終
彼女は彼の部屋だった場所で闇の魔環を開いた。幼い頃、一度も開いたことなかった闇の魔環も今は開くのは造作もない。
彼女がシエンシアスから唯一預かった父親の遺品。その手記を必死に読み込んだ彼女にとって、ハルモニへと戻って最初の魔環の展開が大勝負だった。父親から力の使い方を知らされていなかった彼女にとって、父が記した唯一の遺品が闇のすべて。ぶっつけ本番で属性の融合の調和という、父親が死ぬ要因の魔法をつかうことは一歩間違えば自分の死、それでなくても暴走の危険もはらんでいた。それでも無事に乗り越えられたのは、彼によってつくり込まれた鎮静魔法油の存在が大きい。
彼女が彼の机の引き出しから隠匿魔法を解除する魔法を取り出し、魔環に垂らすと簡単に部屋一面を埋め尽くす本が現れた。
ここにあるのは今までの全属性の魔法の記述。今まで間欠的に出現した影の評価者が集めた資料。
限りなく漆黒に近い目と髪を持ち合わせたために、身の丈に合わない影の評価者を押し付けられ、闇の代わりをさせられた彼らはさぞつらかっただろう。
本当の闇ならばとるに足らない魔環の展開ですら、彼らには論理的に突き詰めてやっとそれっぽくこなせるもの、精油なんてまさにそう。『影』もとい『闇』の専売特許ともいえる鎮静魔法油は、『影』だった人間には疑似的なものしか作れていなかっただろう。厳重に堅牢に魔法で鍵が施された書物。幾重にもかけられた鍵を解除魔法で解くと、そこにあったのが鎮静魔法油のリスト。『影のパターン』に合わせた鎮静魔法油の組成はいくつもあれど、大元になるべき『純粋な闇』の組成がない。巻の冒頭には、『闇は闇にしか伝わらず。推測するしか術はなし』と一筆したためられている。試行錯誤して『闇の代わりの影』を務めた彼らによって、代を経て受け継がれた『疑似鎮静魔法油』。
それを完璧に『純粋な闇』が使える代物に仕上げたのは、他ならぬ、彼女が闇を押し付けた彼だ。
「本当に何にも伝えてなかったのね。そうまでして、闇は人と関わりたくなかった」
魔法の一大帝国として先陣をいった第一大陸。その魔法に必要とされ、自由がなかった闇。囚われていた闇の一族を逃がすために、当時の光と闇はその属性を入れ替えた。それは第一大陸よりも前にも、もしかしたら第四大陸に逃げた後も何度もあったかもしれない。もはや、どちらが光か闇かは問うても無駄なこと。
ただ一つ言えることは、第一大陸を捨ててでも逃げ延びることを決めた彼ら。安定した住処を求め旅するほどに、この世界において人間により闇にのしかかる負担は大きいということ。
「それを、彼に担わせてしまっただなんて……」
トン、トン
「?」
トントントン
「イルミナ、起きてるか? っ痛ぁ!?」
自分の名前を呼んだ彼が、何かに対する痛みの声をあげた。大方、自分の名前を他人に使ったから、怒られたんだろう、光の神とやらに。
「……いるか?」
朝方だからか、少々抑えられた彼の声に合わせて、彼女もドアに近づきひっそりと言葉を返した。
「いるわよ。外に出て行けるわけないでしょう」
「なら話が早い。お前、もう一度闇を俺に戻せ」
「嫌に決まってるわ」
「なんでだよ……。わざわざ存在しにくい方になる必要ないだろう?」
「そっくりそのまま返すわよ。もともと、イルミナは貴方なんだからこれで元通りなの、分かった?」
お互い純属性の彼らにとって、部屋のドアが強固な境界線。同じ場には長くはいられない。ただ、自然とは違って夜でも光が灯るこの世界では、光の方が生きやすく、生きながらえるのは明白だ。
しかし、一度は自分が受け入れた自分の生き方を、一国では聖女と扱われ国民の支持を得る彼女になどとても押し付けられたものではない。そんな思いで出た彼の言葉、だが、そんな理由で彼女は満足するわけない。
「お前は、光に戻ってシエンシアスの隣にいろ」
「……なんでそんなこと言うのよ」
「だって、こことシエンシアスのところじゃ環境は雲泥の差だろ? それに、お前がいなくなったらバーミセリはどうするんだよ。いきなり王子の婚約者の聖女が消えただなんて、国中が混乱するぞ」
「……そんなの、シエンシアスがどうにかするわよ。あの人の求心力、甘く見ちゃ駄目よ」
折れることなどない、むしろ、少し意地になる彼女を引っ張り出そうとドアノブに手をかけても、闇の属性でかかっていた鍵は光では外側からではどうすることもできなかった。
少しの沈黙の後に、探るようなイルミナの声が出た。
「全部思い出した?」
「ああ。思い出したから俺を中に入れろ」
「……入ったら死ぬわよ? というか、思い出したなら……、私の顔なんて見たくないでしょう?」
「思い出したけどそれは違う。闇のお前に不用意に近づくなってうるさいほど言われてた! それなのに近づいてお前を消しそうになったのがそもそもだ。……父さんも母さんも俺が消したようなもんだろう」
「……なによ、その曲解。消したのは私」
「引き金を引いたのは俺だ。ごめん、あの時そう言ってやれなくて。おい、イルミナ……、って痛い!」
眉間を押さえながら彼が扉にすがっていると、カンカンカン、と音がし、赤髪が駆け上がってくるのが彼の眼に映った。
「義姉さん……」
「……リ、リアマ、様?」
彼の耳に、鼻が詰まった弱々しい声の後に、ほんの少し、ぐす、っと鼻をすする音が扉の向こうから聞こえた。そんな彼女にどう声をかけるべきか迷っていると、階段を駆け上がって来たリアマが彼の隣で何度か深呼吸をして息を整えた。そして、見えない彼女の居場所が分かるかのように、ドアをまっすぐ見た。
「どうか、聖女様のままシエンシアスの隣にいてくださいませんか?」
「……リアマ様がそんなことを言いだすとは青天の霹靂ですけど?」
「そんなことありません。最初に言ったのは貴女です。聖女様がシエンシアスの隣からいなくなれば、何処かの国の姫君か、バーミセリの有力諸侯のご令嬢がその跡目につくのは目に見えてるんですよね?」
「……そうでしょうね」
「でしたら、お願いです。必ず虚無の柱から世界を守るという重責からシエンシアスを解き放ちます。絶対に彼の隣には自分が相応しいと知らしめてみせます。ですから、それまでは貴女にいてほしい。それに……、その研究には闇の力が絶対に必要なんです」
リアマは、隣で身に覚えのない方向に進んだ会話に口を開けている彼を小突いた。仕方がない、彼は義姉の思う相手の事なんて今まで聞いたことすらないのだから。そんな義弟を小突きながら、リアマは言った。
「虚無の柱のもとに大陸を作る私たちの研究、もちろん手伝ってくれるでしょう?」
「た、大陸? なんだそれ――って痛っ!!」
リアマが義弟の足を踏んづけた。
「手伝ってくれるでしょう?」
「あ、ああ、勿論……」
「ですから、聖女様はしばらく本物の聖女様でいてください」
「しばらくって、どの位よ。いっとくけど、婚約者のままでいられるのは、あと、三、四年よ。そのあと、本当に結婚なんて話になったらどうするつもり?」
「イルミナ……っ、て痛ぇ!」
先ほどから、彼が彼女をイルミナというたびに、闇の頃に突き刺さって来たのとは違い、明らかに眉間だけを狙って突き刺さる針のような鋭い痛み。「お前がイルミナだろうが」と、言ってくる見えない存在に、とりあえず彼は空を睨みつけた。
「ちゃんと迎えに行くから、大人しくイルミナのままシエンシアスの隣にいろ」
「だから、いつ来てくれるのよ」
「それは分からないけど……。お前の言う、三、四年に間に合わなかったら、シエンシアスのもとから攫ってやるから、な?」
「……絶対に?」
「約束する」
「……」
「イルミナ? って、痛い! やめろって!」
「懲りないのね。まあいいわ、今度は、ちゃんと全部変えて頂戴ね」
「『いくばくかの螺旋の後に混じり合う、我ら対極ながら可変な存在なり。主権たる闇の主がそれを是かと問うたなら、光はどう応ずるか』」
「『応じます、我も是と』」
ちぐはぐのない純粋な光と闇。それに簡単に入れ替わってしまった二人だが、入れ替わったそばから二人分の倒れる音が響いた。
「ハル!? イルミナ様!?」
「――ッ、ハル!?」
内側から鍵を開けてよろけて出て来たのは見知ったイルミナだ。外に出たことで幾分楽になっただろう、ハルの横にしゃがむと体を抱え起こした。蒼白になったハルの全身の皮膚。その境界がぼんやりし始めるとイルミナが手をとった。
「『貴方が私の思い……』」
そこまで言いかけ首を振り、もう一度手をきつく握るとイルミナはため息をついた。
「『貴方が私の友である限り、傍にあり続けます』」
きつく握った手を放すと、ハルの手に描かれる黄金の魔環。その中央に花があしらわれたものが、光って消えてしまった。それと同時に思いきり起き上がることができたハルは、光に照らされても何の影響もない己の体に驚いた。
「どういうことだ?」
「純属性の光と闇がかわす、加護の一つよ。これで、ハルも光の下でも平気でしょう。前の、変わっていなかった髪の毛の比じゃないくらいに役立つはずよ。定期的に付け直さないといけないけどね」
苦しくないハルの体からするに、それは間違いない。
「なんだ、二人とも戻ったのかい?」
「殿下」
「シエンシアス! 体は大丈夫……、か、あ?」
この場に居座ろうとしたハルの手をイルミナが引いた。
「おい、シエンシアスを置いていく気か?」
シエンシアスを横切り、トントンと階段をリズミカルに降りつつ、ハルがイルミナに声をかけた。
「いいの」
振り向かずに答えたイルミナの代わりにハルが後ろを向くと、何やらシエンシアスが小袋をリアマに渡している。恐縮しているわけでもないリアマと、親しい人間に見せるシエンシアスの表情を見て首を傾げたハルにイルミナが突っ込んだ。
「いいこと、ぜぇっっっったい、リアマ様の邪魔、したら駄目だからね!」
「する気はないけど……。つーか、さっきの話の流れから言うと、お前シエンシアスとは結婚したくないのか?」
「……今まで何を聞いていたのよ。それが分かっていないならさっきのセリフは何なのよ!? 一発頭叩いていいかしら!?」
呆れたイルミナが手を放そうとするも、逆に手を握られ離すことができず、しっかりとハルに掴まれている手を見た。
「なによ」
「お前、俺に加護を渡したはいいけど、自分はどうなんだ?」
「……言っとくけど、光の方がこの世の中生きやすいのよ。別に加護なんてなくていいわ」
「ルスさん見てると、そうは思えないけどな。イルミナ、なんて言えばいいんだ?」
「……知らない」
そっぽを向いたイルミナの顔に手を当て、グイッと正面を向かせたハルは、子供に言い聞かせるように優しく言った。
「イルミナ?」
「……『あなたが私の友である限り、傍にあり続けます』」
「そうだったか? 父さんが言ってたのはなんか違う気がするけど……」
「……気のせいじゃない?」
「そうか? じゃあ……『貴女が私の友である限り、傍にあり続けます』」
握った手を放せば漆黒の魔環と花の刻印。少し光るとなかったかのように消えてしまったその魔環を、イルミナはしげしげと見つめた。
「……ありがとう。それと、ごめんなさい、ハルのご両親のこと……」
「さっきも言っただろ、俺たち二人のせいだ。だから、お前がバーミセリに帰ったら花添えに行くぞ。シエンシアスに許可とっとけよ」
「……うん」
そんな二人を近くの家の塀に隠れて見ているのは、基本的に興味のあることでしか動かない五人だ。暇なのだろうか。
「ルスさんが、『二人がどうなったか見て来い』って言うから来たけど……。あの二人、なんで『まずはお友達から』みたいな展開になってるのよ!!」
「まあ、あれで二人とも倒れなくなるならいいんじゃないか?」
「不器用な人の、順当な、手順よ」
「まあ、聖女様とやらはシエンシアスの婚約者は続行なんだろ?」
「ああ。焦ることないよ、今はあれでいいんじゃないのかい?」
「よくないわよ!!」
評価者五人の中でタルムだけがハルとイルミナの行方に不満を呈した。
「皆さん、お暇なんでしょうか? 肝心なことをお忘れではないですか……?」
「何よ? メッゼ・キタラ」
五人を少し離れた所から見ていたメッゼの言葉を目ざとく拾ったのはタルムだ。そのメッゼの胸元に視線をやり、タルムほんの少し目を細めた。
「相変わらず、ほんと、なんなのよ、メッゼ・キタラ」
「虚無の柱は、一応ひと段落しただろう」
「……二人とも、忘れてる、よ」
「ハルの隣に聖女様がいると、巻き込みかねねぇからな」
「魔導師連中は向こうにはいかないだろうね。今まで呆けていた二人に任せるよ!」
テララを担いだフラムが走り出すと、それを追ってリクオルも逃げ去った。
「いた! 今まで不在だったお二人!!」
「「げ!?」」
ブリッサ王女に見初められたいと、そんなほんのわずかな、いや、本来なら一ミリたりともない未来を夢見ておしかけた魔導師達。昨日の騒ぎで右肩黒の連中は捕らえられた。つまり、ここにいるのは本当に夢見がちな男性魔導師達だ。危険ではないが、変にしつこく厄介だ。しかも申請に締め切りは今日だ。
己の属性の魔導師に追いかけられその場を逃げ去ったタルムとヘルバ。ハルとイルミナもその様子を唖然と見やったのち、顔を見合わせて苦笑いしている。
「で? メッゼはどうするのさ」
「協会公認の右肩黒でしょ? やるわ、その代り、成果が出たら少しくらい私の名前も出してよ。じゃないと、国に帰れないわ」
「ああ、学園で二番手だったから、成果をあげないと帰れないんだっけ?」
「そうよ、天才レフレ」
「ならちょうどいいや、研究班の代表はメッゼでいこう。ランクが僕と変わらないメッゼなら、リガーテ会長も文句はないだろう。うちは親がうるさいんだよ」
「ああ……、あの、潔癖なレフレのご両親ね。息子が右肩黒だなんて知ったら卒倒するでしょうね」
『レフレの両親』。思い出したくなくても勝手に出てくる、メッゼにとって嫌悪の対象だ。
メッゼは魔導師養成機関でレフレと同期で入学し、しばらく主席の座にいた。入学当初のレフレは九歳、最年少入学という話題は攫っていたが、流石にまだ子供、成績自体は中の中だ。だが、年下のわりによくやると感心していたメッゼ。そんなメッゼは、ある日鍛錬場に向かったときに思いがけない光景を目にしてしまった。
成績が思わしくないと、両親に叱責を受けるレフレ。それと共に体に刻まれる血の筋は、実の親がいかに躾といえども許されるものではない。
その光景を見て動けなかったメッゼが言葉を口に出来たのは、既にレフレの親は帰り、涙をこらえたレフレが近くを通った時だ。
「「あ」」
(まずいところを見られた)
(まずいところを見てしまったかもしれない)
他家の事に口出しは不要かもしれない。だが、まだ小さい子供が怪我を負わされ涙をこらえているのは見るに堪えない。親につけられた傷をただひたすらに耐えることほど、悲しいことはないだろう。
かかわらないという選択肢もあったが、メッゼは思わず声をかけ、自分の、当時十三歳のまだ平べったい胸に抱き留めてしまった。戸惑うレフレだったが、その翌日から人目につかぬところで気遣ってくれるメッゼに、レフレが信頼を抱くのに時間はかからなかった。
レフレの魔導の成績は、メッゼが手取り足取りレフレに基礎から教え込んだことで目を見張る進歩を見せた。二人の主属性が同じ事も幸いだった。きちんと教えれば覚えも早い。あっという間にメッゼすら抜きさりトップを独走したレフレ。そして、今度はメッゼが、故郷の国のお偉方に、「年下の子供に負けるとは何事か」と、怒りを買うことになった。挙句、成果を出すまで戻ってくるなとのお達しをうけたのだ。
ご丁寧に、メッゼ自身が幼いときにされたように、鞭打つという罰も添えて。
そのことを一体どこで知ったのか、それとも鋭敏な感性で感じ取ったのか、すでに自分が教えることなど何もないはずなのに、魔法の本を山ほど持ってやって来たレフレを相手にしていたときに、本から目を出したレフレに酷く心配そうな顔をされた。
「……メッゼ、大丈夫?」
「それが君の実力なんだから気にすることは何もないの。言っておくけど、ワザと手を抜いたら嫌いになるからね」
親に魔導の成績で虐げられるレフレ。彼に手を差し伸べることで救われるのは、過去の同じ境遇だったメッゼ自身に他ならない。だから、レフレが気に負うことなど何一つない。昔とは違う、今更叱咤され打たれる鞭など、どうとでもやり過ごせる。
「でも……」
「もう、ぎゅってしてあげないから」
「……そんな子供じゃない!」
たわいもない話の中にたまに出てくる、学校が同じだという『ハルモニ』という少年。まごうことなき評価者の彼が、レフレが自分で決めた最初の友達だそうだ。親に友達すらも管理され、誰も近づけなかったレフレに訪れた変化は、お祝いでもしてやりたくなるほど嬉しいものだった。
魔法に関しては、メッゼがマニュアルに忠実なばかりで冒険しないがために、レフレにもその傾向がうつった時にはどうしようかと本気で悩んだ。だが、副属性の魔環を主に使用した魔法、魔法の分解、さらに右肩黒の研究に自ら足を突っ込むとは、なんたる冒険。自ら考えて進むなら、これほどいい傾向はないだろう。これで昔の可愛げがあれば尚いいが、流石にたくましく成長したレフレにそれを求めるのは無理だ。できれば、レフレがブリッサ王女の隣におさまり何不自由ない環境に身を置いて欲しい。だが、一個魔法を手放したところで、とてもではないがレフレの階級が落ちるとも思わない。能力が高いが故に、今回ブリッサ王女のわがままには適合しないレフレがメッゼの悩みの種だ。
「ハア……」
ため息をついたメッゼの隣で首を傾げているレフレが、「あ」と口にして、眉間にシワを寄せた。そして、メッゼの胸のすぐ横で、何かを掴んだ。
「ん?」
カタカタ。
胸の横に見える白骨の指。レフレが掴んでいるのはその指が繋がっている手首だ。
「な!? ア、アンデッド!?」
思いがけず現れた来客に、思わずレフレの後ろに隠れて抱き着くメッゼ。
「まだ朝じゃない! なんで!? 闇はちゃんといるんでしょ!?」
レフレが手を放すとスキップして離れていくアンデッドはそんなメッゼの言葉など聞いてはいない。
ハルとイルミナのもとへスキップで駆け寄ったアンデッドは、ハルと同じくらいの身長だ。そのアンデッドは、二人の前で、自分の頭蓋の横をツンツン指さした。それはちょうど穴が開いている部分だった。
「「耳?」」
二人が耳を見せるも、そこには何の跡もなく、首を傾げたアンデッドは、二人の手に注目すると両手でつかんだ。
「なんだ? え? 加護? 耳になんてしないけど?」
ハルがそう言うと、二人の手をぶん投げ、明らかに「ケッ」とやさぐれたアンデッドは、足元の石を蹴り飛ばし始めた。
「耳の横のトントンね……。ふうん、ちゃんと第一大陸から逃げたんじゃない。貴方、私の茶番に付き合ってくれた子でしょう? どうせなら、もう少し付き合ってちょうだい」
イルミナの傷を治そうとして、彼女の正体に気づいた子供。結局名前は明かさなかったけど、彼は逃げ延びたのだろう。願わくは、彼の大事な人も一緒であってほしい。
「そのアンデッドのこと知ってるのか、イルミナ」
「ええ、おおかた、耳に加護をつけてないから面白くなかったんでしょう。でも、一生に一度をそう簡単にはつけられないわよ」
「一生に一度? なんか父さんもそんなこと言ってた気が……」
首を傾げたハルが、思い出そうとするも流石にそう簡単にはいかない。隣を見れば、若干期待に満ちた面持ちでハルを見上げるイルミナがいる。
「……わるい。思い出せない」
ハルは己に対して盛大なため息をついた。
「いいのよ、ハルの自由だから。でもいい? 定期的に付け直さないと手の加護は消えるんだから、たまには会いに来て、リアマ様と一緒に。あと、お土産にこの前のお店のパンもよろしく。クッキーもあるって言ってたわよね? 食べてみたいわ」
「気に入ったのか? なら、土産じゃなくて一緒に食いに行けばいいだろ。どんだけ早く向こうに戻るつもりだ? シエンシアスはランク会議が終わるまでこっちに滞在する。あと一か月は二人ともマカロにいるだろうが」
「あ」
ことが終わりすっかり帰る気でいたイルミナは、やっとシエンシアスの役目を思い出した。
「あ、あの、イルミナ様。クリーマさんから言付かりました」
いまだ居座るアンデッドに怯えてか、レフレの後ろから顔をのぞかせたメッゼが至極申し訳なさそうに言った。
「そのまま言いますからね! 決して私が考えたりしてませんから! 『イルミナ様も、次代の評価者としてランク会議に出席されたし。 追伸 ルス・リーシャの補佐をしてね、よろしく!』。だ、そうです」
陽気に言い放った司法魔導師クリーマ・アシュッタのウインクした顔が脳裏を横切り、イルミナはよく通る声で叫んだ。
「なんでよー!?」
「いいんじゃないかい? 今年は数日にわたりそうだからルスが心配だったんだ。頼んだよ」
「で、殿下……」
「そうだ! ハルと一緒にいろんなところを見に行くといい。俺が一緒に行けば問題ないだろ?」
「……そんなこと言って、リアマ様と一緒に出掛けたいだけのくせに。人をダシに使うのやめてください、殿下」
そうはいっても嬉しいイルミナが、それからのマカロでの日々を嬉々として過ごしていたのは言うまでもない。
一か月後に開催されたランク会議は、その申請数の多さから一週間にもわたると思われた。だが、申請受理期間を終え、魔法管理機構が「さあ、本腰入れて準備だ!」と意気込みを新たにしている最中、とんでもない一報が入った。
「やっぱり、我儘は言わないことにしますね」
「分かった姫よー」
とか何とか王と姫のやり取りがあったようで、ブリッサ王女の婚約者探しは突如幕を閉じ、我に返った魔導師達は、申請辞退を申し出た。
もみくちゃにされた魔法管理機構と魔導師協会、何よりハルたち評価者が「なにをもって我儘を言わないなのか!!」と憤慨したものの、通常運転の日々に皆が「普通って一番」などと幸せをかみしめた。
そんな彼らをイルミナは複雑な思いで見ていた。
「ブリッサ様、全部終わってから図ったように撤回するのね。魔導師といわず皆で仲良く転がされた感じかしら……」
食えない二歳年下の聡明で愛くるしい王女を思い浮かべて、イルミナは人生で一番深いため息をついた。
ランク会議には、ハルが一度対応した『子供向けの応急処置魔法』と、ちゃっかり申請され、メッゼが所属する『アンデッド撲滅委員会』が推していた、レフレの『アンデッドの忌避魔法』この二つだけが取り上げられ、荒れることなど何一つなかった。
審査自体はだ。
「ねえ、虚無の柱を塞ぐために造った大陸を一体どうする?」
そんなタルムの発言から場は盛り上がってしまった。
「新しい鉱物とか産出されるかしら!? なければ創るわ!」
「植物の園を造る一択だ」
「世界中の本が集まる図書館、つくる。蓋をするなら手伝うって、言ってる、よ」
「紫色がない世界だな」
「……正気かいフラム。自分の婚約者の属性忘れたのか? 彼女は地の果てまでも追いかけてくるよ、考えただけでも恐ろしい……。ルスは?」
「俺は保養所があると嬉しいぞ」
「切実ね……」
『虚無の柱を塞ぐ大陸をどう造るか』、ではなく、『造った後にどうするか』まで話が飛躍した評価者五人は、「土地ができたら八等分よ!」、「シエンシアスは要らんだろう」、「じゃあ、七等分よ!」と勝手に分割まで決め始め、最終的に、魔導師協会会長のリガーテが雷を落としたところで閉幕となった。
「リアマ義姉さん、あの五人纏められるのか?」
「……レフレ様とメッゼ様もいるし、まあ、平気じゃないかしら。いざとなったら私が乗り込むわ」
「……お前はバーミセリにいろってば」
「そうだよイルミナ。リアマが意気込んでるから平気だよ、きっと」
そう能天気に話すシエンシアスにハルとイルミナが珍しいものを見たとばかりに顔を合わせた。
「「平和ボケ……」」
その日の夜。まだ話足りないという大人連中は飲みに繰り出してしまい、ハルは参加することなく家にいた。だが、暗い中やって来た突然の来訪者を慌てて部屋に引きずり込んだ。
「なんでイルミナがここに来る……。シエンシアスと一緒だと思ってたぞ」
走って来たのか少々上気した頬に淡い水色を基調にした私服がよく似合う。昼間はアップにしている長い髪をおろしているのも新鮮だ。
「まさか、お酒の場になんて行かないわよ。これをハルに渡そうと思って。本当はもっと早く渡さなきゃいけないとは思ってたんだけど……。ごめんなさい、遅くなって」
イルミナが差し出したのは二冊の手帳だ。
「黒の革張りの手帳は、私の父のものよ。私に教えたかった闇の全てが書いてある。純属性の闇がハルならこれは貴方が持っていて」
「いや、お前の父さんの遺品だろ?」
「いいのよ、もう私は穴が開くほど見たし、きっとしばらく使わない。それとこっちも……」
「白い手帳?」
「……ハルのお父様のものよ。私の父と同じくハルに教えたかったことが書いてあるわ」
光と闇の純属性の子供は父親の属性を持って生まれてくる。そうでなければ母親の加護を受けることができない。子供は魔環の使い方から精油の調合まで父親から受け継ぐのが習わしだ。イルミナは、闇の純属性である父の手記をシエンシアスから受け取ったのとは別に、己が消したハルの父親の遺品も受け取っていた。ハルに返したいのは山々だったが、己が光の属性である限り無くてはならないものだった。
「父さんの!?」
「ええ。ごめんなさい、私がずっと持ってて……」
「イルミナが使ってたあの魔弾に仕込んだ精油のつくり方も書いてあるのか?」
頷いたイルミナを見て、「そうか……」と、大事そうに白い手帳を胸に抱えたハルは、しばらくその手帳を、一ページ一ページ大事にめくり、食い入るように読み込んだ。
前来た時とは違い、本を読むための明かりが灯った室内は、オレンジに照らされて心地がいい。出された紅茶をハルの反対で大人しく飲んでいたイルミナは昼間の疲れか、連日あちこち動き回っていた疲れからか船をこぎ始め、ハルが顔をあげたときは机に突っ伏して「すー」と微かな寝息を立てていた。
自分の香りは分からない。イルミナが闇の純属性に戻った時に纏っていた、母を思い出すような香りは、今のハルからはしない。思い出すきっかけは他者であり、ハルにとってそれはイルミナ以外にあり得ない。寝息を立てたイルミナをベッドに横にさせようと抱き上げれば、ほのかに香るどことなく力強さを思い出させる香り。イルミナの行動力のせいもあるかもしれないが、そのイメージは記憶の中にある父親由来のものだ。父を連想する純粋な光属性の香り、それに父の手記も相まって、ハルは加護を手に交わしたときに覚えた違和感の正体に気付いた。
「何が気のせいだ、肝心なこと言わないで。まあ、やっぱり、忘れてた俺が悪いか……」
両親の耳にあったお互いの属性の痣。小さい時に聞いたハルに父親がこっそり教えてくれた。
『いいかい、イルミナ。大事な女の子にはこう言うんだ。『貴女が私の思いを受け入れてくれるなら、永遠に守り続けると誓います』って。定期的につけ直さないといけない友の加護とは違って、これは、自分が生きている限り永久だ。まあ、理解するにはまだ早いかな?』
そう言って微笑んだ父親の顔と声が鮮明によみがえった。
「そんなことないって父さん。教えといてくれてありがとう。でも、あと三年は言えないみたいだ」
シエンシアスとリアマにこだわるイルミナは、二人の行く末が満足できなければ首を縦には振らないだろう。それに、出来るならイルミナを攫うのではなく、リアマをシエンシアスのもとへ送ってやりたい。
ハルの前に立ちはだかるのは、魔法律でも属性の融合の難解さでも大陸そのものを造るという技術の開発でもなく、『自由で気ままな評価者五人』だ。今は乗り気な五人だが、興味が他に移ればやる気をなくしかねない。一を言ったら最低五倍で返ってくる彼らを相手にする未来の徒労にすでに気が滅入るが、それでもイルミナを思えば乗り越えられる、それは確信であり、ハルの義務だ。
「闇は俺なんだから、大人しく待ってるんだぞ?」
そうイルミナの頭を撫でたハルは、ベランダからする物音に眉をひそめた。
「……また来たか」
カーテンを開ければどうやって登ったのかがほとほと謎なもう一人の来訪者。白骨のそのお客はベッドにイルミナが寝ているのを見て思わず拍手をした。
「言っとくけど何もないからな。というか、どうしてお前はホイホイでてくる?」
頭蓋の横を指で突いたアンデッドを見たハルは、盛大にため息をついた。
「『イルミナが、もう少し付き合え』って言った? ……そうかも知んないけど、俺らは見世物じゃないからな」
いつしか会った少年が成長したアンデッドは、どうやらイルミナとハルがどうなるか見届けるまで眠りにつく気などないようだ。
完
聖女様は闇の力をご所望です 佐藤アキ @satouaki
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