第38話

 いつものように私は放課後図書室で勉強をしていた。

図書室にはカウンターで事務作業をしている当番の人と早くに部活を引退して受験モードに入った三年生が数人いる。

放課後の図書室なんてこんなものであった。

一年生や二年生は基本的に部活動で放課後図書室にいるはずはなく私は1人で去年から毎日ずっと勉強を欠かさずやっている。

切りのいいところまで勉強をして時計を見ると時刻は17時45分だった。

18時になると校舎は施錠準備に入るので少し早いが帰宅することにした。


 図書室を出て、下駄箱に向かうため廊下を歩いているとグラウンドから運動部の声出しが聞こえてきた。

今は運動部にとっては夏大会の時期である。

特に三年生の人たちは最後の大会なので気合いが一、二年生とは比較にならない。


 まぁだけど私には関係のないことね。


 知り合いがほとんどいない私にとっては縁のない話ではある。唯一気にかけていたと言えば聡太が所属している野球部についてだった。

その聡太とももうずっと話していない。

聡太が病院で診断されたあの日から私たちには溝ができてしまった。

聡太とは小さい頃からずっと一緒だった。

家が近所だったのと親同士が仲が良かったので一緒にいることが多かった。

自分でこんなこと言いたくないけど私は人付き合いが上手な方ではない。基本的には愛想だって悪いしみんなから距離を置かれるタイプだった。

それなのに聡太はずっと私のそばにいてくれた。

それが当たり前になっていた。


 私は下駄箱で靴を履きかえて、校門を出て自分の家へと向かった。


 野球部が今回の夏の大会で順調に勝ち進んでいるのは私も耳にも届いている。

聡太も二年生ながらもスタメンで試合に出ているようだ。


 あの日、私は聡太に部活をやめた方がいいと言った。

私は病気になって日常生活も今までのように送るのが困難になるのにも関わらずただでさえ体力消費の激しい野球部に残るのはリスクが高いと思った。何より私たちが目指す撫子学院高校は難関校だ。

早いうちに受験勉強に備える方が合理的だと思った。

だけど…私は自分の気持ちを一方的に聡太にぶつけていただけだった。

聡太の気持ちを無視していた。


 私は…聡太の気持ちを何一つ理解できていなかった。


 私は自分の不甲斐なさを感じながら家に帰った。



「ただいま」


 私がそう言って、家に入ると妹の香奈美が私に勢いよく駆け寄ってきた。


「おかえり!お姉ちゃん!ねぇ、一緒に遊ぼうよ!」


 香奈美は無邪気な笑顔で私にそう言ってくる。


「ごめんなさい。香奈美、お姉ちゃん学校の勉強をしないといけないの。また今度にしてほしいわ。」


 私がそういうと香奈美は先程までの無邪気な笑顔から打って変わり、不満げな顔をした。


「えー!なんで!お姉ちゃんこの前もそう言って香奈美と遊んでくれなかったじゃん!

今日は一緒に遊んでよ!」


 香奈美はそう言って玄関で駄々をこね始めた。


「香奈美、また今度いっぱい遊ぶから…」

「いやだ!今日がいい!」


 私が香奈美の対応に困っていると、リビングから1人の女性が出てきた。


「香奈美ぃー、香恋が困ってるでしょ。今日は私がとことん遊んであげるからそれで我慢してくれない?」


 そういって、香奈美を嗜める。


「姉さん。もう帰ってきてたのね。」

「ええ、今日は研究もそれなりに捗ったし早く帰ってきたわ。」

「そう…」


 私がそういうと、姉さんは香奈美の頭を撫でながら私との会話を続ける。


「だからさっきまで香奈美と一緒に遊んでいたわ。香恋はいつも通りの時間ね。今日も学校に残って勉強していたようね。」

「ええ、もうすぐ夏休みに入るし、ここからみんな受験に本腰を入れてくるはずよ。私もさらに頑張らないといけないわ。」


 私はそう言って、自分の部屋に向かおうとした。

すると姉さんは後ろから私に話した。


「香恋、あまり気負いすぎるのも逆効果よ。

たまには気分転換も大事よ。」

「分かってるわよ!」

 

 私は少し強めに言った。

姉さんは何もかも見透かしているような感じがしてついムキになってしまった。


 自室に入り、私は制服から部屋着に着替えて勉強机に向かった。

鞄から教科書を取り出し、明日の分の予習をしようとした時、着信音が鳴った。

スマホを手に取って画面を見るとそこには夏川聡太の名前があった。

すぐさま私は電話にでた。


「もしもし」

「久しぶりだね。香恋。」

「そうね。何か用?」


 しばらくの間、聡太とまったく話してなかったせいで私は何を話せばいいのか分からず

少し素っ気ない感じで話してしまう。


「今週の土曜日、全国大会をかけた決勝戦なんだ。香恋には観に来てほしい。」


 聡太は真剣な様子で私にそう言った。


 小学生の頃までは聡太の試合を姉さんと一緒によく観に行ったものだった。

中学生になってからは一回も観てない。

そして聡太が私にこんな形でお願い事をするのは初めてのことだった。


「分かったわ」


 私は聡太の頼み事を快諾した。

その後は試合場所と開始時刻を聞いて聡太はすぐに電話をきった。


 電話が終わった後、私はカレンダーの方に目を向けた。


「聡太、あなたが病気にまでなっても野球部に残り続けた答えを私に見せてほしいわ。」


 私は1人、静かにそう言うのであった。



〜〜〜〜


 土曜日 決勝戦当日


 私は急いで球場に向かっていた。


「完全に予想外だったわ。まさか電車の遅延でこんなに時間をロスしてしまうなんて」


 スマホのナビを見ながら私は走りながら球場を探す。


「ハァ、ハァ、…」


 少し息を整えるために私は立ち止まり、スマホで時刻を確認する。

まずいわ…。

試合が始まってからもう1時間30分近く経っていた。

ナビを見る限り、あと少しで球場に着く距離だった。


 まだ十分に息は整っていなかったが私は駆け足で球場に向かった。


 なんとか球場にたどり着き、息の整えながら観客席に向かった。

観客席について、試合展開を確かめるために電光掲示板を見た。

それは予想だにしない展開になっていた。

スコアは0ー2で聡太たちの方が負けている状況だった。

そして7回(最終回)1アウト満塁でバッターボックスには聡太が立っていた。


 私が呆然と立ち尽くしていると、近くに観客席に座って応援していた人たちが話しているのが聞こえた。


「今年の大本命だった東中がまさかこんなことになるなんて思わなかったな。」

「いや、でもまだ試合終わってないし、バッターは4番の夏川だろ。まだ希望はあるぞ。」

「まぁ、そうだが今日の様子だと厳しくないか?あいつ今日の3打席全部凡打だろ。しかも取られた2点はあいつのエラーのせいだしな。」


 聡太がエラー!?

私は近くの人たちが話している内容が信じられなかった。

聡太は守備1つにとっても誰にも引けをとらなかった。

そんなことを考えていると相手投手がボールを放る。

投手の放ったボールはキャッチャーミットに収まる。


「ストライク!」

 

 審判は大きな声でジャッジする。


 今見た感じではそこまで高いレベルの投手には見えなかった。

聡太なら間違いなく打つことができる投手だ。

私は聡太の方を見る。

観客席だからかあまりよく顔を見る方ができないが私は何か違和感を感じた。


 なんだかいつもの聡太とは違う。

いつもの聡太ならもっと余裕がある感じで野球を楽しんでいる。

だけど今の聡太は違う。

何か思い詰めているようだった。


 相手投手が2球目を放る。

またもやボールはキャッチャーミットに収まる。

聡太はまだ一回もバットを振っていない。


 嘘でしょ……、聡太。


 相手投手は3球目を放った。

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