シスター・ショコラティエ!

コール・キャット/Call-Cat

シスター・ショコラティエ!


‐1‐

「お兄ちゃん助けて!」

 ノックも無しに部屋に転がり込んできたそいつは開口一番そう叫んだ。

 走って帰ってきたのか、息は荒く肌は赤く蒸気し、こちらを見上げるその瞳はうっすらと潤んでいる。

 そんな闖入者と見つめあうこと数秒。おれはため息を一つ。

「宿題なら手伝わないからな?」

「ちっっっがあああああああああああああああああああう! 違う! そうじゃない!」

 無感情に切り捨てた自分とは対照的にそいつはヒステリックに叫ぶ。

「ぐっぅ!? メイ! そんなデカい声で叫ぶな! 鼓膜が破れるだろ!?」

「べ、別にデカくないし!? お兄ちゃんが素っ気ないからでしょ!?」

 そう言ってこちらに対して猛抗議をしてくるのは妹の愛依メイ。名前に反して愛だの慈しみだの、そういうのとは程遠いガサツな妹におれは「あのなぁ」と向き直る。一旦大学のレポートは保存して閉じておく。じゃないといつぞやのようにめちゃくちゃにされかねない。そんな剣呑な空気がメイからは漂っている。余程のピンチなのだろうとは思うが、大抵そういう時は自業自得なパターンなので素っ気ない態度を崩すつもりはない。

「で? 宿題じゃないならなんだ? また金を貸してくれ、とかか?」

「それはなくもないけど違うんだって! ほんとピンチなの!」

 なくはないのか……

「今って何月だと思う!?」

「お前バカにしてんのか。二月だろ」

「じゃあ二月ってなにがある!?」

「なにが? ──節分に建国記念日に……バレンタイン?」

「そう! バレンタイン!」

 列挙するように二月の行事を呟いたおれをズビシッ!と指さしてメイが跳ねるようにして起き上がる。起き上がってそのまま「察しろ」とばかりに黙るのでおれはまたため息一つ。

「金は貸さないからな」

「だから違うってば! っていうか可愛い妹をなんだと思ってんの!?」

「面倒なやつ」

「うわひどっ! そこまで言う普通!?」

「普通はスマホゲーに万単位で課金した挙句支払いが足りないからって金を全額借りたり新作スウィーツ買えないからって人にたかったりオールでカラオケしてたせいで課題終わらなくて人に手伝わせたりを事あるごとにやったりしないと思うんだけどな」

「うっ。た、たまーにじゃん」

「お前のたまーには二か月に一度の頻度を言うのか? 母さん言ってたぞ、お前は計算が出来ないようだから算数教室にでも通わせるかって」

「さすがに冗談……よね?」

「母さんが怒ったら怖いこと、分かってるよな?」

「……マジかー」

 何かを悟ったように天井を振り仰ぐメイの目からは心なしか生気が抜けていた。さすがにここまで言えば一人でやれるとこまでやろうとするかな。

 ──そう思ったのもほんの一瞬だった。

「まっ、それはそうと助けて! お兄ちゃんにしか頼めないことなの!」

 なんせコンマ数秒でこいつはそう言って詰め寄ってきたのだから。お前は三歩で忘れる鳥より忘れっぽいのか。鳥頭とかそういう次元じゃないぞお前。

「……聞くだけ聞くけど手伝わないからな」

「っ! 聞いてくれるの!? じ、じゃあお願いなんだけどさ──」

 その後の言葉を、たぶんおれは一生覚えてる気がする。

 それぐらい、メイの口から出てきた言葉はおれの中のメイのイメージとは真逆の言葉だったからだ。


「──チョコ作り手伝って!」




‐2‐

 メイが語るに全容はこうだ────

 来るバレンタインに向けてクラスはおろか学校中で盛り上がりを見せる中、食堂で事は起きた。

「えっ、ハナ手作りすんの!? マジ!?」

「ちょっ、メイ声が大きい! しーっ! しーっ!」

「ごめんごめん。──で? 誰に贈るの?」

「山田に……ね」

「山田ってサッカー部の?」

 こくこく、と頷いて見せる友人の顔は赤く、決死の作戦であることがありありと伝わってくる。「まじかー」と今度は隣に座ってるもう一人の友人へと向けていく。

「ちなみにカナエは?」

「あたしは家族にね」

「えっ、なんで?」

「なんでって……特に意味はないんだけど、まぁ、日ごろの感謝ってとこかなぁ。手作りチョコにしとくとさ、ホワイトデーにゴディバとか買ってくれんのよ、うちの親」

「マジで!? ヤバくない!?」

「ほんとにね。っていうかさ、そういうメイは作らないわけ?」

「は? いや、別にそういうの性に合わないし」

「でもメイの手作りとかもらったら男子とか一撃っしょ」

「なのかなぁ」

「まぁ、別に特別な意味じゃなくてもいいんじゃない? とにかくあげときゃホワイトデーにお返し貰えるでしょ」

「うわ、カナエってばお返し目当てじゃん悪女だー」

「ふっふっふ、でしょでしょ?」

 ────うん、動機があまりにチョロすぎる。というか今どきの女子ってそんななのか? ちょっと怖すぎやしないか? もっとこう、きゃっきゃうふふで青春してるもんだと思ってたのに。

「つっても、おれに出来ることもなくないか? ……再三言うけど、金も貸せないからな?」

「そこは心配なっしんぐ! ハナ達と業スーで材料は買ってきたからお兄ちゃんには味見だけしてもらいたいの」

「あぁ、そういう。それなら別に構わないけど」

「よっしゃ! それじゃちょっと待ってて!」

 おれの了承を得られるやメイは水を得た魚の如く部屋を飛び出していった。

 かと思ったらすぐに戻ってきた。

「ほい! これ食べてみて!」

「早っ!? つーかこれ買ったやつそのままだろ!?」

「ったり前でしょ。いきなり作ったやつ味見するよりか元の味を知ってもらってた方が調整しやすいじゃん」

「言われてみるとたしかに。……んっ、けっこう美味いな、業スーのチョコ」

 渡されたチョコは思っていた以上に甘く、味が濃かった。なんというかクリームみたいなこってり感というか、お茶とかが欲しくなる味。

 それをそのまま伝えるとメイは「ふむふむ」とポケットから取り出したスマホに素早くおれの感想を打ち込んでいく。そしてそれを再びポケットに仕舞うと踵を返して部屋を出ていく。

「じゃあ、今からちょっと作ってくるから待ってて」

「おう」

 パタンッとドアが閉まるのを見届けておれは閉じていたレポートを再開する。

 しばらくすると台所の方からほんのりと甘い匂いが漂ってくるのに気付いてなんとも不思議な感覚に襲われる。

「まさか、あいつがなぁ」

 手作りチョコを作ろうと思い立つとは。

 そういえば、誰に渡すつもりなのかは聞いてなかったな。

 確かメイの友達はサッカー部の男子で、もう一人は家族だったか。話を聞いただけだとホワイトデーのお返し目当てで父さんとかに作る気もするが、だとしたらそもそも市販のチョコを寄越してくるだけで済まそうとするだろうし、やっぱり気になる男子とかに渡すんだろうか。

(うーん、なんか想像しづらいけど、でもあいつも高校生だし、そういう年頃だよな)

 普段のあいつを知ってるからそう思うだけでやっぱ中身は年相応の女子なんだなー。

 そんな風に妹の成長に感慨にふけっているうちにどうも出来上がったらしい。部屋に向かってくる足音に気付いておれはあまり進まなかったレポートをまた閉じておく。

「お兄ちゃん! 早速試食お願い!」

 ドアを開け放つや開口一番そう言ってメイは皿に載ったチョコを突き出してきた。

 見た目は──至って普通なハート型。別に試食なんだから型を取っておく必要はないんじゃ?とも思いはしたがそこは下手に口を突っ込んで不平不満に付き合わされたら面倒なので黙っておく。その代わりにそのチョコを一口頬張っ

「薄っ! なん、なんだこれ? なんか味薄いぞ」

 さっき元の味を知っておくためにと食べた業スーのチョコはその鳴りを潜めていた。

 なんというか、水で薄めすぎてしまったカルピスみたいな、そんなうっすら感のある味に変わり果てていて正直これを人に贈るのは憚られる。

「……お前、水かなんか足したか?」

「いや、別に普通に作ったはずだけど……ぶっちゃけ湯煎して溶かしたあと型に流しこんだだけだし」

「いやいや、それならなんで味が薄くなってんだよ。薄すぎるカルピスみたいになって……お前、湯煎しただけつったな?」

「そうだよ? だっていきなり素人が凝ったもの作っても失敗するかなって思ったし」

「……ちなみに、湯煎ってどういうことか知ってるか?」

「ったりまえじゃん! 湯煎ってばあれでしょ、お湯でチョコを溶かすやつ」

「……まさかとは思うけど、お湯の中にチョコをぶち込んだわけじゃないよな?」

「えっ」

「……そのまさかなんだな?」

 こちらの問いかけに断末魔めいた呻き声をあげるメイにおれは深いため息を吐きながら提言。

「まずは動画なりレシピ本なりでちゃんと作るんだな」

「それじゃ手作りの意味ないじゃん!? 他人のやり方真似るだけじゃ意味ないっての!」

「基本のキの字すら出来てないのにその信念はどっから出てくるんだよ……それに動画とかレシピ本を参考にしたからって『そんなのは手作りチョコじゃない!』って否定してくるやつなんていないっての。第一そんなこと言ってたら世のお袋の味なんて赤の他人の味になるだろ」

「たしかに……」

「分かったら今度はなんでもいいから参考にしながら作るんだな」

「りょーかい」

 やけに素直にこちらの言葉を聞き入れるメイに言葉にはしない決意のようなものを感じ取っておれは部屋を後にする妹に激励の言葉だけでも送っておく。

「まぁ、気負わずに頑張れよ」

「とーぜん」

 するとメイは不敵な笑みを浮かべながらおれの部屋を後にするのだった。

「……さて。次のチョコが出来上がるまでに今度こそレポートを進めないとな」

 じゃないとチョコを楽しみにしすぎじゃね?ってからかわれかねないからな。

 そんな風に一人ぼやきながらおれはパソコンへ向き直るのだった。

「あっ、お母さんそれ失敗したやつだから食べちゃダメだよ。父さんにあげとくから」

 ……父さんが聞いたら色んな意味で泣きそうな言葉が台所から聞こえてきたが、それは、まぁ、聞かなかったことにしよう。




‐3‐

「う、ぐぅ……おぉぉぅぅうっっっ……」

「うわ、どうしたんだよ純。なんか死にそうだぞ?」

 翌日、大学のゼミ室にて。おれは昨日の試食品達によってもたれた胃の苦しさから呻いていた。そんな姿を見かけたもんだから同じゼミのメンバーでもあり入学当初からの付き合いである友人の澪が珍しいものを見たと言わんばかりに声をかけてきた。

「もしかしてレポートか? まだ期限は先だったと思うけど……徹夜しないとヤバいぐらいなのか?」

「いや、そうじゃなくって、実は──」

 そうしておれは昨日の顛末を話していく。

 妹がバレンタインに手作りチョコを作るらしいこと。

 そのチョコの試食を頼まれたこと。

 最初の試作品はお湯に溶かしたチョコなもんだからめちゃくちゃ味が薄かったこと。

「──そういや、現実に砂糖と塩を間違えるやつっているもんなんだな」

「えっ。もしかして純の妹が間違えたの?」

「そっ。おかげで酷い目に遭った」

 例のお湯に溶かしたチョコの後に妹が作ってきたとんでもないチョコのことが鮮明に蘇ってくる。それほどまでに酷いチョコだった……──




‐4‐

 それはお湯で薄めたチョコから二時間ほど経った、丁度夕飯後の頃だった。

「お兄ちゃん、食後のデザートにはいっ!」

「もう二個目が出来たのか」

「あの後ちゃんとレシピを見ながら作ったからね。今度こそバッチシよ」

 ブイッとピースしながら笑うメイが自信満々で差し出してきたのは一個目と同じハート型のチョコ。あっちは本当に失敗作だったからそのリベンジということだろう。

 ここで急に他のチョコに挑戦して別の問題に直面しないように気を付けてるあたり、今度こそ味の方は大丈夫そうだ。早速一口頬張

「辛ッ! なんっ、辛っ……み、水!」

「えぇ!? は、はいっ、水!」

 おれのリアクションにメイも驚きながらコップに水を注いでくれる。受け取ったそれをごくごくと一気に飲み干しながら今しがた頬張ったチョコの半身を見据える。

「メイ、お前塩と砂糖を間違えたんじゃないか? すげぇ辛いぞこれ」

「いや、さすがにそんな典型的なミスはしないって。──辛っ!?」

 半信半疑でそう返しつつ自分の口にチョコを放り込んだメイがすかさず台所へと駆けていく。何杯も水を飲み込んで、さらには「っはぁ!」と大きな息を吐きながらこちらへと視線を寄越してくる。その顔は何か言おうとして、でも言えずに押し黙っているようで、それでもしばらく無言で視線を送り続けているとメイは「てへっ」と苦笑しながら

「塩パンとかあるし、塩チョコでワンチャン」

「あるわけないだろ」

 あったとしても限度があるわ。

 そう不平を告げるとメイは「はぁー」と明らかに落ち込んだ様子で肩を落とした。

「今度は上手くいくと思ったんだけどなぁ」

 そう言ってしょぼくれている姿がなんだかいたたまれず、おれは「まぁ」と言葉を続けた。

「単なる凡ミスだろうし、気を付けときゃ今度は大丈夫だろ。それ以外は問題無さそうだったしな」

「っ! ほんと!? じ、じゃあ、ただのチョコじゃなくて他にも凝ってみても大丈夫そうかな!?」

 さっきまでとは打って変わって表情をはなやがせるメイにおれもつられて表情を崩しながら頷く。

「大丈夫だろ。ただし、ちゃんとレシピを見ながら作れよ?」

「分かってるって!」

 そこからは「作るのは明日にして何作るか色々見てみる!」と言ってメイは部屋へ向かっていった。




‐5‐

 それが昨日までの顛末である。

「へぇ。純もいいとこあるんだね」

「まさか昨日だけであんな目に遭うとは思ってなかったけどな」

「それはご愛嬌ってやつじゃないかな?」

 にししとほくそ笑みながらおちょくってくる澪に「今日はそうじゃないことを願うばっかだよ」と返しながら椅子から立ち上がりゼミ室を出ていく。

「どこいくの?」

「ちょっくら飲み物を買いに。なんか思い出したら喉乾いてきた」

「あっはは。なるほどね。ぼくも付き合おうかな」

 そう言いながらついてくる澪は「でも」と続ける。

「妹さん、チョコ喜んでもらえるといいね、そこまでやってるなら」

「だな。でも浮ついた話なんてあんま聞いたことないし、誰に渡すつもりなんだろうな」

「案外面倒見のいいお兄ちゃんにかもよ?」

「いやそれはない」

 猫っぽい悪戯な笑みを浮かべる澪に手を振って否定しつつおれはお目当ての水をゲットする。それを一口飲んで澪に視線を戻すと甘党な澪には珍しく無糖のコーヒーを買っていた。

「お前コーヒーとか飲むのか」

「いやー、なんだか甘い話を聞いちゃったから胸焼けしそうでね」

 珍しさから指摘すればこのザマだ。性懲りなく笑う友人におれは「だからそれはねぇって」と返すのだった。




‐6‐

「ただいまー」

「お兄ちゃん、はいこれ!」

 夕方、おれが帰宅するなり待ち構えるようにして居間でくつろいでいたメイがぐいっと小皿を突き出してきた。その上に乗っかっているのは光沢の美しいチョコケーキ──ザッハトルテ──が鎮座していた。

「おぉ、すげぇ。これ作ったのか?」

「とーぜんっ。どお? プロ顔負けじゃない?」

「さすがにプロには負けるだろ。でも上手に出来てんじゃないか」

 ニシシと得意げに笑うメイから皿を受け取ってマジマジとザッハトルテを眺める。

 表面のチョコは自分の顔をうっすらと反射するほど艶がかっていて相当な努力を感じさせる。切り分けられた断面も綺麗なチョコレート色をしていて昨日の失敗作達とは見違える出来栄えだ。

「そんなマジマジ見ないでさ、味をみてよ味を」

「んっ。そうだな」

 メイに急かされておれも頷きつつ先端部分にフォークを突き立てていく。すると表面のチョコ部分は綺麗に差し込んだフォークの形に切り取られていった。固くもなく、柔らかすぎない、そんなチョコ。

「おぉ、美味い! 普通に食える!」

「それって褒めてんの?」

「褒めてる褒めてる。お湯で薄めたり塩と砂糖を間違えたりしてたからどうなることかと思ってたけど、これなら普通に喜んでもらえると思うぞ? ただ……」

「た、ただ?」

 小皿を置き、おれは神妙な面持ちでメイの顔を見据える。そんなこちらの顔を見返すメイの真剣な眼差しからして、たぶん重要なことに気付いていないのだろうことは容易に察しがついた。なのでおれは率直に伝えることにする。

ケーキこれじゃ学校に持っていけないだろ」

「………………え?」

 おれの言葉に目をぱちくり。メイは一瞬呆けた様子でおれの言葉を噛みしめると「っ!」と頭上に電球が点灯している幻が見えそうな勢いで合点がいった様子。そして眉間を抑えながら呻きだした。

「そっか……そうなるよね……学校……」

「持っていく途中に型崩れするだろうからな」

「だねー」

 まぁ、味は良かったし、他のものを試していけば充分だろうとは思う。

「でさ、お兄ちゃん。味はどうだった?」

「ん? さっきも言ったけど美味しかったぞ?」

「あー、そうじゃなくって、えーっと、その……」

「?」

 どうも歯切れの悪いメイにおれは首を傾げるしかない。そうじゃないなら一体なんなのだろう?

 そんな風にメイの言葉を待っているとそんなおれ達を見かねたように横やりが入る。

「もしかしたら甘い方がいいのか苦い方がいいのかって聞きたいんじゃないの?」

「母さん?」

 うふふ、と微笑みながら洗い物を片付けていた母さんがそんな風に言ってきた。それにメイも「!」と表情を豹変させながらぐぐいっと迫ってくる。

「そう! お兄ちゃん的にはもっと甘い方がいい? それとも苦めな方がいいと思う!?」

「近い近い。っていうかそういう味の好みはおれなんかじゃなくて渡すやつの好みに合わせた方がいいだろ」

 どう、どう、と両手で距離を空けるように落ち着かせるとメイは「それはそうだけど」と食い下がる。

「なんでもよさげなんだよね。だったらせめて同じ男目線の感想が欲しいの」

「なるほどなぁ。だとしたらもうちょっと苦めでもいいのかなぁ。学校で貰うわけだから、なるべく早めに食べた方がいいかもしれないし」

「なるほどね。ちなみにもし家で食べるとかだったらお兄ちゃん的にはどう?」

「んー、そうだなぁ。それだったら逆に甘めでもいいかな。ちょっと甘くても飲み物はなにかしら用意出来るだろうし」

「ふんふん、なるほどなるほど。もうちょい甘めね」

 昨日みたいにスマホにこっちの意見をメモりながらメイは物のついでとばかりにスマホの画面を突き付けてきた。

「バレンタインのレシピ扱ってるサイトなんだけど、こん中だとどれが食べたい感じ?」

 そう言って見せられた画面には某製菓会社がバレンタイン用に特集を組んでるらしいホームページがあった。そこには難易度やらなんやらでカテゴライズされたチョコの画像が所狭しと並んでいた。

 それらの一つ一つを目で追いながらおれは「そうだな……」と思案していく。その上である画像が目に留まった。

「チョコトリュフか」

「チョコトリュフ?」

 ぼそりと呟いたおれの言葉を復唱しながらメイが自分のスマホを覗いていく。そこに載った丸いチョコを見て得心が言ったようにうんうんと頷いた。

「これならけっこう簡単そうかも。あんがと」

「おう。ちなみに材料の方は大丈夫なのか? どんぐらい買ったのか知らんけど、けっこう消費したんじゃないか?」

「うーん……確かに。でもまぁ、明日は休みだしもう少し買い足せば大丈夫かな。ただ失敗すること考えて用意するとしても、だいぶ不味いかなぁ」

「そんなにか」

 思案顔で唸るメイにおれは思わずそう問いただしてしまった。それぐらいにこのたった二日とはいえこの妹は手作りチョコに真摯に向き合っていたのだ、その先行きは多少なりとも気になるものである。

「こっちからお願いしといて悪いんだけど、明日からは試食は無しになるかも」

「まぁ仕方ないな。どうしても不安だったりしたらそん時頼んでくれればいいから気にすんな」

「んっ。ありがと」

 それにそうなるだろうことはなんとなく察していたのだ、おれも。何分冷蔵庫に入っていた材料は昨日時点で半分は使い切ってたし、そこから今日のザッハトルテなのだ、家にある分はほとんど残ってないだろう。

 だからこそさっきスマホを見せられた時にもいくらかは本当に悩んでいたとはいえメイの負担が少なそうでかつ男子受けも充分しそうなチョコトリュフをチョイスしたのだ。……それを知ったらメイに「妥協してない!?」と怒られそうだが、断じて妥協ではないということは誓ってもいい。

「じゃあ、明日朝一に買いに行ってくるからもう寝るね。おやすみ!」

「「おやすみ」」

 自室へと引っ込んでいくメイに母さんと二人揃って声をかけながらおれは「ふぅ」と短く息を吐いた。それを見咎めて母さんがくすくすと笑う気配が。

「大変ね、お兄ちゃんも」

「まぁ、慣れたけどね」

 ひらひらと手を振りながら言って、不意に気になっておれは母さんへと向き直った。

「母さんはメイからそういう話は聞いてないの?」

「うーん、そうねぇ。メイもそういうお年頃だろうし、親だからってなんでも話せるわけじゃないと思うわ。純だってそういう話はしてくれないでしょ?」

「たしかに。じゃあ結局どんなやつにあげるのかは分からず仕舞いかー」

「案外すぐ分かったりしてね?」

「どうだかね」

 ふふふと笑う母さんに素っ気なく返しつつ、おれは残りのザッハトルテへと手を伸ばすのだった。




‐7‐

 あの後、結局メイから試食を頼まれることはなく、来るバレンタイン当日。

 おれが起きた時には既にメイの姿はなく、当然のことながらこの日のために作り上げられたチョコも妹と共に無事家を出たようだ。

「じゃ、おれも行ってくるね」

「気を付けてね」

「はーい」

 母さんの声を背にしながらバレンタインだからといって別段これといった変化のない大学へと足を運んでいく。

 願わくばその分メイの方に変化があってくれればと思いながら。




‐8‐

 そして何事もなく一日が終わり、すっかりバレンタインの終わりを告げるかのような夜の帳に震えながら帰宅すると居間でぐでーっとだらけきったメイの姿が目に映った。

「ただいま。チョコ、どうだった?」

 顛末が気になって声をかけると当の本人からは「んー」という気のない返事。

 そして突き出されたのは綺麗にラッピングされた小さな箱。そのラッピングには見覚えがあった。

『せっかくだからラッピングもしよっかな!』

 そう言ってメイが買ってきてたやつ。つまり、今日のために頑張って作っていたチョコ。

「おまえっ、これ、渡してないのか!?」

「いやー、なんか気後れしちゃってさー。ズルズルと先延ばししてるうちに放課後になっちゃって」

「いやいや、だったら明日改めて渡せばいいだろ」

「うーん……それはそれでハズイって言うか……とにかく、捨てるのも勿体ないしお兄ちゃん食べていいよ」

「つってもな……」

 今日のためにこいつがどれだけ頑張ってたか知ってる以上、本人がそう言いはしても「じゃあ遠慮なく」とはどうしてもいかなかった。もしそれで食べてしまって、「やっぱ明日渡してみる」なんて事だってあり得るんだから。

「とにかく、いい経験にはなったし、来年もあるしいいんだって。なんつーか、手伝ってもらったお礼? 的な? 嫌なら父さんにあげるだけだし」

「……そこまで言うなら、貰っとく。ただここ最近チョコはさんざっぱら食べたからな。食べるとしても明日だな。だからもし気が変わったらすぐに言えよ?」

「んっ。分かった。じゃあわたしは宿題がちょいヤバめだから部屋に戻るね」

「あぁ。……おつかれさま」

「……お兄ちゃんもね」

 そう言ってメイは宣言通り部屋に戻ってしまったので、おれは受け取ったチョコが溶けたりしないように冷蔵庫へしまうことにする。

「ただいまー。あら、純。それ……」

「あー、メイが渡せなかったから食べてくれってさ。でも気が変わるかもしれないし、とりあえず明日までは待っておこうかなって」

 丁度買い物から帰ってきたらしい、手に買い物袋を提げた母さんと目が合っておれは手元のチョコをお手上げ、のポーズで持ち上げた。

 しかしそんなおれの様子がおかしかったのか、母さんは「あらあら」と目を細めて

「食べてもいいんじゃない? 愛依がくれたんでしょ?」

「いや、だからこれは」

「ふふっ。あの子もお年頃だもの、恥ずかしかったんじゃない?」

「え?」

 母さんからの思いもよらぬ一言におれは我が耳を疑った。

 しかしそんなおれには気付かない様子で、母さんはどこか誇らしげに、まるで名探偵が犯人を見つけたり、と言わんばかりに続けた。

「だってそうでしょう? お母さんにじゃなくて純に味見をお願いするなんて、普段のあの子なら普通しないでしょう?」

 そう言われておれは不覚にも確かに、と思ってしまった。たしかに今までを振り返ってみてもハロウィンのためにお菓子を作ると言い出した時やクリスマスパーティのために料理を持ち寄るのだと息巻いた時も、年末に最高の雑煮を作るんだと色々な具材をぶち込もうとした時も、こと料理に関してメイは母さんを頼ることが多かった。

「それに、甘さがどうとか、どんなチョコを食べたいかとか、あれはきっと純の好みを知りたかったんじゃないかしら。学校の子にあげるっていうのも口実だったのかもね」

「あっ」

 そこまで言われて確かにメイはやたらめったら「おれだったらどうなのか」を気にしている節があった気がする。というかあった。

「いや、でも、なんで急に?」

 それこそ普段のメイなら絶対にありえないと思う。ましてや手作りチョコなんて。

 そう言っておれが困惑していると母さんだけは何か思い当たる節があるのか、うふふと愉快気に微笑むだけ。

「日頃助けてもらってるから。そんなんでいいんじゃないかしら。それともお兄ちゃんは妹からのチョコとかは嫌?」

「嫌……ってわけじゃないけど……」

「ふふっ。じゃあ貰ってあげなさいな。きっとその方が愛依も喜ぶわよ」

「そういうことなら、まぁ……貰っとく」

「そうしなさいな。さっ、夕飯の準備をするから先にお風呂入ってきなさい」

「分かった」

 買い物袋を下ろしつつ言葉通りに夕飯の準備を進め始める母さんに返事を返しながら、おれは着替えを持ってくるために一旦部屋へと向かう。

「……」

 その途中、メイの部屋を横切って、さっきのチョコのことを思い起こす。起こして、「参ったな」と零した。

「ホワイトデーのお返し、手抜き出来ないな」

 少なくても、貰った気持ちにはちゃんと感謝を伝えられるよう、考えておかないとな。

 こうして、今までの人生でもっとも濃厚な、それでいてどうにもむず痒いバレンタインは幕を下ろすのであった。




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