第52話 大将軍たる所以 Ⅰ

 (よし、こうなったら孫権のもとに行くしかない・・・!)


 曹操と袁氏を敵に回して進退窮まった俺の頼みの綱は、

江南一帯に勢力を張る孫権しかいなかった。


 「そなたもついてきてくれるか!?」


 「はい、例え天竺にでもついていきます」


 「そ、そうか」


 俺は妻がついてきてくれると言ったので、

夫婦で河北を脱出。

 天竺という言葉の意味を俺は知らなかったが、

そんなことはどうでもいい。


 こうして俺らは曹操の勢力圏に入ったが、

最大の問題は関所を守る曹操軍をいかにかいくぐるかだ。


 「私にいい考えがあります」


 妻が突然、提案をしてきた。

俺も手立てが思い浮かばなかったところなので、じっくりと耳を傾ける。


 「ご存知の通り私の兄は曹操配下の于禁です。

だから兄上に話を通してみます」


 「え・・・」


 俺はこの作戦が上手くいくとは思えなかったが、

他に手立てがないので、妻にすべてを託す。


 すると、妻は于禁に向けて一筆。


 ”私と旦那を通してくれませんか。もし駄目というのなら私たちは自害致します”


 妻の書き上げる様子を覗き見していた俺は、


 (いくら妹の命がかかっているとはいえ、応じるのかなぁ)


 と思っていた。

まさかシスコンでもあるまいし・・・


 「あっ、兄上!」


 関所の近くで足踏みしていた俺たちの前に姿を現したのは、

于禁本人である。


 「元気か、愛する妹よ」


 「はい、わざわざ来てくれてありがとうございます」


 兄妹の会話を聞いて俺は察した。

于禁という男は相当にシスコンである。


 「風魯殿、妹がお世話になってます」


 「は、はい・・・」


 彼の対応は敵将とは思えないほど良かった。

そして・・・


 「ほれ、これが通行手形だ。好きに使うといい」


 と彼はすんなり曹操領内の通行手形をくれたのだ。

どうやら妹が自害すると聞いて相当慌てたらしい。


 「あ、ありがとうございます!」


 俺と妻は彼に深々と頭を下げて別れを告げると、

その手形を見せて楽々と通過に成功。

 もちろん関所の門番は俺の正体を知らないが、

正式な手形を見せられたら調べずに通すのが当たり前なのである。


 こうして、俺らは曹操領内を縦断するように南下。

長旅の末、揚子江を越えて江南の地にたどり着いたのであった。



 「おお、風魯大将軍が来ているとな?」


 孫呉の当主、孫権に俺の来訪を知らせたのは

かつて俺のもとにいた諸葛瑾である。


 「はい、城下に来て待っています」


 「そうかそうか、お前もお世話になったのだから

一緒に出迎えるとしようではないか」


 あの時、初々しかった諸葛瑾もいまや孫権の重臣で風格すら感じるまでに。

その諸葛瑾はおろか当主の孫権までもが出迎えてくれるなんてありがたいことだ。


 「久しぶりだな、風魯大将軍!」


 「ご無沙汰しております。こんな俺を受け入れてくれてありがとうございます」


 孫権とは彼が子供の時にすれ違った記憶があるが、

てっきり覚えていないことと思っていた。

 だが、意外にも彼は覚えているという。


 「最初に会った印象は”なんだこの頼りない将軍は”って思ったことだったがな」


 「あ、あははは・・・」


 孫権はその先を口にしなかったが、恐らくその印象は今でも変わるまい。


 いずれにせよ再び孫家のお世話になる俺だが、

ここで平和に暮らすなんて夢のまた夢なのである。

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