愛されるべき金魚
マルヤ六世
愛されるべき金魚
石山徹は月曜日に登校すると、まず最初に裏庭の池に向かう。それが生物委員会に所属する彼の日常である。
生物委員の活動には飼育小屋の兎や鶏の他に、池の鯉の世話も含まれていた。中庭のちょうど中央に配置された大きな池には、鯉に交じって一匹だけ体のおおきな金魚がいて、この金魚はなぜかパンしか食べないから餌やりが億劫だった。金魚は「オクサリサマ」と呼ばれて、まるで守り神のように生徒や教員に大事にされていたので、毎朝委員会の誰かが必ずパンをあげていた。。
石山も大抵は前日の昼に買っておいたパンをやるのだが、彼はその日に限ってすっかり当番のことを忘れていた。石山はあまりパンが好きではないため、普段は自分からパンを買うことはない。パンなんかを食べたがる金魚の気持ちは、固形餌を欲しがる他の動物たちよりもずっとわからなかった。
魚に味の良し悪しなんて比較できないだろう。石山は倉庫の隅に残っていた金魚用の餌を池に落とす。
ぽとり。
池の金魚はくるりと回ると傍に寄ってきて、けれど餌を食べない。やがて鯉が食べ尽くすほどの勢いで寄ってきて「ほらな」と思った。実際、鯉は金魚の餌でも平気で食べてしまう。
彼は池を半周して、反対側から金魚の為に餌を投げ入れた。弱肉強食だ、好き嫌いしていたらいつまで経っても飯にありつけないぞ、などと話しかけて気を引く。けれど、近づいては来るものの金魚は餌を口にしない。
それどころか、平たい真っ黒な目で石山を見上げて、ぱくぱくと口を開け閉めしているのが、なにか文句を言っているように彼には見えた。世話をしてやらないと生きられないくせに、好き嫌いをするなんて何事だろうか。彼はなんだかプライドを傷つけられたような腹立たしい思いがして、言い返してやろうと池のすぐそばまで近づき、しゃがみこんだ。
がりっ、ごり、がっ、ごりっ、ごっ、ごっ。
硬質な音が響く。それは金魚の口の中からする音だった。そこから黒くて細いナニカが這いずり出たかと思うと、たちまち彼の足に纏わりついてくる。手で払おうと思う間にも、金魚は口をぱくぱくと動かしては何本もの黒い蚯蚓のようなものを吐き出しては飛ばしてくる。反芻するように汚らしい音を上げながら飛んで来るそれは、固形なのか液体なのか判別がつかない粘着質の物体だった。
その物体が、あるいは生物が、彼のスニーカーの上で波紋を広げ、網のように絡みつく。蛭か、はたまた金魚の糞のような物体は皮膚をぶちん、と食い破ると身体の中にうぞうぞと潜り、粒状のものを小分けにして、石山の血管の中に送り込んだ。思わず悲鳴を上げて尻餅をついた石山の鼻、耳や口からも、柔らかな肉を引き千切り、それらは次々に侵入してくる。
噛まれた皮膚の下で、いくらのようなそれらが弾ける感覚がある。薄皮の内側に孕んだたまご達が孵化し、身体を作り変えていくようだった。脂肪の粒が一つづつ、ドミノ倒しのように鱗に書き換わるような、かさついた気持だった。
すると、今度はどこからともなく「本能」が彼を襲ってきた。喪った血肉を取り戻そうと、空腹に支配された舌はだらんと垂れ下がり、ばたばたと胃液が滴る。思考の隙間に食欲が割り込んできて、そのことしか考えられなくなる。
──そうして、そこからはもう、石山は彼の思考や意識を手放した。見える視界は広く、視線はあまり動かない。空腹を感じると、口が勝手に開閉することを止められない。体をくねらせてもうまく前に進めず、一人で踊っているような格好になる。
石山は体を揺らしてやっとのことで購買にたどり着くと、パンの置かれた棚におもいきり顔を押し付けた。けれど、どういうわけだか食べられない。彼の目には間違いなくパンが見えているのに、なにかに邪魔をされているらしく口の中に入ってこない。匂いを吸い込んでは、喉の骨を擦り合わせて空気を噛み潰す。食べられないので何度も顔を押し付ける。押し付ける。口を動かす。押し付ける──。
いつの間にか、石山は何かに体を拘束されていた。近くにはいつも食べているパンが散乱している。人間が震えているようだった。いつも餌をくれる人間も何人かいたのに、どうやら今はくれないようだ。彼は殊更に空腹を感じ、喉を鳴らして視線をあちらこちらへ移動させる。。
することもないので石山がいつものように排泄すると、周囲はどよめき出した。排泄物が身体に纏わりついてうまく離れていかないのも不快だったが、こんなに騒がしいのに隠れる岩場が見当たらないことにも困り果てた。
そしてなにより、目の前にあるパンが食べられないことが悲しくて悲しくて、石山は床の凹凸に口を押し付けて、いつまでも「ぱくぱく」と動かし続けていた。
愛されるべき金魚 マルヤ六世 @maruyarokusei
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