2
日中、学校の近くで魔導師による複数の騒ぎがあった。なんでも、魔法の階級を落とすために、使用実績を集めているとか。ブリッサ王女の発言に翻弄されて嘆かわしいことこの上ない魔導師の行動に、イルミナはため息でもって感想を現した。
「しかも、こんな天気の悪い日に……。ああ、どうしてかしら」
その日の夜、雷鳴と共に雨が降り出した。近場にある墓地をチェックしていたイルミナは、その中でも、昼間騒ぎがあった複数の場所の中間地点の墓地に的を絞っていた。
「お気をつけて、イルミナ様」
イルミナは、マカロからあてがわれている屋敷を、バーミセリから同行した使用人に疑われることなく出て、濡れ始めた地面を駆けた。見聞を広めるという建前でアンデッド退治に来た。それを知っている屋敷の人間は疑うことなくイルミナを見送った。
すでに夜。雷鳴が響く中、水溜まりができつつある道を駆け墓地に近づく。そして近づくにつれて、イルミナの肌にピリピリとした感覚が這い始めた。誰も近づくことのない墓地、その入り口で立ち止まるとすぐに彼女にはその原因が見えた。
「やっぱり……。貴方がいらっしゃいましたね」
盛り上がった土。そこから顔を出す白骨の顔と腕。白骨の顔は一度イルミナを見ると、カタカタ音を立てて首を戻した。その視線、窪んだ眼窩の向いた先には、跪いている一人の少年がいる。暗闇に同化しかける漆黒髪が動くと、同じ色の瞳を見開きイルミナを見た。
「どうして、イルミナ様がこちらに……」
「ハルモニ様には申し上げたはずです、アンデッド事件を解決するのが私の役目だと。それに、一昨日の晩、貴方は私から逃げたでしょう?」
「やっぱり、あれはイルミナ様だったんですね……。ならなおのこと、この前も今も、こんな夜に光の素質しかない貴女がそこまで動けるわけがない!」
カシャン
「え」
「……ハルモニ様、そこを動かないでください」
スカートの中に忍ばせた愛用の白金の拳銃。中には、光属性の魔法精油をしみ込ませた特殊弾。
墓から起き上がり、ハルの肩に手をかけたアンデッドに銃口を向けたイルミナ、だがそれを遮ったのは他でもないハル自身だ。
「待ってくださいイルミナ様! このアンデッドは悪くない!」
「なら五秒以内に、そのアンデッドと意思疎通してごらんなさい。それができたのならば、消すのはやめましょう」
でもそれは、ハルには無理な話だ。
ハルの背丈を超えた長身のアンデッド。それは土から完全に出た体でハルを腕の中へとしまい込んだ。先ほどまで庇っていたはずのハルは「ひっ!」と声をあげ、振りほどこうとしている。それを見てガチャガチャと体を横に揺らし始めたアンデッドは、ハルとイルミナを交互に指さし、頭を傾げた。ハルから離れようとしないアンデッド、そして、怖いにもかかわらず、いつしか振りほどこうとした体はなりを潜め、己の腕でアンデッドの腕を掴んで離そうとしないハルがいた。ハルの顔は蒼白。光がない夜、ハルの体が光に蝕まれているということはあり得ない。故に、その表情も顔色も、全てが彼の心情を表している。
白骨のアンデッドは、ハルを見てから無表情のイルミナに目をやると、一度頷き、「あーん」と口の骨格を開け、「カプ」と音だけはコミカルにハルの肩に口の骨を食い込ませた。驚きと苦痛に顔を歪めるハル、それを見ればイルミナが引き金を引かぬ理由は、ない。
「『
パン!
アンデッドの頭蓋に展開されたイルミナの黄金の魔環。雷鳴にかき消されつつも、発砲音が響き、継いで、弾丸が魔環に着弾した。
「『闇の華はその顔に、大地を満たし、虚無へと開竅する』」
黄金に染まった魔環に植物が描かれると、瞬く間に砕け散り、ほんの少しの果実の香りがハルの鼻を掠めた。その香りが消え去るとともに、アンデッドの頭蓋は粉のように、サーっと崩れ始め、悲しいことに残ったのは体骨格のみ。命令系統があったのかは分からないが、頭蓋を失ってガシャンと崩れた白骨。それと共にへたり込んだハルは、震える手を伸ばし大きな欠片を一つ握りしめた。誰とも知らぬ者の骨を、赤ん坊を抱くかのように腕に収めたハルは、イルミナの方を向く気はないようだ。
「……ハルモニ様のお知り合いですか? その方」
「何故消した」
「貴方が襲われそうになったから、それだけです。それに、このままにしておけば、街に出て何をするかは分かりませんから」
ハルのアンデッドに噛まれた部分からは血が滴り、強くなってきた雨で流れ、腕を伝って地面へとしみ込んでいく。
「手当をしないと」
「いい」
イルミナは伸ばした手を弾かれ、さらにハルに睨み上げられた。ハルの表情は怒りよりも警戒であり、彼の怯え方は異常だ。
「……俺も消すつもりか」
「何故です? あなたを消す理由などございません」
「……アンデッドを作っているのは――」
「ご自分だとでもおっしゃりたいのですか? それとも、貴方がアンデッドだとでも? ああ! 仲良くしたいんですか? 彼らと」
「――っ」
「貴方はアンデッドでもない。そして残念ですが、アンデッドを作っているのも貴方ではない。そして、それは、巷で噂されている『ミドルネーム フェオ家』の仕業でもありません」
「でも、イルミナ様は『ミドルネーム フェオ家』をこのままにはしておけないと言った!」
「ええ、ですからこうして来ました。ハルモニ様は巷の噂をあてにして、アンデッドに近づけば『ミドルネーム フェオ家』に会えるとでも、そう思ったのでしょう。ですが、それは叶いませんよ。かの家は、もう一人しかいませんから」
ほんの少ししゃがみ、イルミナはハルと目線を同じくした。イルミナがハルに近づいてよく見えたのは、酷く落ちくぼんだ目と短時間でこけた頬。心情が顔にここまで出るハルは、素直すぎる。
「『ハルモニ・フォルノ』、七歳のときにご両親を亡くされた。そののち、ダンジェロ家に引き取られましたね。その時に、あなたは一つの特権を手に入れたはず」
「特権……? 評価者のことか?」
「とぼけますか? それとも、本当にすべて忘れているのですか?」
ハルの困惑した表情にイルミナが顔を曇らせた。
「そんな、誰もが知っている特権じゃありませんよ。貴方の属性証明カード、その時に発行されたものでしょう。その際に、誰が便宜を図ったか、貴方は名前を変えたはず。この世界で合法的に偽名を名乗れる特権を持つ人間なんて、そうはいませんよ」
「――っ」
「『ハルモニ・フェオ・フォルノ』それが君の名前よね」
イルミナは、己の髪は絶対に崩さない、崩すくらいなら燃えて死ぬのがまだましだと思っている。今だってこれだけ雨に打ちつけられたにもかかわらず、髪は一本たりとも乱れていない。
乱れることがない黄金髪。しっかりと伸びた背筋。凛とした佇まいに、教室で見せた慈悲のある微笑。そのいずれもがイルミナを聖女たらしめるものだ。だが、それもこれも、全ては唯一ある違和感を隠すため。触れるに叶わない人物である聖女、という印象操作の賜物だ。
イルミナが髪に手をかけて解く姿を無言で見つめるハルモニ・フェオ・フォルノ。その目が一瞬見開いた。
「なんでお前の髪に漆黒髪が混ざるんだよ!」
イルミナの髪にある、一筋の漆黒の毛束。属性を光しか持たないにもかかわらず、闇の中でもイルミナが動けるのはこのためだ。
「ハルモニ様のその襟足、魔法がかかっているでしょう?」
その言葉を肯定するかのように、首の後ろの髪を右手で押さえたハル。本来なら魔法などかけられるはずもない属性の象徴たる髪の毛になぜ魔法がかかるのか。それは誰に聞いても答えが出ない難題だろう。
ハルが押さえていた手をずらした一部分、そこにあるのは、暗闇で自然に光り輝く、微々たる黄金髪。黒に金はよく映える。思わず見とれたイルミナだったが、その直後、ハルの後ろの墓から肉付きの良いアンデッドが盛り上がった。ハルが何かを言いたげに振り返ったが、彼が口を開く間もなくイルミナが同じように撃ち抜き、残った体を墓へと戻した。
イルミナが今まで何度もしてきたこの作業、もうそろそろ彼女だって終わりにしたい。イルミナは自分の髪の毛を鷲掴んだ。
「私は、シエンシアス殿下に許可をもらってこの髪をあなたに返しに来たのよ、ハルモニ・フェオ・フォルノ。そして、貴方の髪も返してもらうわ。私、まがい物の聖女だなんて御免なの。それに……」
ハルはイルミナから視線を外したかった。だが、彼女がもたらした沈黙は、ハルの心臓の動きどころか息を吸うことすら止めてしまうほど重々しく、その圧倒的な空気に負けたハルは一ミリたりとも微動だにできず、瞬き一つすることが許されなかった。
「忘れているのなら、思い出して。この髪が入れ替わった時のことを」
重々しい雰囲気の中響いた、消え入りそうなイルミナの震えた声が、その日のハルの最後の記憶だった。
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