昨夜の雷雨が嘘のような、快晴の空。

 光が突き刺さるという現実はハルの体力を削るが、今はそんなことはどうでもよかった。ミドルネームを当てられた。ハルを引き取ったダンジェロ家の義父と属性証明カードの発行に関わった数名しか知りえない事実を、イルミナは知っていた。何故という疑問と共に、イルミナに常に首を狙われているように思えてしまう。それに、この事実が広まれば、もうハルに居場所はない。

「おはようございます! ハルモニ様!」

 明るい大声が道に響いた。横を振り向けば、壁際の日陰を歩くハルモニの反対側、光が照り付ける中、笑顔で手を振るのはイルミナだ。

「ちゃんと三メートルは離れていますからね!」

 腰に手を当てて、「どうだ」、と威張ったようなポーズをするイルミナを呆然と見ていると、「大丈夫ですかー?」と、再び声が届いた。

 彼ら二人の間を申し訳なさそうに通っていく生徒たち。そのうちの一人がイルミナに声をかけて一緒に校舎へ入って行ってくれた。

「何だったんだ……」





 それから特段変わったことはない。イルミナがハルのことを誰かに言いふらすような素振りはなく彼は安堵した。だが、それも束の間、休み時間の度に厄介な事態になった。

「まあ、人気のお店ですか? どれも美味しそうですね!」

 クラスにすっかり馴染んだイルミナは、放課後、雑誌に載っている最近話題になっている人気店に一緒に行かないかとクラスメイトに誘われていた。それだけならなにも問題はない。賑やかなクラス、実に結構。だが、自分にまでそれが及んでくると少々厄介だ。「ハルモニ様!!」と、呼ぶイルミナを見ると、雑誌を向けられた。

「どのお店がおすすめですか? 私としてはここのパン屋が気になります!」

「……ああ、美味しそうですね」

「でも残念ですが、警護の都合もありますし、皆さんとご一緒にはできなさそうです……」

 ハルが適当に返せばまたイルミナは向こうで賑やかに話し始めた。だがその会話を皮切りに、事あるごとに窓際の席で光をバックに輝く笑顔で、イルミナはハルに話を振り続けた。休み時間が毎度これだ。いい加減耐久値を超え、ハルは昼休みにはさっさと空き教室にこもることにした。

「言いふらさないみたいだけど、あれは辛い……」

 返事をしないと、クラスメイトの「聖女様を無視する気か」という痛々しい視線が突き刺さる。だが、正直どうでもいい話ばかりだった。イルミナへの尊敬や愛情がなければハッキリ言ってうるさいだけだ。気持ちを切り替え、カーテンの隙間から申し訳なさそうに降り入る細々とした光に書類を当て、ハルはその書面をなぞった。それは、今朝イルミナに会う前に襲来した魔導師に押し付けられた申請書だ。紫髪むらさきのかみの魔導師で、本来ならば液体を扱うのに適した『水』の属性。にもかかわらず、『水そのものを燃やして燃料とする』、そんな魔法を作り出した。その途中爆発が起こるため、この一か月の間で幾度となく申請を退けた魔法だ。

「嫌な予感がする……。いや、そんな偶然みたいなことを言っちゃいけないな。確かめるか」

 ハルに申請書を押し付けた、魔導師になって二年目の人物。このくそ暑い中、切々と涼しい顔で、どれだけこの魔法の開発に苦労したかを語って、また来る、と言って姿を消した諦めの悪さ。柔軟な発想は大事だが、あまりの執着を見せると、要注意人物となる。

「あの、フォルノ君いる?」

 不意に部屋をノックされ、返事をすると、おずおずと開く扉。そこから覗く黒髪に、「ああ」と、ハルの警戒心も緩んだ。

「どうした?」

 おずおずと開いた扉から、ちょん、と入室した女子生徒は、長い黒髪を一つに縛り上げている。影が主属性の生徒で、この学校で五人しかいない珍しい人物だ。

「頼みがあるの、これ……」

 そう言って彼女が差し出したのは、属性証明カード。記載されている誕生日を見れば声をかけた理由は納得、彼女の誕生日は三日前だ。

「ああ、ちょっと待ってろ」

 一つに縛られた髪を手に取り十秒。己の心臓の鼓動に少しだけ意識を集中する。わずかに拍動を変えたその変化を記憶したハルは、属性証明カードを預かり一緒に空き教室を出た。

「ごめんね、フォルノ君。休み時間なのに」

「いいよ、これも仕事だ」

 職員室近くに設置された端末のスリットにカードを通すと、その女子生徒の基本データが表示される。ピピピ、ピー。ピピピ、ピー。といくつもの暗証番号でロックを解除し、最後にハルの登録コードを入力すると『魔力量 更新』という表記が出た。ここに、先ほど髪で測った、この女子生徒の魔力量を入力する。

 義務教育中の学生に課される、魔力量の更新義務。誕生日後一か月以内に、自分の属性の魔力量の変化を更新しないといけない。本来なら各地の魔導師協会に置かれている『スキル測定器』で、二時間以上かけて測定しなくてはならず、予約を入れても日程通りにはいかず、時間がかかることこの上ない手間のかかる作業。その為に、学生には『スキル測定休暇』なるものが認められているほどだ。だが、評価者なら、十秒程度で測定可能、更新も端末とパスがあればどこでもできる。

「ほら、これで主属性の更新は終わりだ。次は、副属性だろ? 話し通しておくから、明日にでも行ってみるといいよ」

「ありがとう。でも、大地の評価者の子は、気難しいってきいたの」

 黄髪きのかみ黄瞳きのめが特徴の、大地の評価者。読書というものがこの世に存在しなければ生きてはいけないであろう小柄な黄髪の少女を、ハルモニは思い浮かべた。確かに表情の変化は長い時間一緒にいないと捉えにくいかもしれない。

「テララは、ただただ大人しいだけだ。そうだな……、学校の近くにあるキャンディショップの棒付き飴、あれを三つくらい渡せば、鼻歌謳いだすぞ。それと、誕生日おめでとう」

「ありがとう! テララ様の飴、試してみるね!」

 そう笑って頭を下げた彼女は、チャイムの音を聞くと、大事そうに属性証明カードを抱えて走って行った。

「さて……」

 端末に己の属性証明カードを通し、先ほどよりも手間のかかったパスを幾度となく入力すると、魔導師の検索画面が出た。チャイムが鳴り、生徒は廊下にはいない。授業に行くべく職員室から出て来た教師たちは、ハルが一心不乱に画面をタッチしていると、周囲には近づかない。それは暗黙の了解だ。

 一応周囲に気を配り、魔導師検索画面のロックをさらに解く。画面が切り替わり、名前の入力を求められ、『ネグロ・プロフィビック』と入力する。それが、今朝の魔導師の名前だ。

 無音で画面が切り替わると、そこには魔導師許可証に記載されている魔導師データや今までの経歴が表示された。注目するのはそのデータの枠の右上の角。ここにはいくつか意味がある。

 ここが赤ければ『右肩赤レッドライン』。

 それは、その魔導師の階級にかかわらず、『広域に死亡者を出す可能性がある魔法を有する者』につけられる。今となっては、力の強い魔導師の代名詞。だがもちろん、その行動は逐一監視されることになる。

 青ければ『右肩青ブルーライン』。

 それは、医療魔法の開発を一度でもした魔導師。医療魔法は特殊なため、その才能がある魔導師には、優先的な研究権限と、資材の調達権、時と場合においては新規魔法承認審査の優先権が与えられる。

 そして二つを持ち合わせる人材は、『二重線ダブルライン』だ。

 だが、今回の『ネグロ』はそのどれでもない。

「『右肩黒ブラックライン』か……」

 右上に黒いラインがつけられた魔導師、『右肩黒ブラックライン』。

 彼らは一言で言えば『属性の垣根を超えた研究を行う素養のある魔導師』だ。

 影が光になれないように、属性を超えての魔法はリスクを伴う。魔法に絶対必要な魔環とそれに落とす魔法精油。魔法精油は属性ごとにその組成には特徴があり、属性が違うと相容れない。魔法で栄華を誇ったかの『第一大陸』、それが四千年前に消滅したのは、属性を超えた研究の末だった。それ以来、ルールに反した研究は違反とみなされ厳罰。この『右肩黒』は、その研究を行っている可能性のある魔導師に密かにつけられるマークだ。ネグロの研究『水から火を』という、対極のものを生み出す魔法。今の所、魔法のベースは『水』属性の特徴を有しているが、どこで何をしでかすか分からない。

 そこまで考えて、ハルは画面を消した。今までの閲覧履歴も消去し、初期画面に戻ったところで、やっと息がスムーズに吸えた。

「水の評価者のリクオル様にご相談なさったら?」

 ハルは吸った傍から息が詰まった。聞こえてはならない人の声に、コンマ一秒で振り返ると、窓に背を預けているイルミナがいた。

「……授業はどうされましたか」

「それは、そっくりそのままお返しします。ところで、閲覧されていた魔導師の方、『右肩黒』ですね」

「のぞき見は、感心いたしかねます、イルミナ様」

「まあ、私に気付かないなんて、私の魔力の調節も一日で様になりましたか?」

 そう言って、横に並んだイルミナは「三メートル制限は解禁してくださいね」と、顔に笑を張り付けている。昨日、墓地で見せた、眉一つ動かさなかった顔からは想像できない。いや、この表情と昨日の顔が結びつかない。一体どちらが本当のイルミナだろうか。

「きっと今日も、夜は雷鳴が響きます」

「何故ですか?」

「最近、無茶する魔導師が多いんですよ」

 ほんの少しだけ目を細め、肩をすくめたイルミナは、ハルの一歩先を悠然と歩き、教室へ帰って行った。もちろん、ハルもそれに追従するわけだが……。その道中、急にイルミナが振り返った。

「様付けは結構です。私も、ハルとよばせてもらいます。レフレ様はそうよんでらっしゃいますものね?」

「……シエンシアス殿下の婚約者にそれはできません。あと、レフレは親友ですから」

「あら、殿下と貴方は同じ評価者なのに?」

「シエンシアス殿下は、俺たち七人とは異なります。な方ですから」

 そこまで聞いたイルミナは「ふむ」とすこし考える素振りをして、一歩ハルに向かって踏み出した。

「じゃあせめて二人のときは呼び捨てで、でないと、息が詰まります。それに、私たちの関係性は、親友以上だと思いませんか? ハル」

 イルミナはグイッと顔を近づけそう囁いた。その近さにハルは一瞬血の気が引いたが、イルミナの魔力調節が上手いのは事実だった。近づいても苦しくない。だったら、もう少し早くやって欲しかったと、心の中で少し愚痴た。





 その日の夜、イルミナの予告通り、雷鳴が響き、空に光が幾度となく走った。

 雨粒が降る前に墓地へ。イルミナよりも早く。急げ、消される前にどうしても、アンデッド達と話をしたい。そうしたらきっと、自分が評価者として不完全ではないと証明できると思う。ミドルネーム フェオ家とかは関係ない。ただ、その純属性がゆえに、魔法の属性の神に寵愛され、その言葉が聞こえるという評価者。だが、ハルにはそんな声など聞こえたことがない。彼らアンデッドがその影の声とは限らないが、明らかに光と対極に位置するのだ、その可能性は十分にある。

 だからアンデッドと話をしたい。そうすれば、自分の存在が確実なものになる。


 雨粒が落ちる。

 手を差し出し確かめなくてはならない間引かれた雨から、手を額に当てて痛みから絶えなくてはならない雨粒へと瞬く間に変化した雷雨。墓地へ急げ。どこか分からないならしらみつぶしに、手当たり次第に。そう街を走り抜ければ、ハルが走る直線上に得体のしれない発光が、下から上へとドーム状に膨れ上がった。雷ではない、何か。その直後に聞こえる轟音と、立ち上る炎。

「火事?」

 落雷があったとかではない。明らかに違う光で、雨が降る中立ち上る炎。そこに墓地はないけれど、目の前の異常事態を目の当たりにし、行かない理由はない。

 アンデッド出現条件の日に外に出る人間は少数だ。だが、光、音、そして火災は人の恐怖の優先順位を簡単に乱した。アンデッドから身を守る、ではなく、火災から逃げる。そうなれば雷雨の中、軽やかに逃げ惑う人々が溢れた。その流れに逆らい、ハルがアスファルトに溜まった水溜まりを周囲の迷惑も考えず跳ね返しながら走ると、焦げ臭い臭いと歪む視界、何より、黒煙が喉と目を刺激し始めた。その原因たる公園にたどり着くと、ハルの目の前はオレンジ一色に染まった。

「なにをしている!?」

 水の上でも消えない炎。それどころか噴水の水が飛び散る勢いに乗じて、あたりへ火の粉が踊りだす。着地してすぐ消えるもの、水溜まりや遊具、草木に文字通り着火するもの、縦横無尽に狂ったように踊る火花たち。もしもこれが、何かの催しの一環であればこれほど見ごたえのあるものはないだろう。だがこれは違う。公園でオレンジの光を浴びているのは、見間違えるはずはない、『右肩黒』の魔導師だ。

「ネグロ・プロフィビック!」

「ああ、影の評価者、来たんだね」

 踊り狂う火花の中、人間二人を地べたに這いつくばらせた魔導師、ネグロ・プロフィビックは、手元に展開していた魔法に、この光景を記録していた。

「クリーマさん!?」

 地べたで雨に打たれている片割れは、見知った人物、魔法管理機構の知り合いだ。同じ制服ならもう一人もそうだろう。察しはつく。ネグロのこの行動を止めようとして、返り討ちにあったに意外にあり得ない。

「……今すぐこの炎を消せ!」

「それはできないさ。君が言ったんだろう。発動時の威力が危険で申請は受理できないと。だからこうして改良を重ねていたのさ。でも、最初は順調だったのに、思わぬ邪魔が入るから……」

 「ゴミ」、とでも吐き捨てるような目つきで足元の人間を一瞥したネグロは、そのまま泥のついた靴でクリーマの顎を持ち上げた。ほんの少しだけ歪んだクリーマの眉と口元。幸い、息はまだ残っている。それだけ確認して、ハルは足元に蛇行した線を描きながら噴水へとにじり寄った。

「まあ、でも感がいいことは認めてあげるよ。『右肩黒』だってね。君も気づいてやって来た口だろう、影の評価者!」

 ネグロが手袋の指先をこすり合わせ、足元の金の魔環に一滴魔法精油を落とすと、すでに噴水の水面上で展開していたネグロの魔環が即座に呼応した。

 本来なら魔法と共にするはずの特有の香りは焦げ臭さにかき消された。

 遠隔操作で瞬く間に踊りだす火花たちは、頭上を舞い、公園全てを炎のドームで覆ってしまう。雷雨が降り注ぐはずなのに、一滴も落ちず音すら遮られ、公園は一気に蒸気でむせかえる空間と化した。その雨を遮る炎を消すには大元をどうにかするしかない。ハルは胸元のペンを手で探り、残りの距離を一目散で噴水へと駆け寄った。後ろからは、追いかけるように、ネグロの声が迫って来る。

「既知の組成でできる魔法はすでに底をつきている! ここ数年、その名を轟かせるような素晴らしい魔法の開発も聞かれない。なら、常識にとらわれない魔導師にこそ、活路を見出す資格がある、そう思わないか?」

「魔導師倫理にあるはずだ! 『市民に循環すべからん魔法は、存在するに値しない』!」

「なら、今魔導師が保有する魔法は、ほぼ存在意義がないことになるね。今更その時代錯誤の文言こそ、存在するに値しない!!」

 身体能力はネグロの方が上だ。先手をとったはずのハルのすぐ後ろでネグロが叫び、その声にハルは思わず魔環を開いた。

「『|K値 100』『沈黙』!」

 間一髪、ハルは腕を掴まれる前に、ペンに仕込んでいる鎮静魔法油を噴水内に描いた漆黒の魔環に滴下した。噴水の水面で大きく描かれていたのは、紫色の魔環だが、その上では不似合いな炎が躍っていた。ハルは、己の魔環がその炎も道連れにして消える、そう思った。

 だが、現実は予想を裏切った。

 『鎮静魔法油を垂らした魔環』それが、ネグロの魔法とともに消えるわけでなく、噴水の水の上でネグロの魔法に重なり紫と赤の二色に染まり、消え去ったかと思うと、その場には赤と紫に染まる二色の油滴が浮かんでいた。一瞬にして炎はすべて消え去り、雷鳴と雨音が復活し、さらにそこに響いたのは、二人が一気に水の中を駆け抜ける音だ。ハルとネグロ、両者とも手を伸ばした先は、二色に染まる丸い油滴。水に溶け込むことなくフラフラ揺れるそれを、どちらが先に掴むのか。

 リーチの長さで軍配は、ネグロにあがった。

 手の平一枚分先にいたネグロはハルを力業で水面に叩きつけ、油滴を水ごとアンプルに捕獲した。準備が良い、ネグロはここまで予想していたのだろうか。そのアンプルを高々掲げ、ハルに見せつけるネグロの顔は、後方で横たわるクリーマたちを見た目と同じだった。

「ほら見ろ! 鎮静魔法油に魔法が取り込まれた! この魔法は存在する価値があると、そう影の神がいっているも同然だ! ついでに、お前の特権の『鎮静魔法油』とやら、このまま解析してやるさ。そうすれば、どんな魔法だって、簡易に使い放題。マカロが、かの第一大陸のようにその圧倒的な力で世界を手中に収めるのも夢じゃない――!?」

 ボシャン! という音と共に、ネグロは水面に引きずり込まれた。すぐに顔をあげたが、再び沈んだ。もがいているが、おかしい、こんな膝までしかない水で溺れるなどある訳ない。

 そんな、奇怪な状況にハルが一歩踏み出せば、水面から勢いよく人が立ち上がった。

 いや、人から肉と臓器をそぎ落とし、カルシュウムの塊と化した人骨格。空洞の体内には水はたまらず、上部から内部を伝って頭蓋内の水が塊として一気に流れ落ちた。

「ア、アンデッド!?」

 肉がなければ表情もわからない。咳き込み嗚咽するネグロの首を掴み、空いている手でハルとネグロを交互に指し示した挙句、顔の前で手を横に振る素振りをして、肩の関節を上にあげたアンデッドは、ネグロをひょいと噴水の外に放り出すと、水の抵抗が少ないであろう足で、ひょいひょいと水面に浮かぶアンプルまで軽快に走り、拾い上げた。

「あ、それは、俺に……」

 ぐいん、とハルを見たスカルタイプのアンデッドは、スキップよろしく軽快に駆け寄り、アンプルを差し出した。

「くれるのか?」

 激しく、カクカク上下する頭蓋。いつまでも続きそうなその上下の振動をアンデッドは、自らの手で押さえつけて止めた。

「ぷ」

 コミカルな動きに思わず吹き出すと、首を傾げるアンデッド。ここまで愉快なアンデッドは初めてだ。

「楽しそうなところ申し訳ないんだけど、離れてくれる? ハル」

「イルミナ……」

「せ、聖女様!?」

 やはり来た。地べたで腰を抜かすネグロの前に立ち、制服姿で白金銃を構えているイルミナ。ネグロからすがるような視線を向けられているが、そんなことは意にも介さずアンデッドだけをじっと見ている。

 炎が鎮火すると、一つ二つと公園の外に人影が立ち始めた。

「アンデッドだ!」と、叫び逃げ去る者もいれば、「アンデッドの仕業か!」と、敵意を向ける者もいる。その数が増えるにしたがって、次第にイルミナの手が震え始めた。

「ハル、そこをどいて」

「……こいつも撃つつもりか?」

「決まっているでしょう、だからどいて。これ以上人が増える前に早く!」

 イメージに合わない声でイルミナが叫ぶと、そんな違和感を払拭してしまう、陽気な声が響いた。

「はいはーい! どかなくても大丈夫ですよー。イルミナ様のお手を煩わせなくても私が来たからには大丈夫!」

「「え?」」

 思いもよらない謎の声は、ハルとイルミナ二人の視線を公園中に彷徨わせた。だが、どこにも声の主と思しき人物は見当たらない。見えるのは増える野次馬ばかりだ。

 その、引いた距離から見ていた野次馬の、「何だアレ!?」という声、それに上空を見上げれば、二人の視線の動きと落下物がすれ違った。

 バシャン!

 という音と共に飛沫がもろに直撃したハルは、思わず目を閉じた。そして慌てて開いた目線の先には、そこだけ生地がくりぬかれ、薄橙の面積が広い双丘が見えた。白骨とは違い、無駄に雫を弾き飛ばすその肌を見ていると、ぷるん、と揺れた。

「お前、誰だ」

「どこ見て言ってんのよ!!」

 すかさず、ハルの目の前を一発弾丸が横切った。その弾道の焦げ臭さといい、ぶち当たった噴水の塔にポッカリできた穴といい、まさかと思いその元凶を見れば、黒い拳銃を構えたイルミナがいた。何故その距離でハルの視線に気づくのか、それと、普通の拳銃も持っていたのか、と疑問はあるものの、双丘から目線を上にあげれば、それはハルがよく知る人物だ。

「メッゼ・キタラか」

「そりゃ勿論! それにしても、やはり夜だと活動的ですね、レフレと仲のいいハルモニ殿」

「その呼び方、鬱陶しいから、やめろ」

 特殊な言い回しでハルの名を呼ぶのは、『天才レフレに主席の座を奪われた』と裏で囁かれるレフレの同期の魔導師、メッゼ・キタラ。水を弾き輝く肩で切り揃えられた金髪、澄んだエメラルドグリーンの瞳を持ち、露出の多い服装を着こなせる体形の持ち主。もっとも、好んで着用する体側にスリットが入った身体のラインが如実に出る衣服は民族衣装らしく、決してその女性らしさで溢れる体形を強調するためではないらしい。そんなことをレフレが言っていた。

 首席で卒業したレフレ・ヴェルミ、その次席に甘んじたメッゼ・キタラ。

 魔導師としての資質は申し分ないらしいのだが、彼女が四歳年下のレフレに敵わなかった理由、それは……。見ていればわかる。

 ちょんちょん、とメッゼの胸元を白骨の指が突いた。今は自分に無いモノだからか、かつても自分に無かったからか、それとも、邪な興味か。いずれにせよ、音もなく近づいていたアンデッドがメッゼの胸を揺らしている。

「ア、アアアアアンデッド!? って、キャ!」

 自分から飛び込んで来たくせに、アンデッドに慄き体を後ろに仰け反らせたメッゼは、何故か後ろにさがらず、水に尻もちをついた。

「……なにしてんだ、お前」

「あ、足が、靴が抜けないの!」

 噴水に飛び込んだ衝撃でヒールが底に食い込んだらしい。エメラルドグリーン、言い換えれば緑系統の瞳は副属性として『鉱物』属性をもつ証拠。水面の奥で、緑色に光る魔環が展開されているのが見えた。大方、靴底に魔法を仕込んでいたのだろう。副属性の魔環は発動が難しく、使えるのは称賛に値するのだが、状況的に尊敬の念は抱けない。

 立ち上がれずにもがいていたメッゼは、横からすっと伸ばされた白い手を「ありがとう」といって掴み、それが、アンデッドだと分かると「いやー!!」といって、振りほどいた。

 メッゼ・キタラはアンデッドが大の苦手。そして、それにもかかわらず、やって来て、魔法を無意識に発動させ動けなくなり、アンデッドに助けられそうになりビビる。

 レフレ曰く「メッゼはどうしようもないくらいに、先を読めないんだ」。

 魔法の力量も知識もレフレが認めるところ。しかし、それを無駄にする数歩先を考えていない行動。逆に言えば、それでも魔導師としてやっていけているのだから、その才能は確かなのだろう。そんな状況をかき乱したメッゼにため息をついたハルの耳に思わぬ声が響いた。

「アンデッドに噛まれると、アンデッド化するのよ!!」

 どこからともなく発せられた言葉。おそらく、この様子を見ていた野次馬だろう。その言葉で騒めく周囲。いつの間にか公園の周囲は野次馬で溢れかえっていた。

 アンデッドによるアンデッド化。そんなことできたなら、ハルは昨日アンデッドになっているはずだ。それに、アンデッドに噛まれた一般人などいない。その事実は誰も知らない。つまり、憶測でそんな噂が流れている。それは野次馬の不安をあおり、騒めきは大きくなり逃げ出す者が、ひとり、ふたり……。

「メッゼ様、人払いしてください」

 白金の拳銃ではなく、黒色の拳銃をメッゼに突き付けイルミナはそう言った。

「イ、イルミナ様?」

 イルミナを聖女として知る者は皆、優しく気高い聖女様だと印象付けられている。その彼女が、そこで腰を抜かして気絶しているネグロ顔負け、人を人とも思わない蔑んだ目でメッゼを見ていた。

「貴女がやらないなら私が……」

 くるりと後ろを振り返ったイルミナの表情は見えない。だが、声音はイメージの聖女そのものだ。

「今宵のアンデッドは魔導師五人でも敵わない強敵です。私も持てる力を全て解放しなければ敵わないかもしれません。ですが、それは、力の暴走というリスクを伴うかもしれぬこと。私の力で皆様に怪我をさせるのは、神の望まぬところでしょう。ですからどうか、皆さまここからいち早く非難を!」

 それでも、誰も動き出さない烏合の衆は、お互いに顔を見合わせ始めた。

「光の神のご加護があらんことを」

 イルミナが、ぬかるんだ地面に跪くと、騒めきと共に誰かが「逃げろ!」と発した声を皮切りに、蜘蛛の子が散った。

「まあ、こんなものかしら」

「イ、イルミナ様、は、聖女様でいらっしゃいますよ、ね?」

 膝に泥をつけてくるりとハルを振り返ったイルミナ。グシュ、と地面を鳴らして近づくと、いまだ座り込むメッゼを見下ろした。

「メッゼ様、よく見ておいてください。アンデッドによるアンデッド化。それがどれだけ不確かな情報か」

 そう言って、アンデッドに白金銃を向けるイルミナは、ハルがその間に入っても銃を下ろすことはない。

「別にいいのよ、そのままで。どうすればいいのか、賢いあなたなら分るでしょう?」

 カタ、とハルの背後でアンデッドが音を立てた。その次の瞬間、ハルの肩に昨日と同じ痛みが走った。

「っう!?」

「レフレと仲のいいハルモニ殿!?」

 先ほどまで愉快な動きを見せていたアンデッドの突然の仕打ちに、ハルは思わず引き剥がして水面に叩きつける。飛沫がアンデッドの頭蓋にポタポタかかった。いつの間にか雨は止み、雷鳴も遠ざかっていた。アンデッドの頭蓋にかかった飛沫は、そのまま重力に従って流れ落ちる。涙腺も何もかもないはずなのに、泣いたようなその顔に、一瞬抱く罪悪感。それは、きっと一人だけの感情じゃない。

「……で、メッゼ様。ハルモニ様はどうです? 変わってますか?」

「え!? レフレと仲のいいハルモニ殿は……」

「その呼び方鬱陶しいから、やめてくれ」

「変わってない?」

「そういうことです」

 銃をアンデッドから逸らさないイルミナ。メッゼの返答に満足したのか、ほんの少し銃を下ろした。

「おい! 誰かアンデッドに噛まれたぞ!?」

「『K値 0』! 『闇の花はその顔に、大地を満たし、虚無へと開竅かいきょうする』!」

 パン!

 去っていなかった野次馬か、それとも、新たに来てしまった野次馬か。いずれにしても、誰かに見られた。

 第三者の声が響いた瞬間、イルミナが白金の銃でアンデッドを撃ち抜いた。肋骨のど真ん中に展開される黄金の魔環。生きていれば心臓でも撃ち抜いたのだろうか。昨日とは違い、魔法が展開された場所から体全てが粉と化したアンデッドは、風に連れていかれることなく、そのまま水に沈んでいった。

 沸き上がった歓声は微々たるもの。しかし、それはすぐに増えて宵闇に響き渡った。それを背後に、イルミナは無表情を貫く。イルミナの言葉で動いたアンデッド。もしかしたら、ハルよりもイルミナの方がアンデッドと意思疎通がとれているのかもしれない。そんなことがあっていいのだろうか。





 駆け付けた他の魔導師に事後処理と、倒れているクリーマたちを任せ、ハルはさっさと公園を離れた。「手当てした方がいいわ」と、イルミナに引き留められはしたが、噛み傷は、ほとんどが歯形で出血はひどくない。イルミナは魔導師に呼ばれて噴水へと行ってしまい、そこで何やら浄化作業とやらをするらしい。

 それを横目に公園を抜け、一路向かったのは、夜でも煌々と照らされるとある一軒家。チャイムで現れたのは、ハルの父親といって通用するくらいの年齢の男性だ。

「ハル! びしょ濡れでどうした!?」

「入っていいか、ルスさん。あ、玄関でいいよ」

 二つ返事で一度中に入ったルス。すぐに家の明りの半分が消え、ハルにのしかかる圧も減った。

「これくらいで平気か?」

「ああ、ありがとう」

 ここは、この世界で一番明るいといって過言ではない。逆に、ハルの部屋はこの世界で一番暗い。昼夜、特に、夜に決して光が絶えることのないこの家の主は、『ルス・リーシャ』。黄金の髪と瞳を持つ、『光の評価者』。ハルと対極の存在だ。故に、決して夜は外には出ない。ハルが日中死に物狂いで外を歩いているように、夜の外出、特に星も月も、照明すらも無いような場所は、ルスには致命的だ。どうしてもの場合は携帯光源があるが、あまり役には立たないとぼやいていた。一見、相反して仲が悪そうに見える、実際そう考えている者も多い、影と光の評価者の二人。だが、他の評価者とは違って、彼らには光と暗闇が致命的という弱点がある。そして、それが体を蝕み、影と光の評価者は他に比べて短命だ。今年で四十五歳になるルスも例にもれず、二十代ごろから体が弱り始めた。あと、何年かしたら、ハルもそれに追随するかもしれない。いや、光が体に合わないハルのほうが、きっともっと劣化は早いはず。なんせ、ハルが先代を知らないように、代替わりが間に合わず、引継ぎがなされない、それが、影の評価者なのだ。

「それで、どうした?」

「イルミナ様のこと知ってるか?」

「ああ、ハルの学校にいらしてるな。マカロにいらした日にお会いした。わざわざうちにいらしてくれてね」

「その時、何か変だとか思わなかったか?」

「いや? 噂に違わぬ光属性の持ち主だと思ったぞ。あれで評価者の資格がないのが驚きだ。実際、俺にもイルミナ様が評価者だという自然の声は、聞こえなかった」

 評価者が魔導師に蔑まれても重要視され手厚くもてなされるのは、評価者の別名にある。決して、『階級剥奪者』という不名誉な呼び名の方じゃない。

 評価者、別名『神の代弁者』。それは、評価者がその属性の自然からの祝福を得ていることに由来する。それ故、下手に評価者に手を出すと、その属性の力を得にくくなる。

 魔法の基盤といわれる、七つの原盤が魔導士協会には保管されており、その原盤の色と違わぬ、溶け込む色の髪と瞳を持ち、なおかつ、それぞれの属性の自然の福音を聞き取る耳を持つことが絶対条件の評価者。その評価者の不在は考えられない。以前、一人の評価者が消えた時、次代が現れるまでその属性の魔法が使えなくなり、世界はパニックに陥った。よって、世界で最も優遇されて守られる存在が評価者だ。

 まあ、影だけはそれに該当しない。いなくても影響はないし、ハルは自然の福音とやらを聞き取れない。ただ、髪と、瞳が漆黒だからだと認識している。

「イルミナ様、こんな夜でも出歩けるんだ。そんなこと考えられるか? だって、『聖女様』だろ」

「まあ、『聖女様』とは、バーミセリでの彼女の活躍に対しての呼び名だからな。愛称というだけだろう。そんなに彼女に『聖女様らしさ』を求めたら、可哀そうだと思うけどね」

「じゃあ、アンデッドを消すのも? 聖女様だから仕方なくやっているっていうのか?」

「さあ……。それは彼女しか分からないことだ。大変だと思うよ、教会から出た女の子が、その実力だけで聖女と呼ばれ、あのシエンシアスの婚約者だ。彼女自身の価値がそこまで高くなることが、本人にとって幸せなのかは分からないぞ」

「シエンシアスの婚約者なんて立場、嫌がるやつなんていないだろ」

 隣国バーミセリの第一王子、シエンシアス・ナトゥ・ラーレス。評価者の一人で、銀髪ぎんのかみと金瞳を持つ唯一の人物。

 シエンシアスを一言で表現するなら、正に『』という言葉が相応しい。

 影以外のすべての属性を持つ人間。他の評価者が一属性しか持ちえない為、その調整役として位置づけられる存在だ。他の七人と違って、魔導師としての力量も確かで、なんといっても、世界の中央、消えた第一大陸の跡にある『虚無の柱』、その柱が膨張しないように周囲に結界を張り巡らせているのはシエンシアスなのだから。よって、彼にのしかかる責任は重大だ。

 ハルにとっては一番年が近い人物で、会えば身分なんて感じさせない気さくさで接してくる、それは誰に対しても分け隔てない、そんな人徳にも優れた王子だ。

 髪に漆黒の異変を持つかの『聖女様』。『まがい物の聖女は御免』、そう言い切ったのは、シエンシアスの隣に並ぶために必要だからかもしれない。イルミナも苦労している、そう言い聞かせれば、彼女がアンデッドを消し去るのも、許容できるだろうか。

 そう落ち処をつけようとしているハルの目の前で、ルスが少し咳き込んだ。

「あ、悪い、もう帰るよ」

「すまないな。本当は、アンデッドの件、俺が出ていければ話が早いんだけど」

「駄目だって、ランク会議は来月だろ。体大事にしてくれよ。俺と違って、いなくなったら世界が混乱する」

「……ハル、『俺と違って』っていう言い方はよしなさい」

「あ、悪い……」

 ハルが家を出ると、再び煌々と光りだしたルスの家。無理させたことを少し悔やんだが、真逆なルスが一番ハルを理解してくれるのだ。

「待てよ、あのイルミナも、まごうことなき光になったら、短命になるのか?」

 そこまで考えて彼女は動いているのだろうか。そして、それを許しているシエンシアス。

「何考えてるんだ、あいつら」

 己の婚約者を危険な目に合わせて短命へと導く、その行動はハルが知るシエンシアスとは結び付かない。シエンシアスなら、光でなくても愛情を注いでくれそうなものなのに。





 その次の日、寝ぼけ眼に衝撃が走った。

 ハルが朝起きた瞬間に、勝手に机の中の魔法精油が動き出し、空中に白い文面を描き出した。

 それは、初めて見る『緊急情報ホワイトレター』だ。魔導師協会、魔法管理機構と評価者の間で共有されるべき情報のうち、最も緊急性と重要性、又は危険性が高いものの伝達に使われる。あらゆる通信手段の中で最速を誇る伝達手段。評価者と管理機構及び魔導師協会のトップのみが出すことができるもの。数年に一度あるかないかといわれているほどの代物だ。

 内容は『ルス・リーシャ 意識不明』

「ルスさんが、倒れた!?」

 朝外を歩いているのを近所の人が目撃したが、その場で倒れたらしい。日中でも明るい家の明りがすべて消え、ところどころ影を作り出していたそうだ。

 魔導師協会の医療施設で一命をとりとめはしたが、意識は戻らず、予断は許さない。

「昨日会いに行ったからか?」

 その思考はぬぐえない。一応、魔力は漏れ出ないよう十分な注意は払った。しかし、やはり、ハルが会うのは、今のルスには大きな負担だったのだろう。

 憂鬱な気分で、体を引きずり塀に体を擦りつかせる勢いで歩く。その先の曲がり角で何かが動いた。

「……朝から景気が悪いわね、レフレと仲のいいハルモニ殿」

「メッゼ!」

 大方、市販化を狙う魔導師が湧いて出てくると思っていた。しかし、角を曲がった場所にいたのは、メッゼだ。相変わらず朝から目のやり場に困る格好をしてくれている。

「どうしてお前がここに?」

「アンデッド化、はしていないわね」

「そういうことか、してない」

 歩き出したハルに並んだメッゼ。他の魔導師のように歩みを止められないのが唯一の救いだ。

 ルスが倒れたという情報はハルたち以外にもすでに広まっているようだ。メッゼにとっても己の評価者が倒れたなら、さぞかし心配だろう。次代の光の評価者が不在のままルスがいなくなったなら、一番影響を被るのは光を主、副属性に持つ魔導師たちだ。

「アンデッド、最近頻繁に出没しているのよ。心当たりないかしら?」

「ない」

「昨日のアンデッド事件、あの火事も全てアンデッドの仕業になってるわよ」

「なんでだよ。ネグロの仕業だろ」

「私たちはそうだと分かるけど、現場を見ていた群衆的には、『アンデッドが公園を破壊し火災を起こし、魔導師五人を倒したのち、聖女様に消された』以上」

「……」

「まあ、アンデッドの身元が分からないのは幸いね」

「なんでだ?」

「……アンデッドが人々を襲う。もしそのアンデッドの生前を突き止められたら、墓は荒らされ、その遺族も追いやられるでしょうね。それくらい人はいまアンデッドに恐怖を感じているのよ。次はいつ自分が襲われるか分からない。もしかしたら、自分の先祖がアンデッド化して、己に火の粉が降りかかるかも」

「アンデッドは無実だろ」

「君は、アンデッドの肩を持つのね、レフレと仲のいいハルモニ殿」

「その呼び方、鬱陶しいからやめろ」

「はは! 間違いなく本物ね! よかった!」

 くるりと、ハルの前に立ちはだかるメッゼ。目のやり場に困る双丘がいきなり目の前に移動して、思わず壁に視線を移した。そのはずが、首に腕をかけられ引き寄せられた。アゴが柔らかい丘に乗っている。ほんと、朝から、辛い。そんな事は構わず、耳打ちしてくるメッゼ。他の生徒の視線が痛すぎるからやめてほしい。

「内緒の話よ。私アンデッドって苦手なのよ」

「それは知ってる、レフレに聞いた」

 ぶっきらぼうに言うことに努めると、メッゼは「レフレの奴!」と言って、より首を絞めてて来た。その度に、顔がなんだかいい匂いのする肌に食い込むからやめてほしい。

「……まあいいわ、それでね、それを克服しようと思って! 入ったのよ! 『アンデッド撲滅委員会』!」

 そんな言葉初めて聞いた。学校の委員会みたいなノリの組織、一体誰がどこで作ったのだろうか。

「それで、この辺の担当が私なのよ。つまり、また行くからよろしく、レフレと仲のいいハルモニ殿!」

「いい、来るな、お前が来ると場がややこしくなる!」

「そういうわけにはいかないの。今、自分の魔法を一般化させようと躍起になってる奴らが多いでしょう。だから、アンデッドが発生した時に自ら進んで現場に行く魔導師が前より減ってるのよ。そこで、一般化に興味がない奴らでチームを組んでるの。言っとくけど、魔導師協会公認だから」

 魔導師協会の会長といえば、数は多くないにもかかわらず、主属性にハルと同じ影を持つ人物。堅物で、評価者を『出来損ない』とよび、魔法の階級付けに対して『甚だ遺憾』とコメントする重鎮。特に同属性のハルには、会った瞬間嫌味、もとい、苦言を呈する爺さんだ。だが、魔導師からの相談には、例えどんな小さなことでも真摯に取り組む、そんな人物ゆえに、魔導師たちからの人望は何があっても揺るがないほどぶ厚い。

「あの、リガーテの爺さんがよく許したな」

「それだけ、今回のブリッサ王女の言葉に端を発した事態に頭を抱えているのよ」

 耳元でため息をつかれ、腕を離された。やっと自由になった顔が若干スースーするのが残念なのは、決して、目線で追ってしまう柔らかい感覚が恋しいからではない。断じてない。

「……いい加減、そこどいてください」

 低めの女子の声が後ろにあった。振り返ればイルミナがいる。だがどうしたことか、今出ていた声色と、その眩いばかりに輝く笑顔は不釣り合いだ。

「イルミナ様、おはようございます。ですが、ここは結構広い道ですし、イルミナ様は日陰よりあちらの日向の方が――」

 すでに、登校時間ギリギリ。もう生徒は誰も歩いていない日向の道を指さしたメッゼ。どう考えても先ほどのイルミナの言葉は、「朝っぱらからなにやってんのよ」という、言葉が含まれている。それに対して文字通りとったメッゼは生真面目すぎる。

「私だって、日陰を歩きたいときがあるんです!」

「いや、そんな日ないだろ、お前には」

「ハルモニ様は黙っててください! メッゼ様、私の邪魔はしないでください!」

「大丈夫ですイルミナ様、次は、イルミナ様のお手を煩わせることなく、こちらで対処しますので!」

「そういう事を言っているのではありません!」

 駄目だ、この二人、噛みあってない。

「イルミナ様はそういうことを言ってるんじゃないよ、メッゼ」

「……レフレ・ヴェルミ」

 今まで軽快に話していたメッゼがトーンダウンした。

「……相変わらず、目のやり場に困る格好するよね。見せるのが好きなのかい?」

「違うって知ってるでしょう! では私はこれで! お二人とも、しっかり勉強してくださいね!」

 そう言って軽快に去って行くメッゼ。いなくなると、イルミナが、「キッ!」とハルを睨みつけた。対してレフレは、つまらなそうに肩をすくめて、さっさと学校に入って行ってしまった。それを追おうとしたハルモニだが、横にはジトっとした顔つきのイルミナがいて思うように急げない。

「……朝からずいぶん楽しそうだったわね」

「……どこがだよ」

 ハルはそう言って、イルミナの顔の下、制服に包まれた、のっぺりした部分をおもわずみてしまった。

「……いい度胸してるじゃない。今度はアンデッドと一緒に撃ち抜いてあげましょうか?」

「お前、そういう冗談……いや」

 足を止めたハルにつられ、イルミナも二、三歩進んだ先で止まった。ハルの反応が意外だったのだろうか、少々眉間にしわが寄っている。

「それでもいいさ。もしかしたら、俺もアンデッドの仲間になれるかもな、死んだら」

「……言っておくけど、アンデッド化するのは『世界を思える徳のある人』だからね」

「……じゃあ、無理か」

 苦労はしているし真面目に生きている、だが、他人を思いやり、道徳的に優れているかどうかは別だ。目の前の『聖女様』とやらならどうだろうか。そんな疑問についつい見てしまった。平べったい制服を。

「言っておくけど、私も無理よ。っていうか、胸を見るな!」

 勢いよく正面を向いて歩いて行くイルミナの髪は一切乱れない。

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