君を見染めてしまったから

藍ねず

君を見染めてしまったから

 

 ――私の目には色が映る。


 人が生まれ持った瞬間から、その体に抱えている色が見える。その人を表す色が見える。

 皮膚の色を始め、その人の服や靴、持ち物までが「その人の色」として見えるのだ。

 だから私の視界は常にうるさい。色の渋滞が起こって、色の混濁が起きて、とてもうるさい。


 例えば、マンションの管理人さんは桃色に黄緑が混ざった色。

 例えば、担任の先生は黄土色に白色が混ざった色。

 例えば、近所のコンビニの店長さんは赤に橙色が混ざった色。


 人の色は決して単色ではない。様々な色が混ざって、混ざって、色辞典などでは記しきれない量の色が人々の間に溢れている。溢れすぎて目が痛い。鮮やか過ぎて頭が痛い。

 何色と何色が混ざったなんていちいち考えるのも面倒くさい。だから、なんとなくこの系統の色と思うようにしている。目を細めて、その人だと主張する最も強い色で見分けている。


 そうしていないと、やっていられないのだ。


詩音しおん、おはよう!」


「おはようお母さん、ちょっと寝坊?」


「ちょっとね。間に合う間に合う!」


 お母さんは空色の人。触れた食器やエプロン、鞄など、お母さんが触れた物はみんな同じ色に染まっている。元は作った人や店員さんの色だった筈だが、お母さんが毎日触れ続けることでお母さんの色に染まったのだ。


「詩音、弁当忘れるなよ」


「うん、ありがとう」


「今日も力作だからな、学校がんばれ」


 お父さんは銀色の人。今日はお父さんが休みの日だから、お弁当もお父さん作である。無駄にキャラ弁とか頑張るのはやめてほしいが、言えばしょんぼりするので言えずに二年経った。高校生でキャラ弁って、恥ずかしいのだが。


 娘の気持ちを知らない父は、仕事の準備をしているお母さんにちょっかいをかけて軽くあしらわれている。仲がよろしいことで。


 お父さんの指がお母さんに触れる度に、お母さんに銀色が移っていく。お母さんが叩いたお父さんの髪には空色が混ざって、二人だけの色で手や服が色づいていく。


 私の手は空に銀が混ざった、少し光沢のある水色だ。体も、制服も、髪も、鞄も。ランチボックスに移っていたお父さんの銀色は、私の水色で直ぐに上書きされた。


 既に朝練へ行っている弟は、青みがかった灰色。目立たない色だと思ってしまったが、中学校では意外と目立っているらしい。サッカー部レギュラーで、学級委員長で、成績だって良い。……ほんとに目立つ要素が多いな、アイツ。


 嘆息した私は、銀と空のまだらになる両親に「いってきます」と告げた。


 ――人が人に触れれば、互いの色に染まっていく。


 だから誰の仲がいいとか、誰と一緒にいたとか、目ざとく気づけるので面倒くさい。

 手を繋いでいる恋人間で、片方に相手とは違う色が付着していると眉間に皺が寄ってしまうだろ。

 昨日まで仲よしだと思ってみていた友人達が、ある日とつぜん別の友人と違う色に染まっていくのは居た堪れないだろ。

 移っていた色が別の人の色で上書きされていくのを見ると、なんとも言えない気持ちになってしまうだろ。


 水色の席に到着した私は、色の渋滞に酔った頭を伏せていた。


「はい、おはよー」


「あんた今日も登校だけで疲れすぎっしょ」


「お黙り~」


 小馬鹿にするクラスメイトに頭を叩かれていく。響くのでやめてくれ。頭に着色するだろ。


 私は適当に手を振って空笑いする。触れたのは深緑のあの子と、檸檬色のあの子か。混ざった自分の髪が何色になっているかなんて想像したくないな。

 髪を整えるフリをして自分の色を上書きするのは、既に癖みたいなものだ。


 見えてしまう分、人の色を移されることが気持ち悪い。誰かの色と混ぜられることが不気味でならない。

 私の色を失いそうで、私が誰かに上書きされるようで、嫌なんだ。


 椅子の背もたれに体重を預ける。そうすれば、教室の後ろの扉から「彼」が入ってきた。


一色いっしきおはよー、課題見せてくれー」


「はよー。この前も見せたからやだね」


「コンビニで好きな菓子買ってやるから!」


「俺は小学生か何かか?」


 破顔しながら荷物を置いている彼、二窓ふたまど一色いっしきくん。


 生活指導の先生によく呼び止められる人。

 背が高い空手部の主将さん。

 笑い声がよく通る、の人。


 私は彼に視線を向けて、造り物のようなクラスメイトを見つめた。


 一色くんには色が無い。彼の造形は柔らかな硝子細工のようで、向こう側が透けて見える。半スケルトン。血管や筋肉は完全に透明で見えないので、人体模型風味にはなっていない。本当に、外見を硝子で作られたような人なのだ。


 彼の制服だけ染まっていない。鞄も、靴も、机も、本来の色でそこにある。


 私の世界では一色くんだけが、何も染めていない人で、何にも染まっていない人。


 机に伏せながら一色くんを見つめて目を休ませる。無色透明の彼は、色の海に浮かんだ小さな岩場。少しだけ休ませてくれる慈悲の避難所。


 一色くんの肩を叩いた朱色のクラスメイト。彼の色は一色くんに吸い込まれたが、溶けるように消えてしまった。


 染まらない、あの人は染まらない。あの人だけは、染められない。


 机の下で両手を擦り合わせた私は、一色くんがこちらを向く前に視線を逸らしていた。


 * * *


 ――私だって、最初から人の色が見えた訳ではない


 中学二年生の頃、いつも通り弟を習い事に送った帰り道、女の子に呼び止められたのが間違いだった。


『ねぇ、お姉ちゃん』


 私の手首を掴んだのは、珍しい白髪の女の子。目を引く少女に見覚えは無かったが、何度も腕を引かれた私は膝を折ったのだ。小さな女の子に見上げられて、掴まれて、無視できるような性格ではなかったから。


『どうしたの? 迷子?』


『ううん、違うよ』


 膝を着いて、女の子と目線を合わせたあの日。毒々しい夕焼けの中で、あの子は髪と同じ真っ白な筆を持っていた。


『おまじないをしに来たの』


『うん? おまじない? なんで?』


『お姉ちゃんが、目を付けられちゃったから』


 意味が汲み取れない私に、女の子は筆を向けた。近づく筆は新品のように綺麗で、動きに迷いはなかった。だから私は、目の下を撫でられても本気で逃げなかったのだ。力加減がくすぐったくて、笑ったのを覚えている。しかし直ぐに眩暈を覚えて、女の子は私の袖を離したのだ。


『お姉ちゃん、かわいそーだね』


『なに、』


『ばいばい、またね』


 私が目を押さえている間に、女の子は消えてしまった。


 その日からだ、私の視界が色の暴力に襲われるようになったのは。


 帰宅した私は色の着いた両親に発狂し、連れて行かれた病院でも奇声を上げ、それはそれは混乱した。どれだけ見え方を説明しても症例が無いと言われ、頭から爪先まで調べられたが異常なし。最終的には精神的なものだとして精神科に連れて行かれたが、小難しい病名が私に当てはまっているとは到底思えなかった。


 あの女の子だ。あの子に出会ってから、私の視界は侵食された。あの筆のせいで、私の色がおかしくなった。


 夕暮れの中、あの子を探して同じ道を何度も通った。それでも彼女は見つからず、私は平気なフリをするしかなくなった。


 お母さんと気分転換の買い物に行っても、多くの色が商品に着いているせいで買う気が失せた。

 お父さんと気晴らしにお菓子を作っても、自分の水色が混ざり込んで吐きそうだった。

 誇らしげな弟が見せてくれた帯の色も、サッカー部のユニフォームも、私には灰色に見えた。


 あぁ、どうして、どうして……どうして。


『大丈夫だよ、ありがとう』


 そう言いながら、服を、食べ物を、プレゼントを自分色に染めて、早数年。


 改善も回復も諦めた私を家族は支えてくれた。家族だけの秘密にしてくれた。だから私は、今日も色の荒波に耐えようと思えているのだ。


「詩音ってさ、二窓くんのこと好きでしょ」


「え、」


 お父さんのお弁当を隠しつつ食していれば、深緑の友人に指さされた。声を潜めている彼女は「分かるんだからね~?」とニヤけている。昼休みの、数多の話し声がする教室で。


「いっつも隙あらば見てるでしょ?」


「あ、私も思ってた~」


 檸檬色の友人に肘で小突かれる。私の箸は、猫のキャラクターを模していたお握りを潰してしまった。


 私の二の腕に檸檬色が移ってる。多色がうごめく教室の片隅で、目の奥が発光する。


 友人二人は私の話題で静かに盛り上がる。小さな声で雰囲気を作り、勝手に秘密のことであるようにする。声に色は乗らないのに、私の体に深緑と檸檬の色が飛び散っている気がした。


「やだなぁ、違うよ」


「またまたぁ~」


「隠さなくていいのに、私達の仲だし」


 痙攣しそうな頬を持ち上げる。二人の好奇心は私の胸に投げられて、ペイントボールが弾けた。


 箸が軋みそう。お弁当をぐちゃぐちゃに掻き回したくなる。今すぐ制服を洗いたい。お風呂に入りたい。お湯でも水でも洗い流せないのに、他色を擦り落としたい。


 二人の会話を聞かないように、混ざらないように、ご飯を口に詰め込む。早々にお弁当箱を閉じた私は「トイレ~」と宣言して逃げ出した。


 誰もいない所。誰も見えない所。私が誰にも染められない場所を求めて、早歩きで、胸を掻き毟って。


 色の暴力が私を窒息させそうになる。多彩な色が頭を殴ってくる。私の色が、私だけの色が汚される気がして喉が締まる。


 校舎の裏にしゃがみこんだ私は、二の腕に着いた檸檬色をこれでもかと摩った。

 胸に他色は混ざってない。腕以外、どこにも色は混ざってない。


 私は私の色を守ってる。私は私のままでしゃがんでる。大丈夫、大丈夫。


 大丈夫な、筈なのに。


 目頭が熱くなる。滲んだ視界が何も映したくないと訴える。全ての色を排除したくて、真っ黒になりそうな心情に辟易する。


 やめてくれ、やめてくれ、私の視線を勘違いしないでくれ。私の唯一を、汚さないでくれ。


 私の視線は恋ではない。


 私の視線は、悪足掻きでしかない。


 多彩な他色に揉まれて、視界が壊れてしまいそうだった時。見つけてしまったんだ。あの、無色透明な救済を。


 何色でもない人。何でもない人。私を染める不安も、私が染める不安もない、無害の人。


 これを恋などという感情で染めないで欲しいのに、他人は私の視線に色があると言い放つ。色眼鏡で私を見るなと、言い返せたらどれだけ楽か。


 私の救いを汚さないで。私の休憩を妨げないで。私の思いを、違う色で塗らないで。


 目を閉じて顔を覆う。頬を伝った涙さえも着色されて、私の掌は水色で溢れてしまった。


 予鈴が鳴っても戻れない。本鈴が鳴っても立ち上がれない。水色の滴が止まらない以上、私はここから動けない。


 私は、午後の選択授業を欠席せざるを得なかった。


「……きもちわるぃ」


 どうして私の目は変わってしまったのか。どうして視界が変わってしまったのか。どうして私だったのか。


 分からない理不尽に胃を痛め、何度も鼻を啜ってしまう。微かに聞こえる体育の音を拾っていれば、不意に背後の窓が開いた。


 やば、怒られ、


鏡味かがみさん?」


 身構えた私が見たのは、無色透明。


 何にも染まっていない、一色くん。


「ぁ……、っ」


「え、」


 言葉が出ない私に一色くんも驚いたようで、私は目元を摩ってしまう。窓を越えてきた一色くんは、私の隣にしゃがんでくれた。


「ど、どうかしたのか……って、聞かない方がいいか、ごめん」


「別に。ちょっと……疲れただけだから。大丈夫、ごめん、ありがとう」


 膝を抱えて一色くんから顔を逸らす。頭を掻く彼は立ち上がるタイミングを失ったように、私の隣に居直っていた。


「私サボるから、一色くん戻りなよ」


「俺は、まぁ、あの、腹痛いって授業抜けてきたから、いいんだ」


「え、お腹痛いの? なら保健室かトイレ行きなよ」


「いや、ちがくて、授業抜けたのは本当だけど、腹痛いのは嘘で……」


 透明な彼は両手を忙しなく動かして口をもごつかせる。私は透明な彼を見つめて、無色に目を休ませた。膝に頬を乗せて、無心で、何も考えたくなくて。


 一色くんは後頭部を掻き乱すと、明後日の方を向いていた。


「昼休み終わっても、鏡味さんが戻ってないって聞こえたから。書道教室にも行ってなかったし」


「一色くん、書道選択してたっけ」


「俺の選択は、美術」


 透明な彼は頬を掻く。彼の顔色なんて分からない私は、ただただ無色であり続けてくれる彼に安堵していた。肩の力を抜いて、耳からの情報より視覚情報を休ませることを優先している。だから一色くんが言わんとすることを汲み取れないままだったのだ。


 彼は少し顔を伏せた後、私に硝子の瞳を向けた。


「鏡味さんがいないから、心配で、授業抜けたんだけど」


 眉間に皺を寄せた一色くん。私はそこで初めて彼の言葉を飲み込み、脱力していた背中を伸ばすのだ。


『詩音ってさ、二窓くんのこと好きでしょ』


 あぁ、違う。しまった。これは、駄目なやつ。


 一色くんはこちらを見つめており、私はまた、自然と涙を零してしまった。


 目を見開いた彼から、最大の療養所から、私は視線を逸らす。透明な彼に私の色を移したくなくて、下を向く。顔を覆って膝を体に密着させる。


 恥ずかしい。身勝手な休憩が、あらぬ誤解を与えたのかと。私の気持ちとは違う色が視線に乗ってしまったのかと、嫌になる。


「ごめん、ごめんなさい。違う、違うんです、違うから。私を心配しなくていいから、平気だから、だから、」


「平気には、見えねぇよ」


 私の声を一色くんに遮られる。自分の肩が揺れたと分かり、顔を上げることは出来なかった。


「……俺が思ってたのと、鏡味さんが思ってたのは違うって、分かったから」


「だったら、」


「でもさ、」


 手首が掴まれ、顔が上がる。一色くんの透明な目は私を射抜き、彼の手は水色を吸い込んでは消していた。


 彼は染まらない。何色にも染まらないし、何色にも染めてこない。


 彼は無色透明だから。


 色が溢れたこの世界で、私が唯一、視線で追ってしまう人だから。


 涙を止められない私は、真剣な一色くんから目を逸らすことは出来なかった。


「いつも見られてたら、流石に俺も、気にする。気になる。完全に気持ち持っていかれる。てか、持っていかれた。だから今、ここにいるんだけど」


「ぁ、の、」


「勝手に期待して、ごめん。勘違いしたことは謝る。だけど、ならどうして見てたのかくらいは教えて欲しい」


 喉が息を吸って音を立てる。私の涙はそこで止まり、一色くんの真剣な顔は崩れなかった。


 君を見ていた理由。君を目で追っていた訳。それは私の、勝手な気持ち。君に思わせたのとは、違う気持ち。


「落ち着いた、から。一色くん見てると。他の人を見てるよりも。目の保養、的な」


 答えれば、一色くんは呆気に取られた顔をする。かと思えば両手をゆっくり上げ、私の手首は自由になった。


 彼の手はやっぱり染まっていない。無色透明なままで、私は心底安心する。君が私の色にならなくて、良かったって。


 一色くんは片手で顔を覆うと、大きな深呼吸を繰り返していた。


「それは、俺の気持ちと何か違うんですか」


「違います。ごめんなさい」


「そんな言い切らなくても……」


 煮え切らない表情を一色くんが見せてくれる。透明な彼は雑に髪を掻き、呻りながら俯いた。


「俺のこと、目の保養にしていいから。落ち着くならずっと見てくれていいから。浅はかな俺にチャンスをくれませんか」


「チャンスって、」


「話そう。色々。サボる授業分使って」


 勝手な私に怒りもせず、呆れもせず、一生懸命なままの一色くん。


 私は体から力が抜けて、透明で居続けてくれる彼に感謝した。


「いいよ、お喋りしよう」


「あぁ」


 笑ってくれた彼の顔色は分からない。分からなくていい。私の視線を押し付けて作らせた色なんて、申し訳なくて直視できないから。


 隣に座り合った私達は話をした。透明な彼に私の色が移らないよう、ちょっとだけ距離を取って。見ているだけでよかった人と会話する。


「空手ってずっとしてるの?」


「あぁ、五歳の頃からしてる。小学校から道場に通って、今でも休みの日は顔出してるんだ」


「道場か。私の弟も小学生の頃、空手の道場に通ってたんだ。中学生になってからはサッカー始めちゃったけど」


「へぇ、弟いるんだ」


「うん。一色くんは一人っ子?」


「いや、妹と弟がいるよ。妹が中学生で、弟は小学生」


「そうなんだ」


 ――その日を境に、私と一色くんは挨拶をする仲になった。かと思えば休み時間に少し話をする間柄になり、距離を縮めるのは早かったのだ。一色くんが思ったより積極的だったことが要因だと思っている。


 私は透明な彼を見る時間が増えた。色の波に溺れていた中で、安全な救命胴衣を着けられた気分だ。


 一色くんには悪いが、この気持ちを彼と同じだとはまだ言えない。「それでもいい」と笑ってくれた彼は、やはり私の色には染まらなかった。私も彼の色には染まらないまま、手を繋いで、肩を触れさせている。


 それがよかった。彼は彼の色のまま、私は私の色のまま。ちゃんと色を保って、無色の彼は私に安堵をくれる。


 ごめん、ごめんね、勝手でごめん。同じ気持ちになりきれなくて、ごめんね。


「もー、詩音さんって真面目過ぎですよ。おにぃは詩音さんしか見てないんですから、気にしなくていいんです!」


 一色くんの家に遊びに行った時、出迎えてくれたのは妹のにしきちゃんだった。彼女や、小学生の魅色みしきくんも一色くんのように無色透明な人。初めて家に呼ばれた時は驚いて凝視してしまい、一色くんに「癒しは俺だけでよくないか?」と眉を下げられてしまったのを覚えている。ごめん。


 透明な妹弟は私に懐いてくれた。あまり顔を合わせることはないけど、こうして一色くんの部活が長引いている時などは部屋に通してくれたりするし、話し相手にもなってくれる。私は目の保養ができるので歓迎なのだが、一色くんに言うと肩を落としそうなので黙っている次第だ。


「錦ちゃん、今日はいつも以上に可愛い格好してるね」


「可愛いですか!? よかったぁ! 実は今日、気になってる人の練習試合があって……こっそり応援に行くんです」


 格好だけでなく、理由まで可愛い錦ちゃん。彼女は「いや、その、もし目が合ったりした時にちょっと良いなぁって思ってもらえたら嬉しいって言うか、なんというか、片思いなんですけど、!!」と沢山の弁解をしてくれた。目だけでなく心まで保養された。


「ごめん詩音、部活のびて遅れた!」


「お疲れ様、一色くん。お邪魔してます」


「おにぃ遅い! それじゃ、私は行くから。また来てね、詩音さん!」


「ありがとう、錦ちゃん」


 息を切らせて帰って来た一色くんと、入れ替わるように錦ちゃんは行ってしまう。誰かを想っている女の子は本当に可愛らしい。


 私が一人ほのぼのと心を和ませていれば、制汗剤の匂いを纏った一色くんが隣に座ってくれた。


「ほんとごめんな、錦がうるさくしてなかったか?」


「全然。楽しく話し相手になってくれたよ」


「……それはそれで複雑なんだが」


「どうして」


 口を曲げる一色くんに笑ってしまう。彼の頬をつついても、私の水色は移らない。彼が私に触れても、私は無色に染まらない。


 何処にも逃げ場がないと思っていた私だが、こうした今があるならいいかと考える辺り、現金な性格をしているものだ。


 いつか、君が私の救済よりも大切になるんだろうと思って。その時はもう、私は彼しか選べないんだろうと感じて。


 夕暮れの時間。家まで送ってくれた一色くんの手を、惜しんで離す私が確かにいた。


「それじゃ、また明日。学校でな」


「うん。今日はありがとう。部活お疲れ様」


 はにかんでくれた一色くんに手を振って、夕暮れに帰って行った彼を見届ける。私も家に入れば、灰色の弟がリビングから出てきた所だった。


「ただいま」


「おかえり。さっき家の前にいたの、姉ちゃんの彼氏?」


「うん、まぁ、そうだけど」


「……もしかして、名字って二窓?」


「え、何で知ってるの」


 ソファに荷物を置いて、台所でコップにお茶を注ぐ。風呂上りらしき弟は髪をタオルで拭き、「だってさぁ」と続けるのだ。


「俺の学年にもいるから、二窓錦って子が」


「錦ちゃんが? 彼の妹だよ。知り合いなの?」


「知り合いって言うか……まぁ、目立つから、あの子って。今日もサッカー部の試合見に来てくれてたし」


 私は目を瞬かせてコップを口に運ぶ。


 灰色のタオルを首にかけた弟は、テレビのリモコンを手に取っていた。


「兄妹揃って、あんなに真っ白な髪だとさ、やっぱり目を引かれちゃうよな」



―――――――――――――――――――

数多の小説の中から、詩音ちゃんと一色くん達を見つけて下さってありがとうございます。


さて、誰が誰に見染められてしまったのか。


色に溺れていた彼女が掴んだのは、本当に救命胴衣だったのか。


楽しんで頂けたのなら、幸いです。


藍ねず

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