第21話 その神、麗しく

 そして、朱実と泰然は轟然と御神木の下で待ち合わせて水伯こと龍然を訪ねることにした。

 朱実は泰然と御神木の前で轟然が現れるのを待っている。多田羅の空は今日も曇りだ。


「雨こそ降らないけど、なかなかスッキリと晴れないですね。このまま冬になりそう」

「水は豊富にあるが、日照不足は否めない。わたしの不徳の致すところでもある」

「泰然さまのせいではありません。これはわたしの家のせいでもあるの」

「いいや。わたしは神なのだ。神でありながらこの程度の状態にしかたもてないのはわたしが悪い」

「いいえ! 賢木家が悪いの。泰然さまのせいなんかじゃない」

「人間は悪くないのだ」

「神様だって悪くないです」


 頑固な二人は譲ることを知らないのか、自分が悪いとなかなか折れない。誰が悪い何が悪いと言ったところで、何も変わらないのが現実だ。


「まったく、朱実は頑固だな」

「ふふ、ふふふふ。泰然さまだって、頑固です」

「似たもの同士ということか」

「はい」


 しかし、喧嘩になることはなく、ふたり顔を見合わせて笑い合う。泰然にいたっては他人が見るとポーカーフェイスのままであるが、それでもただのポーカーフェイスとは違うことを朱実は知っている。その変わらない表情のなかにも、静かな喜怒哀楽があるということを。


「えへん!」

「あっ、轟然さま。今日はよろしくお願いします」

「うむ。その、なんだ。声をかける暇がないくらい仲睦まじいのだな。まいったまいった」

「轟然、何を言っているのだ。さあ行くぞ」


 轟然は泰然のつれない態度に苦笑いした。他人にイチャイチャっぷりを見せつけておきながら、それをイチャイチャだと気づいていない泰然がなんとも泰然らしい。


「おい、娘。おまえは本当にアレでよいのか? つまらん奴だろう」

「そんなことないですよ? 泰然さまはちゃんと笑ったり拗ねたりしますから」

「なんと⁉︎」

「朱実、ここへ」

「はい。泰然さま」


 無愛想な泰然に呼ばれ嬉しそうに朱実は隣に並んだ。そんな姿を見せつけられた轟然は、朱実のもつ力になんとなく頷く。


(あの娘なら、多田羅も繁栄するだろう)


「しかし、先日は早々に退散したというのにまだ契っておらぬとは! あり得ぬ!」


 轟然からしたら夫婦のうぶさ加減には呆れるし、泰然にいたってはそれでも神なのかと説教をしたいくらいだった。


「轟然、早くせぬか」

「轟然さまー。置いていっちゃいますよー」

「はいはい」


 二人を見ていると少しだけ、子孫繁栄に不安を覚えるのであった。


 ◇


 三人がやってきたのは朱実が小さい頃からよく知っている鎮守の杜の小さな泉だ。氏子たちが祠を祀り、そこでたびたび白蛇を見たことがあったのを思い出す。


「泰然さま。ここで水伯さまと待ち合わせですか?」

「うむ。正確には龍然の神使と待ち合わせている。白蛇の乱蛇丸がまもなく現れるころだ」

「わたしが小さい時に見た白蛇さんかしら」

「おそらく」


 二人の会話に大きく頷いた轟然が泉のほとりにかがみ込んで泉の水面に手を置いた。


「乱蛇丸がここの管理をしておってな、やつが神殿への門を開くのだ。ほら、きた」


 水面が小さく揺れ始めたと思ったら、轟然の手の周りに円を描くように小さな渦巻きが現れた。渦巻きの円は次第に大きくなって、とうとう泉全てに広がった。

 朱実は少し怖くなって泰然の着物の袖を握る。


「お待たせしました。御三方」


 渦の中心から現れたのは龍然の神使、乱蛇丸だ。真っ白な体に光の加減で金色の縁取りがあるように見える。瞳はサファイアのような輝きがあり、ちろりと見える赤くて細い舌には見覚えがあった。


「やっぱり、あの時の白蛇さん! この泉を守ってくれていたんですね」


 朱実がそう言うと、乱蛇丸は朱実の方に顔を向けた。チロチロと何度か先の割れた舌を揺らす。まるでその通りだと答えているようだ。


「龍然さのもとへご案内申し上げます」


 乱蛇丸が体の半分ほどを泉から出すと、渦巻きの中心に階段が現れた。朱実はそれが龍然の神殿へと続く階段なのだとすぐに分かった。暗くて底の見えない長い階段は、二度と戻れないのではないかと思わせる恐怖があった。

 そんな朱実の不安が伝わったのだろう。泰然がそっと朱実の腰を引き寄せた。


「朱実、わたしがついている」

「はい。泰然さま」


 朱美はひしと泰然に身を寄せて、泉の底に向かって踏み出した。先頭は乱蛇丸、それに続いて轟然、泰然と朱実の順に龍然が待つ神殿へと向かった。途中、朱実は来た階段を振り向いたが、もう入口は閉まっていた。泉の底だというのに水に濡れることもないし、息も地上と同じようにできる。青い世界に太陽の光が淡く照らし、まるでベールをまとったみたいに神秘的だ。

 あらためて朱実は神の存在とその力を思い知った。


 ◇


 階下にあった赤い鳥居を抜けると、乱蛇丸はその蛇の体を少年へと変化させた。十四、五歳のまだ幼さ残る少年の姿はとても美しかった。銀色の短髪と澄んだサファイア色の瞳に朱実は息を呑んだほどだ。

 人の姿になった乱蛇丸はすたすたと足を進め、その先にある濃紺色の扉を押し開けた。その奥に広がる広間は泰然や轟然の神殿とは異なるものだった。


「このまま真っ直ぐお進みください。龍然さまがお待ちでございます」


 てっきりここも、新築神社のような檜木の香りが漂っていると思っていた。鴨居があって、蘭間にはその神の紋様がかたどっているものだと思い込んでいた。しかし、そこに広がるのは洋間である。

 床は大理石であろうか、冷んやりとした空気が足元から感じられた。柱にいたってもそうだった。つるんとした石の柱があり、その柱に花の紋様が彫られてあった。


「泰然さま。龍然さまって日本の水神様、ですよね」

「うむ」

「建物の作りが、日本のそれとずいぶん違う気がして」

「そうだな。まあ、水の中だからではないか?」

「水の中だから……」


 納得いくようないかないような回答に、余計に困惑した。それを見た轟然は笑いながらこう言った。


「がははは。単なる龍然の好みだ。あいつはかなりの変わり者でな、他と同じを好まぬ男よ」

「好みなんですね。なるほど」


 奥に進むと階段があった。その階段の上に椅子に座った人影が見えた。すると轟然が前に出て大きな声で叫んだ。


「龍然! 馳せ参じてやったぞ。見よ、人間の娘も一緒だ!」


 轟然がそう言うと、その人影はゆったりと立ち上がり歩んでやってくる。歩く姿は百合の花、そんな言葉を思い出すほどの優雅な空気を纏っていた。

 そして、朱実たちの目の前までやってくると、閉じた扇子を顎に添え「ふん」と鼻先で笑った。

 見下ろす視線は役者顔負けの完璧な流し目だった。


(うわぁー! 綺麗……。龍然さまって、とても美人だわ。水伯さまは女性だったのね)


「朱実、その」


 泰然が慌てて口を開くも、轟然の笑い声でかき消される。


「ぐわははは! 美人は否定するまい。うわははは!」

「あの?」

「娘」

「はい、ひっ――」


 龍然の呼びかけに返事をしたその瞬間、朱実は驚きで硬直した。肌が触れるほどの距離に龍然がいたからだ。

 龍然は扇子の先で朱実の顎を掬い上げ、真上から覗き込んでいたのだ。


「龍然!」

「寄るな」


 龍然は泰然の制止を拒否した。この神からも泰然や轟然とは違う花の香りがする。

 朱実は瞬きもできないくらい驚き、唾も飲み込めぬまま龍然を見ていた。

 顔を隠すほどの長い前髪の隙間から現れた龍然の瞳は、宝石のように蒼く輝いていた。日本人には少ない高い鼻、そして薄い唇、細くて美しい形の眉、切長の瞳、極めつけはその瞳の下のホクロだ。そこには朱実には縁遠い色香が漂っていた。


(やだ、すごくきれい! 声も色っぽい! なんだかわたし、恥ずかしい!)


 朱実は見る見る顔を真っ赤に染めた。

 龍然があまりにも美しすぎて、自分が女性として負けているようで恥ずかしく思ってしまったのだ。


「娘。わたしは女ではない。男だ。よいな、オトコ、である」


 朱実は返事の代わりに瞬きをして見せた。


(承知しました! あなたはとても美しい男の神さまです)


「まあ、よかろう」


 龍然は朱実の心の声に納得したのか、顎に添えた扇子を外した。そしてくるんと踵を返すと、泰然と轟然を見て扇子を広げて口元を隠す。


「久しぶりだな。轟然。それから、土地神に昇格した泰然。ついでにそこの娘も……歓迎する」


 とりあえず追い出されることはないと知り安堵した朱実はあらためて挨拶をした。


「お邪魔いたします。龍然さま。朱実と申します。どうぞ、よろしくお願いします」

「うむ」


 龍然はどこか一筋縄ではいかない雰囲気を醸し出していた。

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