13

 今思えば、親がいなくなり、闇にまみれて洞窟を彷徨った、その時にやっと見つけた泥水が生きてきて一番美味しかったかもしれない。生きたいと思えていたあの頃が。


 シエンシアス王子とリアマの恋物語は幼いハルモニにとって憧れだった。


 純粋な闇であった父親がシエンシアス王子とともに虚無の柱の結界の構築に携わる。そういって家を空けたのは私が七歳の頃。だが、母親の不安は的中し、結界の構築中に父は帰らぬ人となった。

「お母さん?」

「ハルモニ……」

 耳を押さえてしゃがみ込む、黄金の髪と瞳の母。

 純粋な光属性の母の耳には漆黒の痣があったけど、血の気が引いた母が力を失ったように手を下ろすと耳は綺麗な肌で痣があったのなんて嘘のようだった。

「いいこと、ハルモニ。夜になったら光を避けて洞窟に逃げ込みなさい。日中は絶対に光を浴びては駄目よ。そこにいたらそのうち助けてくれる」

「お母さん?」

「ごめんなさいね、お母さんの加護はもう消えちゃうのよ……」

 「守ってあげられなくてごめんね」と、泣き崩れた母は、私の首に下げられたネックレス、その石を手に乗せて言い聞かせた。

「いい? ハルモニ、この石は絶対に手放したらだめ。万が一、光に当たりそうだったら、この石をぎゅっと握っていなさい。それと、誰かに属性証明カードを出せと言われたら、そうね……逃げるときに落としたって言って、絶対にこの誕生石は見せたらダメよ」

 それから沢山言われたが、結局母の言葉は止まることはないまま、日が暮れ、家の明りではどうにもならなかった母は、そのまま外の闇に呑まれて消えた。

 それが合図。

 日が昇る前に身を隠さなくては。

 あてはある。

 父と何度か探検したことのある場所。こうなることを見越して教えていてくれたのかは定かではないが、とにかく、光が一切入らない洞窟に急いだ。一体誰が助けてくれるのかは分からないけど、ここで待て、と言われた。

 一日しか経っていなくても飢えはやって来た。でも、外に出ると月明かりに体が切り裂かれそうになり、洞窟の奥からは動けなかった。暗い所で手探りで水を見つけた時には、ざらつく舌ざわりに戸惑うこともなく一気に水をすすった。

 洞窟の奥、もっと奥に。そう足をひたすら進めると、思いがけず、雨の匂いが鼻を突いた。気のせいか、鳴り響く雷鳴が洞窟内に反響しているようにも思えた。雨なら、水が沢山ある、星も出てないかもしれない! 洞窟の奥に行こうとして反対側まで来てしまった私はそのまま外へと駆け出てしまった。灯りも何もないその空間は、洞窟とは違ったけど開放的でやっと生きていると実感できた。瞬間的に昼間の様相を呈する雷の光だけは、私にも耐えられた。

 ふと、誰かに呼ばれている気がして。自然と足が動く。その不思議な感覚にずぶ濡れになりどこへ向かっているかもわからないが、ひたすら従う。やることなんて何もなく、行くあてすらもない。でも、向かった先にあった物を見てほんの少し心が躍った。

「お墓……?」

 父から聞いたことがある。アンデッドは足りない闇を補うために生まれてくれる優しい人たちだと。父はそんな彼らと意思疎通ができて、それを闇の意志だと言っていた。そんなアンデッドの眠る墓地。その中で、誰かがコソコソ動いた気配がした。

「誰かいるの……?」

 もしかしたら父さんかも知れない。そんな淡い期待に足を踏み入れる。父さんでないにしても、アンデッドが起きているかも。そうしたら、私は一人じゃない。自然と駆けだす足が水音を立てた。すると、明らかに自分と違うタイミングで水音がした。

(やっぱり誰かがいた!)

 墓石ばかりが並ぶ墓地。決して高くない墓石、なのに人が見当たらない。一体どこだろうか。

 すると、立ち止まった自分の背後から、パシャ、と水音。

「誰――」

 後ろを振り向くと、懐かしいけど今は恐怖の対象でしかないものが目に入った。思わず、母に言われた様に、胸元の誕生石を握りしめた。一人でないと喜んだほんの数分前。そこからここまで突き落とされるとは思わなかった。心臓がイタイと、皮膚が裂けると悲鳴を上げ始めた。それでも逃げられなかったのは、その子が嬉しそうに言ったからだ。

「君が闇の子? ハルモニでしょう? 会いたかった!」

 同い年くらいの男の子。黄金の髪と瞳を持つ、母と同じ光の純属性。その子が足音を立てて近寄る度に、裂けそうだと悲鳴を上げた皮膚は、私のモノでいるのは嫌だとばかり、離れようと薄くなる。手のひらと闇との境界がぼんやりしてくると、熱感が肌を襲い、消失するのが嫌なら逃げろと訴えてくる。肌に当たる雨粒など拷問で、石か弾丸でも撃ち込まれているかのような痛みが食い込み、出したい言葉は出なかった。「私も会いたかったと」。

 流石に私の異変に気付いた彼は足を止め、「あ……」と、動けずに固まった。

「イルミナ!? なにしてるの!」

「お母さん! お父さん!?」

 私の両親とは真逆の彼の親。純属性の闇の母と光の父。血相を変えたのは闇の母親だ。私に駆け寄った彼の母親のおかげで少しだけ楽になった。父と同じほのかに優しい香りに、ほんのちょっぴり心は落ち着いた。ひっく、と泣いた私を抱きしめてくれると、少しだけ肌の痛みも減った。それでも、はがれ始めた闇は逃げていく。母の言ったとおりに誕生石を握ってもこれ以上楽にはならない。

「あなた、ハルモニね!? どうして洞窟からでてきちゃったの……」

「だって、一人は、寂しい……」

「そうね、ごめんなさい、来るのが遅くなって」

「どうして? 私の名前、知ってるの?」

「闇はね、ハルモニしか名前を許さないのよ。貴方のお父さんの名前もそのはずよ。わたしもそうだしね」

 体から皮膚をめくりあげて逃げていく私の闇。スピードが遅くなっても、私が消えることには変わりがない。男の子をチラ、とみると、父親に肩を押さえられながら泣いていた。

「あのね、あの子に教えてあげて。私もね、会えてうれしかったの。だから、あの子……、イルミナ? 怒らないであげてね」

 少し彼を見ただけでまた闇が吸い上げられて行くスピードが変わった。それを見て彼がどうしたかは分からないけど、「イルミナ!?」という彼の父親の声と、私の心臓が次第に動くのを止めそうになったのからするに、彼は近づいてきたのだろう。

「お前が近づくと彼女が消える!」

「でも……!!」

 騒ぐ二人を見た彼の母は至極申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさいね。本当ならイルミナと加護をかわせたらいいのだけど……、今のハルモニにはそこまで力はなさそうね。お父さんから、闇の力の使い方、教わった?」

「……ううん、ごめんなさい」

「貴女が謝ることないのよ。貴方のことを知られないように、大事にご両親が育てたのが目に浮かぶわ。私がそうだったしね」

「どういうこと?」

「貴女、属性証明カードがないでしょう? 誕生石がそのままだものね」

「うん、私が生まれたの役所に言ってないって。だから、学校にも行けないって言ってた」

「……管理機構に知られたら、連れて行かれちゃうからね。まあ、その役目は、うちのバカ息子にやってもらいましょう。闇を消しかけるだなんて、本当、罰当たりなんだから。いい、ハルモニ、この世は闇が主権なの。闇が願わなければ何も始まらないわよ。だからね、こういうの――」


「『いくばくかの螺旋の後に混じり合う、我ら対極ながら可変な存在なり。主権たる闇の主がそれを是かと問うたなら、光はどう応ずるか』」

 耳打ちされた言葉をそのまま口にすると、向うでイルミナが父親に耳打ちされていた。

「『応えます、我も是と。ですが、一部は我らがために不変であれと願います』」


 すぐに私から離れた彼の母親。それと共に胸の苦しさも、何かが持って行かれる感覚もなくなった。ほんの少し体が重い。でも、生きていくうえでその体の辛さなど気のせいで済ませられる、そんな微々たるものだった。

 それとは対照的に向こうで倒れ込む男の子。駆け寄った母親が抱き寄せた、その子の髪は漆黒で、信じられないものを見てしまった私は思わずネックレスを握りしめた。そして気づく、自分の誕生石が黄金に輝き、肩から落ちる髪の毛も黄金に色づいていた、一部の漆黒の束を除いて。

 会いたかったはずの彼は目を開けない。自分が一体何をしてしまったのか、それが分からず、誕生石を握りしめて震えていると、人生で、はじめて足元に円が描けた。力の使い方なんて教わってない。しかも、元々の自分の力ではきっとない。私の力は彼にわたって、だから彼は今倒れ込んでいる。黄金髪の自分が立っているのが、たった一筋残った漆黒髪のおかげなら、結局、彼の返した言葉に救われたのだろう。でも、残った髪の一束の差で彼が倒れてしまうなら、こんなことしなくてよかったのに。

「ごめんなさい……」

 そう、初めて開いた魔環に、黄金瞳から初めて流した涙が落ちると一色に染まってしまった。

「ごめんなさい!」

 使い方が分からない力。きっと、向うで倒れている彼が今まで培ってきた力。発光と共に周囲を包むと、慌てて駆け寄る彼の父親だけがその視界の中で動いた。でも、それが次第に緩慢になると、私のもとへとたどり着く前に消えてしまった。

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