第11話



 性転換魔法の施術はれっきとした医療行為である。

 とはいえ、当日病院へ行って優しい魔女に魔法をかけてもらって、はい終わり、となるわけではない。

 入院から退院できるまで少なく見積もっても10日間ほどかかるし、そもそも自分の好きなタイミングで施術の予約が取れるわけでもない。


 というわけで我が親友がアンセゴーゼルニ魔法クリニックという舌を噛みそうな名前の病院へ入院したのはまだ学期末まで残り一か月という中途半端な時期であった。


 性転換のために入院する、と大々的に公言していたわけではないが、何となく事情は知れ渡るものだ。

 我が親友が女の子になるという事実は、おおむね好意的に受け止められていた。

 実際のところ、驚いたというより納得したという印象を抱いた者のほうが多いようだ。

 これは他人の心を読み放題のハートマーク女子からのタレコミだが、俺自身肌で感じていた。


 我が親友が入院して以来、女子たちの多くは俺に対して優しくなった。

 いや何でやねん、と思うかもしれないが、ガチである。


 女子たちは親友不在でも寂しくないか俺を気遣い、女の子となった親友との接し方のアドバイスをし、我が親友のこれからを俺に託した。

 どうしてお前らによろしくお願いされなくちゃいけないんだよ、という突っ込みが追いつかないほどどいつもこいつも口を揃えて同じようなことを伝えてくるのだ。

 そして最後には決まって俺たち二人を祝福してくれる。


 祝福……?


 男子どもの反応は女子と比べれば圧倒的にからかいや嫉妬が多いが、それでも俺たち二人の仲を認めない者はいなかった。


 二人の仲……?


 いずれにせよ女子にも男子にも共通して言えるのは、我が親友が俺のために性転換すると認識している点だ。


 何というか……うん、我が親友の気持ちとか割と皆に筒抜けだったのかな?

 確かに俺たちは昔から特別仲のいい親友同士だったとは思うが。

 でもまさか親友としての好意だとばかり考えていたものが恋愛的な好意だったとは思わないだろう。

 少なくとも俺はまったく気づいてなかったわけで。


 こうも当たり前のように我が親友の性転換を受け入れられてしまうと、これまで必死になって認めまいと頑張っていた自分がひどく心の狭い人間だったんじゃないかと不安になってくる。


「心が狭いんじゃない。ただどうしようもなく鈍感で意固地だっただけ」


 他人のモノローグに勝手に割り込んできて何か言ってくる奴もいるが、ともあれ我が親友のいない間、俺はそんな風に困惑して過ごしていた。





 この日も昼休憩が始まるなり、バレーボール女子が心配そうに俺の顔を覗き込みながら話しかけてきた。


「大丈夫? 今日のお昼、私たちと一緒に食べる?」


 ……それほど意気消沈して見えるのだろうか。それとも我が親友がいないと一人では何もできない奴だと思われているのか?

 扱いがまるきり運動会で保護者不在の子どもみたいだぞ。


 そしてあまり無防備に身を寄せてこないでほしいのだが。

 めちゃくちゃいい匂いがするし、何よりおっぱいの迫力が凄すぎる。

 有り余る巨乳でパーソナルスペース突き破るのは一種の暴力だと思うんですよ……。

 まあ、あのおっぱいの感触を俺(の背中)は知ってるんですがね、へへへ……。

 などとくだらない思考を巡らせながら人差し指で鼻の下を擦っていると、バレーボール女子の背後から絶対零度の視線を向けてきていたハートマーク女子が親指で首を掻き切るジェスチャーをしてみせた。

 いかん、殺される。


「あー、俺、あいつらと食べるから」


 怪しげな挙動でバレーボール女子の身体から距離を取ると、俺は背後で机の並べ替え作業をしている男子グループを親指で指差して言った。

 男子どもを見たバレーボール女子は一瞬だけ『え、自分たちじゃなくてアレを選ぶの?』という眼差しを浮かべたが、すぐに人懐っこい笑顔を浮かべた。


「そう。でも何かあったら言ってね。いつでも話を聞くから」


 俺に優しい言葉をかけてから、弁当箱を片手に友人たちと教室を出て行くバレーボール女子。

 やっぱり可愛いな。

 彼女が出て行った後のドアをぼんやり眺めながらアホみたいに放心していると、視界の端からにゅっと割り込んできた無表情系クール女子が俺にだけ聞こえる声量で忠告した。


「浮気したら口では言えないような魔法をかける」


「やめて」


 先ほどの短いやり取りで俺がバレーボール女子に抱いた『可愛い』とか『いい匂いがする』とか『おっぱい』とか、そういう思考がすべて筒抜けになっているので、無駄な言い訳はしない。


「心配しないで」


 ハートマーク女子がほんのかすかにくちびるの端を痙攣させた。

 たぶん笑ったつもりなんだろう。

 安心できない微笑だ。

 心配しないでと言われても、お前に何をされてしまうのか心配しかないんだが?


 俺の心の中の突っ込みを余すことなく読み取っているはずだが、ハートマーク女子は微笑み未満の表情を変えることなく言葉を続けた。


「あなたは必ず恋に落ちる。だから心配しないで」


 恋ねぇ……。

 いやまあ、そりゃ我が親友は可愛いよ。

 魔法の道具を使った女体化予想図みたいなものを見せてもらうまでもなく、そんなことは分かり切っている。

 女の子になればそれこそ世界一可愛いだろう。

 古事記にもそう書いてある。

 太字でな。

 

 しかし、だからといってこの俺がホイホイ恋に落ちるかというと、そうはならないだろう。

 だって我が親友だぜ?

 いくら可愛くても、いくらおっぱいが大きくても、いくら短いスカート穿いて目の前でパンチラとかしてくれてもだよ。

 元は男だって知ってるわけだし、そう簡単に気持ちを切り替えることはできないだろう。

 人の心ってのはそんな簡単なもんじゃない。

 ないはずだ。


「自信満々に言ってるけど、未来でも読めるのか?」


 心だけじゃなく未来まで読めるなら無敵だな。ま、気が狂わなきゃの話だが。


「未来は読めない。でも二人のことは知ってる」


「なるほど?」


 そりゃ俺たちの気持ち読み放題だもんな。

 でもまあ、それでもやっぱりそんな簡単なもんじゃないよ。


 ハートマーク女子はいつもバレーボール女子たち仲良しグループで昼食を摂っている。

 すでに教室を出て行った友人たちを追うため、彼女も教室を出て行こうとしたが、不意に振り返ってこちらをじっと見た。


「パンツを見せたら私のこと好きになる?」


 ……。


「分かった。見せないよう気を付ける」


 心は簡単じゃないが、下心って奴はなぁ……。

 わざとらしく後ろに手を回してスカートを押さえながら教室を出て行ったハートマーク女子の揺れる尻を見送ってから、俺は後頭部をわしわしとかき回してため息を吐き出した。


「弁当食うか」


 恋って何なんだろうな。






 我が親友が姿を消してからきっかり二週間後。

 日曜日で特に用事もなく、ソシャゲのガチャを回したりマンガを読んだり腹筋をしたりして過ごしていたら、ピンポーン、とインターホンが軽快な音で来客を知らせてきた。

 はーい、と母ちゃんが返事をし、ついでドタドタという軽快とは言い難い足音が響く。

 我が母ちゃんはちょっとガサツだからなぁ。

 だがそこがいい、と昨夜も父ちゃんがドヤ顔で言った後、母ちゃんのケツをしばいて逆に頭をしばき返されていたが。

 もっとガキの頃はケラケラ笑っていたが、うちの父ちゃんと母ちゃんはちょっと愛情表現がおかしいんじゃないかと最近疑っている。


 インターホン越しで何を話しているのか聞き取れないが、母ちゃんのやたらハイになった声が聞こえたかと思うと、ドタラタタタ!という感じの足音?が近づいてきて、俺の部屋のドアに衝突した。


「何やって……」


 鏡の前で腹に力を入れて腹筋の割れ具合を確かめていた俺が呆れて振り返ると、ドアを粉砕せんばかりの勢いで開け放った母ちゃんが大興奮の面持ちで伝えてきた。


「お友達! 来てるわよ!」


 お、おう。

 マッスルポーズを決めたまま、俺は困惑気味に母ちゃんの様子を見つめた。


「カッコつけてないで早く出て! あ、服は着なさい! 服は着ないと駄目よ!」


 そりゃ人前に出るなら服は着ますけども。

 ベッドの上に放り出していたTシャツを着て玄関に向かおうとすると、なぜか母ちゃんからの物言いが入る。


「ちょっと違うの着たら? ほら、何かお気に入りのがあったでしょ!」


 自分の着ているTシャツを見下ろし、俺は眉をひそめた。

 毛筆風の筆記で力強く『オシャンティー』と印字された白Tシャツなんだが、これじゃ駄目ですかね。

 ぶっちゃけ部屋着だし外に着て出ることはないが、一応これもお気に入りなんだが。

 我が親友も同じTシャツを持っているし。


「いいよこれで」


「駄目駄目、こっちにしなさい!」


 俺のタンスを漁って目ぼしいTシャツを選び出し、胸元に押し付けてくる母ちゃん。

 何をそんなに必死になっているのか分からないが、面倒くさくなった俺は言われるとおりに着替えることにした。

 それなりのブランドのちょっと格好いいTシャツだ。ちなみに我が親友が選んでくれた。


「なあ、母ちゃん。俺の腹筋どう?」


「馬鹿言ってないでとっとと行きなさい!」


 引き留めて着替えさせたのは母ちゃんなのにこの理不尽な扱いよ。

 何だかな―という気持ちを込めて尻を掻きながら、俺はペタペタと玄関へ向かった。


 いやまあね?

 俺だって分かってるよ。

 母ちゃんがこれだけ興奮する俺の友達ってのが誰なのかってことは。

 ただ、事前に連絡はなかった。

 退院したって知らせも受けてないし、そもそも入院中は面会謝絶だったから性転換が成功したのかどうかも分からない。

 あいつなら来る前に連絡してくれそうなものだけど、サプライズとかも意外と好きな奴だからな。

 多分そうだろうな、でも違うかもな。

 そんな風に期待しすぎないよう気持ちを抑制しながら、ドアノブに手をかけ、ゆっくりと玄関のドアを開けた。


 そこには、女の子が立っていた。

 真っ白なワンピースがとてもよく似合っている。華奢な素足は踵の高いサンダルで包まれていて、よくそんな器用につま先立ちができるなと場違いな感心をしてしまう。

 小さくてかわいいバッグのストラップを両手で持つ様がいかにも女の子らしく、左腕の手首に巻かれた無骨なデザインの時計との対比につい笑みがこぼれる。昔俺が選んで一緒に買ったGショッ〇だ。

 おっぱいはやはり大きい。が、今はそれはおいておこう。

 記憶にあるよりずっと長い黒髪は宝石のように輝いていて、耳を飾り付ける大ぶりなイヤリングが身じろぎの度に揺れて澄んだ音が聞こえてくるようだ。

 そして顔立ちには紛れもなく慣れ親しんだ面影があった。

 世界で一番大事だった、我が親友の似姿が。


 頬を紅潮させてどこか恥ずかしげに、でも満開の花のような笑顔を浮かべた世界一可愛い女の子は、桜貝のようなくちびるをゆっくりと開いた。


「きみに逢いに来ました」


 知らない声だ。

 でもなぜか柔らかい雨のように胸に沁み込んでくる。


「きみだけに、逢いに来ました。ボク、私は……」


 かつて我が親友だった女の子は、それ以上言葉を続けることができなかった。

 裸足のまま玄関から飛び出した俺にきつく抱きしめられたからだ。


 俺の行動は完全に衝動的なもので、何か考えがあってのものではなかった。

 ただ、理解したのだ。

 我が親友の存在が完全に消えてなくなってしまったわけじゃない、と。


 言葉は出てこなかった。

 雲一つない晴天から音もなく落ちてきてこの身を貫いた甘やかな雷が、舌を麻痺させてしまったせいかもしれない。

 相変わらず小さく、しかし格段に柔らかくなった我が親友の体を、俺はいつまでもいつまでも抱き締め続けていた。



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