ハルは別の道を通り、リアマのもとへ急ぐ。フラムもリクオルも伯爵家子息。少々生まれが複雑でお互いどういう感情を抱いているのかは知らないが、幼い頃からよく顔を突き合わせては喧嘩しており、お互い抜きつ抜かれつ剣術もかなりの腕前だと聞く。仲が悪い様で、息がぴったりなのが、あの二人だ。

 紫髪の水属性が生まれる『グラキ』家に生まれた、赤髪の火の評価者フラム。

 赤髪の火属性が生まれる『アッケンデーレ』家に生まれた、紫髪の水の評価者リクオル。

 そんな二人のもとを離れて裏道を走るハルは、なぜ自分が欲されるのかを考えたが、その答えはすぐに出た。自分が持っている『鎮静魔法油』、これだろう。組織だっている現状を考えると、個々の魔導師の一般化という考えなどではなく、融合魔法を成功させるために使いたいというのが目的か。

 赤い魔環に、独立した色が混じり始め、魔環から放たれる光の間隔も短くなる。発動は間もなくだろうか。大きな通りでは人々逆方向に向かって逃げている。その人の波がだんだん静かになったころ、ハルは河川敷に設けられた、許可練習場へと駆け込んだ。

「義姉さん!? どこだ!?」

 普通なら魔環の近くにいるはずの魔導師が見当たらない。多属性の力が流れ込んでいるのだから、それだけの属性の魔導師がいていいはずなのに、河川敷には人っ子一人いないのだ。だが、頭上にある赤い魔環には力が流れ込んでいる。どこだ、その源は。幸い頭上の魔環には黒い影属性も流れ込んでいる。その力を辿りよく目を凝らして、ハルは土手を滑り降りそのままグラウンドに走り込んだ。影属性の力の出どころを見ると、そこに刺さっているのは一枚のカード。しかもそれは、この世で最も大事だといっても過言ではない、属性証明カードだ。少し離れた所にももう一枚刺さっているカード。そして、それを囲むように、五枚のカードが地面に刺さっている。合計七枚。ハルはそのカードの一つ、自分と同じ影属性のカードに手を伸ばした。

「駄目! ハル! それに触ったら――!」

「義姉さん!?」

 遠くから叫ばれたリアマの制止は遅く、そのカードを手に持ってしまったハル。カードの持ち主を見る前にハルの目に映ったのは、建物の影から飛び出てくる義姉のリアマだ。そして、そのリアマの周囲に広がる多属性の複数の魔環。ここにあるカードの持ち主である魔導師達が、ハルを止めようとしたリアマに狙いを定めた。それを見てリアマもこの場にいるであろう魔導師に狙いを定め返した。

「『YMC値 959318 多撃破』! 『とらわれ――」

 リアマの周囲の魔環が破裂して彼女は壁に叩きつけられ、幾筋かの赤い線が服からにじみ出た。それとほぼ同刻にリアマの魔環も周囲に潜んでいた魔導師の前に展開された。たが、一対多数なら分が悪いのはリアマで、尚且つ初動は遅かった。リアマが胸元から何かを引き抜こうとする最中に入った魔導師たちの一撃目で、動作不可能になったリアマは、魔導師たちに手傷を追わせることなく近場の建物の壁にもたれかかり膝をついた。

「義姉さ――」

 ここまではハルにとっての悪条件の中動いてきてくれた体が急に言うことを聞いてくれなくなった。もう少し気力と体に鞭打てば走り込むことが可能だと再び体を奮い立たせるも、体が言うことを聞かない。いつもの光による体の侵食ならあと少し、根性論で押し通せただろう。だが、今回は何かが違う。思うように体が動かないハルの耳に、歓声が聞こえた。

「見ろ! 上だ!」

「う、え……?」

 リアマをベースとした魔環に、今までにないくらいの漆黒が流れ込んだ。それが自分から出たものであると、ハルはすぐに理解できた。見た目の皮膚は無事なのにもかかわらず、一枚一枚丁寧にはぎ取られるような痛みを伴う感覚は、つま先から頭のてっぺんまで体を駆け巡った。ハルの体からずり出た影の魔力は頭上の魔環に馴染み込み、他の色も混ぜ込みながら次第に魔環を赤から別の色に変えていく。

「まず……い」

 胸元を探って鎮静魔法油のペンを握った。

「『K値 100』」

 地面に魔環を開いた。それと共に己の周囲にも多属性の魔環が灯った。さらに、頭上の魔環は色を失い始め、透明色に近づき始めた。こんなものは、今まで見たことない。さらに、鼻腔を掠めた甘い甘い心地よい香り。思わずつられて眠くなりそうなその香りに、ハルは思わず膝をついた。

「クッソ、全部もってけ! 『沈黙!』」

 魔環を消すべきか、それとも、己が消えねばならぬのか。

 ペンを叩きつけて壊すとともに魔法の発動を叫んだハル。それに反するように、ハルの周囲の魔環がそれぞれ一色に染まり発動の一歩手前。今思えば、自分の周囲の魔環を先に壊せばよかった、とハルは己の身に起こる衝撃を覚悟した。

「『魔環多展開 律動せよ』」

 ハルの周囲の魔環に一点ずつ魔環を貫く発光が起こると、そこから全てが消え去った。自分が助かった、と単純に思ったハルを、誰かが持ち上げその体を風がなぞる。動かされたことは理解できたが、いかんせん顔すら動かせない。そこに飛び込んだのは、ホッとする人の声と体を預けるに足りる者の名前だ。

「シ、シエンシアス殿下……?」

 そう、呟くリアマの声に、助かった。と確信を持ったハルは意識を手放した。




「さて、この状況、一体どう説明してもらおうか」

 シエンシアスはリアマを見て至極非情に言い放った。

 目の前で予想外の人物が出て来た魔導師たち。ハルをおびき寄せたまでは、いや、義姉のリアマがハルの身を案じ、最終的に離反するのは全て計画の内だろう。だが、一番自由のないはずの人間が、護衛もつけずに単身戦場に乗り込んで来たのは、果たして予想していただろうか。

「まあいい、この義姉弟きょうだいは重要参考人だ。他の魔導師は……、どうしたものか」

「その捕縛はこちらでやりますんで、お戻りください、殿下」

「クリーマ殿、と……。ああこれは滅多にお目にかかれない貴方がどうしてこちらまで」

「……不埒な者どもが随分と発生したようで。こちらの不手際に殿下のお手を煩わせは致しません」

 主属性には珍しい黒髪コンビが許可練習場に悠々と現れた。一人は魔法管理機構の司法魔導師クリーマ・アシュッタ。そしてもう一人、六十を過ぎた老齢の魔導師は、ほぼ黒に近い鉛色の瞳を、言葉を忘れた魔導師たちに注いだ。

「して、『右肩黒』が確定したものは、直ちに捕縛を」

 その声でこの場にいた六人の魔導師は、老齢の魔導師お抱えの者によって無抵抗で捕らえられた。

 もはや、この人物の前で逆らうことは何の意味もなさない。魔導師のどんなに小さな悩みでも真摯に対応するため、絶対の信頼を得ているが、違反者には徹底的に追及の手は緩めない厳格さを持つ、魔導師協会会長 リガーテ・ラザニ。礼節を重んじ、王族を尊重するためマカロは王政で上手く統治されているが、ひとたびリガーテが反旗を翻せばマカロどころか世界の勢力図は簡単に塗り替えられる。そんな影の最高権力者といっても過言ではない、そんな人物だ。

 シエンシアスは上を見た。上空には色を取り戻し始めた魔環が広がっているが、その色は、赤ではなく薄く紫色に色づいているだけだ。先ほどの、ハルの鎮静魔法油で威力は弱まりつつあるが、いまだ危険なことに変わりはない。

「して、肝心のその評価者は気絶中か。随分と情けない。これが自分の主属性とは嘆かわしいことだ。早く代替わりしてくれんものか……」

 魔導師協会会長のリガーテは、評価者にキツイことでも有名だ。

「相変わらず、ハルにキツイ方だな」

「追加をお持ちしましたよ、リガーテ会長」

 そう言って五人の魔導師を放り投げたのは、フラムとリクオルの二人だ。道で邂逅した五人組をノシて連れて来た。その顔には、『久しぶりに暴れられて満足』と、書かれており、リガーテは眉をひそめた。

「……相変わらず剣術は達者なようですな」

「まあな。ところでハルの義姉さんよ、頭上の魔環消せるのか? ベースはお前の魔環だろ」

「そ、それは……」

「できないみたいだね。頼みの綱のハルは……」

 シエンシアスに抱えられ、目を閉じたままだ。時折、顔を歪めて「う……」と体をよじらす仕草をするが、目を覚ます気配はない。

「ハルがその調子では、これを持ってきても役に立たなさそうですね」

「一度ハルモニ様をひっぱたきましょう、殿下」

 息を切らした二人組が河川敷に駆け込んで来た。競争していた彼らは息を切らしシエンシアスの前まで躍り出た。

「お初にお目にかかります。レフレ・ヴェルミと申します、シエンシアス殿下」

「レフレ殿か、噂は頻繁に耳にするが……。ところで二人とも、一体何を持ってきたんだ?」

「鎮静魔法油です。ハルモニ様の家から持ってきました」

「イルミナ……、だから先に出たのにいなかったのか……」

 ため息をつくシエンシアスの隣で、「イルミナ様……」とリアマが呟いた。地面がジャリ、と音を立てたのが近場のシエンシアスには聞こえたが、彼がそれに取り合うことはない。

「そうだな……、リガーテ会長。リアマ・ダンジェロも捕縛を」

「――っ、あ、あの!」

「何か? 右肩黒の魔導師」

 イルミナやレフレに対していたときとは随分温度差がある冷ややかな声音。そんな取り付く島もないシエンシアスの傍からリアマは引き剥がされた。

「あ、あの、ハルは!?」

「君が巻き込んだ義弟にはまだやってもらうことがある。が、君と違って倫理に背いたわけじゃない、身柄の心配はいらない。自分の事でも心配しておけ」

 リアマに目もくれず言い切ったシエンシアスはレフレの前まで歩み出る。その脇を二人の魔導師に抱えられ抵抗することもなくリアマはその場から姿を消した。

「……私、今日ほど殿下の眉間に一発入れたいと思ったことはございません。殿下の代わりにハルモニ様に一撃いれてもいいでしょうか? 起こさないとまずいのでしょう?」

 いくら鎮静魔法油があったとしても、ハルの魔環がなければ使いようがない。だからやらせろ、と、握り拳を作って笑顔ではき捨てたイルミナから、「うっ」と言葉に詰まったシエンシアスは視線を外した。

「ハル、起きるんだ! 君の魔環を開け!」

「う、うーん」

 声がうるさいとばかり、ハルはシエンシアスから顔をそむけた。

「寝てるんじゃねぇか、ちょっと炙ってみるか?」

「寝てるね、炙って駄目なら水でもかけてみようか?」

 フラムとリクオルが胸元から出したペーパーナイフをチラつかせた。

「う……」

「ハル、起きてくれ。俺が巻き込まれる……」

 「ん……」とハルは身じろいだ。瞼の下で目を動かしているのが分かる。眠りが浅い今なら起きるかもしれない。「叩いてやれ」と、何人が思ったかは分からないが、ハッキリハルが口にした寝言で、それは実現した。

「闇の、姿、はその――」

 バチン! と、ハルの頬に一発入れたのは先ほど叩いていいかと口にしたイルミナだ。まさか聖女様とよばれる人物が本当に手を出すとは思わず、一同がイルミナを凝視した。注目を集めた、張本人も「え、あ!?」と、己の右手とハルの頬を交互にこれでもかというくらい見始めた。

「っ、てぇ!! 何だ!?」

 己の左頬を押さえて起き上がったハルだったが、急に頭を動かし倒れ込みそうになると、再びシエンシアスに抱え上げられた。その視線の先には薄紫に色づく魔環が上空を覆う光景。事態が好転しているのかそうでないのか、一見しただけでは分からない。

「ハル、魔環を開けるか、頭上の魔環を消したい」

「魔環? ああ、勿論。『K値 100』」

 ハルが手を伸ばし頭上の魔環に狙いを定める。展開されていた薄紫色を呈する魔環と対等な大きさのものを地面に展開させたハルはレフレが差し出した鎮静魔法油を受け取った。

「……なんでお前が持ってるんだ?」

「ハルの家から拝借して来たよ。イルミナ様と一緒に」

「……なんで家に入れるのかってところから聞きたいけど……。まあいいや、全員この魔環から出てくれ。」

 ペン軸を真っ二つにへし折り、中の鎮静魔法油を全て魔環に落とし込むと、漆黒に塗られた魔環はその動きを止めた。頭上で不気味に光っていた薄紫の魔環も、一定のリズムで吐き出していた拍動を止め、ギギギ、という音を立てて軋み始めた。

「『沈黙』!」

 ハルの足元の魔環とかみ合ったかのように動かなくなった頭上の紫の魔環は、ハルの一声で同時に砕け散り、紫ではなく多色にわたる光の微粒子が降り注いだ。それは地面にたどり着く前に空気に溶け込み消え失せるものがほとんどだったが、中には地面に降り注ぎ、痕跡を残すことなく吸い込まれた。

 その行方を見届けたハルがそのまま誰にともなく聞いた。

「なあ、義姉さんは?」

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