第11話 父と母と、神様と

 お見合いが終わると、泰然は朱実を神社まで送った。社までの階段は手を繋いでゆっくりと上る。相変わらずスーツが気に食わない様子の泰然に朱実は苦笑しながらであったが、その短い距離が惜しいくらいには楽しい気持ちでいっぱいだった。

 今日は珍しく空が澄んでいた。少し汗ばむくらいの日差しが降り注いでいる。


「ここから見える多田羅の町は悪くない」

「はい。わたし、この景色が大好きなんです。だからたくさん晴れの日が増えたら嬉しいなあ」

「そうだな。風師不在ではあるがなんとか踏ん張りたいものだ。わたしの力もこの季節ではそう大きくない」

「風師さまはもういないのですか? もしかして、お母さんが死んだから消えてしまったのかな。忘れられると、消えちゃうんでしょ?」


 朱実は胸が痛くなった。父は母と風師のことを知っていたのならば、とても苦しかっただろうし悲しかったに違いない。


「いや、風師は消えていない。姿を隠しているだけだ」

「でも、お母さんは死んじゃったから風師さまのことを想うことはできない」

「想いというのは、男女の恋慕だけではないのだ。嫉妬や後悔などの念もそれに入る。おそらく朱実の父君がずっと風師のことを忘れていないのだろう」

「お父さん、自分が神を祓ってしまったことを申し訳ないと言っていた。自分のせいで神社や多田羅町に迷惑をかけていること、後悔しているみたいだった」

「そうか……」


 父は全てを語らなかったが、今の多田羅町の現状は自分のせいだと朱実に言った。たとえ嫉妬から生まれた事件だとしても、朱実に父を責めるほどの権利はない。


「朱実、帰ったのかい」

「お父さんただいま。彼に送ってもらいました。いま、ここから見える景色を二人で見ていたの」

「泰然さん、娘を送り届けてくれてありがとう」

「いえ、当然のことです。朱実さんは朗らかでとてもよい方ですね。わたしはとても好きです」

「えっ、ちょ。泰然さんったら!」

「それはなんと、ありがたいですな。朱実、よかったね。この方はとても優しい人だ。父さんも彼ならいいと思うよ」

「お父さんまで! もう、知らない!」

「朱実が照れている。あはは」


 久しぶりに父が声を出して笑った。

 泰然はいつの間にか父、柊二をたらし込んでいたようだ。言葉遣いも朱実と話すときとは異なり、まるで普通の青年だ。朱実にとってはそこもまたギャップというやつで、嫌いではない。

 スーツにしろ、話し方にしろ……むしろ良いものを見たという気分だ。


(本当に神様って、泰然さまってズルい!)



 朱実は父の穏やかな横顔を見て、今言うしかないと決断した。泰然と秋の大祭で舞を奉納したいということを。


「ねえ、お父さん。お願いがあるんだけど」

「なんだい。言ってごらん」

「今年の秋の大祭は、泰然さんと一緒に狐の舞をしようと思うの」

「なんだって」

「狐の舞って、二人で舞うものなんでしょう? 男女で舞うのが本当なんだよね?」

「そ、それは……」

「神社の存続も大事だけれど、神事はもっと大事だよね。お父さんはあまりよく思わないかもしれないけれど、多田羅神社で狐の舞ができないなんて、わたしは悲しい。お母さんが残してくれた狐の舞は多田羅町のためにあるのに。お父さんだってそう思うでしょう? だからわたしに舞を教えてくれたんでしょう?」

「朱実。少し、考えさせてくれないか」

「お父さん!」


 父を追いかけようとする朱実の肩を、泰然は少しだけ引き寄せた。放っておくと父親に飛びかからんとばかりの勢いだったからだ。

 父は朱実に「すまない」と小さく詫びて背中を向け、社務所に戻っていった。その背中はあまりにも小さく悲しげだった。


「どうしよう、わたし。お父さんを追い詰めちゃった」

「朱実が気にやむことではない。これは父君がひとりで乗り越えねばならぬ事なのだ」

「でも……」

「朱実」


 俯く朱実の顔を泰然は腰を屈めて覗き込んだ。そして、人差し指でそっと頬を流れる涙を拭ってやった。それがきっかけで朱実は堰を切ったように涙を流した。瞬きをするたびに大粒の涙がポロポロと落ちてくる。

 泰然はポケットからハンカチを出して朱実の頬に押し当てる。そして朱実に優しく問いかけた。


「神殿に上がるか?」


 また、御神木の上にある泰然の部屋で休むかと聞いているのだ。しかし、朱実は首を横に振った。


「どうしてだ。遠慮はいらぬ」

「甘えてばかりになるから。それに、わたしだけ時が進むのは嫌よ?」

「ふっ、そのようなことを案じているのか。朱実は面白い娘だ」

「女の人はみんなそうよ。いつまでも若くいたいのよ」

「泣き止んだな」

「うん。ごめんなさい。泰然さまがいてくれてよかった。一人だったらお父さんをもっと責めていたかもしれない」

「焦ることはない。父君は必ず決断してくれるはずだ。だから、朱実はもう何も言わなくていい。この町を想う気持ちは父君だって同じだ」

「はい」


 朱実と泰然はそのあと神社の境内を散策した。朱実が小さい頃に遊んだ小径こみち、野いちごができる場所、清らかな湧水の出る沢、落雷でパックリ割れた大木やたくさんの小さな祠を周った。


「この大木に雷が落ちて割れたらしいの。ここ、少し焦げてるの」

「ほう、この木か」

「でね、この割れ目の奥にふわふわの毛をした猫さんが住んでたのよ。わたしが大きくなってから見ないから、誰かに保護されたのかもしれない」

「なるほどな。おい、朱実」

「泰然さまー! こっち、こっち。ここの湧水はとても美味しいんだよ! すごく綺麗なの。このお水でお茶やコーヒーを淹れたら最高よ」

「多田羅の湧水か。名所になるのではないか」

「観光客には秘密なの。最近はすぐにSNSで広がっちゃうでしょ? ゴミ問題とかで困るの。それにね、大きな蛇が出るから地元の人以外は近寄らないようにしてるのよ」

「蛇? ふむ、なるほど」


 朱実はそれぞれの場所にある思い出を語った。泰然は朱実の幼い頃を想像しながら、それらの話を聞いた。

 ときどき泰然はなにか合点がいったような素振りを見せていたが、朱実は気づかない。


 そして最後に二人が出会った鎮守の杜の御神木の前まで戻ってきた。


「わたしの鎮守の杜ツアーはここまでです。泰然さまって、ここから帰るんだよね。なんだか変なの」

「仕方がないだろ。わたしの住処はあそこなのだから」


 泰然は表情を変える事なく指を天に差した。相変わらずのポーカーフェイスに朱実はつい笑ってしまう。そのせいで稀に見せる微笑みのようなものは、心臓を鷲掴みにするほどの破壊力があった。


「ふふっ。さあ、泰然さま。そろそろお帰りのお時間ですよ。次に会うのは秋の大祭かしら」

「朱実はわたしと離れて寂しいとは思わないのか」

「え? あはは。まだそこまではないかなー。でも、以前とは気持ちが少し変わりました。お見合い? お受けしてよかったなって」

「それならばよしとしよう。近々また来る。それまで息災でいるように」

「はい、分かりました」


 朱実は少しおどけながら頭を下げる。次に顔を上げたときはもう泰然の姿はなかった。ふと、朱実は御神木を見上げた。神様が存在する事をまだどこか信じられない気持ちが残っている。けれど、泰然が涙を優しく拭ったときの指の感覚は覚えている。

 彼は本当に存在する。

 神はすぐそばに存在した。



 ◇



 それから朱実は神社の仕事をしながら、時間が空くと本殿の裏庭で舞の練習をした。

 これまで何度も舞をしてきたけれど、夫婦で舞うものだと知ってからは心の持ちようが変わった気がする。

 手を伸ばす仕草も、踏み出す足も、傾げるこうべもすぐそばで舞うだろう泰然のことを思い浮かべるようになった。

 ダンスとは違い触れ合う事、抱き合う事なく付かず離れずの距離がなんとも心地よい。二人の間には誰も入ることのできない聖域がある。

 朱実は鈴を鳴らす手首のしなりも意識した。


 愛する人と舞う。

 愛する人と祈る。


 想像しただけで心が満たされていく。


(夫ではない神さまとの狐の舞をお母さんはどうとらえていたのだろう。それを見守るお父さんは、どんな気持ちだったのかな……)


 同時に切なさも込み上げてくる。

 父と母と神との間にあった真実を知りたいような、知りたくないような複雑な気持ちが交差した。

 神は自分の妻になる者に印をつけると言った。朱実の母は風師の花である金木犀の香りがした。父はそれを知った上で結婚をしたのだろうか。それとも、後から知ったのか。


 とうとう朱実は舞うのをやめた。

 いつか分かる日がくるのだろうか。

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