初めての喧嘩

「私たち、親友、止めよ」


 突き付けられた破局の言葉。

 光は縋ろうと口を開くも声を失った様に言葉が出ない。

 

 光にとって千絵は最も親しき友であり、昔自分を救ってくれた恩人だからこそ幸せになって欲しいとも思っている。だが、振り返れば光は千絵に対して何をしただろうか。

 親友の気持ちに気づかず、自分勝手に千絵に自分の心を押し殺させた。

 そこまでした千絵の想いを光は太陽を振るという形で踏みにじった。


 しかも。千絵が光に突き立てた言葉は、まるであの日、光が太陽に言った言葉そのものだった。

 

 親友を失いたくない。その気持ちが大きい。だが、不用意に千絵を傷つけた自分では仕方ないと僅かに諦めている。光は唇を噛み必死に耐える。そんな光に千絵はすぅと息を吐き。


「親友じゃなくなったからハッキリ言うけどね光ちゃん、いや――――渡口さん」


 千絵が光を苗字で呼んだのなんていつ以来だろうか。少なくとも2人が本当の友になった日から一度も千絵は光を苗字で呼んだ事がない。

 そこまで千絵は光を見限ったのか、焦燥に駆られる光は千絵の言葉を待った。そして、


「渡口さんは私を憎かったって言ってたけどね、そっちは過去形でも、私は現在進行形で渡口さんの事憎んでるんだからね!」


「…………………!?」


 薄々勘付いてはいた。だが言葉でハッキリ言われると光は動揺を隠せない。

 そして千絵はこれまでの溜まった鬱憤を爆発させるが如き、光を捲し立てる。


「2人が別れてから鳴りを潜めた、昔は会う度会う度会う度、太陽君の惚気と愚痴が一杯! 隣に住む幼馴染の特権階級をフル活用して毎日会ってさ! それを私に報告するって何? 嫌がらせ!? しかも、携帯を持ち始めてからもっと酷かったし! 知ってる? あまりのウザさに携帯を一台へし折ったことあるんだよ!? 私への精神的苦痛及び携帯一台損失で賠償金を請求したいぐらいだよ!」


「い、いや……精神的苦痛は兎も角、携帯はそっちの損失じゃ……」


「うるさい! しかもさ、渡口さんの素知らぬ感じの顔が本当にムカつくんだよね! 高校デビューした太陽君が直ぐに学校に馴染めたの、あれ、渡口さんが周りに根回ししたからって知らないと思った?」


 千絵が口にした事実に光は驚嘆する。それは千絵には気づいてほしくなかったからだ。

 だが同じ学校なのだから知られても不思議ではないと、光はやはり自分の浅はかさに自嘲する。


 太陽は光に振られてから、まるで光を遠ざける様に光が嫌悪を示していた者達の風貌となった。

 そしてそれは、高校をまだ入学していない時期。

 入学とは中学とは違う交流関係が生まれる場。そこで一歩踏み外せば高校の3年間を孤独に過ごすのも不思議ではない。

 実際、中学の頃の太陽を知る同級生らが周りに吹聴して、危うく太陽は冷淡な扱いをされかけていた。そんな太陽を救ったのが、光だった。


 高校デビューした太陽を嘲笑い、揶揄ってやろうとする者達に光は言ったのだ。


『確かに急激な変化には驚いたけど、自分を変えようとするなんて普通の勇気ではできないよ。だから、凄いと称賛はあれど、馬鹿にする道理は何処にもないと思うけどな』


 古来より人間は人望が高い者の声に耳を傾ける傾向があり、中学の実績で同校出身の者達には絶大な人気を誇っていた光の鶴の一声に周りが賛同して、太陽を揶揄うのではなく親しんで接する様になった。


 光の言葉は光の隔てない優しき心から来るものだと周囲は勘違いしていると、真実は違う。

 太陽が変わってしまったのは自分の所為だと光は気付いていた。

 だからあの時の光は、太陽を変えてしまった事への罪滅ぼしだ。


 せめて陰ながらでも太陽が孤独な学校生活を送らなくても済むように少し手助けしたに過ぎない。

 

「…………だからなんなの? 私が周りになんて言おうが、千絵ちゃんには関係ないよ……」


「はぁ……その反応、本当に癪に障るね。だからなんなのってなに? 確かに私に関係はないよ? けどね。周囲は渡口さんの聖人みたいに語る人もいるけど、全部知ってる私から見ればね、ただの未練たらたらな女にしか見えないよ!」


 な!?と光は度肝を抜かれた様に後ずさる。だが千絵の言葉の乱射は止まらない。


「私には太陽君の事が別に好きじゃなかった、だから別れたって言ってたけどさ! 実際は未練たらたらであわよくば少しは溝を縮めたいって下心があったんでしょ? じゃないと、気まずい元カレなんかと関わりたくないはずだよね!?」


 光は図星だとぐぅの音もでない。

 太陽と距離を空けたかったって気持ちは嘘ではない。しかし、仲の修復を微かに願っていたのも否定はできない。


「それにさ陸上もだけど、なーんか陸上に青春賭けてますよアピールしてたけど、あれも実際は太陽君の事で奮起していたでしょ? どうせ、大きな大会に出れば否応でも太陽君が少しでも自分に注目してくれるって、そんな感じかな?」


 それも図星で光は精神的ダメージを受ける。


「本当に渡口さんは考えが浅いと言うか、行動原理が全部男性の事って、なに? 渡口さんは痴女かなにか?」


「……………」


「渡口さんのスペックなら男選びなんて選び放題のはずなのに、一度捨てた男に執着するなんて、重たいというか、メンヘラというか、傲慢というか」


「……………………………………」



「なんか黙り込んだけど、もしかして当たり過ぎて何も言い返せないの? それとも、気の知れた私がここまで渡口さんに不満を抱いていた事に驚いているの? 本当はかなりの小心者だったんだね、男女のひ・か・り・く・ん?」


 小学校の頃の黒歴史の渾名に遂に光の何かが切れた。


「—————————だぁああああああ! うるさうるさッ! 人が黙って聞いていれば好き勝手言ってくれたね! 」


 堪忍袋の緒が切れた光は激昂に吼える。

 いつもの太陽に怒る顔ではない。心の底から相手へ憤怒を燃やす表情。

 

「未練たらたら? それはこっちの台詞だ! 千絵ちゃん……いや、高見沢があんな未練がましい日記を書いていなければこんな事にはなってなかったんだよ! しかも友達が好きな男に結婚の約束をするというか、漫画の読み過ぎなんだよこの痛い性悪女が!」


 光の怒声に千絵は一切の怯みも無く、逆に癇に障った様に頬を引き攣らし。


「人の日記を見る非常識な人に言われたくないけどね! 他人の日記1つで相手を信用できなくなるなんて、そっちの気持ちがそれだけだったってことじゃないの!?」


「んなわけない! 私は太陽の事が心の底から好きだった! 太陽に全てを捧げるぐらい、処女でもなんでもあげたいぐらい好きだったんだから!」


「そうですか、それは残念でしたね! けど、おかげで渡口さんみたいな人に太陽君の初めてが奪われて嬉しいよ!」


 際限がない言葉の応酬。出会って数年分の鬱憤を吐き出す様に言い合う2人だが、遂に。


「人を馬鹿にするのもいい加減にしろ!」


 気持ちが昂ってか、光は思わず千絵を突き飛ばしてしまう。

 突き飛ばした光はハッとするが、飛ばされた千絵はキッと光を睨み。


「そっちこそ!」


 突き飛ばされた距離で千絵は助走をつけ、強く光を押す。

 千絵の体当たりで光は後方の跳び箱に背中をぶつける。

 痛ぅ……と背中を摩る光だが、千絵は光に飛び込み、光は咄嗟に千絵の両手を合わせる様に掴む。

 四つの手で睨み合う2人。


「運動部の私が帰宅部に力で敗けると思ってるの?」


「生憎様。ずっと太陽君を殴って来たおかげで力は大分ついてるからね!」


「そんなんで勝てるわけがないでしょ!」


 言葉通り、力ではやはり千絵は光に劣る。千絵を押し倒し、跨る様な形となる。

 光は千絵に跨り、彼女の胸倉を掴み上げて、手を大きく振り上げる。

 その振り上げた手で強く千絵の頬を叩く。赤くなる右頬、更に光は千絵の左頬も叩く。


「そっちに私の気持ちが分かるわけがない……。好きだからこそ怖くて……好きだからこそ信じたい……。だけど、記憶を思い出した時に、本当は私じゃなくて、別の誰かが好きだったんじゃないかって恐怖が付き纏う、私の気持ちが!」


 もし仮に光と太陽が結婚していて、その先に2人は80歳まで生きたとする。

 15の時に事実を知った光は、残りの65年を不信感を抱きながら過ごさせなばいけない。

 そして、光は太陽の性格を良く知っている。

 可能性はどうであれ、万が一に記憶を取り戻した後も太陽はその事実を墓まで持っていくだろう。

 光を傷つけないために。


 涙を流し悲痛に叫ぶ光の想い。その想いに千絵は。


「…………分からないよ。渡口さんの気持ちなんか……私には、到底」


 否定。その言葉に光は胸ぐらを掴む力が更に強まる。

 元親友に対して失望して歯を噛み締めながら光は腕を振り上げるも、千絵の口は続く。


「だけど、渡口さんも私の気持ちが分からないはずだよ。私はずっと、渡口さんが羨ましかった」


 振り上げられた光の腕は止まる。そして、千絵の瞳から涙が出る。


「可愛くて、運動が出来て、勉強だってできる、周りから慕われる人気者。だけど、そんな物よりも羨ましいモノがあった。私が願っても、焦がれても、手に入れられない―――――太陽君からの好意」


 千絵はずっと2人を見続けてきたと言っていた。だからこそ気づいたモノがあった。

 太陽の想いはずっと光に向いていた。どう頑張っても自分には向けられないと。

 どう出し抜こうと足掻いても、2人の間には入れない。だからこそ千絵は、2人の”親友”という立場に甘んじた。違う。選んだのだ。自ら強い枷を付けることを。


「確かに私には渡口さんの気持ちは分からない。だって、選んでもらった事がないから、不信感なんて抱くはずがない……。出来れば分かりたかったよ、その気持ちを。だけど、そっちも分からないと思うよ? 私の、初恋を閉じ込めて、憧れ嫌う恋敵の応援をする。惨めで哀れな私の気持ちが……」


 頬を伝う千絵の涙。光は胸ぐらを掴んでいた力が弱まり、千絵を解放する。

 千絵はずっと太陽の事が好きだった。本当は光の恋の応援などしたくなかったはず。

 だが、千絵は誰にも察しられない様に平静を繕い、光の背中を押した。その姿を光は誰よりも見て来た。


 暫く俯き黙り込む光。

 そして上げられた顔だが、その表情に怒りはなく、慈しむ様な目をしていた。


 光は千絵の跨る腹から腰をあげ、数歩後ろに下がる。

 千絵は痛い背中を我慢しながら上体を起き上らせ、光を見上げる。


 そして光は沈黙を破る様に口を開く。


「確かに分からないよ、高見沢……千絵ちゃんの気持ちなんか。いや、正確に言えば分かったなんて知った様な事は言いたくはない。私のに比べると、千絵ちゃんは本当に凄いと思う」


 光は倒れる千絵に手を伸ばす。千絵は少し躊躇ったが力強く光の手を握り返す。

 そして光が千絵を引き上げ、千絵は立ち上がる。


「太陽と別れてからの1年半で千絵ちゃんがどれだけ凄いのか分かったよ。自分の想いを押し殺す大変さ。言葉で言うのは簡単だけど、本当に苦痛だった。好きな人の隣に自分ではない誰かが隣にいる辛さ。千絵ちゃんはずっと、こんな気持ちで過ごしていたんだね……」


 光に流れる涙の意味は先ほどまでの自身の辛さの吐露からではない。

 幼馴染と別れた1年半で痛感して知った親友の辛さによるもの。

 そして知らなかったとはいえ、千絵の優しさを履き違え無責任に自分だけの気持ちを押し付けて来た光自身の愚かさ。それを知ったからこそ、光は千絵だからいいと思った。


「だけどね千絵ちゃん……。私が言ったのは嘘じゃないよ? 誰でも良いんじゃない、千絵ちゃんだからこそ良いと思った。もし千絵ちゃんが太陽の彼女なら私は、素直に諦められると本気で思った」


 ずっと光を支えて来てくれた千絵だからこそ、光は自分の恋に終止符を打てると思っていた。

 勿論辛さはある。しかし、千絵が幸せになれるならという自己犠牲感は否めないが、光の千絵に対する思いに偽りはなかったのは事実だった。 


「私だって誰でもかんでも応援したいと思う様なお人好しじゃないよ。私の所為で太陽君の夢を奪って、悲しみに暮れる太陽君を励ましたのは光ちゃんだった。リハビリに苦しむ太陽君を支えたのは光ちゃんだった。太陽君が本気の笑顔を向ける相手が光ちゃんだった。本当は辛かった。だけど、太陽君の大切な存在な光ちゃんだからこそ、私は応援出来た。私だって、その気持ちに嘘はないよ」


 光の恋を応援して来た千絵の想いも嘘ではなかった。

 親友の光だからこそ、千絵も己の恋の終止符を打てると思った。光なら自分も祝福できると。

 2人の想いはすれ違っているも、互いを想う気持ちに親友としての想いは確実にあった。

 

「結局。私たちは互いを想って、互いに自分の想いを断ち切る為に利用して来た最低同士ってわけだね」


 千絵が呆れ気味に言うと光は、


「ハハッ。つまり類は友を呼ぶってわけか」


 結果や経緯はどうであれ、2人のしている事は同じだと失笑する。

 そして光は2人の喧嘩で散らかった体育倉庫を一瞥して


「私たち、友達になって長いけど、こんな風に喧嘩したのは初めてだね」


 光の中で千絵とこんな風に本音を曝け出し、手を出す様な喧嘩をしたのは初めてだと認識する。

 千絵もそれに同感だと、苦笑して頷き。


「そうだね。なんか、今の方が互いに気持ちは言い合える本当の友達になれるかもね。また互いに気に食わない事があれば、今みたいに喧嘩でもする?」


「それは出来ればご勘弁を。千絵ちゃんの言葉、凄い破壊力があるんだから。心折られて泣きそうだったよ」


「それは残念」


 千絵も勿論冗談だから本当に残念な表情は浮かべない。

 そして無言の空気が流れたあと、千絵は光を見つめる。

 ゆっくり千絵は光へと近づき、光の手を優しく握る。


「光ちゃん。今なら言えるはずだよね?」


 なにが……?と光は言いそうになったが、千絵の真摯な瞳から千絵の先の言葉を予想ができた。


「もう光ちゃんは、私に気負う必要はない。私だってもう光ちゃんに気負わない。私は、太陽君が好き。出来ればこれから先、太陽君の隣に私は居たい。光ちゃんはどうなの……? 光ちゃんは、太陽君の事を、今はどう思ってるの?」


 まるで長い長い道のりを辿り、真意を確かめる千絵の問い。

 元より今回の会話での最初の問いが、太陽の事をどう思っているのかだった。

 その時光ははぐらかした。だが、今の全てを曝け出し叫んだ光なら、本当の気持ちを言えるはず。

 親友の千絵に対する気負いや罪悪感を省き、光の太陽に対する本当の気持ちを。


 あれ程の喧嘩をして尚、千絵は光の想いに問いかける。その親友の気持ちに光は涙があふれる。

 握る千絵の手を光は握り返し、濡れる瞳をグッと閉じて開き、そして真っすぐな瞳に真っ直ぐな心をもって光は口開く。


「私は―――――――――」

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