隠れた場所から

―――――――20分前


 太陽は放課後に入って直ぐ、千絵に体育館裏にある倉庫に呼び出された。

 先日の公園の件と記憶の修繕によって真実を思い出した手前、千絵に会うのは気まずいのだが、千絵の真面目な顔にNOとは言えなかった。


 体育館裏倉庫に着いた途端、太陽は千絵に


「太陽君。ごめんだけど、この跳び箱の中に入っていてくれないかな?」


 と跳び箱に入る様に強要される。


「いやなんでだよ。てか、俺となんか話があるから呼んだんじゃないのか?」


「話はあるよ。だけど、私が話すのは太陽君じゃない。だから、ほら入って」


 理由も言わず更に強要する千絵に太陽は困惑するが、拒否する事はできず、渋々と跳び箱に足を入れる。


「なんで跳び箱に入らないといけないんだよ。かくれんぼでもするんじゃあるまいし」


 ぶつくさ言いながら指示通りに跳び箱に入る太陽に影が乗る。

 ん?と太陽は上を見上げると、近づく跳び箱の上段の裏面。


「ぬぉおお!?」


 と太陽は落ちて来る裏面から頭を守る為に屈み、危機一髪と衝突を回避。

 だが、蓋をされる様に跳び箱は完成され、太陽は中に閉じ込められる。


「お、おい千絵! マジでどうしたんだよ! せめて理由を言え!」


「理由なら後数分すれば分かるよ。いいから、太陽君はそのままジッとしていて」


 ここに来ても尚理由を語らない千絵に太陽は「はあ?」と首を傾げるが、千絵は忠告する様に口を開く。


「いい、太陽君。これからがここにやってくる。もし来たら、その後は何が起きようと絶対に喋らないで、跳び箱から出るのも無しね。もし破ったら―――――絶交だからね」


 千絵の冗談の欠片がない真面目な声音に太陽は威圧される。

 これから何が起こるのか、太陽は予想も出来なかった。

 

「太陽君には知っていて欲しい。彼女の本心を。じゃないと私、自分の恋心に胸を張れないから」


 結局千絵は事の詳細を話さないまま、千絵の予言通り、誰かが来た様に扉が開かれる。

 

「こんな回りくどい方法で呼ばなくてもメールれればいいじゃん、千絵ちゃん」


 太陽は聞き覚えのある声と跳び箱の隙間から見える姿でその人物が誰かを知った。

 太陽の幼馴染で元カノの光だった。


「ふふふっ、どう光ちゃん。私からの偽装ラブレターは、ドキドキした?」


 先程までの真剣な声音から一転して悪戯っぽく話す千絵の演技力に太陽は声を殺して苦笑いをする。

 どうやら千絵は、偽物のラブレターで光をここに呼び出した様だ。


「(つまり、千絵が言っていた彼女ってのは光のことか……。千絵はあいつと何を話すつもりなんだ?)」


 千絵は言っていた。

 彼女、つまりは光の本心を知ってほしい、と。


「単刀直入に聞くよ。光ちゃんは―――――――太陽君のこと、どう想っているの?」


 太陽は心臓を掴まれた様に動揺する。

 思い返せば、太陽は、これまで千絵と光が2人キリでどんな話をしているのか知らない。

 これで聞けるのかもしれない。光の自分に対する本心を、だが。


「なにを言い出すかと思えば、またそのこと? 前にも言った通り、太陽……ううん。古坂君のことはどうも思ってない。強いて言うなら、昔仲良かった友達かな?」


「ほんとうに?」


「だから、本当だって。千絵ちゃんは本当にしつこいな。私と太陽は確かに中学時代は恋人同士だった。だけどね。私の太陽に向けていた感情は友達の延長線で恋愛感情じゃなかった。タダの勘違いだって気づいたから、私は別れを切り出した。それに—————もう私には好きな人がいるから。今更元カレのことはどうでもいいよ」


 今度は違う意味で心臓を掴まれた様に辛くなる。

 知っていたはずだ。光が自分の事をどう想っているのか。


「(なんで俺、今更ショックを受けてるんだろ。俺、アイツに振られたんだぞ)」


 千絵はそれを再認識させる為に光を呼び太陽に訊かせているのか。

 もしそうだとすれば、とんだ悪女だと千絵に僅かな憎悪を抱き始めた太陽だが、


「私は光ちゃんとは幼馴染で、光ちゃんのことは昔から知っているつもりだよ。だけど、幼馴染であって人の恋愛に口出しできる権利は無い。けどね……どうして光ちゃんはそんな辛そうな表情をしているの?」


 太陽は背けていた目で今の光の顔を見た。

 千絵の語る様に、光は今、辛そうな顔をしている。

 そんな表情を誤魔化す様に、顔を隠し、太陽は昔馴染みだから陰口を言う様で嫌な気持ちになるというが、千絵はそんなことはどうでもいいと一蹴する。

 そして、千絵は光に伝えたい事があると告げる。


「私……太陽君のことが好きだった。ずっと前から」


 千絵の告白に太陽は顔を熱くする。気恥ずかしさで逃げ出したいが、唇を噛んでぐっと堪える。


「(てか、仮にも元カノの光に言うってどんな拷問だよこれ!)」


 全身が痒いと感じる程のもどかしさを味わいながら耐える太陽を他所に、千絵は続ける。


「光ちゃんにはどうしても話しておかないといけない事があるの。……光ちゃんには凄く悪いと思っている。けど、昔太陽君と結婚の約束をしたのは——————私なんだ、光ちゃん」


 約束。それは、夕焼けの公園で交えた結婚の約束。

 太陽は思い出す。ほんの数日前まで、太陽はその約束を光としたと勘違いしていた。

 だが事実は違った。太陽が約束した相手は、千絵だった。

 過去の交通事故が原因で限定的な記憶障害を患っていた太陽は、知らなかったとはいえ、相手を光だと勘違いをして、その約束を光に押し付けていた。つまり、光もこの約束の被害者。

 真実を知る権利があると千絵は思い語ったのだろうが、光の返答は予想外なものだった。


「…………知ってたよ。千絵ちゃんの気持ちを、そして……約束の相手が千絵ちゃんだって」


 その真実に太陽は息を押し殺して驚く。

 光は知っていた、あの約束を。


「千絵ちゃんの気持ち、ずっと知ってた。てか、当時の私は恋は盲目と言うか、周りを気に出来る余裕がなかったから気づかなかったけど、よくよく考えたら、千絵ちゃん分かり易過ぎだよ。気づいてないのは、太陽ぐらいじゃないかな?」


 悪かったな、と太陽は静かに悪態づく。確かに太陽は全く気付かなかった。

 現に今も、思い返して尚、千絵が太陽を好きだという事を信じられないとさえ思っている。


 そして光は語る。過去の真相を。真実を知る切っ掛けだという日記の内容を。

 千絵が中学の頃に、太陽の恋の応援をしていた時の心情を、光の口から語られる。

 

 全部が全部ではなく、要所要所の簡潔であるが、内容に偽りはなく、千絵がずっと太陽を想っていた事を知り、太陽は目頭が熱くなる。


「(本当に俺って……とんだ大馬鹿野郎だな……。千絵の気持ちに気づかないでよ……)」


 千絵はずっと太陽を想っていた。

 だが、その想いが叶わぬ儚い恋心だと知り、2人を応援する道を選んだ。それが茨の道だと知りながらも。

 千絵は自身の想いを綴った日記を光に読まれていた事に狼狽しながらも、必死に堪えて光に問う。


「ねえ……光ちゃん。1つ確認するけど、光ちゃんは、私の気持ちを知って、太陽君と別れたりしたのかな……? 好きな人が出来たなんて、嘘を言って」


 千絵の語りに太陽はあの光に別れを切り出された時の事をフラッシュバックする。

 嫌な思い出。思い出すだけで汗が出る。

 あれから1年以上経ったが、知りたい。太陽は、あの日の真実を。


「…………千絵ちゃん。私は千絵ちゃんが思うほど善人じゃないし、友達想いじゃないよ」


 光が口にしたのは予想外の事だった。

 

「確かに、千絵ちゃんの想いに気づいて身を引いた、ってのも僅かに理由にあるかもしれない。だけど、そんなんじゃない……。私は、私の為に、太陽を振ったのは……」


 太陽は光の語る真実に心臓を掴まれた様に痛かった。

 光は友達想い、特に千絵に対しては情が深い部分がある。だが、それは僅かな理由で、大半は自分の為だと語る。それはどういう意味なのか……。


「ねえ、千絵ちゃん……。千絵ちゃんの長く太陽を想っていた気持ちを自分自身で終止符を打った時の気持ちは私には分からない。だけど……。千絵ちゃんにも私の気持ちは分からないよ――――大好きな相手を疑う私の気持ちなんか」


 その言葉を聞いて、何故か太陽はあの日の事を思い出した。

 それは、光が陸上の全国大会で優勝して、大会前に約束をしていた、優勝したら一緒に水族館に行く。

 念願叶って全国大会で優勝をした光を約束通り水族館に連れて行ったが、その時の光は何処か気を伏せていた。いつもの光じゃないなって疑問に感じていた時、光が太陽に突然問うた。


『太陽は……私の事、好き…………なんだよね?』


 この時の光の問いは、俗に言う恋人が互いの想いを常に確認し合う気恥ずかしい行為の一緒かと思った太陽は、恥ずかしがりながらに光の事を好きだと言った。

 だが、光の尋ねは終わらなかった。


『そ、それはさ……。昔、私と結婚の約束をしたから、なのかな?』


 太陽は時折、昔話の様に光にあの約束をしていた。

 当時の太陽は本当に公園での約束の当事者を光だと信じて疑わなかった。だが、今思えばあの約束をした相手は光ではなく……。

 だが、そんな事を知るはずのない当時の太陽は、


『…………正直俺にも分からねえ。だけど、もしかしたらそうかもしれないな。今思い返すと、凄い恥ずかしいよな、こんな約束』


 この時の太陽は浮かれていた。

 ずっと好きだった光と恋人関係が結ばれて、これから先も光と一緒にいられるのだと。

 だから太陽は見落としていた。否、気づいていたが気のせいだと思っていた。

 太陽が答えた時…………光はとても悲しい顔を一瞬していたのを。だが、次の瞬間に笑顔となる光の


『私も太陽の事、大好きだよ』


 その言葉に太陽は気付いた僅かな疑問も気に止めずに流していた。

 昔の自分の発言。そして知る事となった真実。


「(まさか、あの時の顔って……光は、あの約束が切っ掛けで俺が光を好きになったと思って。だからあの時あんな質問を……。光は、そうじゃないって信じて……)」


 込み上げてくる焦燥。

 太陽は自分でも気づかぬ内に光を傷つけてしまっていた。

 光は太陽の事を強く信じたい。だけど、芽生えた疑心が無くなることはなくずっと光を蝕んでいた。

 太陽は光と付き合え浮かれ、光のその気持ちに全く気付いていなかった……。


「もしかして……それで太陽君を振ったの……?」


「…………そうだよ。ずっと疑って付き合っていくぐらいなら。別れた方が互いの為だって思って……」


 確かにそうだ。疑う、なんて言葉で言うのは簡単だが、それを意中の相手に向けるのは心に来る。

 これから何年、何十年過ごすのなら猶更だ。


「なら! それを素直に話せば良かったじゃん! 光ちゃんが太陽君に言ったのは―――――!」


 好きな人が出来たから、別れよ、私たち……。

 その言葉を千絵が言う前に、光の怒号がそれを遮った。


「私だってあんな事、言うつもりはなかったよ!」


 1年以上経って初めて知った光の想いに太陽の目は見開く。


「私だって言うつもりはなかった! 別れ話でも、今までの関係に戻ろうって伝えるつもりだった。私だって自覚しているよ! あんな事を言えばこれまでの関係が壊れるなんて! だけど、咄嗟に出てしまったの……」


 光に振られた時のことを思い出すだけで胸がズキズキと痛くなる太陽だが、それを今は必至に堪えてあの時の事を思い返す。

 あの時もそうだ。

 光に振られて、現実を直視することが出来ずに逃げ出したあの時、僅かな希望に縋る様に振り返った太陽の目に入ったのは、追いかけて来てくれる光ではなく、光はその場から一歩も動いていなかった。

 だが可笑しかった。太陽は振られ、光は振った。その立場のはずなのに……一瞬振り返った先に見た光の顔は悲しそうに涙を流していた。


 だが、振った相手が泣くなんてあるはずがないと心に余裕を持っていなかった太陽は、そのままその場を立ち去った。

 だが、もし……あの時の涙が本当だったなら、あの時太陽が立ち止まり、もう一度光と真摯に向き合えていたら……今の現状が変わっていたのだろうか。


 否、そもそも話の論点は太陽の記憶障害による勘違いから来ている。

 当時の太陽は間違った記憶を持っていた。つまり、太陽があの時真摯に向き合っても現状が変わっていたのだろうか。昔の事を掘り起こしても現在が変わるわけがなく、考える太陽はただ虚しさだけを募らせる。


「私は……ただ逃げただけ……。太陽を信じる事の出来ない自分から……。これからずっと疑い続けないといけないいう現実から……。私は目を背けただけ」


「どうして……どうして私に相談してくれなかったの! そんなに苦しんでたなら、私にも一言相談してよ! 私たち、親友でしょ!?」


「……親友だからだよ」


 光の即答に千絵は言葉を詰まらす。

 光と千絵は小学生からの親友で、太陽が居ない時でも2人の仲は良好。

 親友なら何でも話せる事ではない。逆に近しい親友だからこそ相談出来ない事もある。

 今回の事なら、猶更だった。


「もし、悩みの種が千絵ちゃんじゃなかったら、相談してたと思う……。だってそうでしょ? 太陽の言った約束の相手が千絵ちゃんだって知って、太陽を信用出来なくなった、なんて……。千絵ちゃんに言えるはずがないよ……」


 光の苦しみは、太陽への疑心、親友に対する罪悪感、そして光が抱える太陽に向ける疑心。

 光はずっと胸に内に秘め葛藤し続けていた。

 悩み、悩み、悩み、悩み。悩み続けた光はまるで、ずっと溜め込んでいた様に、僅かに躊躇いに震える声音で光は言う。


「千絵ちゃん、私ね……。ずっと、千絵ちゃんのこと、憎んでたのかもしれないんだ……」

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