魔法管理機構の地下施設。そこは魔法による犯罪者の一時的な収容所。鉄格子ではなく、一部屋ずつ鉄の扉で仕切られた場所だ。

 意外にも明るい廊下を、左右の部屋番号になど目もくれず、イルミナは一人で目的の部屋へ一目散。もちろん、その後をハルが追ってくるなどということは、ない。

 リアマが捕縛されたと聞いて、勿論ハルはリアマを庇った。彼女も他の魔導師連中に手傷を負わされた、きっと利用されただけだと。

 他の魔導師連中とともに連行されなかったのだから、クリーマやリガーテにとってもそれは既知の事だろう。フラムやリクオルに至っては、道端の魔導師からハルが目的だったと聞かされている。だが、許可練習場の地面に他の魔導師の属性証明カードと共に仲良く突き刺さっていたリアマのソレは、仮にも仲間であるという事の動かぬ証拠。

 面会に行くといってきかなかったハルには申し訳ないが、彼がやたらと無暗に騒ぎ立てても事態は好転しない。だからこそシエンシアスにハルを押し付けて、クリーマたちよりも早くリアマに会いに来たイルミナだった。

「あんな場面、私だって見たかったわけじゃないのよ」

 目的の部屋の手前でドアノブに手をかける。その寸前で、数刻前のシエンシアスとリアマの様子がフラッシュバックした。目に焼き付いて離れないリアマのすがるような目は、ずるずるとイルミナの記憶を引っ張り出し始めてしまった。

 胸元に入れているシエンシアスとの写真。イルミナはそれを服の上から押さえて、「大丈夫、まだいける」そう微かに空気を震わせて、引っ張り出された記憶を逆らうことなくもう一度なぞった。




「シエンシアス王子には仲の良いお嬢さんがいるのよ」

 夕飯の後、今日の事を思い出したように、黄金の髪と瞳をした母は、嬉しそうにそう言った。父と一緒にシエンシアス王子に会いに行ったとき、ちょうど二人で遊んでいる場面に出くわしたらしい。もっとも、シエンシアス王子とそのお嬢さんはお忍びで街に遊びに行ってしまい、謁見に行った父と母は街中を大捜索したそうだ。

 一方の私は大人しく家でお留守番だった。同い年の子は、皆初等部の二年生。でも、私は家で勉強を教えてもらっている。それが少し寂しい。

「王子のお相手は貴族のお嬢さんだけど、少し爵位が低いのよね」

「爵位、が低いとどうなるの?」

「ずっと一緒にはいられないかも知れないわね」

「えー! そんなの、かわいそう……」

「でも、シエンシアス王子は、お優しくて才気あふれる多彩な方だから、そんなの気にしないでしょうね。きっと、誰より大事にしてくれるわ」

「そうなの!? 素敵! かっこいい!」

「あなたにも、そういう相手がいるのよ?」

「私にも? 誰!? どこにいるの!?」

「今頃どこにいるかしら……。でも、そのうち会えるわ」

 そう言って母に頭を撫でられた。

 王子様の隣には、王子様が誰より大事にする女の子。その関係に憧れた。そして自分にもそういう相手がいるという事実は、子供の私にはその本当の意味は分からずとも、胸躍るものだった。シエンシアス王子の隣にいるのは彼が大事にする人。それが憧れだった。自分には、父と母のようになれる相手を、子供心にそう思った。

「お父さんは?」

「シエンシアス王子のお手伝いでしばらく帰ってこないわ」

 大丈夫かしら、と心配する母。父が家を空けることなど珍しくはなく、特にその時は何とも思わなかったが、母の様子は、今までとは違っていたかもしれない。思い返せばの話で、今となっては後の祭りだ。

 何事もなく夜も更け、朝が来た。そして、その日もいつもと変わらぬはずだった。

 でも、母の心配は的中し、シエンシアス王子のもとに行っていた父は帰らぬ人となり、母もその日のうちに息絶えた。ほどなく教会で保護された私は、その後、その光属性の強さでアンデッドを消し続けた。

『もらった光属性』、それに刻まれた力の使い方は、一度も使ったことがない私でも容易に再現できてしまった。

 両親が急にいなくなり、アンデッドを消すことを求められる自分がよく分からない。

 アンデッドを問答無用で消していいのだろうかと、雷雨の中立ちすくんでも誰も迎えになど来てはくれない。終われば自分で這ってでも帰らなくては。

 決して悪ではないアンデッド。死してもなお殺すことに嫌気がさし、気づけば、食べ物の味もしない、咀嚼も面倒。寝ているだけで生きていられるなら、アンデッドとかかわる以外は全て眠りについていたい。次第に水すら飲むのもおっくうになる自分の体は、きっと生きることは望んでいないのだろうと、そう気づいた。それでも、母が死の前日に語ってくれた王子様の恋物語と、「自分にもそういう相手がいる、どこかで待っていてくれているはずだ」。その願望が飲食物を口にすることを許した。

 両親が死んで三か月。アンデッドを消し始めてほぼ同じくらいが経った頃、教会はとある人物の来訪を迎えた。

 それは例のシエンシアス王子。母が言っていたように、多彩な王子。銀髪は五色の素質をすべて持つことを示し、金瞳は光属性を示す。影以外の要素のない多彩な王子は開口一番こう言った。

「ごめんなさい」

 急に頭を下げた王子から、父が死んだことが彼のせいであると聞かされた。

「探すのに時間がかかってごめん。これからは僕が君を守る。これが、君のお父上から預かったものだ。この中に、お父上が君に伝えたかったことが全部書いてある」

 そう言って彼は、父の形見を差し出した。だが、正直その時、形見などは目に入らなかった。私にとって最も大事なこと。それを無に帰すシエンシアス王子の言葉。そんな彼への私の反応は拒絶しかありえない。


 私が憧れた王子と女の子はどこへ行ったの?


 簡単に大事な女の子を手放してしまえるシエンシアス王子に嫌悪感は抱いたが、彼が両親の事で悔いているのもまた事実。そして、教会は私をシエンシアス王子に差し出すが如く追い出した。王家の権力には逆らえないのか厄介払いか、その真偽はわからない。なんせ、教会の人の顔なんて覚えていないのだから。

 表向き、シエンシアス王子の婚約者『候補』として迎え入れられた。

 ガラリと変わった日常、迫ってくる人間、向けられる視線。そのどれもが耐えがたかった。

 すでに自分の憧れた王子様の恋物語は存在しない。もしかしたら、私の相手も、もう私の事を待っていてくれないんじゃないか、いや、きっとそう、そうとしか考えられない。

 数か月間は自分を助けてくれた思考は、今度は自分を突き放しにかかった。逃げ出して、消えてしまいたい。それでも、シエンシアスを始め、王家は私を生かそうとする。

 生死の選択肢を取り上げられた日常に、生きる上での楽しみなんて何もなかった。

 第四大陸で発生するアンデッド事件、それに駆り出されるごとに、「彼女は魔導師か、いや違う、じゃあなんだ?」と騒がれ、ついた呼び名は教会出身ということもあり『聖女様』だった。民衆の支持を圧倒的に得た私を公爵家が養子として迎え入れる方向が定まり、『候補』の文字は外れてしまった。

 正式にシエンシアスの婚約者として発表されたのは今年の二月。シエンシアスのもとに来て八年たった頃だ。その間、お人好し、責任感、罪悪感、何から来ているかは知らないが、シエンシアスはよく私の面倒を見た。お節介なほどに。

 食べろとしつこく言ったかと思えば、たまにそっとしておいてくれたり。それでもあの手この手で水やお茶だけは飲ませようとしてくる。そのうち、誰かといると極端に食べないし水も口にしないことに気づいたらしく、日替わりに部屋の前にお茶が用意されるようになった。王家が用意した従者の数を減らしてもくれた。特に、身支度を自分でさせてもらえたのはありがたかった。学校に通うことがなく遅れていた勉強も、宮廷教師の賜物で恥ずかしくないくらいには知識も教養もできた。人として、いや、王子の婚約者としてなんとか形になったころには、いっちょう前に、美味しくないながらも必要な場ではご飯は食べるし、飲み物も口にするようになった。

 思考はどうあれ、人としての生活に慣れた頃にはシエンシアスとの関係は良好なものになり、周囲からすれば、私たちのやり取りは祝福の対象だった。

 だがそれは、生死を選ぶことがなくなったのか、それとも選択肢を取り上げられたままなのか。それは分からなかったけど、相変わらず飲食物を美味しいとは思わない。

 特に、王様だかのお気に入りで毎朝用意されている固いパンなんて、ただただ口が痛いだけだった。

 二月に正式に婚約が発表されたのを、何故だかそこまで反発することなく受け入れた。何かが、どこかで壊れた気がするが、その壊れた何か、それさえなければ、シエンシアスの隣にいるのが自分であっても、幼い自分も納得するかもしれない。現実に蓋をしたかった。

 でも、『彼女』はそうさせてはくれなかった。

 婚約発表の後にあった公式行事。バーミセリと隣国マカロの合同訓練。そこに集まった魔導師達。そのとある一角を、時々シエンシアスが見ているのに気付いた。視線の先に毎回いる、赤髪の魔導師。私だって、昔その名前を聞いては何度も調べた。それは、王宮にいれば耳にする名前だった。


『シエンシアス王子と仲の良かった伯爵家のご令嬢。あの一帯の国境整理で、今はマカロへと籍を移した。影の評価者を養子に迎え入れたことも要因』。そう言われていた、ダンジェロ家のご令嬢『リアマ・ダンジェロ』。


 そこで、一度崩れた何かが、もぞもぞと音を立てて盛り上がり始めた。それは今でも大事に持っている写真を手に入れたときに、ハッキリとした形に戻った。

 マカロの国王の名代で来ていた第二王女のブリッサ様。明るく朗らかな彼女は最近写真というものに興味を持ったらしい。

「描いていただく肖像画も勿論素晴らしですが、良くも悪くも嘘偽りなく瞬間を切り取れる写真は素敵です」

 そう言って撮影禁止以外の場面で自らカメラを握るブリッサ王女は実に生き生きしていた。「嘘偽りなく」と、ブリッサ王女は言った。でも、その時の私は、「その場で取り繕ってしまえばずっと嘘が残るのに」と、ただただ彼女の要求に応じ、自分でも虚実が分からない笑顔を張り付けてシエンシアスと並ぶだけだった。

 そして、後日、ブリッサ王女から一枚だけ写真が送られてきた。

 その写真を見て最初は笑顔だったシエンシアスは次第に顔がこわばり、写真を胸に抱きしめた。

 その仕草に触れていいか迷ったが、「リアマ」とシエンシアスが呟いた声に迷いなど吹き飛んだ。

 渋るシエンシアスから強制的に写真を取り上げた。

 それは魔導師たちを背に、シエンシアスと私が二人で写っている写真。

 数多いる魔導師達に混じってもなお、ハッキリと憎しみを宿して睨みつける黒い彼女の瞳は、私に向けたものだろう。まあ、シエンシアスに向けていてもどっちでもいいが、その瞳からは私たちの事を歓迎していないことだけがよくわかる。

『良くも悪くも嘘偽りなく』と、ブリッサ王女はよく言ったものだ。

 シエンシアスの思いもリアマ様の思いも、何も変わっていなかった。

 異国の王子に会うなど簡単にはできない。その為に、学生では難しい魔導師資格の取得、それをこなしたのはリアマ様の思いの強さゆえだろう。

「殿下、申し訳ありませんが、この写真は私が預かります」

「……イルミナ?」

「このために私は生きてみせます、殿下」

 一度崩れた、母が言っていた王子さまの恋物語は復活した。それを実現させるためには、邪魔をした私が動かなければ。

 それが終わったら、もしかしたら私の相手も戻ってきてくれるかもしれない。

 そして、彼が忘れていた過去を思い出したときに、少しでも私を許しくれるかもしれない。

 本当に戻したい過去はどうやっても変えられないのだから。




 胸元から手を放し、イルミナは気持ちが変わっていないことを確認した。

「よし、いくわよ」

 ドアの横で待っていた警護の者が鉄の戸を開けた。一人中に入ると、そこには鉄格子があり、簡易的に備え付けられている最低限の家具。そこで、ベッドに横たわっていた彼女が勢いよくこちらを見た。

「失礼します、リアマ様」

「……イルミナ様、なぜ貴女がここへ!?」

 写真とは比較にならない怒気をはらんだ目で睨みつけられても、その感情はイルミナが間違っていなかったと証明してくれるものに他ならない。そう思えば、何の痛みにもならない。むしろ、イルミナがやることが間違っていないと全力で後押ししてくれる。「ふふ」と思わず笑いがこぼれ、それが彼女を刺激した。

「何しにいらしたんです!? 私を嘲笑いにでも来たんですか!?」

 ガシャン! と鉄格子を揺すり、限界までイルミナに近づいたリアマはそれに言葉が続かず地面にへたり込んだ。

「笑みが漏れたことは謝罪しますが、別に嘲笑っておりません」

「……」

「すべてはシエンシアス殿下のためでしょう? 魔導師資格をとったのも、今回の『右肩黒』の研究も」

「……もうしませんよ、あんな無茶なこと」

「どうしてです? もうちょっとうまくやれば可能だと思うんですよ。その話をしに来たんですけど」

「何をおっしゃってるんですか!? あの魔法は――」

「融合魔法は禁忌ですね。それくらい知ってます。しかも、七属性の融合だなんて無茶、どうしてあなたが考えついたのか、その答えはいたって単純です」

 リアマの肩が盛大に揺れた。間違いなくリアマにとってイルミナは自分の思いを一番気付かれたくない相手だ。

「な、何を……」

「シエンシアス殿下がその魔力の大半を割き、かつ、この世界で七属性を必要とする場所といえば『虚無の柱の結界』です。それを、殿下が負担をしなくても、いえ、負担をなくすのは難しくても少しでも減らせれば、そう思ったんじゃないんですか?」

「それは……」

 先ほどの怒気をはらんだ目はなりを潜め、静かに下を向いた。鉄格子を握りしめていた手も力が抜け、自重で、ズル、と膝の上に置かれた。

「そう、です。いえ、そうだとしても、やるべきことじゃありませんでした。ハルを危険な目に合わせて……。結局、シエンシアス殿下にも軽蔑されて……」

「……呆れた、本人から何も聞いていないのに分かった風に言うだなんて。八年もシエンシアス殿下と会ってないのでしょう? その間に、あの人は大分ひねくれたから、外見の言葉から内面を素直に推測するのはやめた方がいいですよ」

 シエンシアスをよく知っているというイルミナの言葉にリアマは、下を向いたまま軽く笑った。

「……そうね、ずっとそばにいたのは貴女ですものね、婚約者様。随分――!?」

 ガシャン! と音を立てて、今度はイルミナが鉄格子に手をかけた。リアマと同じく地面に腰を下ろし、顔をあげたリアマとイルミナは真正面で視線が交わった。

「そうなんです! だから、シエンシアス殿下の考えはよく分かります。本当だったら、今すぐここに来たがっていることもよく分かります。彼ならきっとこう言うでしょうね。『僕のことはいいからリアマやハルに危険が及ぶようなことをするな』って。『もしかたら、どんなに離れていても君が好きだ』くらいは言ってくれるかもしれませんけど、そうじゃないんですよ。だって、リアマ様は自分のためにやってますもんね。っていうか、そうじゃないと困るんです!」

「え?」

「シエンシアス殿下の傍にいるために自分がどうするべきか分かってください。リアマ様はそのままでいいんです。今のその考えのままで!」

「な、なにを?」

「だってそうでしょう? 私がいなくなったあと、シエンシアス殿下の隣にいるためには、それ相応の実績がなければ! そうじゃないとどっかの貴族令嬢だかお姫様だかがシエンシアス殿下の婚約者におさまっちゃうわ! そんなの許さない! 殿下を助ける幼馴染の婚約者、素敵じゃない!」

「ちょ――」

「大丈夫、シエンシアス殿下が何といおうが、ハルが邪魔しようと、私が最後は何とかするわ」

「それを、イルミナ様が自分の手柄にするのかしら……?」

「まさか! 確かに、王子様の恋物語には憧れたけど、それは今のシエンシアス殿下と私じゃないのよ。私はさっさとこの件を終わらせて、自分の相手に出会いたいわ。そうだ、これ見て、この写真!」

 イルミナは胸元から一枚写真を引っ張り出す。勿論、二人と魔導師達が写っている写真だ。それを見たリアマは、一瞬険しい顔をしたが、すぐにその腕が鉄格子の間を抜けてその写真をイルミナの手からもぎ取ろうとした。イルミナはリアマの行動を反射的に避けはしたものの、『ビリ』と、その半分を持って行かれた。

「あら、ま」

 落ち着いているイルミナに対して、シエンシアスとイルミナの写っている部分を握りしめて威嚇しているリアマ。そんなリアマに苦笑いしつつ、イルミナは自分の手の中に残ったリアマを見た。

「『そっち』はお好きにしてください。私の部分は切り離して煮るなり焼くなり好きにして構いませんよ。私には『こっち』があれば十分です」

 写真を胸元にしまったイルミナに、「分からない」と、リアマがそう微かに呟いた。かろうじてイルミナの耳にも入ったが、特に反応しなくても追従する言葉は出てこないところを見ると、彼女の自問自答の一部が口に出たのだろう。それ以上はどちらも口を開くことはなかった。

 コンコン

「……どちら様です?」

 沈黙した空間に、ドアをノックする音が響く。イルミナが返事をすれば、丸い顔だけが入って来た。少ししかドアを開けていないところをみるに、後ろに何かがいるのだろう。

「イルミナ様、我々もよろしいですか? って、何故床にお座りに?」

「それはお気になさずに。どうぞ、クリーマ様。と、あら、リガーテ会長に……、まあ何故でしょうレフレ様?」

 黒髪の重鎮、魔導師協会会長リガーテが直々に会いに来た。その事実はリアマにとって身に迫る分かりやすい恐怖だ。しかも、特大の。

 リアマが写真の半分を胸に抱きしめた。イルミナの部分はどうだか分からないが、シエンシアスがリアマの支えになってくれれば、写真も破れてしまった甲斐があるというものだ。イルミナがレフレの隣に移動したことで、クリーマの口が軽快に動き始めた。

「いやあ、聞いたよ。リアマ・ダンジェロ。君、ハルに一度申請書類を見せたんだって? それをハルが無いものとして扱ったようだけど? 僕たちに報告もなかったし」

「それは……」

「これが事実なら、ハルも評価者としては不適切だ。その資格と権限をどうにかしないといけない。幸い、影の評価者はいてもいなくても魔法には影響はないからね。今までも間欠的に出てきていた影だから、ハルが不在でも問題はないよ」

「待ってください! あれは私が勝手にハルに見せただけで――」

「でも、無かったことにする、と言ったんだろう、ハルは?」

「いえ、それは、私が無理やり……」

「見た事実は、事実だろう。右肩黒の研究を見たら報告義務があるからね。それに、評価者でない方が、ハルは静かに暮らせるかもしれない。もっとも、ダンジェロ家もその家名に泥がつくとなれば、ハルの今後はどうなるかは分からないが」

 一人でペラペラよく喋るクリーマの隣で静かにしているリガーテと、噛みつきそうな目でクリーマを見ているレフレ。レフレがハルの処遇をどうのこうのと言われてもギリギリ噛みつかずに待っている。ハルが人一倍心配なレフレにしては意外だ。リガーテがいるからか、それとも三人で事前に擦り合わせ済みなのだろうか。いずれにしても、クリーマ・アシュッタは食えない人物だ。

「ハルはあの体質だから日中働くのも魔法を使って何かするのもできないし、生活に困るかもね。ダンジェロ家も、元々国境整理でこちらに編入された土地と家だ。まだまだ浅い家柄を国王もどこまで気持ちをおさきになるか……。どう思う、リアマ嬢?」

「……どうすれば、ダンジェロ家とハルに害が及ばないように、私だけの罪になりますか……」

「理解が早くて助かるよ。囮になってくれればいい。君が無事釈放されれば、奴らは間違いなく君を攫いにやって来る。今度はその体が目的だ。一度魔法の融合を仕掛けたその体、十分な研究資材になる。魔法を発動した経験は全てが糧になるからね」

「え?」

 あっけらかんと言ってのけたクリーマにリアマが顔を青ざめると、それに拍車をかけたのはリガ―テだ。

「右肩黒の者ども、今回の件が失敗しようと成功しようと、お前をいずれは殺すつもりだった」

 一瞬にして真っ白になり自分の肩を抱きしめたリアマを、上から抱きしめたやりたいイルミナだが、いかんせん鉄格子が邪魔すぎる。早くここから出してシエンシアスに会わせてもやりたいが、今はその時ではない、と自分に言い聞かせた。

「リガーテ会長、そんなに怖がらせないでください。まあ、平気だよ、護衛はこちらで付けるから。そしてそれが終わったら、もう一働きしてもらうよ、レフレと一緒に」

「……何を、するんですか?」

「魔法の融合の研究だよ。魔法管理機構と魔導師協会公認の『右肩黒』としてやってもらおうと思って」

「……協会と機構がそんなことに手を染めるんですか? そんな、夢物語のような事……」

「そうも言っていられないんだよ。虚無の柱の監視機構によれば、最近シエンシアス殿下の結界が破られる頻度が増しつつある。その度に、殿下の体に負担がかかる。これ以上この状態が続けば、殿下はそう長くない、世界も危うい」

「殿下が!?」

 この鉄格子が邪魔だとばかり、リアマが幾度か手で押し開けようとする。勿論できるわけはなく、ただ掴んでいる手から血の気が引き真っ白になってしまっているだけだ。信じられないものを見るような彼女の顔はクリーマをじっと見つめるが、いつの間にか陽気さがなりを潜めたその表情に、「そんなの嘘」という、現実から逃げる言葉はリアマの口からは出なかった。

「……本当に、殿下を助けられるんですか」

「できるさ。だから君たちもハルを利用しようとしただろう。やることは似たような事だ。それだけ、ハルモニ・フェオ・フォルノは重要なんだよ。そうですよね、イルミナ様」

 イルミナが当然のごとく頷くと「「フェオ?」」という二人の声が重なった。リアマは、先ほどからの衝撃の連続で「フェオ?」と固まってしまった。

「待ってください、フェオって、ミドルネーム フェオ家 のことですか? ハルが!?」

 リアマの分まで驚いたレフレは、言葉を発したクリーマよりも、それを当然のごとく受け入れたイルミナに迫った。

「どういうことです、ハルがミドルネーム フェオ家だとは!?」

「そのままです、『闇』そのものですから」

「でも、ハルの属性証明カード、今まで何度も見たがそんな名前は刻まれてなかった!!」

 己で見たものを信じるのは当たり前だ。

 属性証明カードは、この世で決して偽ることのできない己の存在そのもの。そこに刻まれるものは、何一つ偽ることなどできない。特に、その名と生まれた月日と属性は。

 この世界では、赤ん坊は生まれた瞬間は魔法の力としては皆等しい。全員目を閉じ髪が白い。本当は透明だが、光の乱反射でそう見えるようだ。

 赤ん坊には生後三日以内に名がつけられる。そしてその名前が属性の神に受け入れられると第一属性の色が髪に、第二属性の色が瞳に現れ初めて目を開く。すると、絶対に抜けないといわれる髪が一本だけ抜けて誕生石になる。

 誕生石には名前、性別、生年月日、属性が記録されており、それを役所に出すことで属性証明カードを貰える。以前は、カードには名前を刻み、誕生石はそのまま返却されていたが、今では属性証明カードに表示される名は誕生石に刻まれた内容をそのまま投影している。誕生石とは、カードに埋め込めるくらいの、ほんの小さな石なのだ。

 もし、ハルが属性の神からハルモニという名と共にフェオ家のミドルネームを与えられているならば、属性署名カードにその名がないのはおかしい。もしそれができるとするなら可能性はただ一つ。

「まさか、グルになっての隠蔽ですか?」

 魔導師協会と魔法管理機構、魔法に関する二大派閥が手を組みフェオ家を隠す以外に方法など考えられない。

「……」

 リガーテの無言と、笑っているクリーマからするに、レフレの結論は事実と相違ないだろう。問題は何故そんなことをしたか、だ。

「評価者は生まれつき有色の髪と瞳を持つんだけど、神は己の評価者たりえる人物には、特定の決まった名前しか許さないんだ。それが複数ある神もあれば、闇みたいにミドルネーム込みで『ハルモニ・フェオ』しか許さない神もいる。以前は、他の評価者の親も好きな名前をつけようと色々試みたみたいだけど、結局、三日たっても名前が決まらないことが多かったから、今は、評価者には特定の名前を付けてもらうようにこっちからお願いしているんだ」

「でも、隠蔽しなくても……」

 「いいじゃないか」と、言いかけてレフレは口を閉じた。闇の一族のミドルネーム『フェオ家』。その境遇は不遇だ。アンデッドを作っていると噂され、恐怖と共に差別の対象になってしまう。先にハルを知っているからこそ、「そんなこと」と思うレフレだが、果たして順序が逆でもそう思えただろうか。

「フェオ家は昔から色々言われてきた家柄だから、何かある前に隠そうって話になったんだよ」

「……それで、ハルがどう重要なんですか」

「影、もとい『闇』が重要なんだよ」

 影の評価者、その呼び名は、遥か以前は『闇の評価者』とよばれていた。

『光』と呼応できるその『闇』はこの世界の基盤となる。大地にも海にも空にもどこにでも闇は存在し、そこにあって当たり前のものだ。五色や呼応する光と比べても、自然界での存在比率を圧倒的に上回る闇。それだけ多く存在するからか、神の代弁者たる評価者が不在になると不安定となり使えなくなる魔法属性があるにもかかわらず、唯一評価者の影響を受けないのが闇である。今では影と言い換えられているがその本質は変わらない。

「本当の『闇の評価者』である、『ハルモニ』と名を認められた者は、闇が禁忌扱いされるようになってからは長らく不在、というか、姿を見せてくれなかった。代わりに『影の評価者』として今までいた人物たちは、主属性が闇で瞳が限りなく漆黒に近い人間を便宜的に置いていただけで、存在しない影の神とやらに認められたわけでも、まして、闇の神に認められたわけでもないよ」

 かつて第一大陸が消滅した魔法の暴走。融合の果てに闇が足りなくなり、それでも魔法を完成させようとして、大地も空も海からも闇を吸収しようとしてしまった。それ故、基盤たる闇を失ってその空間は維持できず、かといって新しく埋められるだけの闇の補充もできない。かつて第一大陸にいた『ミドルネーム フェオ家』は光である『ミドルネーム ユー家』が第一大陸から去ったのを追って消えてしまっていたからだ。そして、虚無の空間となり誰も近づくことができなくなった。

「話は簡単だ。魔法を融合させたときに闇を上手く使えば安定化がはかれる。それができれば、シエンシアス殿下の結界の維持の手助けにはなるだろう。もっと言えば、魔法の融合を試みる奴らに、闇を上手く使わせてやれば、虚無の柱の膨張も抑えられるんだけどね」

「どういうことです?」

「融合魔法を試みると、安定化させるために、魔法は自ら闇を欲するんだ。そうすると、自然から闇を引き抜く。でもこの国も、いや第一大陸を始めどの国でも、大陸や海、空が欠けたりなんてしていない。それは、闇は境界から崩れるものだからだ。魔法を融合しようとすればするほど虚無の柱は広がって殿下の体に負担がかかる」

「そんな……。じゃあ、私がしようとしたことは、殿下に負担をかけただけってことですか!?」

「ハルが上手く消したから大丈夫だ。それに、普段はアンデッドも出てくるしな」

「アンデッド? どういうことだ、イルミナ様」

 アンデッドと言えばお前だろうと、この場の誰もがイルミナを見た。黒髪二人は理由など分かっているはずなのに、「お前がしゃべれ」と顔と態度で訴えていた。

「アンデッドは、生前、影……、闇を主属性に持っていた人です。欲され自然から抜き取られる闇の影響でその虚無の柱との境界を広げさせまいと、自分を犠牲にしてくれる貴い亡き人です。撃ち抜いて、状況にそぐうだけの闇を発生させて、もし体が残ったらもう一度眠ってもらいます。そうでなければ、虚無の柱が広がるし、近くにハルモニ様がいれば、彼から無理に闇の力が引き抜かれてしまいますから。アンデッドがいなければ、今日みたいにハルモニ様が倒れることなど日常茶飯事なはずです」

 イルミナの説明に満足そうに頷いたリガーテが、リアマに命じた。

「リアマ・ダンジェロ。お前を利用した輩を捕縛した後は、魔導師協会公認の右肩黒として成果をあげてもらう。そして、あの自由人共をまとめ上げろ。そうすれば、お前の罪は全て見逃し、然るべき地位も約束しよう」

「仰せのままに! って、あ、あの申し上げてもよろしいでしょうか、リガーテ会長」

「なんだ?」

「な、何でしょうか、自由人共って」

 何かひとつ勝手に付け加えられていた。そう、おっかなびっくりしたリアマの質問に、カツ! と目を見開いたリガーテ。思わず失言をしたかと固まってしまったリアマを落ち着かせるように、クリーマが笑い飛ばした。

「ああ! リアマ嬢、気にすることないない! 質問じゃなくて、『自由人共』を思うとさすがのリガーテ会長も胃が痛むみたいでねぇ。特に、問題児二人が、帰って来たって、出がけに報告あったんだよ!」

「……えと、誰、ですか?」

「評価者たちだよ。全員集合は一年ぶりかな? 力の出どころとして、彼らに協力を仰がない手はないからね。ただ彼らは、自分基準で動くからねぇ……」

 動かなくなったリガーテの隣で、クリーマが盛大にため息をついた。




 評価者勢ぞろい。

 その言葉を聞けば、色とりどりの鮮やかな頭と瞳がうごめいている姿が目に浮かぶ。シエンシアスへの報告も兼ね、彼らの場所に向かうイルミナをレフレが呼び止めた。

「イルミナ様!」

「どうなさいました?」

 リアマはリガーテとクリーマと共に捕縛の打ち合わせに向かい、レフレも一緒だったはず。それが息を切らして追いかけて来た。

「申し訳ありませんでした」

「は?」

 駆け寄ってきて止まったと思ったら、いきなり頭を下げられた。あれだけ言いたい放題言ってきていたレフレが急に頭を下げるとは、イルミナ的には申し訳ないが気味が悪いとしか思えない。

「一体何事ですか? 新手の喧嘩の売り方ですか? どう買うのが正解でしょうか?」

「いや、そうではなく……。以前、アンデッドの事で色々と申し上げてしまったと、反省しております。ハルの為にもなっていることとは知らず、大変な失言申し訳ありませんでした」

「ああ、アンデッドを消すとハルモニ様が苦しむとか、どうして、シエンシアス殿下が私のようなものを婚約者にしたのかとか、その辺ですね?」

 そこまで気にしているつもりはなかったイルミナだが、覚えているということは、結構ダメージはあったのだろう。だが、頭を下げたまま一向にあげる気配のないレフレ。天才レフレはただただ友達思いなだけのようで、イルミナに対して嫌悪感がある訳ではなさそうだ。

「別にいいですよ。今、口に出したら頭から逃げていきましたから。レフレ様も忘れてください」

「イルミナ様!」

 そう頭をあげたレフレの顔が、パッと華やいだ。一度たりともイルミナに見せたことのない顔に少々彼女の顔が引きつった。多分、普通の女子が見たら顔でも赤くするのだろうが、イルミナ的には「やっぱり新手の喧嘩の売り方!?」と警戒してしまうものだった。

「許してくださるなんて、流石は聖女様の呼び名で国民から敬愛される方でいらっしゃる!」

「……は?」

「これからは、きちんと聖女様とよばせていただきます!」

「……いえ、是非とも名前でお願いします。できれば様もいらないんですけど……」

 そう言ったイルミナに、「身分にこだわらないんですね!」と尊敬のまなざしを向けた挙句、「呼び捨ては無理なので『イルミナさん』とお呼びしても?」と口にしたレフレ。いや、『イルミナさん』はどう考えても変だろう。レフレに『イルミナさん』などと呼ばれた日には、小姑のように思えてしょうがない。

「やっぱり、イルミナ様でお願いします……」

 その言葉を了承したレフレは、急ぎリアマたちのもとへと戻って行った。

「なに、あれ。ハルの事好きすぎるんじゃないかしら……」

 それともあれが親友というものだろうか。友とよべるものがいないイルミナには理解はできない。幾人かよく顔を合わせるバーミセリの同年代の女子を思い浮かべたが、損得勘定なしで付き合えているかと問われれば微妙である。もう一人、つい最近会った少女を思い出した。前々から、遠距離にいるにもかかわらず、比較的通信で会話をするのはこの国のブリッサ王女だ。二歳年下のブリッサ王女の朗らかさに思わず口が軽くなりかけることもあったイルミナだが、気を抜いたことなどない。

 そんなブリッサ王女にイルミナは聞きたいことがあった。マカロに来たその日に王家に挨拶した際にも話しはしたが、結局聞けなかったのだ。

「貴女が撮って送って来たこの写真に何か意味でも?」「どうして、一般人と結婚したいだなんて言いだしたの?」と。

 聡明で自分自身よりも他者を優先するブリッサ王女がただの我儘をいうとは、イルミナには到底考えられなかった。

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