第10話 人の想いが神を生かす
「あ……夢だった」
「よく眠れたようだな」
「泰然さま。わたし、夢の中で泰然さまと狐の舞をしました」
「夢の中でわたしたちは確認しあったのだ。本当に
「泰然さまはわたしの夢の中にも入ってくるのですか」
「神だからな」
「そんなの、ダメですよ」
「なぜだ」
「えっちすぎるもん」
「なんだその言葉、どう言う意味だ」
「お、教えません!」
夢の中とはいえ、朱実はかけがえのない時間を過ごしたと思っている。身も心も全て許しあえた気がした。とても煌びやかで温かくて、安心することができたあの空間は、今まで生きてきた中では記憶にない。
不機嫌そうな顔をした泰然はどこか近寄りがたく思っていたのは最初だけだった。
表情が薄いので、どういう感情でいるのかさえ分からない。それなのに真っ直ぐに言葉をぶつけてくる。
―― この命が消えゆく日まで、悪しきものから守ると誓う。わたしが朱実の愛するもの全てを愛し、憎きものは退けよう。ただ、わたしを信じるだけでいい。
(あなたはわたしからの愛はいらないの? 信頼されるだけで、いいの? 神様は見返りを求めるものでしょう。どうしてそんなに心、清らかなの)
泰然は自分は神だとは言うが、その行動に傲慢さを感じない。
「ではそろそろ、松乃家に戻るか。あまり長く刻限を止められない」
「え、時を止めていたの⁉︎」
「うむ。あまり止めると、朱実の時間だけが進んでしまうからな」
「やだ、おばさんになっちゃう。早く帰りましょう!」
「見合いの続きだ」
「はい!」
「ほぅ……」
朱実の何か吹っ切れたような態度に泰然は驚く。もやがかかったような朱実の心が少し晴れたようだ。沈丁花の香りも柔らかくなっていた。
◇
次の瞬間、朱実と泰然は松乃家の中庭に立っていた。
「わあ……戻ってきた。すごい」
「さて、見合いをしよう。どうしたらよいのだ? 手を繋ぐのか? それともわたしが朱実を」
「抱き上げるのは、なしです!」
「そうか」
「すぐに抱き上げようとするんだから。神様の世界ではそうなの?」
「他の者のことは知らぬ。ただわたしがそうしたいだけだ。朱実は小さくて柔らかくて触り心地がよい」
「それって、ぬいぐるみ……」
泰然の少しズレたものいいも、ぜんぜん嫌な気持ちにはならなかった。なんの意図もなく思ったままのことなのだろうと分かるから。
朱実は勇気を出して手を伸ばした。泰然の大きくて長い指に触れた時、見下ろした泰然が少し笑った。本当に少し頬を上げただけなのに、とてもとても優しい顔に見えた。
泰然はそのまま朱実の手をとって、歩き始める。
慣れないスーツのネクタイを気にしながらも、朱実の足元に目を配る。
(神様かぁ……神様なんだ、泰然さまは)
考えれば考える程、不思議だ。人間となんら変わりないのに、時を止めたり、人を隠したり。
「ねえ、泰然さま」
「なんだ」
「たとえば、わたしが泰然さまと結婚するって言ったら、泰然さまは人間の世界で暮らせるの? あの空の上の神殿はどうなるの? わたしはおばさんになって、おばあちゃんになって、そして死んでいくわ。神様は死なないんでしょう? そうしたら泰然さまはどうするのかな。また、違う人と……」
何気に思ったことを口にすると、なぜかだんだん切ない気持ちになってしまった。
「なるほど」
泰然は朱実を中庭のベンチに誘った。そこに腰を下ろすと、向き合うように朱実の方を振り向いた。不安そうに見上げる朱実の頭をひと撫ですると、ゆっくりと話を始めた。
「この日本という国を創ったあとのことだ。神は人を造った。神は人を造るときに自分の体や形を模したのだ。だから人の体や心は神と同じだ。しかし、人が神を超えぬよう、神は人に神通力は与えず寿命を与えた。最初の男と女が子孫を残したときの話だ」
そして人は神の想像を超えた。
ただ命を繋ぐだけだった人が、家族をもち、集団を作り、
世界が広がると迷い、悩み、争いが激しくなる。
「人がこんなに優れた存在になるとは思わなかった。神はもう必要なくなったかのように、人の世界は動き始めた。だから我々は隠り世という人とは別の世界で暮らすようになったのだ」
「神様が人の世界から消えたのね。ううん、人と神様の世界が分裂しちゃったんだ。でも、泰然さまは存在しているわ」
「うむ。不思議なことに、人は自ら神を求めた。ときに、神をも生み出したのだ」
山には山の神が、海には海の神が、水には水の神が宿っている。火の神、雷の神、風の神、土の神、自然には数えきれないほどの神がいるし、家屋の中にも存在する。台所の神、トイレの神、押入れの神、いると思えばどこにでもいるのだ。
そしてその信仰心が神を生んだ。もともと人であった誰かが亡くなった後に神として祀ることもある。
ときに、その者の怒りや悲しみを鎮めるために神と崇め封印した。
「わたしたち自然神は人がつくった神だ。人々の想いが続く限りわたしたちは生き続ける。そして忘れ去られた神は消えていく。村が潰れ水に沈んだ時、その土地の神も命を終える」
「じゃあ、泰然さまはこの町がある限り、この神社がある限りは生きられるのね」
「わたしの場合は少し違う。わたしは朱実に印をつけた。その印は朱実と共に生きるということになる」
「どういうこと?」
「朱実がわたしを想う限り、わたしは存在する。朱実が歳をとり命を終えるとき、わたしもまた神としての命を終える」
「えっ、ええ! じゃあ、わたしが死んだら、泰然さまも死んじゃうの⁉︎」
「人の死とは少し違うが、そういうことだ」
「どうして! どうしてそんな大事な命の印をわたしなんかに」
「土地神として命を受けたとき、運命は決まっている。わたしはこの町を愛する朱実だから、後悔はない。土地神として名誉なことだ。しかし、朱実には酷なことをしたのだろうな」
泰然はそこまで話すと、朱実の頬に自らの手を添えた。朱実の同意なしに泰然の運命を背負わせてしまったことに、ほんの少し申し訳ないと思っているのだろう。
「椎ノ宮で舞う狐に、わたしが心を奪われたのだから仕方がないだろう。わたしだけの狐にしたかったのだ」
「泰然さまはおかしな人です。いいえ、おかしな神さまです。わたしにそんな価値があるのか分からないのに。でも、この町が好きなのは間違ってないです」
「そうか」
人の想いが神を生み、その神を生かす。人が忘れ去った神は消えていく。こんなに身勝手な生き物は人以外にどこにいるだろうか。
一方的に朱実を妻にすると言った目の前の神もまた、誰かの想いで生まれた土地神なのだ。多田羅の人々の強い想いが、泰然を生んだのかもしれない。
(だったら、わたしはこの人と人生を共にしないという選択肢はないんじゃないの? こんなに真っ直ぐに言葉をくれるこの神さまに、わたしは応えるべきなんじゃないの?)
「泰然さま、お願いがあります」
「なんだ言ってみよ。朱実の願いならばなんでも叶える」
「秋の大祭で、狐の舞を一緒にしてください。まだ結婚とかそういう気持はよくわからないけど、本物の狐の舞を多田羅町のみんなに見てもらいたい」
「その祭りの後、いなり寿司は食べられるのか?」
「いなり寿司が食べたいの?」
「朱実が作ったいなり寿司が食べたい」
「ふふっ。分かりました」
「ならば一緒に舞うとしよう。楽しみしている」
「はい」
今年の秋の大祭は、去年までとは違ったものになる。
泰然が現れたことで、この町は変わる。そう朱実は思った。
そして、朱実の人生もまた大きく変わるのだ。
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