第6話



 ただいま絶賛喧嘩中である。

 誰とだって?

 もちろん我が親友とに決まっている。


 他人に言うと驚かれることがよくあるのだが、俺と親友だって普通の人間に過ぎないし、喧嘩する時はする。むしろ小さな頃から数えきれないくらいに喧嘩を繰り返してきたと言ってもいい。

 仲直りの回数もそれと同じ数なんだが、それはどうでもいい情報だな。


 さて。

 喧嘩中である。

 原因は何か。

 それは我が親友が性転換したい理由をいまだに俺に話そうとしないことだ。


 正直に言おう。

 我が親友が性転換して女性になることについて、個人的には嫌だと思っている。

 何ならキャンセル料を俺が払ってもいい。俺の小遣いではまったく足りないから残る高校生活はバイト漬けになる必要があるが、それでも構わない。

 そう伝えたが、我が親友は断固として聞き入れようとしなかった。

 

 絶対に性転換して女の子になる。


 親友の揺るぎない一念を突き崩すことが俺にはできずにいる。

 こんな意固地になった親友は、幼稚園時代以来だ。


 しかし、性転換が嫌だと思っているのはあくまでも俺の都合であって、親友にも親友の都合と事情があるのは当然なのだから、どうしてもそうするのなら仕方ないとも理解している。

 理解しているし、受け入れなければならないと分かっている。


 近いうちに俺の親友は女の子になるのだ。


 泣こうが喚こうが予定された現実は変わらない。

 ある日突然魔法を含めた異世界文明の産物がこの世界から消えてなくなるみたいな、降って湧いたような奇跡が起きない限りは。


 我が親友はいずれ女の子となって俺の前に立つだろう。

 間違いなく巨チンを持ち神に祝福された美少年である姿から、たぶん巨乳をぶら下げて世界を震わす美少女になった親友が。

 その姿を前にして俺は気絶するかもしれない。あるいは泣くのだろうか。怒るのだろうか。

 よく分からない。

 最近一日一枚のペースで送られてくる、魔法の道具で女の子姿になった我が親友の写真を眺めて自分が何を感じているのかもよく分からないのだ。


 だけど、俺は受け入れるだろう。

 だって彼は、あるいは彼女は、俺の親友だからだ。


 しかし、だからこそ許せないことがある。

 性転換することじゃない。

 その理由を決して俺に話そうとしないことだ。

 他の誰でもない、この俺に。


 それだけが納得できないし、許せない。


 だから俺は喧嘩したし、それは今も継続中だ。

 もう三日も口を利いていない。近くにいるにもかかわらずこれほど長く言葉を交わさないのは初めてかもしれない。


 いつもなら屋上の定位置で二人一緒に弁当を食べる学校の昼休憩も、今日は一人だ。

 うむ、我が母ちゃん謹製の豚バラ大根が今日もしみじみ美味い。

 一人で食おうがどうだろうが美味いものは美味いというのは、残酷なものである。

 

 俺が一人で弁当を食っているのなら、我が親友はどうしているのかって?

 そんなの知らん。

 今も何だか俺と背中合わせに座ってどこかの誰かが弁当を食っているが、俺には関係ないことである。

 

 我が母ちゃんの愛情が詰まった弁当をもそもそと無言で食べていると、視界の中に女子の足がにゅっと現れて喋った。


「ここ、いい?」


 いきなり話しかけられた俺が若干ビビりながら顔を上げると、目の前にはいつぞやのサムズアップ女子がピースしながら無表情でこちらを見ていた。

 いつぞやのも何もクラスメートなので毎日顔は合わせているのだが。しかし、直接話したことはほとんど記憶にない。


「お、おう。別に……」


 いかん、虚を突かれたせいでつい童貞臭い反応をしてしまった。

 まあ薫り高い童貞なんだが。


 俺の許可を得たサムズアップ女子改めピース女子は、『失礼します』と律儀にお辞儀をしてから俺の真正面に腰を下ろした。

 その座り方というのが男の俺から見ると何とも形容しがたい、腰とか脚の関節とかを壊してしまいそうなめちゃくちゃな体勢なのだが、それでいてちゃんと安定して座っているから意味が分からない。

 女子の骨格やら筋肉やらは一体どうなっているんだ。

 というか我が親友も女の子になるとこんな体勢ができるようになってしまうというのか。


 スカートの裾をちゃんと防御するピース女子の仕草をアホ面でボケっと眺めていると、彼女は大きく頷いてみせた。


「うん」


 うん?

 何が、うん?


 対応に困る俺の手元にある弁当を覗き込んだピース女子は、両手を使ってハートマークを作りながら言った。


「お母さん、すごいね」


 知ってる。


「豚バラ大根、好きなの?」


「そうだけど……、いるか?」


 俺がピース女子改めハートマーク女子に問いかけた直後、いきなり背中側から衝撃に襲われた。はっきり説明すると、背中合わせに座っている誰かが肩だか背中だかをぶつけてきたのだ。

 いや、何でせなパンされなくちゃならんのだ。意味が分からん。


 理解不能で正体不明な背中合わせ野郎と背中合わせの攻防を続ける俺に、ハートマーク女子は淡々と答えた。


「ううん。美味しそうだけど遠慮しておく。お箸持ってきてないし」


 それは俺の箸を使うことによって必然的に発生する間接キスが嫌という意味だろうか。

 一瞬思考の沼に沈んで動きが止まった俺はいい一撃をもらって前のめりになってしまい、自分でやっておいて驚いたのか背中合わせに座る謎の人物も動きを止めてしまった。


「ご飯中は暴れちゃ駄目だよ。お弁当を引っ繰り返したりしたらお母さんが悲しむ」


「……大人しく食べます」


「いい子」


 ハートマーク女子は無表情のまま俺の頭を撫でる仕草をした。

 何だろう、このやりにくさ。

 同じ女子でもバレー女子は反応が分かりやすくて話すのに気が楽なのだが、ハートマーク女子は不思議ちゃんなのか予測のつかない言動をしてくるので戸惑いが勝ってしまう。

 無表情だから分かりにくいが顔立ちはかなり整っていて可愛いのに、これでは誤解されてしまうことも多そうだ。事実、男子の間ではハートマーク女子はまったく人気がない。

 まあ、俺はすでに恋に落ちそうですけど。


「駄目」


「は?」


 いきなりの言葉に俺が訊き返すと、ハートマーク女子は目を細めて俺を睨むような、全然怖くない表情をした。

 かわE。


「そういうところ」


「そういう? どういう?」


 意味がまったく分からず、思わず背中合わせの人物に問いかけようと振り返りかけた俺は、天使の輪っかが浮かんださらさらヘアーが視界の端に入り込んだ時点で間違いに気付いて振り返るのをやめた。

 危ない危ない。

 だが上手く誤魔化したのでハートマーク女子からはちょっと大げさに首を回したようにしか見えなかったはず。

 無表情系女子であるハートマーク女子が若干笑いを堪える表情をしているようにも見えるが、気のせいだな。


「すまん。さっきからよく話が分からないんだけど」


「うん、そうだね。分かるように話してない私が悪い。ごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げられて、こちらもつられて頭を下げた。


「あ、いや。別に悪いとかそういうんじゃないんだが……」


「分かるように話すから、放課後に少し付き合ってほしい」


「ゑ?」


 これまで創作物の中にしか存在しないとばかり思っていた言葉を投げ渡され、俺の口からよく分からない音が出た。

 無様な俺の反応を見ても無表情のまま、ハートマーク女子は立ち上がって俺を見下ろした。


「安心して。告白じゃないから」


 そこは『安心して』ではなくむしろ『がっかりして』では?

 つい俺が頭の中で考えると、無表情系ハートマーク女子は今度こそはっきりと微笑を浮かべて宣言した。


「ううん。『安心して』で合ってるよ。お二人さん」


 彼女の言葉の意味するところを咀嚼するために動きの固まった俺と、俺の後ろで息をひそめるようにして背中を合わせている人物に向かって、ハートマーク女子はスカートの裾を少し摘まみ上げるカーテシーをしてみせてから悠然と歩き去っていった。


「な、何なんだあいつ……」


 無意識に出てきた言葉と共に俺は後ろを振り返り、同じようにこちらを見ていた我が親友と間近から見つめ合った。


「……ぷい」


 が、すぐに我が親友が他人を馬鹿にした擬音と共に顔を背けよったので、流れるように背中合わせの攻防戦ラウンド2の火ぶたが切って落とされた。







 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る