第7話 タエと長閑


「ん、ううん…………」


 先に体を起こした人物が、目の前に倒れる男性に目をやる。男性の衣服は所々黒ずみ、顔は青白く変色しているが、目立った外傷は無いようだ。


 皮肉にも電撃が開けた大穴が柔らかい土を露わにし、それがクッションとなり致命的なダメージは避けられたのだった。


「あれは……なっ!」


 先に体を起こした人物は仰天する。そこに倒れてるのが自分自身だったからだ。そう、横たわる長閑の姿がそこにあった。


「どういうことなんだ……なぜ? ひょっとして?! 俺は死んで霊体になったのか?! うぅぅ……」


 クラクラと目眩に襲われ、非現実的なことを呟きながら倒れている自分自身に近寄る。

 所々、赤く腫れ上がり、如何にも重症の火傷を負っている様子に見えた自身を霊体扱いしている長閑は、慌てながらも思考を巡らせた。


(どうしよう、このままじゃ俺は死んじゃう……幽体離脱的なものなら一回体に重なってみるか?)


 非現実ながらも何処かで見た浅い知識にほだされた結果、唯一思いついた策はその身体に重なるという陳腐な手段だった。


「よし! こ、れ、で……元に戻れるかな……」


 身体に重なろうとした長閑だったがその直後、違和感を感じる。


「ん?」


 スーッと元に戻る感覚が発生しない。本当ならばこのまま肉体と幽体が一体になり、自分は生還するという流れ。


 実際、幽体離脱じたいが初体験だけに正解は分からないのだが、何かがおかしいという違和感はこんなぶっ飛んだ現象なのだから、最初からあって然るべきなのだ。

 と、首を捻って思案している最中、とりあえず救急車を呼ばないとこのままでは何かしらの……という結論に辿り着き、


「救急車だ。携帯電話、携帯電話」


 携帯電話を投げ捨てた車の助手席に向うために長閑は慌てて立ち上がる。


「ん? な、なんだ……」


 目眩、それに何かが足に覆い被さって上手く立ち上がることが出来ない。何とかたどたどしくも立ち上がり車に近寄ろうとするが方向が定まらない。

 右へ左へと蛇行しながら、ようやく鉄塔を囲む金網を両手で鷲掴んだ。


「か、金網の扉の南京錠が焼き切れてる……そ、それに金網自体も真っ黒だ……」


 長閑は扉の枠をくぐり、車へふらふらと向かった。そして辿り着いた助手席のドアを開けて携帯電話を手にした。


「よし。えっと……701……」


 携帯電話のロック画面を解除するためのパスワードをタップしていた長閑だったが、急に眠気を催した。そして暗闇に堕ちるが如く意識が遠のいていく。


「ダメだ……まだ電話して……な、ない、のに……救急車…………」


 車の助手席に崩れるようにもたれ掛かり、そのまま意識を失った。




 今、見ている光景が何の記憶か、いつの記憶か……そもそも夢なのか現実なのか……わからない。


 暗い空間に漂う自身の体は水中を泳ぐ魚のようにはいかず、ただ流れに身を任せてフワフワと浮かぶだけの物体に。それを俯瞰するが如く見ているが、たしかに浮遊すら容易に行う鳥のようにも行かない。


『この……子は目が覚め……んですか』

『いつまで……からないですが、様子を見……しょう』


 女性と男性の声が聞こえる。それが何処からの声なのか、誰の声なのか……わからない。


 突然に意識が覚醒した。本来なら何かしらの前触れがあってもいいはずだが、瞼を震わせたり、瞬きを何度もしたりと。


 パッと目は見開かれ、点々と小さい穴がいくつもあいた白い下地の天井に、ぶら下げられた細長の蛍光灯がまず目に入る。


 まだ首は動かしていないが、なんとなく気配で一人なのはわかる。


(こ、ここは? 何処だろう……)


 そう発音しようとして声が出ないことを知る。そして体も動かない。あんなにパッと開いた目だったが、遅れて何かの異常を訴えるように瞼が痙攣し、瞬きの回数も尋常じゃない。瞬き疲れた瞼が、キュッと閉じたその直後、意識はまた失われた。




「このまま寝たきりなんてことはないですよね?」


 幾ばくかの時間経過があったのか、誰か女性の声が聞こえてくる。それともさっき目覚めた記憶すらも夢の一環だったのか、震える閉じたままの瞼が意識の覚醒を告げ、


「それは……大丈夫だと一概には言えませんが、身体は順調に回復しています。まだ暫くは入院して貰わないといけませんが……」


 今度の男性の声でハッキリと目が覚めた。


「あ! 良かった」


 何度も瞬きしていると、その途切れ途切れの視界に割り込む女性がさっきの声の主なのか? ぼーっとする頭で考えるも、その女性が誰なのか思い出せない。


『あ、の……』


 やっぱりまだ声は出ない……。


 すると、さっきの声の人物だと思われる男性医師が、瞼を親指と人差し指で優しく広げたところへ電灯の明かりを目に当てて何かを確認してきた。


「もう大丈夫そうですね。とりあえずは安静にしていただいて、このまま経過を見ましょう」


「ありがとうございます。では先生、この……」


 そのまま二人の声は遠ざかって行くが、体を起こす事が出来ないので確認もままならない。


(えっとぉ、ここは病院で……どうなったんだろう? 一体何があったんだっけ……)


 その後、数日間は口がきけないし、体を起こせない状態だった。その間にさっきの女性に会ったのは二回。


(一体誰なのか……それに俺は今どういう状態なのか……何故に俺の家族は会いに来ないんだろう……)


 最初の頃は、そんな不安ばかりが頭をよぎっていたが、暫く寝たきりだとそれよりも自分の今後が猛烈に不安になってくる。


 看護師に質問もままならず、ただ天井を見上げながら家族を想う日々。異国に連れてこられたかのような境遇であっても、何とか早くコミュニケーションをとれるようになりたいと大人しく回復を待った。


 そんな不憫な療養生活中に気になったのは、看護師の会話の所々に誰かの名前が挟まれることだった。それは聞き覚えの無い名であるも、看護士が話し掛けている相手は他に居ない。


 不思議な会話。


 もしかしてこちらに言ってるのかなが、何日か後には確実にこっちに向かって言ってる、呼んでるのが明らかになっていた。



 そしてようやく体を起こせたその日、掠れているが声も出せるようになり、自身の足を使ってトイレに行くことが出来るようにもなった。


「やっとだな……こ……のまま……寝たきり……じゃなく、て良かった……」(そんなことよりも鏡! 鏡!)


 口がきけない寝たきりだった間に生まれた疑問、寝ている時に感じた身体への違和感、それを確かめるために慌てて洗面所に向かう。


(〝タエちゃん〟それが今の俺の名前)


 少しよろけたり、躓きながらも洗面所に辿り着いて周りを見回し、深呼吸してから鏡を覗き込む。そこに写し出されたのは、あの日あの時あの場所で出会った自殺少女だった。


(な! どうなってんの?! いや……まぁ、この体つきは女性かもとは薄々……思っていたけど)


 体を起こせた時に見える範囲、作務衣のような服の上から触った感触、それらを確認したことである程度はわかっていたことだった。ただ何故こうなったのか、一体全体……理解不能であった。


(じゃ、俺の体は? もしかして死んで転生したの……か?!)


 洗面台に両手をつき、うなだれてていると、いつもの担当看護師がやってきた。


「あら! タエちゃん歩けるようになったんだ? 良かったね。今からご家族に電話して来てもらうからね」


(あ、て言うか……僕はタエさんでは無い……)


「あ、う……エん……」


「ああん、まだ喋れないの。無理に声出さなくていいから。打撲に火傷、それに頭部を強く打ち付けてるみたいだから……と、とにかく、用を足してから部屋に戻っておいてね」


 看護師は院内で使うPHS電話を使って誰かと話している。


(俺は生まれ変わったのだろうか……)


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