第37話

「ハァ…、ハァ…もう一本お願いします!」


 僕はノッカーに要求する。

鋭く打たれたボールは三塁線を転がっていく。僕は滑り込みながらグラブで捕球して一塁に投げた。


 7月に入り、気温もだいぶ上がりむし暑い日が増えてきた。

僕は暑さにはそれなりに耐性があると思っていたが病気になってからは辛くて仕方がない。

お医者さんの話では春から夏にかけて症状が悪化し、冬になって改善する場合があると言っていた。


 5月に病気が判明してから僕は薬を飲んで騙し騙しでなんとか日常生活を送っていた。

当然運動量の多い野球部に所属し続けるのは容易ではない。

それでも夏大会が終わるまでは部に残るという選択をしたのは僕だ。

絶対にやり切ってみせる。

その執念で僕はこの2ヶ月間やってきた。



 練習が終わり、みんな家に帰ろうとしていた。まだ日の入りはしてなく辺りは明るかった。


「あの!もう少し練習していきませんか?」


 僕は背中を向け帰ろうとしている先輩達に言った。


「マジかよ。夏川、今日あんなに追い込んだだろ。もう疲れたぜ」


 レギュラーメンバーの内の1人の先輩はそう返答した。


「たしかにそうですがまだ日も高いですし、ティーバッティングやトスバッティングに個人ノックまだまだできることはあると思います。」


 僕がそういうと先輩達は少し困った様子だった。どうやらみんな今日は帰りたいようだ。

僕は半ば諦めかけた時にキャプテンが話し始めた。


「みんな!夏川の言うとおりもう少し練習していかないか?」


 それは僕も含め先輩達も驚いていた。


「冗談だろ。俺はもう帰りたいぜ」


 先程の先輩がそう言うとキャプテンも答え始めた。


「たしかに練習であんなに追い込んだ後に居残りで練習するのはすごくめんどくさいな。」

「だろ。だったら…」

「だけど二年生の夏川がこんなに気合いを入れて練習に取り組んでいるんだぞ。それに…俺たち三年は今年で最後だ。せっかくなら去年の先輩達のように全国大会に行きたいだろ。」


 キャプテンがそう言うと先輩達の顔つきは変わった。


「チッ、分かったよ。もう少しだけつきあってやるよ。」


 キャプテンのおかげで先輩達はもう少しだけ残って練習をしてくれるようになった。


「ありがとうございます!」


 僕がそう言うと、先程の先輩が僕に話しかけてくる。


「まぁ、確かに俺たちも去年の先輩達のように全国大会に行きたいからな。今年のメンバーの中で先輩達と一緒に全国を経験したのはお前だけだ。俺たちにも先輩の意地があるからな。夏大会まで頑張ってやるよ」


 先輩はそう言ってグラウンドの方に向かった。


「オラ!一年、二年!何先に帰ろうとしてんだよ!お前も残って練習するぞ!」


 先輩達がそう言うと僕を除いた一、二年生は嫌そうな顔をした。


 そこまで意欲のない人達には悪いことをしたかもしれない。

だけど僕にとっても今年の夏が最後だ。

僕も遅れて練習に向かうのであった。



 次の日、僕は朝体調が悪くなかなかベットから起き上がることができなかった。

そのせいで学校に遅刻してしまった。

僕は遅れて教室に入った。病気になってからもう何回も経験しているが遅れて教室に入った時にクラスのみんなから注目されるこの感覚はまだ慣れない。正直あまりいいものではない。


 自分の机で次の授業の準備をしていると同じ野球部のクラスメイトから話しかけられた。


「おい!夏川ー、昨日のマジ勘弁してくれよなー。」


 そう言って陽気に話しかけてくる。


「昨日のってなんのことかな?」


 大体のことは察しがついていたが僕はそう聞き返した。


「お前分かっててそう言ってるだろ。」

「ははは、まぁなんとなくかな」

「頼むからあんな先輩達を焚きつけるようなこと言わないでくれよ。夏川はともかくとして俺たちからしたらとんだとばっちりだぜ」

「だけどあと1ヶ月で夏大会だよ。それが終われば先輩達は卒業して今度は君たちの代だよ。今のうちに先輩の技術を見て勉強するのだっていい練習だよ」


 僕がそう言うとクラスメイトは少し怪訝そうに問いかけてきた。


「君たちの代ってなんでそんな他人行儀なんだよ。夏川だってその一員だろ」

「そうだね。…ごめん。僕も少し疲れてるみたいだよ。」


 僕はそう言ってなんとか誤魔化した。

僕がこの夏大会が終わったら野球部を辞めることは誰にも言ってない。

できることならみんなと長く野球がしたいけど約束は約束だ。

何があろうとこの夏大会が終わったら僕は野球を辞める。

だからこそ僕がこの夏にかける思いは先輩達にすら負けていない。

絶対に全国に行く。


「おい!夏川!」

「え?」


 どうやら自分の考えに夢中になりすぎてクラスメイトの話を聞き流してしまったようだ。


「お前大丈夫か?具合が悪いなら早退してもいいんじゃないか?」

「いや、大丈夫だよ」

「そうか。まぁお前最近オーバーワークだから気をつけろよ。夏大会に向けて頑張るのはいいことだが今のお前は少し空回りしているふうに見えるぞ」

「そうかな?」

「ああ、こんなことあまり言いたくないけど部の同級生の中では夏川のことをよく思ってない奴も一定数いる。中でも岩瀬なんか昨日の件で裏でブチギレでいたぞ。」


 たしかにレギュラーメンバーでない限り今回の夏大会への関心は高くはない。基本は三年生の人たちがメインだ。二年生で唯一レギュラーの僕は勝ちたい思いがあるが他の人たちからしたら嫌々で居残り練習に付き合わされてしまうんだ。

怒る気持ちもわかる。


「てか夏川っていつから岩瀬とあんな仲が悪いんだ?」

「僕は別に仲が悪いなんて思ってないよ」


 岩瀬は野球部の同級生だ。

左投げの投手で身長も高くて角度のあるボールを投げる。そして左投手にしては珍しい本格派で重い豪速球を投げる。しかし壊滅的と言っていいほどコントロールが悪く練習試合で幾度となく四球で自滅している。


「あいつプライド高いもんな。俺たちの中で1人だけレギュラーに選ばれている夏川のことが気に食わないんだろうな。」

「…まぁ仕方ないよ」

「岩瀬のやつもう少しコントロールが良かったらレギュラーは無理でも控え投手でベンチ入り出来たのにな。ほんと惜しいよな」

「だけど僕たちの代でエースナンバーを背負うのは間違いなく岩瀬くんになると思うよ」


 僕がそう言うとクラスメイトを少し呆れた様子だった。


「まったく夏川は人に優しすぎだろ。」

「いや、そんなことないよ」


 その後も僕たちは他愛も無い会話を続けるのであった。



 昼休み、僕はみんなが教室でお弁当を食べてるうちに監督が普段いる監督室に向かった。


 僕はドアをノックして監督室に入った。


「夏川どうした?何かようか?」


 普段ならこの時間に監督室にくる生徒はいないので急な来客に少し驚いていた。


「監督には早いうちに言わないといけないと思っていたので今日報告しにきました。」

「なんだ?」

「僕はこの夏大会が終わったら野球部を退部するつもりです。」


 僕がそう言うと監督はひどく驚いていた。


「本気なのか?夏川」

「はい…、監督には以前言いましたが病気になってから薬を飲んで日常生活そして部活動を送るのは想像以上に難しいことでした。

それに三年生になったら受験もあります。ここで区切り良く辞めるのが一番いいと思いました。」


 監督は僕の病気のことを理解してくれている。そんな中でもレギュラーで使ってからていた監督には僕はすごく感謝している。

出来ることなら二年生が終わるまでは野球を続けたいがそんなことをしたらおそらく最後の夏まで続けてしまいたくなるに違いない。


「他の部員には言えないが俺はお前が一年の時から期待をしていた。お前達の代になったら夏川をキャプテンにしてチームを作るつもりでいた。だがお前は病気のこともあるし受験だってすごく大事なことだ。」


 監督は話を続ける。


「分かった。今は一旦ここで話を止めよう。

だが時間はまだある。もう少し考えてからまた来てくれ。とりあえず今は夏大会に向けて頑張るぞ。いいな」


「はい」


 僕はそのまま監督室を後にした。



 すぐには了承はしてもらえなかったが監督は大人だ。

しっかりと気持ちを伝えたら監督も分かってくれるはずだ。


 僕は教室に向かう途中に考えた。

いよいよ夏大会が迫ってきた。

病気のせいで予想外のことになったけどなんとか今までやってこれた。

絶対に悔いを残さない夏にするんだ。



 そして8月

ついに夏大会が始まる。

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