第13話 求婚

 外に出ると、朱実を呼びにきた神職が待っていた。茶色の狩衣を着て、烏帽子をかぶっている。その隣に、見慣れない巫女がいた。白い着物に緋袴をはいている。


(この方も応援に来てくれたのね)


 今日は皆、大祭ということで正装をしているのだ。


「では、わたくしめの後をおいでくださいませ。これ、お主は朱実さまを」

「はい。朱実さま、緊張されてます? 大丈夫ですよ。泰然様が一緒ですから」

「えっ、あれ? もしかして、お加代さん?」

「はい。ちなみに前を歩くアレはマサ吉です」

「そうなのね。ありがとう。とても、心強いわ……嬉しい」

「我々はいつもお側にいますからね」


 なんと助っ人は神使のマサ吉とお加代であった。神様の行くところ、いつも神使がいるのは本当だった。

 朱実は知った顔を見て少しだけ緊張が和らいだ。初めて多田羅神社で舞を奉納するということを、とてもプレッシャーに感じていたからだ。

 多田羅町では十数年ぶりの狐の舞。空は少し曇っているけれど、これできっと上手くいくはずだ。


(お母さん。見守っていてね!)



 ˚✧₊



 父、柊二が祓詞はらえことばを唱え終わると、朱実と泰然に大麻おおぬさで清めるためのお祓い行った。二人は頭を垂れそれを受ける。

 いよいよ神楽殿にて舞が始まる。


 ドン ドン ドン


 いつになくその音は境内に響いた。どこから手配をしたのか、雅楽の生演奏が始まった。


(すごい! こんなに豪華な演奏は初めてかも! これももしかして泰然様の権力の乱用⁉︎)

【朱実。乱用とは聞き捨てならんな】

(えっ、聞こえてる……失礼しました)

【ただ、神社庁に協力を願い出たまでだ。別に、脅したわけではないぞ】

(ふふっ。お頼もしいです)


 しずしずと、二人は舞台に上がった。朱実は前をゆく泰然の背を見ながらの登壇である。

 この神社で行う舞は初めて見る人も多いだろう。そのせいか今までにないくらい多くの観衆が、今か今かと待っている。

 朱実と泰然は神前で一礼した。神が神に頭を下げるなんて、泰然はどういう気持ちでいるのだろうか。朱実はこっそりその顔を覗き見た。なんでもお見通しの泰然は朱実にこう言った。


「妙な気分だが、問題ない」

「ふふっ」


 泰然のお陰で、強張っていた肩の張りが取れた気がする。朱実はゆっくりと正面を向いた。


 オルガンのような音を出すしょうが鳴り始めた。それに続いて、縦笛の篳篥ひちりき、横笛の龍笛りゅうてきが旋律を奏でる。

 美しい音色が耳から脳にしみこんで、体中にその音が巡っていく。

 それらに加えて琵琶の音色、太鼓のコツコツと奏でるリズムはあまりにも贅沢であった。

 自分の一つ一つの動作に色がついたような、薄い光のベールを体中に纏っているような感覚さえある。そして、動くたびに美しい光の軌道が敷かれていくようだった。


 隣では触れるか触れないかの距離で泰然が舞う。同じ手順で舞っているのに、当たり前だが泰然の雄狐の舞はとても力強いものだった。朱実を守るように包み込むように、時に背後から重なり合うかのように、二人の舞は共鳴しあっていた。

 狐の面越しでも分かる。

 観衆は皆、祈るように手を合わせ自分たちを見つめている。それは喜びと希望に満ち溢れていた。


 心地よい

 温かい

 柔らかい

 甘い


 心地よい音色に朱実の五感も喜んでいる。


 舞が中盤に差し掛かると、笛の音が単独で主旋律を奏で始めた。

 感謝の祈りを捧げる時が来たのだ。

 朱実は右手に持った稲穂のような鈴を水平に差し出して、作物を育てた大地に向けてシャンシャンと鳴らした。


(大地の神様ありがとう。あなたのおかげでわたしたちはこうして生活を営むことができています)


 すると、今度は泰然が腕を伸ばし手のひらを天に向け、朱実の周りを一周した。太陽に感謝を伝えている。今まで朱実は一人で舞っていたため、雄の狐が行う太陽への感謝をしていなかったことに気づいた。


(そうか、わたしの舞には天の神様への感謝が抜けていたのね!)


 大地と天への感謝が終わると、朱実は両手を広げてゆっくりとお腹の前に抱えるように持ってくる。するとそれを泰然が下から慈しむように両手を伸ばした。


(これって、もしかして――)


 泰然が、狐の舞は夫婦の舞だと言っていたのを思い出す。


(子宝に恵まれたって、そういう……意味)


 その後は仲睦まじくゆっくりと神楽殿の舞台を一周する。天に大地に風に水に、全てに感謝をしながら新しい命を育む舞だったのだ。


(知らなかった。なんて、幸せな舞なの……)


 朱実の目からは、涙が溢れていた。


 終わった。そう思った時だった。

 泰然が朱実の前で膝をつき見上げるようにして、朱実の心に話しかけてきたのだ。


【朱実。最後にひとつわたしの話を聞いてほしい。このわたしに不服はないか。もしもないと申すなら、この手をとってはくれまいか。わたしと、婚姻の契りを結んでほしいのだ】


(泰然さま!)


 泰然はゆっくりと舞のような所作で右手を差し伸べた。朱実がその手を取れば、婚姻を承諾したことになるのだ。

 まさかの、舞の後に求婚である。


 秋の風が朱実の頬を撫でていく。さっきまで曇っていた空から太陽が溢れ出て、あたり一面に沈丁花の香りが舞い上がった。

 朱実にこの申し出を断る理由がどこにあろうか。しっかりと真っ直ぐに泰然の言葉は朱実の心に届いている。

 ただ、不安なのだ。


(わたしみたいな普通の人間が、あなたのような立派な神様と結婚してもいいの? わたし、あなたのためになにもできないかもしれない)

【なにもしなくてよいのだ。ただ、側にいるだけでいい。朱実はこの町を愛するだけでいい。わたしは朱実が愛する全てを愛し、守ると誓う】

(そんな、もったいないです)

【恐れることはない。共に同じ時間を刻もうではないか】


 もう、断れるはずがない。

 この神は朱実だけでなく、多田羅の町ごと愛し守ってくれると言っているのだ。それに答えなくてどうするのか。

 朱実はこの神に自分の人生を捧げようと心に決めた。


「不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」


 朱実はようやく泰然の手を取った。

 すると、大きな拍手が湧き上がった。観衆は舞の締めくくりだと思ったのだろう。


「まあ、どうしましょうマサ吉! とうとう泰然様と朱実さまが夫婦になりますよぉぉ」

「お加代! 落ち着かんか! しっぽが出ておるぞ」

「あらやだ! でも大丈夫。人には見えていませんからね。うふふ、あははは」

「まったく泰然様が結界を張らなかったらおまえは今ごろ、物怪もののけと言われ晒されて吊るされるところだぞ」

「説教はおよしよ! おめでたいときなんだから」

「はぁ……」


 お加代は嬉しさのあまりに尻尾を振り回す。それを見て呆れるマサ吉も同じく、デロんと尻尾を垂れ下げていた。


【神使ども、まだまだ修行が足りぬな!】


「「ひぃぃ」」


 多田羅の空は久しぶりに雲のない青空が広がった。


(お母さん、わたしは神様と結婚します。間違ってないよね?)



 ◇◇◇



「どうですか? 多田羅米で作ったいなり寿司……あの、初めて包んだので形が変です。ごめんなさい」


 社務所の控室で泰然が朱実の作ったいなり寿司を食べている。何も言葉を発しず、もくもくと食べるので不安になった朱実が捲し立てる。


「お酢がキツすぎません? それとも甘すぎました? 固すぎたかしら……あっ、柔らかすぎました? ああ、お茶を入れ直してきますね!」


 落ち着きなく朱実は早口で話し終えると、今度は急須を持って立ち上がった。泰然はやれやれといった感じで朱実の腕を掴んだ。


「わたしに話をさせない気か? ほら、朱実も食べなさい。心配することはない。美味しいぞ。米もいうほど悪くない。揚げに味がよくしみているし、酢飯もわたし好みだ」

「本当ですか!」

「ああ。嘘でもないし、お世辞でもない。朱実の真心がこもっていて、あの時のいなりより美味だ」

「それは! 褒めすぎです! でも、嬉しいです」

「朱実は笑顔がとてもよい。いつもそうやって、笑っていてほしい」


 泰然はそっと朱実の頬に手を当てた。先ほどの妖艶な狐はもうおらず、幼さが残るその表情に泰然は愛おしさを覚える。


「泰然さまも、笑ってください」

「朱実はなかなか難しいことを言うな。神はそう簡単に笑うものではないのだ」

「そうなんですか?」

「だが……わたしに関しては、朱実しだいであろう」

「わたし、がんばって泰然さまを笑顔にしたい」


 泰然は新たな目標を得たと目を輝かせた朱実の頭を撫でてやった。ころころと変わる朱実の表情を目を細めて見つめながら。

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