第41話

 決勝戦の翌日、僕は野球部のみんなに最後の挨拶をするために部室に向かっていた。

昨日のことだ。

僕はまだ負けたという現実を受け入れられないでいた。

僕のエラーで失点を招いたしまった。

そして最後の打席に4番の僕が打てていたらチームを勝利に導くことができた。

だけどできなかった…。

最終的に僕の実力不足だった。

病気のせいで体調がすぐれなかったとか調子が悪かったなんてそんなのは言い訳だ。


『どんな状況でも結果を残せ』

僕はそう父から教わってきた。

それなのに…、こんな経験は初めてだった。

言葉では言い表すことができない刺々しい黒いモヤが身体を蝕んでいる感覚だ。


 昨夜、決勝戦に敗北したことを僕は父に報告した。

「そうか」


 僕の話を聞いたあと父さんはそう一言だけ言った。


 悔いの残る結果になってしまった。

本音を言えば僕はまだ野球をやめたくない。

こんな…こんな形で…。

先輩達は誰一人僕を責めなかった。

それどころか僕に慰めの言葉をくれた。

『夏川…お前が打てなかったなら仕方がないよ…。気にするな』

そして次の僕たちの代にエールを送ってくれた。


『俺たちの代はあと一歩で全国に届かなかった…。お前ら1、2年生は俺たちの分まで頑張ってくれよ。』


 試合の後の最後のミーティングで先輩達はそう言ってくれた。

だけど…もう遅い。

今回が僕にとってのラストチャンスだった。

絶対に結果を残さないといけなかった。

結局僕はみんなの期待に応えることはできなかった…。


 僕はそのまま部室へと向かう。

部室の前に到着してドアを開けようとした時中から監督の声が聞こえた。


「みんなに一つ言いたいことがある。」


 監督は初めにそう切り出した。


 部室のドアは少し開いていたので外からでも中の声が聞こえた。

どうやら僕以外のメンバーはみんな揃っているみたいだった。


「夏川が昨日の夏大会をもって退部をすることになっている。」


 監督がそういうと部員は全員驚きを隠さなかった。


「嘘だろ…」

「そんなの聞いてねぇよ」


 部員達は各自で反応をする。


 部員達が驚いている様子を確認しつつも監督は話を続ける。


「夏大会が始まる前に夏川自身が俺に報告しに来た。受験勉強に備えたいようだ。みんなの反応を見る限り夏川は誰にも言っていなかったようだな。」


 監督の言う通り、僕は誰にもそのことを相談していなかった。

夏大会前ということもあったのでチームに余計な事を持ち入れたくなかった。



「俺は今夏川に黙ってこの件をお前達に相談している。進路のことは俺も口出しはできない。だが…昨日の試合、夏川にとっても不本意な結果で終わったはずだ。そしてこの次の代は夏川をキャプテンでチームを作っていきたい。俺はそう思っている。監督の立場の俺には無理だが同じ部員であるお前達で夏川を説得してくれないか」


 監督はそう言って部員たちに頼み込んだ。


 監督のこの行動は正直予想していなかった。

だけど監督の言った通り、僕は昨日の試合は不本意な結果で終わった。

そして僕は…まだ野球を続けたい…。

みんなが必要としてくれるなら…僕は…、


 そう思っている中、ある男の言葉により全ては一変する。


「監督、悪いですが俺その考え反対です。」


 その言葉に一瞬空気は沈黙する。

話したのは岩瀬だった。


「どういうことだ!?」


 監督は岩瀬に問いかける。

自分の考えを否定されるとは思っていなかったようだ。


「夏川が自分で辞めたいって言っているなら素直に辞めさせるべきですよ。」


 一見、僕の考えを尊重してくれているような回答だが岩瀬はそんな人間ではなかった。


「夏川がいなくなったら今年のチームで勝つことは難しいぞ!」


 監督は少し声を荒げながら言う。


「監督の言う通りです。悔しいですが…あいつは東中学が誇る天才スラッガーですよ。ですがこれまでと同じやり方なら俺たちの学年も勝つことはできないですよ。」

「なんだと!?」


 岩瀬は監督に物怖じせずに話を続ける。

「2つ上の代はともかく1つ上の代と俺たちの代は潜在的には差なんてほとんどなかったと思います。1年早く俺たちより生まれて中学野球を経験してその分成長期を迎えていて体格も出来上がっていた。だから現時点では俺たちより上だったんですよ。」

「何を言いたいんだ?岩瀬!」

「俺たちの代だって全国を目指せれるってことです。」

「それなら夏川がいないと厳しいだろ!」

「監督、俺は今回先輩たちが負けた原因の一つは皆んなが夏川に頼りきっていたからだと思います。」


 岩瀬がそう言った瞬間部室の雰囲気は変わる。


「はじめに言いましたが夏川はいい選手だ。だけど昨日の試合では明らかに調子が悪かった。アイツのせいで負けた試合だった。」

「試合に負けたのは夏川だけの責任ではないだろ!ほかの選手達だって点を入れることができなかった。チーム全員の責任だ。」

「その通りですよ。監督、ほかの選手も打てなかった。それは先輩たちは心の中で夏川に頼っていたからですよ。アイツが凡打になったらチームの指揮は下がった。アイツがエラーした時、口では平静を装っていましたが内心では多大な焦りが生まれていた。」


 部員たちは岩瀬の話を黙って聴いている。


「先輩達は昨日アイツにお前が打てなかったなら仕方ないよって言っていました。夏川はそれぐらいチームに信頼されていた。間違いなく今年は夏川のチームだった。」


 そして岩瀬は核心をつくことを言った。


「だけどそれでも全国に行けなかった。これまでとやり方じゃダメなんですよ。だからこそ今ここでチームを変えないといけないんですよ。夏川がいたらみんなまた頼ってしまう。

だったらアイツを抜きにした俺たちが強くなればいい。俺はそう思いました。しかも夏川は部活をやめようとしてるなら好都合だ。」


 岩瀬は部員達に話を振り始める。


「お前達はどうなんだ?」


 部員達は皆周囲の様子を窺って自分から話そうとしない。


「お前達は…悔しくないのか?」

「…」

「俺はいつまでも夏川のオマケになりさがるつもりはないぜ。お前らだって本音を言えば夏川のこと気に食わなかっただろ。」


 岩瀬は醜悪な笑みを浮かべながら皆に問いかける。

すると1人の部員が声を上げる。


「岩瀬、俺お前に賛同するわ。」


 それを皮切りにみんな一切に声をあげる。


「俺も」

「僕も」

「正直あいつにはついていけないと思っていたんだよ。」


 それを見ていた監督は狼狽の声を上げる。


「待て!お前達!本当にそれでいいのか!?」

「だってアイツの理想高すぎなんですよ。」

「だよな。みんながみんな夏川のようにできるわけじゃないんだよ。」


 岩瀬以外の部員も監督に意見を述べる。


「監督、今多数決をとったら間違いなく俺たちの意見の方が優勢ですよ。」


 監督は自分の予想を大きく外れていたことを理解し、苦虫を噛み潰したように話し始める。


「分かった。だが…夏川がもし戻りたいと言ったらどうするつもりだ?」


 その言葉を聞いた岩瀬は確信を持ったかのように答える。

「それはないと思いますよ。」


 こうして監督と部員達の話し合いは終わった。


 部員達が出てくる前に僕は足早にその場から離れるのであった。


〜〜〜〜


 先程の部室でのことが頭から離れない。

岩瀬の言っていたことは間違いだとは思わない。確かに今年のチームはそういうきらいがあったのは事実だ。


 だけど…、

ははは…まさかみんなからあんなふうに思われていたなんて…

まったく気づかなかった。


 心に重くのしかかるものがある。

もし…、もし勝っていたらこんなことにはならなかったのか…。

そう考えてしまう自分がいる。


 すると1人の男が僕に話しかけてきた。


「夏川、盗み聴きなんて趣味の悪いことしてんな。」

「!?」


 そう言ってきたのはさっき部室での騒動の発端の岩瀬だった。


「なんのことかな?」

「惚けたって無駄だ。俺がいた場所だと偶然ドアの隙間で話を聞いていたお前が見えたんだよ。」

「そうなんだ。」


 僕は岩瀬の目を見ずにそう答える。

できれば今彼とは話したくない。


「なぁ、夏川。今どんな気持ちだよ。」


 そう言いながら醜悪な顔でこちらを見てくる。


「お前、自分がこのチームを引っ張っている

…そう思っていただろ。」

「どういう意味かな?」

「さっきの部室での反応を見ただろ。みんなお前に辟易していたんだよ。」

「……」

「心のどこかで俺たちのこと見下していたんじゃないか?夏川」

「そ、そんなことないよ!」

「どうだかな。まぁ、あの部にもうお前の戻る場所はないよ。このタイミングで大人しく退部してくれ。」


 岩瀬はそう言って、僕の前から去って行った。


 1人残された僕は呆然とその場に立ち尽くしている。


 心のどこかで部員の誰かが僕を必要にしてくれている。そんなことを望んでいた。

だけど…そんなことはなかった。

僕はただ勝ちたかった…

みんなと一緒に全国に行きたかった…

自分が許されたこの最後の夏にそれを成し遂げたかった…


 だけど僕のこの必死さはみんなにとっては不快なものに過ぎなかったということか。


 そして僕はこの夏を最後に野球部を退部した。


 その日から、気持ちを切り替えて勉強に向き合った。成績は問題なく上がった。

だけどまるで心の中にポッカリと穴が空いたようだった。

何をやるにしてもモチベーションは上がらなかった。

それでも目の前の勉強に全てを注ぎ込んだ。

だけどこの自律神経の病気を抱えながらの学校生活は簡単なものではない。

夏を過ぎて、秋になったごろからあまり学校に通えなくなっていった。

なんとか午後に登校するという感じだった。

しかしそんな生活をしていると徐々に教室は自分の場所ではなくなっていった

自分がなんのために辛い思いをしてまで学校に行って勉強をしているか分からなくなっていった。



 中学3年生になった頃から僕は学校に行かなくなった。




 そしてそのまま僕の中学生活は幕を閉じるのであった。

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