第10話
……よし、デートするか。
いつものように俺と親友は屋上で膝を突き合わせて昼飯を食べていた。
今日もしみじみ美味い我が母ちゃん謹製のミニハンバーグをじっくり咀嚼しながら、忽然と俺は思いついた。
デートしよう。
誰と?
我が親友に決まっている。
俺が決意を固めていると、少し離れた場所から激しく咳込む声と、それを心配する女子たちのざわめきが聞こえてきた。
そちらへ視線を向けると、明らかに水筒のお茶を飲もうとしたのにむせて噴き出した様子のハートマーク女子と、その周りで騒いでいる友人たちの姿が。
何をやっているんだ、あいつは。
俺が呆れて見ていると、水筒を置いたハートマーク女子がこちらにぐるりと体を向けて、流れるような所作で両手の指先を合わせ、実はそこそこ以上のボリュームを秘めたおっぱいの前でハートマークを象ってみせた。
効果音聞こえてきそうだな。
とりあえず俺も弁当箱を置いて両手でハートマークを作って向こうに見せる。
こちらも返さねば無作法というものだからな……。
あとどうでもいいけど鼻水垂れてるぞ……。
「な、何だか最近彼女と仲がいいんだね……」
状況がよく分かっていない親友が、俺たちの様子を見て困惑気味にそう漏らした。
弁当箱を再び手に持った俺は、我が親友の顔をじっと見つめてから答えた。
「いいか。俺はどっちかというと明るくて元気な子が好みだ」
「ふ、ふぅん。そうなんだ……」
唐突な俺の宣言になぜか顔を赤らめる、明るくて元気な我が親友。
そして少し離れた場所から聞こえてくる咳払いの声。
「……もちろん無口系クールヒロインも悪くないと思う。そちらの方が好きという人も多いはずだ」
「そ、そう……?」
俺の取ってつけた忖度発言に首を傾げる我が親友マジ美少年。
「でも俺が一番好きなのは、誰にでも優しくて、俺が馬鹿やっても笑ってくれて、それで……それで……」
「うん」
いや、何を言っているんだろう、俺は。
ただ単にハートマーク女子と俺との間にやましいことはない(特級の隠し事はあるが)と言いたいだけなのに、なぜ好みのタイプなんか口走っているのだろう。
こういう女の子になってくれって浅ましい注文を付けるつもりなのか?
考えている内に言葉が出てこなくなってしまって、誤魔化すように我が母ちゃん謹製のミニハンバーグをそっと親友の弁当の上に置いた。
俺の顔とミニハンバーグを見比べた親友は、小さく笑ってから自分の豚の生姜焼きを俺の弁当の上に置いた。
「僕、おばちゃんのハンバーグ好き」
「美味いだろ」
何せ我が母ちゃんのハンバーグは天下取れるレベルだからな。
お互いトレードしたおかずを頬張る。
うむ、我が親友のママンお手製の生姜焼きが相変わらずめちゃ美味い。
「なあ」
「何?」
「土曜か日曜、暇か?」
「うん。どっちも予定はないけど」
「じゃあ遊び行こうぜ」
当然我が親友が断るはずもなく、二つ返事で承諾してくれた。
ふっ、まさか人生初めてのデート相手が男になるとはな。
といっても、することはいつも遊びに行くのと変わらないんだが。
しかしまあ、これはこれで悪くないだろう。
……もうあまり時間も残されてないことだしな。
週末の土曜、昼前に我が親友の自宅へ迎えに行くと、妹ちゃんが出てきた。
我が親友はまだ身支度の最中らしい。
いつもより5割増しくらい敵意のこもった視線をこちらへ向けてきたので、ふざけてシャドウボクシングの真似事をしてみせたら、腰が入ったパンチをレバーに食らった。
ちょっと殺意高すぎません?
「ぼ、暴力反対……」
「あたしとお兄ちゃん、どっちが可愛いと思う?」
「は?」
意味不明な質問を投げつけてくる妹ちゃん。
そんなの我が親友のほうが可愛いに決まっているが?
性格的に。
何も言わずとも表情から答えを察したのか、妹ちゃんは苦虫を24匹くらい噛み潰したような表情を浮かべた。
「……責任取らないとあたしがコロス。社会的にも肉体的にも精神的にもコロスから」
妹ちゃんは言うだけ言ってバタンと玄関を閉めてしまった。
うーん、この殺意の高さよ。
そして、家に上がらせてさえもらえないのは初めての経験なんだが。
まさかの塩対応に呆然とする俺であったが、考えてみれば妹ちゃんにしてみれば大好きな兄がいきなり姉になるとか言い出したわけで、そりゃあ怒りもするだろう。
俺のせいで、と言いたくなる気持ちも無理はない。
結局のところ、俺は親友の性転換を止めることをもうほとんど諦めてしまったからな。
しかし責任と言われてもなぁ。
いくら無二の親友とはいえ、女の子になった途端に恋愛対象として見るのは無理があるというか、どうなんだそれと思わざるを得ない。
恋愛ってもっとこうさ、純粋というか何というか……。
いや、こんな屁理屈をこねたって妹ちゃんには「クソ童貞がっ」ってののしられるだけなんだろうが。
しばらくして出てきた我が親友は妹ちゃんの暴挙を申し訳なさそうに謝ってきた。
「本当にごめん」
「いやいや、いいって」
「帰ったらよく言い聞かせておくよ」
何でも我が親友の性転換についてはもう何か月も家庭内で話し合いを続けていて、パパンとママンは理解を示して応援してくれているらしい。
そりゃあ費用を出すのは親だし、性別が変わるっていうのは本来は大変な決断だからな。家族の理解はあるに越したことはない。
一方で妹ちゃんはといえば明確に反対しているわけではないものの、やはりまだ飲み込めないものがあるようだ。
しかしそれも当然の話だ。他ならぬ俺だっていまだにそうだし、ご両親にしても完全に納得しているわけではないはずである。
そりゃあ責任の一つや二つ取ってもらわないと割に合わないと思いたくもなるだろう。俺の純情なんか我が親友の覚悟に比べれば何の価値があるのか、と。
それはさておき、デートである。
といっても、別段俺たちの行動はいつもと変わることもなく、ゲーセンやボーリングで遊んだりファーストフードで昼飯を食べながら駄弁ったり、そんなことをして時間を過ごした。
正直『これがデートか?』と訊かれたら疑問符は付く。
齢16にしていまだ童貞たる俺はデートの何たるかを知らぬ。
しかし俺たちは楽しんでいた。
いつものように。
あるいはいつも以上に。
夕方近い時間、俺たちは繁華街の中心にある商業ビルの屋上にいた。
その場所は街が一望できる展望台になっていて、俺たちの他にも少なくないカップルや家族連れで賑わっている。
屋上をぐるぐる巡りながらあそこにあれがある、ここにそれがある、などとはしゃぎまわっていた俺たちだったが、やがてどちらともなく言葉少なになっていき、ついには一言も交わすことなくただ二人で肩を並べて立ち尽くしてしまった。
これまでの人生で我が親友と二人で過ごしていて、沈黙を気まずいと思ったことはない。
しかし、今初めてそれを味わっていた。
……いや、気まずいというのとはちょっと違うな。
ただ互いに伝えるべきことがあるのを分かっているのに、それを言い出せずに延々と間合いを測り合っているような感じだ。
思えば俺と親友の付き合いも長くなったものだ。
出会ったのは保育園の頃だからそれこそ記憶も曖昧なんだが、そこからもう10年以上の付き合いになる。
母ちゃんたちの話では俺たちは最初っから妙に馬が合ったらしく、保育園ではほとんど引っつき虫みたいになってコロコロ転がり回っていたらしい。
そんな俺たちも高校生になり、自分の将来について漠然とだが考えるような年頃になった。
……そうか。
だから我が親友は、性転換してでも女の子になるしかないと思い詰めたのか。
不意に腑に落ちる感覚があり、俺は大きく深呼吸した。
いつもと変わらないように見えて、少しずつ変わっていく街並み。
かつてそこにあったものがいつの間にかなくなり、別のものに取って代わられ、やがては忘れ去られていく。
もしも俺たちがこのまま男同士の親友として歳を重ねていったとしたら、どうなるだろうか。
俺たちは終生の親友だ。たとえ何があろうともそれが揺らぐことはあり得ない。
……でも、この世に『絶対』なんてものはない。
どうにもならない事情で疎遠になりそれぞれの生活に追われるばかりに、やがてはその存在を思い出すことすらなくなってしまう可能性は常にある。
――そういえば昔すごく仲のいい友達がいたんだよな。
些細なきっかけでそんなことを呟く未来の俺は、果たして我が親友の顔を本当に憶えていられるだろうか。
今の俺からすれば到底信じられない、あり得ない未来図だが、世界も時間も俺たちの事情を斟酌してくれるわけではないのだ。
世界は断固たる強制力を持って俺たちを引き離し、時間は冷徹な手付きで俺の記憶から我が親友の姿を削り剥がしていくだろう。
あるいは終生の親友関係を継続できたとしても、やはり何も変わらないというわけにはいかない。
もし俺にこの先恋人でもできて、大人になって結婚するようなことがあれば、当たり前の話だが俺にとって一番大事なのはその人たちとなる。
我が親友のことが大事な存在であり続けるのは間違いない。
だが、一番ではなくなる。
恋人や妻子と親友とどちらかを選べと言われたら、俺は前者を選ぶだろう。
その事実が親友の心を粉々に打ち砕くなどとは思いも寄らず。
日々俺は妻を抱き、子どもと遊び、当たり前の顔をしてその外側へ我が親友を追いやっただろう。
もし俺が、何も知らなければ。
「なあ」
「うん」
日が傾き始めていた。
いつまでもだんまりを決め込んでここでこうしているわけにも行かない。
「俺のこと、好きなのか?」
意識したわけではないが、感情を抑制しようとするあまり少し平坦な口調になってしまった。
我が親友が体を強張らせる気配が伝わってくる。
責められていると勘違いしたのだろうか。
夕日に照らされた我が親友の顔は、気の毒なくらいに真っ白だった。
「……ごめん」
ただ一言、我が親友は謝った。
震える声で。
痛みをこらえるように。悲しみに耐えるように。
「別に謝ることじゃないだろ」
「でも気持ち悪いって思ったでしょ」
「んなことないって」
好きになった相手がたまたま同性だった。
ただそれだけの話だ。
女好き女好きとさんざん言っておいてアレだが、俺は同性愛だのなんだのには理解があるほうというか、さほど嫌悪感は抱かないタチだ。
ただし嫌悪感を抱かないからといって、俺自身が同性愛者になれるかと言われるとそれは話が別だと答えるほかない。
申し訳ない気持ちはあるが、こればかりは友情や同情心でどうにかなる問題ではないのだ。
「性転換したいっていうのもそれが理由か?」
「……女の子になりさえすれば、自分の気持ちを隠さなくてもよくなると思ったんだ。それに女の子になれば……僕のことも好きになってもらえるかもしれないって」
唇を震わせながらそう告白した親友は、ゆっくりと目蓋を閉じた。
透明な涙がなめらかな頬を滑り落ちる。
肩を抱いて引き寄せると、我が親友は素直に体を預けてきた。身長差があるので俺の腕の下にすっぽり収まるような格好になる。
「そうか……」
「ごめんね」
「謝るなって」
両手で俺の服にしがみつくようにして、親友はぼろぼろと泣きじゃくった。
時々親友の頭を撫でたりしながら、気の済むまで泣かせてやる。
まあ、仕方ねぇよな。
好きになっちまったんだから。
俺自身は最近まで気付いてもいなかったけど、ずっとつらかったのかもしれないな。
しばらく時間が経って、大分空が薄暗くなってきた。
俺たちは相変わらず肩を抱いて、というかほとんど正面から抱き合うような恰好になっている。
時折外野からの下世話な視線を感じたりひそひそ声が聞こえてきたりするが、気にするのも馬鹿らしい。
どうせ学校にいる時だって似たようなものだからな。
「俺さぁ」
「……ん」
呼びかけると、俺の胸に顔を埋めた親友がくぐもった声で応じた。
「お前に逢えて本当によかったって思ってるよ」
俺の腰に回された両腕がぎゅっと締まる。
頬というかあごの縁で胸元にある頭を軽くぐりぐりやると、親友が顔の向きを変えた。
「お前は最高の親友だよ。だから……」
「……だから?」
湿り気を帯びた甘え声で親友が俺の言葉を繰り返す。
「だから、俺はお前のことを忘れない。女の子になったお前を好きになるかどうかは約束できないけど、たとえどういう結果になったとしても、絶対に忘れないよ」
この世に『絶対』なんてものはない。
それは分かっている。
だけど、俺はこの約束を限りなく絶対のものにするためにすべてを懸ける。
我が親友がそうしようとしているように。
「ありがとう」
我が親友が俺の胸に顔を擦りつけ、少し鼻を啜った。
泣き虫な奴だなぁ。
「ねえ」
「ん」
「好きだよ」
我が親友の告白がどうしようもなく嬉しくて、悲しくて、寂しくて、無言のまま俺はただ親友の体を強く抱きしめた。
涙が零れ落ちないように、かすかに星が瞬き始めた夜空を見上げながら。
それから一週間後、我が親友はこの世界からいなくなった。
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