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第四大陸の西側にある国、マカロ。別名『魔法枢軸国』。
世界は、二つの大陸と一つの列島群で構成される。マカロは、そのうちの一つ『第四大陸』の半分の領土を持ち、魔導師協会や魔法管理機構などの本部が設置された魔法の中枢を担う国家だ。
この世界の中央には、世界のどこからでも視野に入る、円錐型を上下対称に重ねた漆黒の柱がそびえている。生命であるか否か、有機・無機問わず、あらゆるものの侵犯を許さないその空間は『虚無の柱』とよばれる畏怖の対象だ。大陸と列島群はその柱を中心に存在する。
何故、三つの地域に対し、『第四大陸』という呼称の大陸があるのかといえば、それは『虚無の柱』が誕生する前にその地で栄華を誇った、『失われた第一大陸』の存在故だ。
はるか昔に他地域の追随を許さないほどの魔法技術を誇った『第一大陸』は、さらなる栄華を求めた結果、空も大陸も、その地に存在するもの全てを内包して消滅した。勿論、逃げ遅れた人間も。
その結果が『虚無の柱』。
忘れ去られ、夢物語になってもおかしくない四千年前の出来事。だがそれは、未だに人々の行動を律する基盤にもなっている。それも『虚無の柱』という可視化された戒めがあるからだ。
とはいっても、この『虚無の柱』は力ある者により肥大化が抑えられ、人々の暮らしぶりは概ね平穏である。
『魔法枢軸国 マカロ』。その首都は国のほぼ中央に位置し、国名と同じ『マカロ』。
首都マカロは『魔香都市』ともよばれ、魔法研究の最先端であり魔導師も多く居を構えている。他国から留学してくる一般学生も多い。
そんな『魔香都市 マカロ』。その中央にあり、魔導師協会など、世界の要所が立ち並ぶ地域はセンスのない寄せ植えのような街並みだ。
魔導師協会などのビル群のすぐ隣には低層の民家が建ち並ぶ住宅街。その建材はまちまちで、煌びやかな暮らしぶりを惜しげもなく見せつける邸宅があれば、自然愛好家をアピールする手作り感あふれる民家もあり、統一性の欠片もない。道路にしても、舗装されアスファルトが敷かれている場所もあれば、まだ石畳の道もあり、整備の一貫性のなさも垣間見える。そんな道を、馬たちはこの世界の主要移動手段として日々駆けている。魔法で動かせる箱型の乗り物もあるが、多くの一般市民には手の届かない代物であり、人の交通手段は、先に述べた馬車か、ちょっとした魔法で軽快な走りを見せる自転車くらいだ。海を隔てて大陸が存在するため航海技術は発展しているが、大陸内を移動する鉄道は、路線も走る車両も数が少なく日常使いには程遠い。
今の世界に対し、「魔法があるが故に科学が進歩しない」、という急進派の意見も時折耳にするが、それはごく一部。魔導師が実権を握るこの世界でその発言の影響力は雀の涙ほどの力もない。
そんな凹凸の街並み、ビル群と住宅街の間にあるのが『
三階建ての白い校舎は、周囲にある魔導師協会などのビル群に埋もれてしまいそうな慎ましやかな佇まいを見せるが、ここは、公立でありながら優秀な人材が揃う場として名を馳せる。
例え、学区域内の居住者であっても、己の力量を疑うものは入学を辞退し、空白となった籍は区域外入学希望者ですぐに埋まる。一度、金銭による強制辞退が問題にもなった。
そんな、他者を凌駕する学生の集団には、幾名かの名の通った生徒がいる。その中で最も有名な男子生徒は、その存在としても、観察する対象としても、レアである。
『影の
教職員・生徒であっても、普段は授業でしかお目にかかれない、レア度が高いその少年。『影』の名にふさわしい『
(無駄な体力は使いたくないんだけど……)
そんなハルモニの願いとは裏腹に、登下校のハルモニは、いや、彼の周囲は日を追うごとに騒々しくなっていった。
魔導師によって。
今朝とて、校門まであと二分というところでハルモニは呼び止められ、頭を抱えた。差し出されたペラッペラの紙をみて、溢れんばかりの息と共に率直な評価を口にした。
「この魔法は、階級は下がりません。よって、
「そこをなんとか……。影の
日光で天使の輪ができる漆黒髪をぐしゃぐしゃと掻き、「面倒くさいことこの上ない」、という感情を隠さないハルモニは、目の前にいる明らかに年上の魔導師にペラッペラの紙をつきだした。それを、ペシペシ、と裏からはたき、登校の邪魔にしかならない、
「こんな薄っぺらい申請書類受理できるか! それに、『植物育成促進』の魔法はごまんとある! 今更、何の特徴も長所もない魔法を一般化はできない」
「なら実際に見れば良い!」
ヒートアップして脂汗をかく青髪の三十代魔導師と、蒼白の肌に冷や汗を伝う十六歳のハルモニ。周囲には二人を避けて一方通行で歩く生徒たち、その先である校門では、当番の教員が顔を覗かせている。
一か月前からハルモニの周囲で朝夕繰り返されるこの騒動は、魔導師が自分の開発した魔法を一般人が使えるようにしたいがために引き起こされている。
この世界の魔法の共通認識、それは、『一般人にとって魔法は買うもの 魔導師は魔法を創る者』だ。
魔導師が新しく創った魔法は一定期間その魔導師のオリジナル魔法として認定され階級づけされる。そして、効果と安全性が確認されたのち、本人の申請または誰かの推薦のもと、魔法管理機構と評価者たちの会議によって、一般人が買うことのできる『一般魔法』へと区分が変更、つまり、一般化される。
百年以上前は、『魔導師は一般市民に魔法を還元するのが役目』、とまでいわれていたほど、魔法の一般化は魔導師にとって当たり前の事だった。
だが、それはいつしか変化した。
魔導師のオリジナル魔法はその威力により六つの階級に振り分けられる。そして、その魔法の階級で魔導師自身の階級も変わる。そんな事情により、今では、オリジナル魔法を一般人が使える魔法に落とす、つまり、『魔法を学んでない人でもつかえるんですよ、と証明する手続き』そんなことを望む魔導師など皆無、そのはずだ。
さらに言えば、魔導師本人が望まず、勝手に推薦されても審議にかけられてしまう。魔導師の報復手段としても使われてしまう一般化の他薦。そんな問題がある場合でも魔法の審査を行う評価者を、魔導師たちは嫌味を込めて、『
ハルモニ・フォルノはそんな評価者のうちの一人で、彼自身の属性から『影の評価者』と呼ばれている。
本来ならば、絶対に、評価者であるハルモニには魔導師は話しかけてこないのが今の世。
しかも、ハルモニは漆黒髪で相手は少し薄い青髪。
髪色は魔法属性を象徴する、つまり髪色が異なる二人は属性が違う。そのため、属性が異なる相手に、ハルモニがしてやれるアドバイスなど本来なら、無い。
そんな事はお構いなしに、「いや、本当はあるんだろう、だから出せ」とばかりに、ハルモニに魔法を見せつけようと、意気揚々と魔導師は左の手の平を上に向け前に出した。その手には、一粒の黒い種。小さい時に誰もが見る植物にその種は似ていた。
「『
魔導師が呟いた言葉に呼応し、直径三十センチほどの明るい青い円が現れた。これは『
「『力はそれを満たす』」
魔導師が口にした瞬間、油滴が広がり魔環は塗ったかのような青色に染まると、一瞬のうちに、魔環は金色に変色し青文字の記号の羅列が現れた。使用している原料の動植物、又は鉱物の場合もあるだろう、その学術名が青く列挙され、魔導師が右手を重ねると、青い文字は草花へと変化し、砕け散った。
そしてハルモニの鼻腔を、年齢的にまだ飲めない、酒の匂いが掠めていった。
香りの余韻が残るうちに、種はアスファルトに落ちる、いやその直前に、小粒の種からは想像できない根を生やしアスファルトに突き刺さった。即座に三十センチは茎をのばし、瞬きする間に人の背丈へと成長しさらに伸び続け、数えきれない葉と蕾をつけて茎をしならせた。それは、咲きそうになっている特徴的な巻かれた蕾を見れば、朝顔、あるいは近縁植物であることに間違いはない。だが、腕よりも太い茎を持ち、人の頭と同じ大きさの蕾を無数につけ、その割に、今の図体にしては貧弱な根を地面に突き刺している植物は、世間一般の『朝顔たち』から遠くかけ離れている。
初等部で観察対象になる朝顔を、ものの三秒でここまでクリーチャーへと変貌させる魔法の、一体どこに必要性があるのかと、ハルモニはほとほと疑問だった。
そして、本来ならもっと朝早く咲く花が、狂わされたついでか、今その蕾を開き始めた。
ここだけはゆっくりと開く蕾。それを見ながら、ハルモニは朝顔もどきに近づいた。その、『もどき』、を挟んで魔導師が「どうだ」といわんばかりに胸を張っている。
これ以上かかわると、遅刻する。ハルモニは開花を見とどけるという思考はなく、半袖の制服の胸ポケットから、鉛色に鈍く光る軸のペンを抜いて、その植物に向けた。
「『
漆黒の魔環を、魔導師の創ったクリーチャーの根元に開き、親指で、カチとペンをノックすると、一滴だけ漆黒の油滴が魔環に落ちた。
ハルモニの魔環は魔導師とは違い、漆黒の魔環に油滴が落ちたのちに複数の草花を浮かべて魔環ごと弾けて消えてしまった。それと共に、魔導師の魔法もかき消され、今までが幻かのように、アスファルトに転がる種が一つだけ残る。それを拾い上げてハルモニは、受け取っていた資料と共に魔導師に突き返した。
「一つ、申し上げておきますが、一般市民が使う魔法は安全かつ、実生活に根差すもの、それが大前提です。こんなクリーチャーを生み出す魔法は審査するまでもなく却下です」
「だから、ここから改良を……」
「何より、オリジナル魔法の公道での無許可使用は、禁忌です。ご存知ですよね」
「え、あ――」
今気づいた、とでも言わんばかりに真っ青になった魔導師。金魚のように口を開け閉めし、今までの威勢はなりを潜め、言葉を切れ切れに紡ぎだした。
「あの、この、こと、は、上、には――」
「俺が報告するかどうかは、次の貴方の行動次第です。で、どうされます? まだ続けますか、この茶番を」
「いえ! 失礼します!!」
自分よりも一回り以上年下の子供に頭を下げて、魔導師は走り去った。
「やばい、遅刻……、って……」
ハルモニだって校門まであと数十メートルの距離を走りたかった。校門があと一分で閉まる。閉めようとしつつもハルモニを気にする教員が出たり入ったり忙しそうだ。
だが、『影の評価者』といわれるほどに、影に魅入られているハルモニにとって、光の下では普通の登校も瀕死、命がけだ。足元はおぼつかないし、動悸も激しく視界も眩む。だから、いつもは秘密裏に作った極力光が当たらない裏ルートで来るのだが、この一か月は魔導師の申請を受けるためにあえて外を歩いている。
不本意ながら、そうしろと魔法管理機構の職員に言われたのだ。
『評価者』として、世界に七人しかいない『純属性』。その特異さゆえに大事に扱われ、さまざまな特権が用意されている評価者。
居住の自由、移動の自由、資料閲覧権、魔法素材の優先権、もちろん、金銭的な援助も。
だが、そんな評価者としての数々の特権も、『義務教育』だけは免除してくれなかった。だから、こうして、死にかけながら登校しなければならない、真面目なハルモニだった。
「……サボればいいんじゃないかい?」
「そう簡単に言うなよ、レフレ……」
体を引きずり何とか校門をくぐったハルモニは、教室の廊下側にある自分の机に突っ伏した。いつもなら、学校から私的使用を許可された部屋にこもり英気を養うが、今日はそんな時間的余裕はなかった。だから、仕方なく教室にいるのだが、それを見かね呆れたのが、クラスメイトのレフレ・ヴェルミだ。レフレは、窓際の光が当たる自席から、空に向かって元気に生える短い
レフレは魔導師、しかも、史上最年少、十三歳で魔導師になった逸材である。
「なんだい? ハル」
ハルモニは、自分の名前が女性らしく感じるため、『ハル』とよんでもらっている。そんなハルは、本来なら苦手であるはずの属性であるレフレの頭を凝視した。
属性は髪と
だが、八人いる評価者のうち七人はそうではない。評価者七人は、髪色と瞳色が同じ『純属性』。それ故に、彼らは所持する魔力量が膨大であるにもかかわらず、使用する魔法は二属性を持ち合わせる人間にいとも簡単に負けてしまう。一属性だけの攻撃に対する防御は堅牢だが、二属性を絡められると太刀打ちできないし、防御が二パターンある相手には、一属性の攻撃など貫通しない。所持する魔力量は破格なため、宝の持ち腐れ状態である。いっそのこと、共闘すれば強いはずだが、評価者にものしかかる魔法の規則『魔法律』と、何より、評価者たち自身の我が道を行く奔放な性格的にそれは難しい。
レフレは金色に象徴されるように『光』を主属性に、紫に象徴される『水』を副属性に持つ。レフレのように光を属性に、とくに主属性に持つ人間はハルにとって厄介だ。近づかれれば内面から出る光の魔力に晒されて体の自由がきかなくなる。だから、この学校でも光が主属性でハルに近づく人間はそう多くない。だが、レフレのように魔導師ともなればその辺のコントロールは身に着けており、現に、こうして瀕死の状態で机に突っ伏しているハルにレフレが近づいても、ハルの体調が悪化することはない。
「俺、お前が友達でよかった」
「なんだい急に。もう一回言うけど、学校は休めばいいだろう?」
「……絶対休むなって、魔法管理機構から言われてる」
「それ、他の評価者の仕事をハルに押し付けてるだけだろ? 管理機構は何をしてるんだい?」
「あそこはあそこで酷烈だ。三日前に職員の三分の一は床で寝ていたし、踏んづけても起きなかった」
「それはそれは……。姫様の発言の影響がここまでとはねぇ」
「ほんっとに! あの姫様は!!」
不敬罪かもしれないが、ハルは王族を思い出して握り拳を作って震えた。それくらい許してくれてもいいだろう。ことの発端は姫様の一言が原因なのだから。
三カ月前、隣国『バーミセリ』の第一王子が、王族でも貴族でもない女性と婚約したことにいたく感銘を受けたマカロのお姫様は言いました。
「身分差の結婚! なんて素敵でしょう! 私も家柄にとらわれずに、私を一番に思ってくださる方と一緒になりたいわ!」
とか何とか言ったマカロのお姫様。そんなお姫様に父である国王は「いいよー」とでも返事をしたらしい。結果、一般人の中からお姫様の婚約者探しは始まった。それだけなら良かったが、姫様はこうも付け加えた。
「あ、確か、魔導師階級の六位以上は貴族相当でしたわよね」
つまり、十二ある魔導師階級、そのうち、六位以上に相当する魔導師はお呼びでない、ということだ。
あとは想像できるだろう。野心に燃えるか姫様目当てか、不埒な目的でわざわざ階級を落としたい魔導師が湧き出て来たのだ。己の階級を落とすなら所持する魔法の階級を落とさねばならない。故に、魔法の階級を管理する魔法管理機構に「俺の魔法の階級を落とせ、なんなら一般化して手放してもいい!」と申請が押し寄せた。そこに王族からの圧力もあったのだろう、結果、本来ならば三年後のはずのランク会議が三か月後に臨時に開かれることになり、現在申請受け付け中なのだ。その事務処理をする魔法管理機構はすでに機能不全寸前。だから評価者も申請を受け付けるようにというお達しだった。だが、評価者八名のうち実際に居場所が特定できるのは六名、そして、その中で気楽に会えるのはただ一人、ハルモニだけだ。よって、連日魔導師に押しかけられ今朝のような始末。
若干十四歳ながら、世界で有数の美姫として名高いマカロの第二王女『ブリッサ・プリ・マーベラル』。ウエーブのかかった柔らかい青髪を持つ姫君は非常に愛くるしい方だが、彼女の発言はちっとも可愛くなかった。この上なく面倒だ。
唯一の救いは、天才と名高いレフレがこの件に対して無関心なことだ。すでにランク五位であるレフレ。年も十六であり、ブリッサ王女とは歳的にも釣り合いがとれる。
「どう考えても三十そこいらのおっさんが、王女の婚約者って無理あるだろ? あいつら何考えてんだ?」
「何も考えてないんだろうね。ちょっと考えれば自分にお鉢が回ってこないことは分かるはずだよ。大体、シエンシアス殿下の婚約者は、一般人だけど、そうではないだろ?」
レフレの意見にハルは深く頷いた。
隣国『バーミセリ』。その第一王子、シエンシアス殿下の婚約者。そのお方は一言で表せば『聖女様』だ。
教会出身の『聖女様』は、バーミセリでは英雄レベルの有名人。
この第四大陸で頻発している『アンデッド事件』を片っ端から解決している、非常に光の強い人物。
カテゴリー『聖女様』は最早一般人ではないだろう。
姫様も、不埒な魔導師も、そこのところは気づいてくれていないようだ。
チャイムが鳴り、生徒が席に着き、担任が入ってくる。
そんないつも通りの光景を、疲労感からかボーっと眺めていたハルは、思わず目をこすった。担任の後に続いて女生徒が入って来たのだ。一気にざわつく教室。揺れる前のクラスメイトの頭を縫って、ハルモニは最後列の席からその女生徒を覗くと、体が凍り付いた。このシチュエーションだ、彼女が転入生、だということは分かる。
だが、何故だ。
「バーミセリから見分を広げるために参りました、イルミナ・ブロードと申します。短い間ですが、どうぞよろしくお願いします」
挨拶と共に優雅に頭を下げる彼女。編み込まれて、決して動き崩れることがなさそうな、黄金髪。そんなイルミナは顔をあげてハルを見つけ出すと、黄金瞳を細めて柔らかく口を動かし、よく通る声を出した。
「影の評価者のハルモニ・フォルノ様ですね。シエンシアス殿下からお話を伺っております。どうぞよろしくお願いします」
そこでハルに聞こえたイルミナの声は途切れた。
影のハルには光は耐えられない。太陽が照る中歩くのも、窓から差し込む光だって体を蝕みはじめる。光が主属性の人間もその元凶となる。幸い、学園では己の魔力を制御できない者は近づいてこない、だからギリ平和だったのだ。
だが、この光の純度百%の聖女様は、論外だ。
イルミナは、一番離れた位置からでもハルを卒倒させた。
ハルが目覚めたのは薄暗い部屋。ベッドの上。鼻をつく薬品の匂いで学校の保健室であることはすぐ分かった。
「なんであんなのが来るんだよ!」
起き上がるとともに思わずハルの口から出たのは他の誰でもない聖女様への文句だ。そもそも、王子の婚約者が、何故隣国に留学しに来る。挙句、何故この学校、何故自分のクラスなのだろうか。そう疑問に思っても仕方ない。
「何でとめない! シエンシアス! しかも、魔力制御、下手くそなのか!?」
「シエンシアス殿下を呼び捨てとは歓迎できませんよ?」
薄暗い中、ベッドサイドには暗闇に同化できない女子生徒がいた。
「今朝は申し訳ありませんでした。お会いできてうれしくて、ついつい魔力の制御を忘れておりました。以後気をつけますね」
にこやかに笑うイルミナがベッド脇にいる。自分が原因だと思うならなぜここにいるのか、ほとほと疑問だ。確かに魔力を制御しているのだろうが、その制度は粗い。ハルは今でもほんの少し、胸が締め付けられる。
「もう少し離れてください」
「え? ……この辺ですか?」
椅子から立ち上がり二歩ほど離れたイルミナだが、ハルの胸の圧迫感は治まらない。
「もうちょい、もうちょっと……。そのくらいです」
「……もう壁なんですけど」
「三メートルですね。今の魔力制御なら、いつもその位離れていてください。じゃないとしんどいんです」
「……人工の明りは?」
壁のスイッチに手をかけ、イルミナは念のためハルにお伺いを立てた。
「イルミナ様とセットだと厳しいです」
「なんだか、私、随分な扱いですね」
「俺の体質はご存知ですよね?」
頷くイルミナは肩を盛大に落としてため息をついた。
「光が駄目なのは存じ上げておりますし、レフレ様から大変お叱りを受けましたよ。あの方、随分とお友達思いですね」
そう言うとイルミナはドアに手をかけた。
「申し訳ありません、私も薄暗いのは体質的に苦手なのでこれで失礼いたします。ああ、その前に、ハルモニ様、最初の疑問に対するお答えですが、私が来た本当の目的は『アンデッド事件』を解決するためです」
「ア、アンデッド事件を?」
その言葉に、多少楽になったハルの胸が、元気に動き出した。いや、動き過ぎだ。明らかにいつもと違う鼓動につられて上ずりそうになる声を、怪しまれないように押さえつけ、ハルは取り繕った声を出した。
「わざわざ、イルミナ様が、いらっしゃるほどの、こと、ですか?」
「今やらねばならぬのです。これ以上『ミドルネーム フェオ家』をこのままにしてはおけないのです。では、失礼します」
音もなく開いたドアが閉まると、ハルの筋肉が勝手に震えだした。震えると、自由がきかなくなり、次第に体が丸まっていく。意図せず膝を抱えてもなお、震えが止まらぬ体。視界に入る手の震えが自分の恐怖をあおり、さらに震えは増していく。
『ミドルネーム フェオ家』。通称『闇の一族』。
アンデッドを作っていると噂さされる一族だが、その素性は不明。存在すらも不確かな一族。王族しか持たないミドルネームに『フェオ』という表記を掲げる一族のはずだが、そんな人間にハルは今まで出会ったことなどない。
ハルは慌てて胸元を探り、生徒手帳に入れてある漆黒の誕生石がはめ込まれた属性証明カードを出した。これは、己の属性とその比率、魔力量が記載された、この世界の身分証。決して内容を偽ることができないそのカードは魔法購入時に必須となる。
このカードに記されているのが、偽ることのできない、この世界での自分。
『ハルモニ・フォルノ / 十六歳 / 主属性 影 / 副属性 該当なし / 魔法購入制限 影 / 魔力許容量 測定不可 / その他特記事項
それが、紛れもないハルの身分。おかしい所など何一つない。カードを見つめ、次第に手の震えが止まると、ハルはベッドから降り、襟足をチェックして保健室を後にした。鍵を職員室に返すと、もう日も暮れ始めており、慰め程度には過ごしやすい。
「丸一日寝ていたのか……」
帰った先は小さな集合住宅の二階。魔法でかけた鍵を開け、暗い部屋になだれ込むと、定位置にあるコップに慣れた手つきで水道の水を注ぎ一気に流し込んだ。
「アンデッドか……」
あの聖女様ことイルミナ・ブロードがアンデッド事件解決のために、『ミドルネーム フェオ家』を探しているなら、アンデッドを作っているのは、本当にその一族ということだろうか。
「なら、俺だってお目にかかってみたいさ」
しばらくソファに座り、外が暗くなるのを待った。時刻は午後八時、初夏でも流石に暗くなる時間だ。やっとカーテンを開け、星明りに照らされた室内。活動するのに、ハルにとってこれくらいの微々たる明りがちょうどいい。優しく照らす星明り、今日の夜空は快晴だ。
「今日は無理か……」
アンデッドの出現要件は、『雷鳴』だ。それ以外にあるかは分からないが、唯一の共通点だといわれている。だが、星が煌めく夜空には、電気を帯びた雲の欠片は無い。
後ろに広がる、唯一ハルが警戒を解ける部屋は、ソファとベッドが幅を利かせている。その他は机と、その脇にある小さな本棚とその中に並べられた教科書。室内は黒く塗られ、唯一黒くないのはフローリングの床のみだ。一見殺風景、いや、それどころか、おどろおどろしく見えるだろう。だがこれが『影』の便利なところだ。
机の引き出しから、小瓶に入った液体を取り出す。これがこの世界『魔法』。フローリングの床を踏み、素材が違う部分に一滴垂らすと、床に瞬時に広がる漆黒の魔環と化学式。瞬きする間もなく、その円の中に数種類の植物が描かれ一気に弾けて消えた、そして、柑橘系のさわやかな良い匂いを残していくのだ。そして顔をあげれば壁面全てを覆う書架と本。それは入り口まで続いており、その全てが、魔導師が扱う『オリジナル魔法』と、一般市民が使う『一般魔法』についての記述だ。名前すら知らない先代の影の評価者。その人物の蔵書をそのまま受け継いだ本であり、先代もまた受け継いでいたものかも知れない。
つまり、見る者が見れば古い文献、垂涎の的。防犯目的もかねて黒壁でカモフラージュできるのは、影が故の便利な魔法だ。この魔法はずいぶん昔の人間が作ったもので、手元の資料にも、その制作者の記述が曖昧だった。
ハルは魔導師でないが故に、オリジナル魔法は使うことを許されない。だから、一般人同様、魔法を購入しなければならない。だが、影しか持たない彼に適した魔法は少なく、書籍を隠匿していた魔法のように、自ら先人の文献を頼りに改変を重ねつつ複製することがほとんどだ。
この世界の一般人が使用する一般魔法は、『
机の引き出しには、隠匿魔法を展開する魔法精油と解除する魔法精油。それ以外の小瓶が三つ。その並びに、制服の胸ポケットに差していたペンを並べた。今朝、ハルがこのペンから出したものは、『
「そう簡単に『鎮静魔法油』に溶かせられるわけないだろう。たかだか、一、二カ月でできると思うのが間違っている」
独りよがりな魔法は、一般には向かない。それが分からない魔導師、彼らの資質は昔より低下しているのは間違いない。魔法管理機構の面々がそう愚痴をこぼしていたのを聞いたことがあるが、まさに現状がそれを物語っている。レフレのような魔導師が多ければいいものを、上手くはいかない。
本棚に挟んだ目印を指で伝い、ハルは読みかけの文献を開いた。まだまだ読み切れていない。全部読んだら分かるかもしれない、巷を騒がすアンデッドを作る方法が。そして、彼らの声を聴く方法が。そして『ミドルネーム フェオ家』のことも。
「イルミナ様がアンデッドを消す前に、どうにかしないと……」
昨日墓地で見た少女が頭をよぎる。
ハルに、彼が逃げ出したくなる光が一歩一歩迫っていた。
翌日、朝から雲がかかって幾分過ごしやすい。いや、それでも、登校は命がけ、そしてこのパターンもいい加減にしてほしいとハルは肩を落とした。
「無理です、あなたの魔法は一般化できません」
「ちゃんと読んでくださいよ!」
「使用実績数が全く足りない。これでは、申請を受理などできません」
今度は
「……一つ忠告しておきますが、ブリッサ王女は十四歳ですよ。正気ですか?」
「お、王女は関係ない!」
「ソウデスカ」
ハルは動揺した魔導師にため息を吐き、書類を返そうとした。しかし、今日の魔導師は意外と引き際がよく、「使用実績だな!!」と叫んでそのまま走り去って行ってしまった。
「嫌な予感しかしない……」
教室では、既に登校していたイルミナを囲み話が盛り上がっていた。窓際のレフレの前の席になったイルミナ。外は曇りでいつもより眩しくないはずなのに、快晴のときよりもハルの体にのしかかる圧は大きく、教室に入るのに勇気が必要だった。クラスメイトもハルの体質は知っているし、昨日倒れたばかり。イルミナの話に混ざらなくても誰も気にしてはいない。そんな騒がしい教室の隅で、ハルは先ほどの魔導師が置いていった書類に一応目を通す。だが、どう見ても使用実績が不足している。ここから解析されたデータなど信憑性に欠けるとしか言えない。
「あの魔導師、使用実績、って理解していたけど……」
やはり嫌な予感がしてしまう。
窓の外は曇り、しかも遠くの空はどす黒い雲が覆っている。絶好のアンデッド発生条件がやって来るかもしれないこの現状。だが、その前にあの魔導師だ。
「無理矢理使ってデータ集めたりしないだろうな」
独りよがりな魔法で実害を被るのは周囲だ。
外を見ていた目を教室内に戻すその一瞬の動きでハルがイルミナをなぞると、彼女と目がかち合った。ほんの少しだけ会釈をすれば、微笑み返される。聖女様の愛称に恥じることない優しい笑みだ。その笑みをたたえて、イルミナはアンデッドをこの世から消し去る。それが市民にとっては正義だろうが、案外残酷だ。
休み時間、特別に借りている空き教室を締めきっていたハルを思わぬ人が訪ねて来た。
「ハル、ここにいるんでしょ? 開けるわよー!」
「リアマ義姉さん!?」
勢いよく扉を開けて入って来たのは、リアマ・ダンジェロ。
一歳年上で魔導師資格を持つ人物。年頭の魔導師試験に合格した、出世頭の一人だ。両親を亡くしたハルが七歳のときから世話になっている、ダンジェロ家の一人娘。リアマは、慌ててカーテンを開けようとしたハルを「別にいいって」と笑いながら制した。
「ハルの部屋が暗いのなんて慣れっこよ!」
ハルがダンジェロ家で世話になっていたときから、彼の部屋は暗かった。それを知っているリアマは、今更ハルが暗い中で一人本を読んでようが、食事をとっていようが驚かない。
ただ、ハルとしては、久しぶりに会えたのに、リアマの綺麗な長い
「ねえハル、あなたのクラスに聖女様が留学して来たんですって?」
「ああ、イルミナ様だろ。すごかった、俺、卒倒した」
「ハルが? じゃあ、やっぱり彼女は本物の聖女様なのかしら! 是非ともお会いしたいのだけど?」
「イルミナ様なら午前で帰った」
「ええ!? 残念……」
そう言って、声でうなだれると、リアマは「またね」と、ハルの頭を撫でて出て行った。ドアが開くと、そこは明るく、高く結われた赤髪も、ハルに向かって手を振る姿もよく見えた。スレンダーな体型は一見細身の男性と間違えてしまう。ただこれは、過去一度口にしたときに烈火のごとく怒られた挙句、しばらく口をきいてもらえなかったので、ハルは二度と口にしないと誓った。だが、男子から見ても、リアマはカッコいい。これで魔導師だ、ハッキリ言って女子がうるさい。
「でも、義姉さんイルミナ様に何の用なんだ?」
野次馬根性でイルミナに会いたいというのが少し信じられないハルは、考え過ぎて午後の授業をあやうくサボるところだった。
そして放課後、暗雲が頭上を覆った。足早に帰宅する生徒たち。アンデッドの発生要件は、誰もが知っている。だから、こんな日は早く帰り間違っても墓地になどは近づいてはいけない。アンデッドに会いたくなければ。つまり、会いたければ墓地に行け。
「どこだ、今日出るところは」
他の生徒に倣って帰路についたハルモニだが、その胸中は真逆だった。
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