勝利は紙一重なのです」
孔明は徐盛や丁奉らにこう説いた。
すると両者はひどく感激し、挙句の果てには孔明に乗せられて決戦を主張するようになってしまう。
「韓当殿、孔明殿は間違いなく勝てると仰せです。ここは決戦すべき・・・」
「黙れお主ら!孔明に味方してどうする!」
孫堅から数えて三代に仕え、主君を守ってきた韓当。なぜ曹操に対してここまで弱気になっているのか。
それは曹操軍との圧倒的な軍事力の差にあった。
曹操の勢力は未だかつてないまでに肥大化し、袁紹や劉表の旧臣を飲み込んだことにより兵力は百万と号す。
実数はもっと少ないとしても、人口の多い冀州、荊州を抑えたのは大きく、孫権軍とは比べ物にならないほどだ。
厳密には劉備が荊州に割拠しているが、その兵力は微々たるものであり、荊州の兵の大半は曹操に従っている。
「この世間知らずの若輩め・・・徐盛!丁奉!お主らには失望したわ!」
韓当が若手に憤り、孔明が内心してやったりと思っている後ろで、風魯はしばらくその茶番を眺めていたが、ここでボソッと一言。
「ふーん、でも韓当殿も礼儀知らずだよね」
「あ!?風魯、今、何と言った!」
「だから・・・、客人として孔明殿が来ているのに後輩に相手をさせるだなんて」
これに韓当の心中はますます燃え盛ってしまった。
彼は後ろに引き下がると同僚の張昭や
これは沢山の人と相手させて、孔明が根負けするのを待つ作戦である。
実際にこの議論は三日三晩続き、さすがの孔明も新手が続々と登場してくるので参ってしまった。
(ああ―、風魯大将軍が余計なことを言われるから・・・)
そんな中、自分のせいとは露知らず、ただこの状況を見かねた風魯が動くのである。
※人物紹介
・黄蓋:韓当と共に長らく孫呉に仕える老臣、苦肉の策ということわざの由来となる人物。
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