9 遅刻ですが?

 ゆさゆさと僕の体が横に揺れる。


「霰さん、霰さん。起きてください」


 僕の弟が起こしに来たのか。昨日二人で明け方三時までドカポンしてたからな……気持ち良かったな~ネムネムの魔法でハメ殺すの。


「いま~な~んじ」


「七時五十分ぐらいですかね」


 遅刻確定か~。


「そ~じゃ~お休み!」


 素早くベッドに倒れようとするが弟に首根っこをつかまれ止められる。


「遅刻しても学校は行きますよ」


「僕かぁ何故決まった時間に学校に行くのか……」


「社会に出た時の為じゃないですか?」


「まだ言い終わってないのに……嫌だ~遅刻して怒られるぐらいならVチューバーになって男どもから投げ銭をがっぽりもらうんだ~」


「別にユーチューバーになってもいいですよ。霰さんが自立するためなら全財産使って自分が十万個のアカウントを買い毎日コメントして一瞬でトップにして見せますから」


「ごめんなさいやめてください無理です。僕は豆腐より柔らかい心の持ち主なのでそんな不正をしたらアンチコメントで叩かれ死んでしまいます」


「はい、寝言言ってないで制服に着替えてください」


 手をパンと一度叩き弟は部屋から出ようとするので弟の裾を力強くつかんだ。


「……せめて着替えさせてくれないか?」


「そろそろ自分で着替えられるようになってくださいよ」


 やれやれという表情を浮かべ、そう言いながらも制服と下着を取り出して来てくれる。


「自分は後ろを向いてるんで下着は自分でつけてください」


 めんどくさい……ゲームのようにボタン一つで装備できればいいのに。ん……つかない。


 ブラジャーのホックをつけようとするのだが何故か背中にとどかない。


「弟よ、ブラが装備できないのだが」


「そう言うときは前でホックをつけてから回転させてみてつけてください」


 弟に言われたようにホックを取り付け無事ブラを身につけたのはいいのだが。


「弟よ、ブラのせいで胸が痛いのだが」


 めちゃくちゃ圧迫されて痛かった。


「え、またですか。成長期ですかね……」


 考えられるものはたった一つ。僕自身の胸が成長したのだ。


「ノーブラじゃダメ?」


 しかも家族の中で僕が一番胸が大きくてブラの代わりなど無い。めんどくさいので身に着けなくても僕はいいのだが。


「駄目です。その下着を少し貸してください」


 弟は許してくれない。カバンを開き、入っていた裁縫道具を取り出して一瞬にしてブラを補強してくれた。


「これぐらいしかできませんが今日はこの下着で我慢してください」


「はぁ、胸が大きくなるんじゃなくて身長が高くなればいいのに」


 胸が大きいとうつぶせでゲームできないし、肩はこるし邪魔でしかなくいいことなんてない。


 ふてくされて立ち尽くしている僕に対し、弟はせっせと暖かい濡れたタオルで僕の顔を拭き、髪をくしで梳いて制服を着せてくれる。


「よし、霰さんが寝ている間にカバンの中身は変えて置いたので準備はバッチリです。朝ご飯は登校しながら食べましょう」


 ただでさえ行きたくない学校なのに遅刻確定の登校、だが弟は僕のために起きるのを待ってくれていた。しかも怒らずにいつもの朝と変わらない様に僕に接する。


『学校に行かない』という言葉は僕の頭から消えていた。


==========


 自分の作った食パンにレタスと卵を挟んだだけの簡単なサンドイッチ。それを頬張りながら不機嫌に霰さんは前を歩く。


いつもより遅い時間の登校。学校は始まっているので生徒はおらず、お店もまだ開く時刻ではないため、ご老人の散歩している姿が目に映る。


 広い道に二人、横断歩道前でちょうどよく信号が赤に変わる。


「チッ、運が悪い」


 この街で待ち時間が長いと有名な信号待ちでイライラしているのか足音を大きく立てる霰さんに対して。


「遅刻確定しているんですから、ゆっくり行きましょう」


 優しく声をかけてみるが。


「遅刻確定だから急いでいるんだろう‼」


 凄く怒られて逆効果だった。


「くっ、自分が悪いとわかっているのに弟に八つ当たりしてもしょうがないだろ! 担任の男の人怖いからなるべく早く学校に付いてさっさと怒られる時間を少しでも早くしたいぃぃ」


 心の声が早口でダダ漏れだ。


 霰さん自身が悪いとわかっているなら、それでいい。


「焦っても信号が変わる時間は変わりません、イライラせずゲームでもして待っててください」


 そう言ってカバンからバカでかいゲーム機を霰さんに差し出した。


「ありがと……って、何で初代ゲームボーイ持ってきてるの?」


「霰さんのカバンに入ってました」


「まあいいや、焦っても仕方ないしポケモンでもするかな……電池入ってないし、カバンに変えの電池なかったかな」


 がっくりと肩を落としながらカバンを探る霰さんだったが自分の好きなものを見て焦りはなくなったようだ。


 ゆっくりと流れる時間。信号機を見つめていると、横断歩道の先の道に足を引きするおばさんがいた。


 見知ったおばさん、商店街で肉屋を経営している佐崎さんだとわかり信号が青に変わったとたんに駆け寄ってゆく。


「佐崎さん、どうかしましたか?」


「おや、佐一君じゃないかい。いや~ジョギング中に足を捻ってしまってね~年を取るのも嫌なもんだよ」


 佐崎さんの足元を見ると酷く腫れている。


 骨が折れているのか、捻挫しているのか素人の自分が見てもわからない。だがそんなこと分からなくていい。


「肩につかまってください」


 ただ自分はできることをやるだけ。


「そんな、悪いよ」


「いつもお肉を買わせてもらっていますから」


 だがその行為をあまりしてほしくなさそうな人物がいた。


「弟よ、そんな時間は……」


 霰さん、遅刻の件もあるが人にあまり関わりをもちたくない様子だ。


「学校に行く途中に佐崎さんの家はあります。ここで人助けすればいいことがあるかもしれませんよ」


 ダメ元で説得を試みてみる。不満そうに考えこみ、頭を両手でくしゃくしゃとなでると。


「……わかった、僕も手を貸すよ」


 先に学校に行くと言うと思ったのだが、さすがにこの状況、嫌でも断れなかったか。霰さん申し訳ないことしたかな。


 それから二人で佐崎さんを支えながら佐崎さんの家まで向かった。


「佐一君、本当にありがとねそれにあんたも」


 霰さんは先ほど肩を貸していた時とは違い自分の後ろに隠れてしまった。


「病院が開きましたら、タクシーを呼んですぐに向かってくださいね」


「ああ、わかった」


 家の戸を閉めるとともに霰さんは学校に向かって走り出す。


 その後を駆け足で着いてゆく。


「もう、一時間目終わっちゃうよ」


 いやいやながら霰さんは最後まで付きあってくれた。


 これはちゃんと怒られるのではなく、ちゃんと褒められるべきことだ。


「大丈夫、任せてください。霰さんは怒られるどころか褒められますよ」


 遅刻の件は、こっちで何とかしてみよう。

 

「何をいってるのか……はぁ……わからん……よぉ……」


 一時間目の終わるチャイムが鳴り響く中、自信満々の佐一とともに息切れする霰さんは学校の中に入るのであった。 


==========


 弟と分かれ自分の教室の前に立つ。


 休み時間、今教室に先生はいないとわかっているのだがめちゃくちゃ怖い。


 立ってないでさっさと入ってしまえば気づかれないのでは、僕影薄いし。


「おい、深ノ宮」


 身に覚えのある声にビックッと体を震わせ、声のした後ろの方向に体を向ける。


 俯いた顔を目線だけ上にあげるといたのはやはり担任だ。大柄でごつい男の先生。これから怒られるんだろうな、僕。


 怒号に耐えるため体に力を入れていると両肩にポンと大きな手が乗る。


「登校中、遅刻してまでおばさんを助けたんだってな。偉いぞ!」


 えぇ……今時そんなこと信じるのか?


「お前の弟が話してくれたんだが。最初は嘘だと思って聞いていたがあまりに詳細に語るんで確認したところ確かに『生徒さんが優しく肩を貸してくれてねぇ』と言っていた。今回の遅刻は見逃し、一時間目の授業を休んだことも無しにしてやろう。後で友達にノートを貸してもらえ」


 これは……弟が何かしたな。


「わ、わ……かり、ました」


 変なことは口に出さない方がいいと判断した霰は相槌だけ適当にして教室に入る。


 弟の宣言通り、怒られるどころか、褒められて遅刻も一時間目を休んだことも無しになった。


==========


「一体何をしたんだい?」


 弟が家に帰って来るなり自分の部屋を飛び出し問い詰める。


「何もしてませんよ、今朝あったことを正直に話しただけですよ」


 食材の入ったマイバックをテーブルに置き、考えるそぶりを見せ。『アッ』とした表情を見せると。


「一つ上げるとするなら、佐崎さんを助けた時間は話してなかったかな」


 口に人差し指を当て弟は小さく笑った。


 なるほど、何故遅刻したのかという理由に『人助けをしてた』といえばその出来事が『真実』か『嘘』に考えが偏る。


 名前を頼りに電話で『生徒が何かしましたか』と確認をとったとしてもおばさんは助けられたことしか喋らないだろう。


 本当は寝坊が遅刻の原因なのに時刻のずれを利用して僕の遅刻の理由を人助けにして担任を言いくるめたのだ。学校の授業が始まって遅刻が確定している状態でゆっくりと助けているなんて普通は考えられないのだから。


「何もかも計算済みの行動だったのか?」


「まさか、今回の件はたまたまです。駄目だったとしても遅刻した理由を真っ当に変える案は他にもいくつかありましたから結構余裕をもって登校してましたよ」


 遅刻の件を最初から消そうと考えていたのは事実らしい。


 僕には考えられない提案をしたり、今回の件も僕のために考えてやったこと。ホントに君は変な人間だ。


「ところで弟よ、君はどうだったんだい?」


「え、普通に人助けして遅刻しましたって言ったら『事故じゃなくてよかった~』って言われて疑われず何もなしです」


 ……この腹黒の優等生め。


 弟は結構悪いやつなんだと思い知らされる登校日だった。

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