10年前の私②

私が図書当番の日に図書室で彼と会話をするのが恒例になっても、教室で彼と関わることは無かった。


彼から話しかけられることは無かったし、それを少し残念に思いつつも私から話しかけるということも特にはしなかった。


だからこそ、図書室で話すときは思い切り話した。今までに話す相手がいなかった、漫画を描くうえでの悩みだったり、或いは最近好きな作品についてだったり、時には日常的なことだったり。


テスト期間でもない放課後の図書室なんて、私たち二人しかいなかった。邪魔をする人も、気を使う必要もそこにはなくて、思う存分私たちはお互いのことを分かりあった。


そういう相手は私にとっては彼だけだったし、彼にとっても私だけだと思っていた。


だからこそ、教室で彼のことが話題になった時に少し動揺してしまった。


同じクラスで仲が良い陽菜と話していたときのことだった。最近同じグループの女子の中では、加賀谷ゆうという俳優が話題に上がることが多かった。中世的な顔立ちなのに、表情やキャラクターは男らしいというギャップが受けているらしい。いつの時代も、女子っていうのは中世的で綺麗な男子を好きになってしまうものらしい。


その日も私たちは、昼休み教室でいつものメンバーで話していた。


「ね、次のクールで始まる加賀谷悠主演のドラマって、ラブストーリーなんでしょ?」


「そうそう、あれでしょ、恋愛小説の有名な作家さんが書いてる作品じゃなかったっけ」


そう言って、彼女たちは頭の中から作者や作品名を思い出そうとしていたけれど、中々思い浮かんで来なかったようだ。私と言えば、小説自体は読まない訳じゃないけれど、そう言われてぱっと思いつくほど読み込んでもいない。たぶん、作品も作家さんも言われてみると「あっ」と気づくと思うんだけど、自力では思い出せなさそうだった。


みんなでしばらく頭を捻った結果、グループの一員の藍が席を立ち、昼休み明けの授業の準備をしている米村くんの元に近づいて行った。


「ね、ヨネ、次のクールにドラマ化する恋愛小説って何?」


「『たまの休みに会う彼は』じゃない、たぶん。作家は安藤弘美さんのはず」


「それだ! ありがとう、すっきりしたー」


必要な情報を聞いてくると、藍はこちらの席に戻って来た。彼の返事は私たちにも届いていて、すっかり話題はその作品のことになっていた。他のキャストは誰だとか、初回の放送日はいつだっけ、とか。


適当に相槌は打っていたけれど、内容は頭に入って来なかった。頭の中は、何で藍が米村くんにそれを聞けば分かると思ったのかという、その疑問でいっぱいだった。そして、そんなに普段親しげに見えているわけでもない米村くんに、あんなに気軽に問いかけられたのかも。


彼が仲よさげな男子にヨネと呼ばれていることは何となく知っていたけれど、女子が彼のことをそう呼んでいるところも、初めて見た。


他の子たちはそんなことを気に留めてもいないようだったけれど、私は気になって仕方なかった。けれど、遡ってそんなことを彼女に聞くのも何だか恥ずかしくて、頭に入らない会話が耳の中を右から左へ、左から右へと通り過ぎていった。


「それにしても、米村ってよくあんなこと知ってたね。何、加賀谷悠のファンなのかな」


違う違う、と藍は苦笑して否定した。


「ヨネはさ、読書家なんだよ。小学生の頃とか、自作の小説とか書いてたんじゃないかな。同じ小学校だから、そういうことは知ってるの。最近はあんまり話してないけど、小説とか好きなままかなって思っただけ」


その言葉に、少し胸の中がもやっとした。


彼が小説を書いていることは、私だけが知っているわけじゃなかった。もちろん藍が知っているのは過去の話で、今のことは知らないのかもしれないけれど、その事実が少し寂しくて、彼に罪なんてないのに少し裏切られた気がした。


私の夢を知っているのは彼だけなのに、彼はそれをもっと前から知られているというのは、何となく気分が良くなかった。独占欲、なんて言葉が当てはまるとは思っていないけれど、勝手に二人だけの秘密だと思っていたから、だから少し痛んだ。


「えー、じゃあ原作小説とか持ってるのかな」


「どうだろ。ヨネー、さっきの本って持ってる?」


「家の中を探せばあるかも、読んだ記憶はあるから」


「えー、貸してよ。どこでいいシーンがあるか予習しておきたいからさ」


そんなやり取りを経て、どうやら藍は彼から原作を借りる約束を取り付けたらしい。放課後の図書室でたまにお勧めの漫画や小説を貸しあうようになっていたのも、私だけかと思っていたのにそうじゃないらしい。


少しずつ何だか嫌な気持ちになってしまって、私は行きたくもないお手洗いに行くと言葉を残して席を離れた。


何でだろう。何で私は、こんなに嫌な気持ちになっているのだろう。


***************


その日も私は図書当番で、私の気持ちなんて知ることもなく彼は図書室にやって来た。


いつもは浮かれた気持ちで声をかけるのに、今日はそんな気分になれなくて、彼がいつもの席についてもしばらくカウンターに座ったままでいた。他に来客なんてないということは、今までの当番で知っていることなのに。


しばらく待っても声をかけない私を気にしてか、今日は彼の方からカウンターへ近づいて来た。


「今日、仕事忙しい?」


彼から無邪気にそう声をかけられて、私は首を横に振った。その態度で、私が不機嫌であることは彼にも伝わったらしい。


その原因が何なのか分からない彼は、どのように声をかけていいのか悩んでいるようだった。私自身、きっかけは分かっても理由は分からないのだから、彼からするともっと戸惑っていても仕方がない。


自分から声をかけた手前、そのまま退くことは選びづらかったらしく、しばらくの間を空けて彼は言葉を続けた。


「えっと、何かあった?」


先ほどと同じ動きをもう一度繰り返し、私は少し俯いた。


藍と仲良いんだね、なんて言うと、まるで彼のことを好きであるかのように伝わってしまう気がして、でもそう言わないと私の気持ちも収まらないだろう。


だから私は声を発することができなかった。彼に何かを察しろなんてことはできないし、察してほしい訳でもないのだけれど、それでも私が拗ねることで、彼が少しでも困れば良いと思ってしまった。


我ながら子どもっぽいなと思ってしまうけれど、それが私にできる唯一の感情表現だった。


「えーと、うん、何か気に障ることしてたら、ごめん」


困ったように彼は言葉を選んでいた。


彼を困らせたいわけでも、藍に嫉妬しているわけでもないと自分では思っているのに、そうさせてしまう以外の態度を私はとれなかった。


「昼休みにさ、藍ちゃんに声をかけられた時、もしかして教室で櫻田さんのグループに関わったから、嫌だったのかなって思って」


「そういうのじゃないから」


つい言葉を返してしまったのは、図星に近いところに触れられたからだった。藍ちゃん、と呼ぶことだって、私は今知った。櫻田さんと藍ちゃん、その距離感の違いすら、何だか私にとっては辛く響いた。


彼に取っての心当たりはそれだけだったのか、言葉はそこで止まってしまった。二人ともしばらく沈黙して、何を口にすれば平和的にこの空気を変えられるのかを探っているようだった。


「藍、とは、えっと、仲が良いんだ?」


その沈黙を破ったのは、私からだった。教室では彼女に聞けなかったことを、二人でいるこの状況で、米村くんになら聞いても許される気がした。

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