第8話
「例えばの話なんだけどさ、母ちゃん」
「んー?」
「本当に例えばの話だからな、勘違いすんなよ」
「分かったから早く言いなさい」
夕飯の準備をしている母ちゃんを俺は食卓からぼけっと眺めていた。
手伝いをしないのかって?
皿だけ並べて後は邪魔だから座ってろと言われたんだよ。
「もし俺が女になりたいって言ったらどうする?」
逡巡した末に投げかけた俺の問いに対して、母ちゃんは片方の眉を軽く吊り上げて訝しげにこちらを一瞥すると、あっさりと答えた。
「考え直しなさい」
「だよなぁ」
ため息を吐き出す俺の目の前に湯気を立てる唐揚げが載った大皿がどんと置かれる。
「何かあったの?」
「何かっていうか、いやまあうん、俺の……知り合いのしん、友達がさ」
「知り合いの友達が?」
美味そうな唐揚げをつまみ取ろうとする俺の手を母ちゃんがぺいっと叩いた。
「そいつがさ、性転換して女になりたいって言ってるんだって」
「ふぅん、知り合いのお友達がねぇ」
「そう、知り合いの友達が……」
もちろん、俺が言っているのは我が親友のことだ。
母ちゃんは一瞬だけ『あ、察し』って感じの表情を浮かべたが、特にそれに触れることなくきびきびと夕飯の準備を続けながら、さばさばした口調で言った。
「まあ個人の自由なんじゃないの? 今は自分で好きな性別を選ぶ時代なんだし。未成年の子なら保護者の同意はいるけども、男の子では居づらい事情があるとか女の子にならなくちゃ得られないものがあるとか、本人の中でちゃんと理由があるならなればいいじゃない」
言葉にされるととんでもない時代だな。
何だよ、好きな性別を選ぶって。それでラノベみたいな男女比1対9の世界とかになったらどうするんだ?
と言いたいところだが、実際には人類もそこまで馬鹿じゃないのか、性転換魔法を手に入れても世界人口の男女構成比には特に変化はない。
「……じゃあ何で俺には考え直せって言ったんだよ」
「あんたの場合、女の子になる大変さを絶対舐めてるからよ」
「ええ……?」
母ちゃんから息子への評価が辛口な件。
確かに女の子になったらどういう大変さがあるのかとか、あまり考えたことはないけども。
大変なのかな。
いや、大変なんだろうな。
生理とかつらいって言うし。周囲からの見方だって180度変わるわけだしな。
我が親友はその辺りをどう考えているんだろうか。
「母ちゃんは男になりたいと思ったことはある?」
「ないよ」
我が母ちゃん、即答である。
「男は楽そうとかズルいとか、そういうの考えたこともない?」
「それはないとは言わないけど、だからって男になりたいかって言われたら話は別。大体母ちゃんが男になったら父ちゃんが女にならなくちゃいけなくなるでしょ」
母ちゃんが斜め上のボケをぶちかましてきたので俺は乾いた笑いを浮かべて受け流すことにした。
というか男になっても当たり前のように父ちゃんと夫婦を続ける設定になっているんだが。
愛、なのか? よく分からん。
ちなみに夕飯の準備がちょうど出来上がるくらいの時間に仕事から帰宅した父ちゃんにも『もし俺が女の子になりたいと言ったら』と同じ質問をぶつけたところ、『父としてはちょっと寂しいけど望むようにすればいいと思う』と前置きした後にこうのたまった。
「もし本当に女の子になるのであれば、巨乳であってほしい」
言い放った瞬間、『子どもに変なことを吹き込むな』と母ちゃんにどやされていた。
オープンスケベな父ちゃんは気にせず笑っていたが、自分の胸にでっかいおっぱいがぶら下がっているところを想像した俺は笑うに笑えなかった。
巨乳をありがたがるのは本当に男の都合でしかないんだな。
男がでかいちんちんにプライドを持つように、自分の巨乳やスタイルに自負心を持つ女の子ももちろんいるだろうが、それ以外のメリットがほとんど思い浮かばない。
重いし、動きにくいし、走ると痛いし、サイズの合う下着も限られる。らしい。
それに四六時中男からいやらしい視線を向けられる。
「女の子になりたい……か」
父ちゃんが巨乳好きを表明して母ちゃんにどやされるより遡ること数時間。
俺は小綺麗でファンシーなぬいぐるみとかが置いてあっていい匂いがする部屋で、ハートマーク女子と対峙していた。
「話を始める前にあなたの疑問に答えるよ」
ハートマーク女子の眼差しがまっすぐに俺を射抜く。
「あなたが想像している通り、私は他人の心が読める」
心が読める。
んな馬鹿な話、フィクションじゃあるまいし……。
と鼻で笑うことはできない。
なぜなら異世界文明との接触以降、この世界の人間の中にも魔法を扱える者がごく少数ながら生まれるようになったのは、歴とした事実だからだ。
一口に魔法と言っても様々な種類がある。
それこそファンタジーでおなじみの炎や氷による攻撃魔法から空を飛ぶ飛翔魔法、果ては性転換魔法なんてものまであるのだ。心を読むくらい当たり前にやってのけるだろう。
そういえば俺たちが通っている学校にも魔法使いがいるという噂があった。
あまり信じてはいなかったのだが、もしかしてそれはこのハートマーク女子のことだったのではないだろうか。
「それも正解」
ハートマーク女子が俺の思考を読んで先を続ける。
「私は魔法が使える。読心術はその一部だよ」
彼女が手をかざすと、部屋の隅に置いてあったぬいぐるみがひとりでに浮かび上がり、ゆっくりとこちらに飛んできた。
可愛らしいというにはいくらか微妙なタコかクラゲみたいなぬいぐるみが、俺とハートマーク女子との間に静止する。
「この子はメンダコのジャン・リュック」
「ジャン・リュック……」
どこぞのイギリス英語をしゃべるフランス人艦長みたいな名前だ。
メンダコってのは確か深海生物だったかな。
魚とか好きなんだろうか。
「うん、好き」
口に出していない俺の思考にハートマーク女子が返事をする。
と同時にジャン・リュックが直進してきて俺の顔にぼふんとぶつかって跳ね返った。
「で? 魔法が使えるのは分かったしすごいと思うけど、それが俺に何の関係がある?」
顔の周りをくるくる周回しているジャン・リュックを手で追い払いながら俺は質問した。
「ここからが本題。私にはもうあまり時間が残されていない」
ハートマーク女子の表情に乏しい顔がかすかに愁いを帯びる。
「今学期の終わりに私は魔法使いとして異世界へ派遣される。そしておそらく二度とこの世界へ帰ってくることはないと思う。だからその前に……」
メンダコのジャン・リュックが俺の頭にちょこんと乗っかった。
「その前にせめて、推し同士が結ばれるところをこの目で見届けたいの」
「……ん?」
聞き間違いかな。
ものすごいシリアスな内容な前半の発言と後半が上手く繋がらないんだが。
それ以前に突っ込みどころが多すぎる。
何だよ、異世界に派遣とかもう二度と戻ってこれないとか。
ハートマーク女子は実は勇者だとかそういう話なのか?
急に頭痛がしてきた俺は親指の腹で眉間をぎゅっと押さえた。
「うん、別に勇者ってわけじゃないんだけど。いきなりこんなことを言われても意味が分からないよね」
「当然のように俺の心を読んで会話するのやめない?」
「まず最初から説明するからその辺……えっと、ベッドに座って」
無視かよ。
そしてベッドに座るってハードル高いんだが。だって女子のベッドだもんよ。
我が親友が俺の部屋に来ると大体いつも俺のベッドに寝転ぶのとはわけが違うんだぞ。
「ありがとう」
唐突に礼を述べながらサムズアップするハートマーク女子。
「は?」
「何でもない。それより気にせず座って」
そう言うなり、ハートマーク女子はジャン・リュックを動かすのと同じように俺の体を魔法で動かして強引にベッドの上に座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。
ふっかふかやん。
嘘やろ、俺の人生でこんなこと起きていいんか?
やっぱり俺、今日死んでしまうん?
「大丈夫。あなたは死なないし、お姉ちゃんが言っていたようなことも起こらない。こうしてジャン・リュックもいるし」
ほら、という風にハートマーク女子が指し示すほうへ視線を向けると、俺たち二人に挟み込まれるようにしてジャン・リュックもちょこんと座っていた。
可愛い面構えだが、その心中は『ご主人様に手を出すつもりなら、この俺の屍を越えていけ』ってところか。
そんな馬鹿なことを考えていると、ハートマーク女子がくすりと笑った。
「どちらかというと『僕も仲間に入れてよ』だと思う」
「さっきも言ったけど心の声にレス返すのやめません?」
「イヤ」
ハートマーク女子はにやぁっと魔女のように笑った。
見るのは二度目だが、顔立ちは整っているのにめちゃくちゃ怖い。
というより笑顔作るのが下手すぎない?
無表情系キャラやめればいいのに。
凍り付いた表情筋を溶かすのに我が親友を貸し出そうか?
あいつの美少年オーラを間近から浴びたら鉄仮面でもどろどろスライムみたいになるぜ?
「他人の顔を勝手にスライムにしようとしないで」
抗議するようにジャン・リュックが俺の腰に体当たりする。
「悪かったって。それより話を戻そうぜ」
「そうね。わけが分からないだろうから、一応私の事情についてもかいつまんで説明する」
そうしてハートマーク女子は語り始めた。
要約すると、ハートマーク女子は魔法を使える戦力として異世界へ送られるらしい。交換にこの世界が得るのは、魔法をはじめとする異世界の技術や資源。
これは一般には公にされていないのだが、俺たちが接触した異世界はまた別の異世界と現在戦争をしているそうだ。ちなみに戦争相手の異世界の住人というのが、地球でいうところのゲームのモンスターやら魔物の姿をしているという。
さしずめ魔王軍と戦争する人類軍といった感じなのだろうか。
戦争には数多くの将兵や兵器が投入されている。当然、魔法使いもだ。
一口に魔法使いといっても様々にいるが、あちらの世界では武闘派魔法使いをランク分けしているらしく、こちらの世界風に言えば上からS、A、B、C、Dといった具合だ。
ハートマーク女子の武闘派魔法使いとしての潜在能力は、何とAランク。
Sランクというのは世界に一人いるかいないかという伝説と肩を並べられるほどの実力者でないと割り当てられないそうなので、Aランクが実質トップということである。
泥沼の消耗戦を強いられている異世界からすれば、喉から手が出るほど欲しい人材というわけだ。
異世界側は強い魔法使いが欲しい。こちらの世界側は異世界の技術や資源が欲しい。
まさにウィンウィンの関係という奴だ。
取引に使われるハートマーク女子の人権?
んなもんあるわけがない。女の子一人引き渡せば、世界が一段階進化するんだぜ。
過去にも取引材料として異世界へ送られた人間は数多くいるそうだが、世間一般には一切知られていない。今普通に俺はこの話を聞いているわけだが、もしも口外したら政府に消されるから気を付けてと軽い調子で忠告された。
かくしてハートマーク女子は今学期が終われば異世界へと送られて、そこで勇者とか呼ばれているイケメンが率いるパーティーに配属されるのだそうだ。
ちなみにこの勇者パーティー、勇者本人以外は全員女。どういう意図があるかあまりに露骨で何かの冗談ではないかと言いたくなる。
ラノベテンプレを現実でやられるとドン引きという感想しか出てこないな。
そんなわけで異世界転移して勇者ハーレムの一員となり、魔王をぶっ倒すというラノベ真っ青な人生の設計図を押し付けられたハートマーク女子が、せめてその前に叶えたい願い事。
「推し同士が結ばれるところをこの目で見届けたい」
うん、意味が分かりませんね?
「現実逃避はよくない」
諭すようなしたり顔で言ってくるハートマーク女子の鼻をつまみ上げてやりたい。
と考えたところで、俺の鼻目掛けてジャン・リュックが体当たりしてきやがった。
「違うから。いや、お前相当おかしいこと言ってるからな? 大体推しって何のことだよ?」
ぼすぼすと顔に当たってくるジャン・リュックを手で振り払いながら俺が訊くと、ハートマーク女子はそこそこ膨らんだ胸元に両手を添えて囁くように答えた。
「推しは推し。あなたとあなたの親友が私の推し。これまでずっと見守ってきた」
衝撃の告白を受け、俺の全身に鳥肌が立った。
え、こいつ無表情のまま仄かに頬を染めてるぞ。怖っ。
俺の失礼な思考を読み取ったのか、ジャン・リュックが錐もみ回転しながらぶつかってくる。
手で追い払おうとするが、めちゃくちゃ力強くて押し返せない。
なるほど、これを刃物でやられたら簡単に死ぬわ。
そう考えた途端にジャン・リュックが落ちて床に転がる。明らかに俺の失言のせいだ。いや、声に出してないけど。
「……悪い」
「気にしないで。私が勝手に心を読んでるだけだから。思考するのはあなたの自由」
緩くかぶりを振ったハートマーク女子が『あと私の胸はそこそこじゃないから』と言ってきたので、もう一度俺は謝罪した。
さっきは鳥肌を立てたり怖がったりしてみたが、実際のところ俺たちがそういう対象として見られるのは別に初めての経験というわけじゃない。
何といっても俺と親友がぐちょぐちょに絡み合う地獄のような書物があるくらいだからな。
……ん?
「おい待て。推しだ何だはとりあえずおいておくとして、結ばれるっていうのはどういうことだよ」
「言葉通りの意味だけど?」
不思議そうにこてんと首を傾げるハートマーク女子。
不覚にも可愛らしさを感じるが、普段から我が親友で慣れているためかそこまで動揺せずに済んだ。
何しろ我が親友より可愛い女子を見たことがないからな。悲しいことに。
「悲しくない。素敵なこと」
「素敵じゃねーよ。どんなに可愛くてもあいつは男だろ。俺は女の子が好きなんだよ」
俺が反論すると、ハートマーク女子は生真面目な無表情顔でしっかりと頷いた。
「そう。それが問題だった。男の子のままではあなたは一生振り向いてくれない。こんなにも、こんなにも彼はあなたを愛しているのに」
「愛って……そりゃ俺たちは誰よりも仲がいいし大親友だけど、何でもかんでも恋愛に結び付けられたらたまったもんじゃねぇよ」
これだから女子ってのは。
妄想するのは自由だが、せめて二次元の中だけにして現実に持ち込まないでもらいたいものだ。
俺が内心で並べ上げる非難が聞こえているのだろう、ハートマーク女子は誰が見ても分かる悲しげな表情を浮かべて、ゆっくりと首を横に振った。
「そうじゃないよ。だって、私はずっと知らなかったもの」
「知らなかった?」
「初めて聞いた時、こんなにも美しい想いがこの世に存在するのかと感動せずにはいられなかった。彼の『声』は誰よりも大きく純粋で、一片の迷いもなかった。人の心というのはほとんどの場合、ぐちゃぐちゃの支離滅裂で矛盾だらけなんだ。とてもではないけど、美しいだなんて思えない。でも彼は、彼だけは違ったの。望まない魔法の力で荒み切って閉ざされていた私の心を、彼の『声』が癒してくれたんだよ」
ハートマーク女子が手のひらを上に向けると、そこにジャン・リュックがちょこんと乗った。
「でも、だからこそ彼が苦しんでいるのが耐え難かった。途方もなく大きな想いを抱えながら、それが決して叶うことがないと日々自覚して血の涙を流すような彼の『声』を聞くことがつらかった。彼はただ……あなたの一番であり続けたいだけなのに」
「……俺があいつを苦しめてるって言いたいのか?」
「あなたは悪くない。ただ無邪気で、エッチで、そして親友思いなだけ」
ハートマーク女子の俺に対する評価に顔をしかめる。
これじゃほぼ馬鹿って言ってるのと変わらないぞ。
「馬鹿でもいいじゃない。私もあなたのような人は好き」
いけ好かないイケメン勇者よりはね、とハートマーク女子は付け加えた。
「なぜこんなにも彼はあなたのことを想えるのか、それを知りたくてあなたのことも観察するようになったの。聞こえてくる『声』は控えめに言ってもとんでもなかったよ。でも、不思議と嫌な気持ちになることはなかった。いつしかあなたたち二人を眺めるのが習慣になって、それが縁で友達までできた。我ながらおかしいと思う……でも嬉しかったな」
くすりと笑いがこぼれる。
「幸せになって欲しいの。私を救ってくれたあなたたち二人に。それがこの世で最後の私の願い」
言うに事欠いて幸せと来たもんだ。
今だって俺はこれ以上ないほど幸せだが?
恋人がいなくて童貞なことを除けばな。
「……余計なお世話だと思わないか?」
「そうだね。本当ならあなたたちを遠くから見守ることができればそれで満足だったのに、いつの間にか欲張りになってしまったみたい」
「だから欲張りついでにお節介を焼こうってのか」
「お節介だと思われても仕方がないね。でも、これだけは知っておいて」
「何を」
俺が問いかけると、ハートマーク女子の真剣な眼差しが槍のようにまっすぐこちらを射抜いた。
彼女の虹彩が七色の光を帯びていることに初めて気付く。
その瞳には一体何が見えているのだろうか。
「あなたの親友は覚悟を決めたよ。この先もずっと、あなたの一番であり続けるために」
ハートマーク女子が柔らかく微笑む。
ごく普通の高校生の女の子のように。あるいはすべてを見通す魔女のように。
「あなたはどうする?」
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