第49話

 背を向けて立ち去ろうとする彼に僕はありったけの力を込めた拳を振るった。


「そ、聡太!?」


 春木くんは完全に油断している。

これをかわすことなんて絶対にできるはずがない。


 パアァァァァン


 辺りに乾いた音が響き渡る。


 嘘だろ…!?なんでだよ…!?

僕は完全に不意打ちをを仕掛けた。

本当なら今頃頬を殴られているはずだったのに。


 僕の振るった拳は春木くんに片手で止められていた。


 ドア越しでしか会話をしてなかったからこんな間近で会うことなどなかった。

春木くんの声からはいつもまっすぐな気持ちが込められていた。決してとってつけたような言葉を並べるような人とではない。

だから不思議と春木くんのことを信用していくようになった。それは香恋も一緒だと思う。

ハキハキとしていて声もどちらかと言えば大きい方だったのでてっきり大柄で筋骨隆々な人だとイメージしていた。

だけど今目の前にいる春木くんは僕のイメージと大きくかけ離れていた。

身長は僕よりも10センチ程度は小さく、体型も細身で小柄な方だ。


「夏川…」


 春木くんに名前を呼ばれて、僕は一瞬で我に戻る。


 やばい…。いきなり殴りかかったんだ。間違いなく反撃される。

一発殴られるのを僕は覚悟する。

目をつぶり、警戒していたが数秒経ってもなにも起きない。


 僕は恐る恐る目を開けて春木くんの顔を見る。


「…!?」


 春木くんの表情は僕の予想外のものだった。


「夏川…、やっとお前の顔を見ることができたよ。」


 春木くんはそう言いながら僕に話しかけてくる。

その表情はとても優しく、そしてどこか安堵したかのようなものだった。


「え…!?」


 僕は春木くんの言ってる意味が分からなかった。


「悪かったな。夏川。いつものお前ならこんな挑発にのることなんてなかったと思うけど半ば自暴自棄になっていた今のお前ならもしかしたらこうやって部屋から出てきてくれるんじゃないかと思ったよ。」


「よく部屋から出てきてくれたな。お前と会えて俺は嬉しいよ」

「…別に僕は…」


 居心地の悪さを感じ、自室に戻ろうとしたが掴まれた拳を振り外すことができない。

どんなに力を入れて振り払おうとしても春木くんの手から離れない。


 なんなんだ…。君は…。


「夏川!少しでいい。俺の話を聞いてほしい。」

「……」

「今から話すことはドア越しではなくこうやって面と向かって話したかった。じゃないと俺の本気の気持ちは伝わらないからな」


 拳を掴まれた状態では自室に戻ることもできない。僕はおとなしく春木くんの話を聞くことにした。


 春木くんはまっすぐな目をして僕に話し始める。


「夏川。お前はさっき自身の辛さを誰も理解してくれないと言ったよな。」

「言ったけどそれがなんだって言うの?」


 普段とは違い、強気な口調で話す。


「いないよ。そんなやつ。」

「な、なんでそう言い切れるの!?」

「結局のところみんな根底では他人にそこまでの関心はないんだよ。」

「…!?」

「この先、また夏川がどんなに辛い思いをしても他人は100%の苦しみを理解することはできない。」

「………」

「結局のところ、自分の壁は最後は自分の力で乗り越えなければならないんだ。それが…どんな辛くて、苦しくてもな」


 春木くんは僕の目を見て真剣に話す。

その言葉を聞いて僕は不思議と彼の話に引き込まれていた。


 親や先生をはじめとした大人の人に言われてもなにも感じなかったのになんでこんな君の言葉は心にくるんだよ。

それと同時に分かる。

君は幾多もの困難を乗り越えてきたということを。

だから同年代なのにここまでの説得力があるんだ。


「それでも…分からないなりにもその人のことを思い、理解しようと寄り添おうとしてくれる人は存在する。」


 春木くんはそう言いながら、香恋の方を見る。僕もそれにつられて視線を送るが香恋は気まずそうな顔をしていた。


「別に自分のだけの力で壁を乗り越えなければいけないわけではない。誰かの力を借りたっていいんだ」

「無理だよ…。僕は一度逃げてしまった。

親の期待も香恋からも病気からも僕は逃げてしまった。全てが嫌になったんだ。…そんな僕が今更また前に進めるはずなんてないよ…」


 春木くんの話を聞いても僕の心の傷はそんなすぐに癒るものではない。

それにずっとあの時からずっと心に引っかかっているものがあった。


「前にも言ったけどそれは別に悪いことではない。誰だって歩みを止めてしまうことはあるんだからな。」

「春木くん…」

「それにな、壁は別に今すぐ乗り越えないといけない決まりなんてねえよ。長い年月をかけたっていい。最終的に乗り越えられたら形なんてなんでもいいんだよ」



「夏川は中学の時、たまたまその壁を乗り越えられなかっただけだ。なにも恥ずかしいことはない」


 初めてのことだったんだ。

自分の力ではどうにもできないと思ってしまったのは。

病気になって自分のことで精一杯になって周りが見えなくなって仲間から疎まれていることも気づかなかった。

本気で挑んだのに無惨な結果で終わってしまった。

許せなかった…自分のことが、そしてこれ以上周りの期待に応えられる自信がなくなってしまったんだ。だから逃げてしまった。

 


 それなのになんで君はそんな優しいんだ…

なんで…僕に寄り添ってくれるんだ…

なんで…僕を見放さずにここまでしてくれるんだ…


 春木くんはさらに真剣な面持ちで話しを続けた。


「逃げることは決して悪いことではない。

だけど逃げ続けた人間に得れるものなんてなに一つない。」

「…春木くん」

「今が踏ん張りどころだ!夏川!お前はまだ一度も学校に来ていない。中学の時とはまた大きく状況が変わっているはずだ。お前の味方は誰もいないわけじゃない!俺だっているし、委員長もいる!それにちょっと変わってるけど冬月って言う面白いやつもいる。」

「僕は…」

「俺は夏川に学校に来てほしい!

夏川がいて冬月もいて委員長もいる。そんな学校生活、少し考えただけで分かる。

絶対に楽しいはずだ!」


 そう言いながら話す春木くんの表情はすごく楽しそうだった。


「なんて、まぁこれは俺のわがままなんだけどな」


 春木くんはそう言って、ゆっくりと僕の手を離した。


「いきなり押し掛けて今日は悪かったな。

夏川。」


 最後にそう言って、春木くんは踵を返す。


「待ってよ!春木くん!」


 別に何かを伝えたいわけではなかった。

だけど何故か春木くんを呼び止めてしまう。


「どうした?」

「もし、僕が学校に行けたとしてもまた不登校になったら君はどう思う?」

「その時はその時だ。ダメならダメでそれは仕方のないことだ。」


 春木くんはなんの迷いもなくそう答える。

僕はこんなに迷い続けているのに君はなんでこんなに強いんだ。


 僕が言葉を失い、下を向いていると春木くんは一言こう言った。


「まぁ、でも夏川がもし学校を辞めたとしてもこうしてまたここに来てもいいか?」

「どうしてだよ?春木くん」

「ん?」

「どうして君はそんなに僕のことを気にかけてくれるの?」

「前にも言っただろ。俺はこうして夏川と話す時間が好きなんだよ」


 再び春木くんは僕に背を向けて歩き出す。

軽く右手をあげて「じゃあな」と言いながら



〜〜〜〜


「待ちなさい!春木くん!」


 私はそう言って、聡太の家を出て帰路に着こうとしていた彼を呼び止める。


「なんだよ!委員長」


 そう言って私の方を振り向く。


「今日はありがとう。あなたがいなかったら私はあの後聡太とまともに話すことも出来なかったわ。」

「別に俺は大したことはしてないよ。ただ自分の気持ちを言っていただけだよ。」

「それでも…聡太はあなたの話を聞いていた。私はただ聡太のことを傷つけてしまうだけなのに…」


 先程の出来事で嫌でも思い知らされる。

自分の無力さを…。

高校生になって、少しは成長できていると思っていた。

だけどそれはただの自惚れにすぎなかった…


「委員長が夏川に言っていたこと少しだけ聞こえたけど別におかしなことはなにも言ってなかったぞ」


 私の心情とは対比的に春木くんはいつものように楽観的に答える。


「いいえ!私は今回もなにもできなかった…」


「委員長はなにも間違ってないよ。正論だった。」

「じゃあ!なんで!私の言葉は聡太に届かないのよ!」

「人の気持ちは正論だけでは動かないってことだよ。」

「…!?」

「たまには理屈抜きで夏川に自分の気持ちを本心を伝えてもいいんじゃないか」

「理屈抜きで自分の気持ちを…」


 彼の言ったことは私が今まで考えたこともないことだった。


「けど…夏川と委員長は俺なんかよりも長い付き合いだから近すぎるが故に上手く伝えられないこともあるのかも知れないな」


 私の混乱している表情を見て彼は珍しくフォローを入れてくれる。

それが何故か癪に触る。


「難しく考えなくていいんだ。委員長の気持ちを真っ直ぐに伝えたらいいよ」


 春木くんはさっき聡太に伝えたように優しく私にもそう言ってくれた。



 私は頭の中を整理する。

私が今、何をしたいのか。

聡太にどうしてほしいのか。

これまでにないほど思考を巡らせる。



 すると背後から聞き慣れた声がした。


「あのー、2人とも私のこと忘れてませんか?」


 その声を聞いて春木くんは「げっ!」っと動揺した声をあげる。

そして私も背後から異様と言ってもいいほどのオーラを感じ、恐る恐る視線を後ろに向ける。


「澪!」

「冬月!」


 声の主は澪だった。

だけどいつもと様子が少し違った。

顔は笑っているが目の奥は笑っていなかった。

気のせいか後ろにはまるで般若がいるかのようにただならぬオーラが見えた。


「まったく、2人とも鞄を置いて急に走り出すから困りましたよ。私が香恋と春木くんの鞄をここまで持ってきたのですよ!」


 それを言われて一瞬で我にかえった。

そういえばいつもより体が身軽だった。


「ごめんなさい!先生に聡太のことを言われて急に頭が真っ白になって…」

「いえ、香恋には別に怒ってないので大丈夫ですよ」


 私が急いで弁明をするが澪はすぐに許してくれる。 


「問題なのは春木くんの方です」


 そう言って、澪は春木くんの方に視線を移す。

 

「春木くん、どうしてこんなに鞄が重いのですか?ここまで持ってくるのすごく大変でしたよ!」

「ごめん!冬月!実は時間割するのめんどくさくて毎日教科書全部持ってきているんだ。」


 春木くんは両手を合わせて謝罪する。


「はぁ、今回だけですよ。次は許しませんよ」


 澪はそう言いながらなくなく春木くんを許した。


「それと香恋と春木くんは夏川くんと話せたのですか?」

「ああ!バッチリだ!」


 春木くんは親指を立てて笑顔でそう言った。


「私は…」


 とても上手く伝えられたとはお世辞にも言えなかった。

私が落ち込んでいるのを察したのか澪は優しくこう言ってくれた。


「大丈夫ですよ。香恋。仮に伝えられなかったとしても今回のこの香恋の行動は夏川くんのことを思ってのことです。それは間違いなく夏川くんにも伝わっているはずです。」


 澪のその優しい言葉を聞いて心が救われた気分になった。


「ありがとう。澪」


「そうだ!冬月!この辺りに美味しいって評判のカフェあるだろ!お詫びにそこでなんかご馳走させてくれよ!」


 そう言って春木くんは提案をする。


「いいですね。特盛フルーツパフェでもご馳走してもらいます。」


 澪は嬉しいそうに答える。

しかし春木くんの顔は複雑そうな様子だった。


「え?…いや、それはちょっと高そうですよ。

いちごパフェで許してくださいよぉ〜」

「ダメです!」


 澪は春木くんの要求は笑顔で却下した。


 2人のその会話を聞いてなんだか可笑しく感じた。


「香恋も行きますか?」


 澪は私も誘ってくれたが今日はそういう気分ではなかった。


「いえ、今日は遠慮しておくわ。誘ってくれてありがとう。」

「そうですか。また今度一緒に行きましょう。」


 そのまま私は2人を見送るのであった。

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