第42話

 2017年3月1日


 私は気持ちを落ち着かせるため、軽く深呼吸をする。

この日のために私は中学3年間、1日も休まずに努力を続けてきた。


 今日は撫子学院高等学校の合格発表日だ。

試験ではやれるだけのことは精一杯やったわ。今の自分の全てを出しきれたと思う。


 私は制服に着替えて、合否を確認するために撫子学院高等学校へと向かう準備をした。

玄関で靴を履いているとリビングにいたお母さんがこちらに来て話しかけた。


「香恋、今から合格発表を確認しに行くのね」

「ええ、そのつもりよ」


 お母さんは私よりも緊張をしている様子だった。

朝からずっとソワソワしていた。


 「行ってくるわ」


 私はそんなお母さんにいつものようにそう言って家を出た。

後ろからお母さんの行ってらっしゃいと言う声が聞こえた。


 撫子学院高等学校に向かう途中、私は1人考えにふけっていた。

あと2週間で私は中学を卒業する。

この3年間部活動もしないでずっと勉強をしていた。

3年生になったからは模試の結果もA判定をとっていた。

確実に実力はつけていったと思う。

そんなことを歩きながら考えていると小学校低学年程度の2人の男女が仲良く走っていく姿が視界に入った。


 その2人を見て私はどこか懐かしいような感覚がした。

小学生の時、私もよく聡太と一緒に遊んでいた。

姉さんと違って私はあまり社交的ではなかったから仲良くしてくれる人はいなかった。

私が棘のある感じで話してもいつも聡太は笑顔で私のそばにいてくれた。

中学に入ってからは男女が少しでも仲良くしてると周囲は付き合っているだの言って揶揄われることが多くなった。

それが煩わしくて学校では聡太と距離をとっていた。

それでも聡太が部活のない時はたまにだけど一緒にご飯を食べに行ったりしていた。


 そう…、これが当たり前だと思っていた。


 3年生になってから聡太は学校に来なくなった。それから私が連絡してもまったく返事をしてもらえなかった。

もう1年近く聡太とは会ってない。

2年生になった頃から聡太は自律神経の病気を患った。

 通常の人のように朝起きることが困難になってしまった。

それは日常生活に多大なる影響を与える。


 はじめは野球を続けていたが夏大会決勝戦で敗北してから部活を辞めた。

それからは勉強に専念していたが徐々に学校に来ることが減っていった。

クラスの人もはじめは心配していたがだんだんみんな聡太がいないことが当たり前になっていった。

聡太はクラスにいないものとして扱われていた。


 私は歩くのをやめ、その場に立ち止まる。


「私の…、私の…せいだ…。」


 私は心の中にあった言葉をこぼす。


 私が聡太を追い込んでいた。

病気だと診断された日に私は聡太に部活を辞めるべきだと一方的に自分の考えを伝えた。

そのせいで聡太は誰よりも結果を重視するようになった。

あんなに楽しそうに野球をしていた聡太が…


 私は去年の夏大会決勝戦の最終打席の聡太を顔を思い出す。

あんなに苦しそうな顔をしている聡太ははじめてだった。

結果を求めるばかりに聡太は野球部で自分の場所を無くしてしまった。


 そんなつもりじゃなかった…。

ただ、聡太に辛い思いをしてまで野球を続けてほしくなかった。


〜〜〜〜


 そうこうしているうちに私は撫子学院高等学校にたどり着いた。


 校内は私と同じ受験生でいっぱいだった。

私は合格者番号が貼り出されている場所へと向かう。

歩いているとすぐに合格者番号が貼り出されている場所にたどり着く。

そこでは私よりもはやく来ていた受験生で賑わっていた。

親と一緒に来ていて合格を共に喜びあっている人、がっくりと肩をおろしうなだれている人とで溢れていた。


 私も自分の番号があるか確認するために鞄から受験番号が書かれている紙を取り出す。

番号は1005だ。


 軽く息を整える。


 緊張のせいか心臓の鼓動が聞こえてくる。

ここまで緊張する機会などそう多くはない。


 私はこの日のためにやれるだけのことは全てやった。

自分にそう言い聞かせて私はこの緊張状態を解こうとする。


 覚悟を決めて、私はゆっくりと合格者一覧に視線を向ける。

1番初めに視界に入った数字は998だった。

そこから順番に下の数字を見ていく。

999、1000、1001、1002、1003、…


 ドクンッ、ドクンッと心臓の鼓動が聞こえる。

私は一瞬目を瞑った。

あまりの緊張のため、怖気付いてしまう。


 目を閉じたまま一旦深呼吸をする。

意を決して私は合格者一覧を見る。


 1004、…この下に1005があったら私は合格したことになる。

私は1004の下の数字を見た。











__________________1006…。


「…え……」

私はもう一度、1004の下の番号を見る。

1006の下は1007と続いていっている。

私はすぐに状況を理解することができなかった。


 さっきまで騒がしく聞こえていた周りの雑音が一気に遮断される。

まるで自分だけが違う世界の住人のようだ。



「………な…い……?」


 ない…。どこにも私の番号はなかった。

私はしばらく呆然とその場に立ち尽くした。


 時間が過ぎるにつれて自分の置かれている状況を理解していく。


 私は受からなかったのね…。

その事実は私の心を追いつめる。


 悔しくて…、悲しくて…、辛くて…、これほどまで自分が情けないと思ったことはない。



 3年間、やれるだけのことは全てした。

姉さんと同じ撫子学院高等学校に受かるためには犠牲にしたこともあった。

部活もせずにみんなともあまり遊ばすにずっと勉強をしてきた。

それでも届かなかった。


「…まったく、ここまできたら認めるしかないわね」


 私のひどくか細い声は周りの雑音で誰にも届くことはない。


 私が撫子学院高等学校を目指した理由。

それは姉さんに少しでも近づきたかったからだ。

文武両道、あらゆる事を器用にこなし、みんなからの信頼もあつくそして誰よりも優しい姉さんに私は昔から憧れていた。


 私は姉さんみたいに器用ではなかった。

だからせめて勉強だけでも頑張って姉さんと同じ高校に行きたかった。

だけど私はそれすらも叶わないのね。

その瞬間、昔のことが呼び起こされる。


『香恋!僕ははっきり言って今の君の気持ちはわからない。それに香恋がどんなに頑張っても香織姉さんにはなれないよ!』


 それは昔、聡太に言われた言葉だった。

まだ子供だった私はムキになって聡太に反論した記憶がある。


『香織姉さんと香恋は違うんだよ。香織姉さんには香織姉さんの良さが、香恋には香恋の良さがあるんだ。香恋は今できる自分の精一杯を頑張ればいいんだよ』


 聡太は昔から大人だった。

その時の私はその言葉を理解することができなかった。

そして今その言葉を理解する。


 …私は…姉さんのようにはなれないわ。

認めたくなかった。

努力を続けたらいつかはそれが実ると信じていた。

だけど結果が伴わなければ意味がない。

3年間の努力だって一瞬で水泡に帰してしまう。


 これ以上ここにいても仕方がない。

そう考え、私はそのまま撫子学院高等学校を後にするのであった。



 行きはあんなに遠く感じた通路が帰りはとても短く感じた。

家に着いてドアを開けるとそれに気づいたお母さんがこちらに来る。


 不安げな様子で私に問いかける。

「香恋、どうだった?」

私はすぐに言葉が出なかった。

そんな私の様子からお母さんは察してくれたようだ。

それでも私はちゃんと言わないといけないと思った。


「お母さん…、ごめんなさい…。ダメだったわ」


 私がそう言うと、お母さんは優しくこう言った。


「どうして香恋が謝るのよ。香恋の努力はお母さんずっと見てきたから知ってるよ。こういうのは上手くいかない時だってあるのよ」

「……ごめんなさい。今日はもう疲れたから部屋で休むわ。」


 私はそう言って自室へと向かう。

後ろでお母さんが心配そうにして見送るのがわかった。

そして自室のドアを開けようとした時に隣の部屋にいた姉さんが偶然部屋から出てくる。


「あら?香恋もう帰ってきてたのね」


 今姉さんと何を話したらいいか分からず私は何も言わずに自室に入った。

私はベットでうつ伏せになる。

1人になって冷静になると自然と涙が溢れていた。


「ううぅ…うぅ……、あんなに…頑張った…のに…」


 私はその日ずっと自室に篭り、枕を濡らすのであった。



 私が目を覚ましたのは翌日の午前9時だった。

お腹も空いたのでリビングの方に向かう。

リビングに入ろうとすると中で姉さんと香奈美が話している声が聞こえた。


「香奈美すごいわねぇ〜。まだ一年生なのにもう四年生の問題が分かるの?」

「うん!太一の家に6年生までの教科書あるからそれで太一と一緒に勉強してるの!」

「自分で勉強するなんて偉いわよ」


 姉さんに褒められて香奈美は嬉しそうだった。

どうやら香奈美は姉さんに勉強を見てもらっているようだ。

2人が楽しそうに話しているとお母さんも会話に混ざる。


「香織だって香奈美ぐらいの時には同じぐらいできてたじゃない」

「そうだったかしら?もう昔のことすぎて覚えてないわ」

「ねぇー香織お姉ちゃん!ここ教えてよ!」


 そうやって仲良く談笑している三人を私は気づかれないように聞いていた。


 姉さんがすごいことは昔から知っていた。

7つも離れていたから姉さんがこの年齢の時には出来てた事をお母さんに聞いて私もそれを実践していた。

それでも私は姉さんと同じレベルには到底辿り着けなかった。

だけど…香奈美にはそれができてしまうのね。


 自分が今どれほど醜くて、情けない感情を抱いているかすぐにわかった。

8つも離れている妹に嫉妬を抱いてしまうなんて。

姉さんは言わずもがな神童と呼ばれるのにふさわしい人だ。

そして香奈美もいずれそう呼ばれるに相応しい人になる。

私も…そうなりたかった。


 この三姉妹の中で姉さんと香奈美は才能を持っている。

持たざる者は私だけのようだ。

そう思った瞬間、2人に引け目を感じ私は自室に戻った。



〜〜〜〜


 部屋の中で過ごしているとドアをノックされた。


「香恋。今大丈夫かしら?」


 声の主はお母さんだった。


「ええ、大丈夫よ」


 私がそういうとお母さんは部屋に入ってくる。


「香恋、少し話したいことがあるからリビングに来てくれない?」

「分かったわ」


 お母さんが話したいことは間違いなく今後のことだ。

第一希望だった撫子学院高等学校には落ちてしまったけどクヨクヨしている時間はそう多くはない。

2次募集をしている高校を探してそこに行くしかしかない。


 リビングに入ると姉さんと香奈美の姿はなかった。

どうやらお母さんが姉さんに頼んで香奈美を近くの公園まで連れてってくれたようだ。 


 私はお母さんと向かい合うように座る。


「香恋、ひとまずお疲れ様。結果は残念だったけど香恋の努力が無駄だったことには決してならないわ。」

「ありがとう。お母さん…」

「香恋、撫子学院高等学校以外であなたが行きたい高校はある?」


 お母さんは私に問いかける。

正直行って撫子学院高等学校にいくことしか考えてなかったからその質問にすぐ答えることはできなかった。

するとお母さんがある高校の冊子を取り出した。


「香恋、この高校はどうかしら?」


 私はその冊子に目を向ける。


「百合ヶ丘第三高校」


 私はその高校に聞き覚えがあった。

撫子学院高等学校には劣るがスポーツに力を入れていて高い進学率を誇っている高校だ。


「この高校には香織が高校生の時の先輩だった人が去年先生に就任されたみたいだしそれにけっこう自由な校風で進学の実績だって悪くない。立派な進学校よ。お母さん、この学校がいいと思うわ。」


 冊子を見る限り、たしかにいい学校のように感じる。

それにこの高校なら私でも問題なく受かると思う。

だけど…ここに行ったらいよいよ本当に聡太とは別々になってしまうのね。

結果はまだ知らないけど聡太なら間違いなく撫子学院高等学校に合格したと思う。

3年生になってあまり学校に来なくなったから内申点には影響があったと思うけどそのハンデがあっても聡太なら問題ないと思う。


 私が何を考えているのかお母さんにはお見通しだったようだ。


「聡太君もこの百合ヶ丘第三高校を受験するみたいよ。」


 お母さんのその言葉に私は驚愕してしまう。


「え!?なんで!?どういうこと⁇」


 私が問いかけるとお母さんは複雑そうな様子で私に説明する。


「聡太君、撫子学院高等学校を受験しなかったみたい。…理由は分からないけどこのままだと中卒になってしまうから私が聡太君のお母さんに百合ヶ丘第三高校を勧めたの。」


 お母さんは続けて話す。


「香恋と聡太君の学力なら間違いなく百合ヶ丘第三高校には受かると思うわ。ただ…この高校には東中の生徒はあまりいないと思うけど大丈夫かしら?」

「それは問題ないわ」


 聡太がなんで撫子学院高等学校を受験しなかったのかは分からないけど…私はもう一度聡太と学校生活を送りたかった。


 少しを間をおいてお母さんにこう言った。


「お母さん、私…百合ヶ丘第三高校に行くわ。」


 

____________________________


そして2017年5月25日(現代)へと話は戻る。

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