第8話 マリ
病室のベットの上〝タエこと長閑〟は、まだ話せないでいた。
看護師が家族を呼んでくれてから〈それでも来たのは次の日だったが〉タエの家族と会ったものの、タエ本人のことを何も知らないので何も話せないのだった。
(うーむ……どうしたらいいんだろう……しかし……あらためて見ると、このタエの姉だという女性、綺麗過ぎる……)
彼女に会うのはこれで五回目だった。
一番特徴的なのはそのスタイルの良さで、背の高さは……だいたい百七十センチくらいか。すらっと伸びた背に、マントのように覆い被さる長い黒髪。
艶やかでしっとりとした髪の毛を上に辿ると、シュッと細く尖った顎、そしてその上にはぶ厚目の唇。けしてタラコ唇というわけではなく、普通に色気のある外国人のような顔立ちにピッタリの唇。
鼻は高く素晴らしい造形で、その鼻を挟む双眸は切れ長だが何かを射抜くような鋭さを備えている。
彼女はそんなに話し掛けてくるわけでは無い。なので長閑自身が知りたいことが山のようにあるので質問がしたい……。
だが、言葉を発するとややこしいことになりそうなので無言を貫くというジレンマが発生していた。
(両親が来ないのな……この綺麗なお姉さんが親代わりなのかな……?)
タエの入院生活数十日の間、病院に来たのは姉一人だけ。他に家族は居ないのだろうかと黙考していた時だった、洗濯物などを鞄に詰めていたタエの姉の持ってきていたハンドバックから、携帯電話の呼び出し音が鳴り響いた。
「タエ、あなたの電話みたい」
そう言ってハンドバッグからピンク色の携帯ケースに包まれた電話を取り出し、携帯電話のスクリーンを女性が覗き込んだ。
「ああ、やっぱりそうだ。米倉さんって出てるけど?」
そう言ってこちらに電話を手渡してくる。が、出るわけにいかず、ぼーっと手に持つ電話を凝視していた。
「まだ話せないみたいね。早く元に戻さないと友達から愛想つかされるんだよ。まぁ院内で電話に出るのもマナー違反だし、この場合はいいんだけど」
(なんかちょっと冷たい言い方だな……)
こちらを見ないでぶっきらぼうに言い放った言葉。
長閑がタエの姉の方を向くと熱量のない冷えた表情にどこか愛情の薄さを感じるのだった。
「じゃまた明日くるから。明日、私は先生と話して午後は打ち合わせがあるから。わかった?」
タエの姉は先程と同じようにこちらを見もせずに、そのままハンドバッグと洗濯物の入ったトートバッグを肩に掛けて病室を出て行った。
「なんかこの子って……可哀想だ……」
長閑は窓の外の景色を見やり、小さく溜息をつきながら呟いた。
次の朝、タエの姉は時間通りにやって来た。
病室を出て一階の病院ロビーには平日の昼近くというのもあって、人はまばらだ。
姉は諸々の手続きを済ますと、こちらを見て顎をしゃくるようにして病院の出入り口である自動ドアを示してきた。
外に出ると刺すような寒さはなく、日差しが心地いいくらいに外気温を上昇させてくれていた。
しばらく病院を後にする人々を横目で見て、姉の携帯電話の話し声をボケーっとして聞いていると、黒光りする高級外車が病院のロータリーを旋回して目の前にやってきた。
「な! ぅぅ……」
思わず驚き、大声で唸り声をあげそうになって両手で口を塞ぐ。幸いタエの姉は電話に集中していて気付いてはいない。
そこへ白手袋をつけた運転手が慌てて降りてきて後部座席のドアを恭しく開いた。
車内に入ると、車のど真ん中のプチシャンデリアが出迎えてくれ、黒革ボタンダウンの光沢のあるツルツルとした後部座席がいっそう高級感を際立たせる。そして着席した後、改めて車内を見回す。乗ったことのない高級外車の匂い、雰囲気、設備は、目を見張るものがある。
(こ、これはヤバイ……超金持ちなのかタエって子は)
口に出さずに、そんな思考をしていると、隣に座るタエの姉が話し掛けてきた。
「あなた、学校行かないで男性と会ってたってほんと? 昨日、警察から電話がきたの。あなたが倒れてたところに、もう一人男性が居たって。しかも……相手の男性は二十代だって聞いたんだけど? 一体どういうこと?」
(け、警察!? 男性ってやっぱ俺なのか?)
警察からの電話という言葉に長閑かは動揺して目は泳ぎ、心臓の鼓動が数テンポ早く打たれ始める。
「高校生のあなたが学校にも行かずにあんな場所で男性と……考えただけでおぞましいけど、ちょっと酷いですね」
長閑はタエの姉の機械音声のような話し口に、いっそうの寒気を覚えながら言われたことを頭の中で黙って整理していた。
(警察からってことは事件になってるってことか? た、たしかに俺達以外は誰も居なかったので、そんな風に捉えられる可能性もあるかもしれ……)
「あ!」
ふいに声をあげてしまった。
「ん? まだ無理はしないでいいから。一度、家に帰って喋れるようになったら答えを聞かせてちょうだい」
タエの姉は何かの資料をめくりながら、毎度お馴染みこちらを一度も見ずに吐き捨てるように言った。
車中、長閑の脳裏に浮かぶ思い(このままだと俺は未成年となんちゃら? 浮気? と言うよりも逮捕される? …………てか、俺自身は今どうなってるんだ?)悲観的な妄想が頭をぐるぐると巡り、とにかく一度、元の自身の様子を知る必要があるという結論に達した。
長閑はふと窓の外を見た。車は大きな家ばかりが軒を連ねる高級住宅街ぽい場所を通過していた。
そして停車したところはというと、綺麗な遊歩道が真っ直ぐ北に伸びていて、遠くの方に大きな公園が見える。遊歩道を並行する形で伸びる道路も無駄に広いが、行儀のいいセレブが集う住宅街なのか、路駐している車は一台もない。
こうなるとタエの家も想像通りどデカイ家で、二メートルほどあるコンクリートの塀は、そのモダンな家を数十メートル四方で囲っている。
二人が降りたと同時に車庫のシャッターが自動で開き、運転手が車をバックさせ始める。
その様子を長閑が眺めていると、姉がバックする車の背後をツカツカと横切った。驚いた運転手が急ブレーキを踏んだのだろう、車は急なブレーキングで跳ねるように停車する。
「ちょ、マリお嬢様! あ、いえ……お怪我はありませんか?」
車の窓からそう叫ぶ運転手だったが、後半は何かバツの悪そうなトーンになり、一転、姉を気遣う素振りの言葉を使う。
(うっわぁ……あぶねぇぇぇぇ…………)
長閑はそう心の中で言い、あえてそうしているかのようなマリと呼ばれる姉の奔放な振る舞いに仰天していた。マリは何食わぬ顔で立派な門構えのある入り口からではなく、そのまま車庫から家へと入って行った。
「タエお嬢様」
車を車庫に綺麗に収めた運転手が降りてくると同時に、突っ立ったままその様子を見ていたタエの名を呼んだ。
長閑はビクっとしてそちらを振り向くと、目の前に滑り込むように運転手が近寄り、そして素早く深いお辞儀をしてきた。
「お嬢様すみませんでした! わたくしが言われるがままにお嬢様を一人あんなところで降ろしてしまわなければ。……いえ、そもそも送って行かなければ……今回の一件は回避できたことだと……っく!」
ビシッとポマードで髪の毛を片方に寝かせてた頭、その先端を長閑に向けた状態で理解できない内容を叫ぶように謝罪する運転手。
病院で車に乗り込む長閑とマリのドアを開きに走ってきた時に一瞥した程度の認証状況であったが、彼の清潔感は頭に刷り込まれていた。
背は百七十センチほどあるマリをゆうに越す高さで、そのシュッとした出で立ちに〝いかにも〟なスーツ姿と白手袋。顔は落ち着いた雰囲気ほど歳は重ねておらず、口髭を除きじっくりと見れば意外に若い。
「お怪我はありませんでした……か、と聞くのは愚問ですね……お怪我ございましたんですもの……グス……」
(な、な、泣いてるぅ……どういう関係なのだろうか。やっぱ執事的な? でも、この子の姉さんのマリって人よりは、なんか少しはあったかさはあるな……)
長閑は運転手の肩をポンポンと軽く叩いて、頭を上げることを促す合図をする。すると運転手は更に距離を詰めて抱きついてきた。
(な! どういう行動だ!)
「うぐっ」声にならない呻きをあげ、目を見開く長閑の顔の横に運転手の顔が近付いてくる。何かひょっとしてと危機感を覚え初めた長閑だったが、次に運転手から発せられた耳元での言葉に眉をしかめた。
「タエちゃん、今回もあれ成功しましたか? 僕が数値を確認したところは異常はなかったと思います。タエちゃんが入院されるほどの怪我をって聞いた時は〝能力〟の影響よりそっちのが心配でしたが……グス……やっぱりご同行すべきだったと後悔してもしきれません。それに……あの場所に居た男性……」
長閑は最後の〝男性〟という言葉にピクッと片眉を浮かす。運転手はそう言って耳元でまた鼻をすすりながら泣き出した。
どこまで知ってるのか、何か情報を教えて貰うためにもこの人にある程度のことを打ち明けた方が良いと考えた長閑は、
「あ、あのぉ……わ、わ私、覚えていなくて。そのぉ……その居たって男性なんですが……」
両肩を持ったままの運転手は会話を遮り、そのまま見開いた目付きの顔でヌッと長閑の真正面に出てきた。
「え? 覚えていない……んですか? 何をどこまでですか? あ、それとも数ヶ月前の成果が出た時のことですか?!」
(なんの話をしてるのやら……)
「いえ……ぜ、全部です。入院からこっちの……家族のことも、生活のこと、人物のこととか何もかもです……あとそれと男性……」
「ぜ、全部です? 研究内容も忘れているってことは……あ! まさか僕のことは覚え、てぇ……ます、よ、ね?」
マシンガン独り言で一番聞きたい質問をまたも断ち切られ、運転手は自身の鼻に人差し指を置き、懇願するように質問してくる。それを見て長閑は静かに首を横に振る。
「そぉぉぉぉんなぁぁぁぁぁ!」
今度はその場に泣き崩れ、長閑の足元で地面をグーで叩き、悶え出した。
「あ、いや、お医者様の話では、一時的なものらしいのでその内に戻るだろうって……言ってました。あとそれと……」
その言葉を受けた直後、ピタリと泣き止み、動きも停止。ババっと立ち上がって顔を近づけてくる。
「お医者さぁまぁ? タエちゃんがあんなに嫌ってた医者に〝様〟を付けて呼ぶなんて……」
運転手は半身になり横顔のまま目を細めて訝しみ、タエこと長閑を横目でジロリと見ている。
(う、うわ、バレた? 何かヤバイこと言ったのか……ど、どうしよう)
「いやあのその」
ドギマギする長閑をジロリと凝視し、上から下まで視線を巡らしたのち、パッと晴れた表情に戻った運転手は笑顔になり、
「そうみたいですね。仕方ないです。では、一度仕切り直しに自己紹介しておきますね。僕の名前は〝久慈京介(くじきょうすけ)〟。この家の運転手兼、タエちゃんの実験のアシスタントもしています。よろしくお願いします!」
両手の握り拳を腰に当てて、その格好に不釣り合いな、今時、誰もやらないポージングで小学生のような自己紹介をする久慈を見ながら、長閑は密かにタエの素性が気になり始めていた。
「タエ、何してるの? 早く中に入ってきなさい」
マリの冷めたトーンの大声が駐車場の向こう側から聞こえてきた。
「タエお嬢様また後程です。わたくしはマリお嬢様を会社にお送りしないといけませんので」
反るような形の掌を額に当てて、敬礼のポーズをしながら業務口調で久慈が別れの挨拶をする。長閑はとりあえず今回はここで置いておいて、久慈に一礼して駐車場の奥の壁に設置されている家の入り口へと向かった。
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