ラストスパート
光が減速し始めたのを御影も感じられた。
背中来る追走者のプレッシャーが忽然と無くなったからだ。
本来はあまりしないが、横目で御影は後方を確認する。
御影の目には俯き、尚も諦めずに足を回すも空元気に終わり、距離が広がる光の姿が見えた。
「(……ここまでですか。まあ、ここまで粘っただけでも称賛モノです。が、勝負は運と実力です。残念です。もしその怪我さえなければ、もっと良い勝負が出来たかもしれません)」
余裕からではないが、御影は光に対する興味が一気に萎えた。
今でも光の事を好敵手とは思っているが、それは中学時代の光に対して。
怪我をして堕ちた光に御影は敵意を失う。
これで自分と張り合える者はいなくなった。ここからは消化試合みたいなモノ。
いつも通りペース配分を考えてゴールするだけだった。
「(最初から結果は決まってました。貴方はどんな勝算があって賭けに乗ったかは分かりませんが、ごめんなさい。この勝負、私の勝ちです)」
心の中で手向けを送った御影は失速した光との距離を空けよう前を見た時だった。
「—————ッざけんじゃねえぞ!」
突如響く怒声に思わず御影は驚く。
目線を怒声が聞こえた方へと向けると、観客席の方へと向ける。
「(太陽……さん)」
今の怒声の正体は太陽だった。
太陽は観客席の柵に身を乗り出して何かを叫んでいた。
その矛先はどうやら御影ではなく、御影の後方を走る光だった。
「(何を言ってるんですか太陽さん……それだと)」
叫んでる内容は分からなかった。
御影が知らない光と太陽の見えない何か。
言葉遣いは荒く物騒な事を言っているが、それはまるで声援のようだった。
「(太陽さん……どうして)」
太陽を今日誘ったのは御影だった。
御影にとって転校してからの初舞台でその雄姿を太陽に観て欲しいと誘った。
そして彼は今日来てくれた。御影の応援の為に。だが、彼が檄を飛ばしたのは光にだった。
「(
御影と光の距離は約3秒。
数字だけ読めば大した差ではないと思えるが、秒を競う陸上においてこの差は致命的だ。
1秒でも相手との距離を縮めるのは困難なのに、相手が御影であれば絶望的。
「(……だと言うのに、なんでですか! なんで、
再び横目で後方を確認すると、先程まで諦めて沈んでいたはずの光の表情に闘志が宿っていた。
その表情は諦めを放棄したかの様な清々しい笑み。
その瞬間だった。
光の足が一気に加速する。序盤のギリギリで食らい付いていた時以上の追い上げだ。
「(ふざけないでください、ふざけないでくださいッ! なんですかその追い上げは! 本気でここから逆転するつもりですか!?)」
御影は焦り、スピードを上げる。
まだ余裕がある差であるのに、捕食者の様に喰って掛かる光からの
「(貴方は確かに落ちたはず! 先ほどまで諦めかけようとしていたじゃないですか! なのに、どうして限界以上の力が出せると言うのですか!)」
御影には理解不能だった。
御影にとって試合はあくまでいつも通りの力をいつも通りに発揮する場としか考えてない。
だから、練習以上の力を、所謂限界以上の力を出す火事場のクソ力な事はして来なかった。
御影は思い出す。
「(そう言えば、あの時もそうでした)」
あの時とは、中学時代の御影と光にとって最後の大会である全国陸上競技会。
御影は前評判で光の事は最後の追い込みが強い選手だと言う情報は得ていた。
だが、走ってみれば確かに粘りや食らい付きは一級品であるが、御影には僅差で追いつかないレベルだった。
だが終盤で光は怒涛の追い上げを見せ、ゴール直前に勝ちを確定した御影に逆転勝ちをつかみ取った。
「(あの時も、誰かからの声援が聞こえた直後に、貴方はとんでもない速さで追い上げて来た)」
御影も意識の端で聞こえていた。嵐の様に声援飛び交う会場の中で、一際魂の籠った声援を。
その声援が響いた直後に光の爆発的な速さを見せたことを。
「(そうだったんですね……。あの時も、そして今も! 貴方は太陽さんの声援が起爆剤になるって訳ですか!……ふざけないでくださいッ!)」
汗で濡れる唇を血が出んばかりに噛む御影は7割の力から8割の力へと速度を上げる。
「(どんなに諦めずに速度を上げてもこの差は埋められない! この勝負は私が勝つんです!)」
失せたはずの敵意がぶり返し、御影は迫り来る好敵手の圧力から逃れん為に前を見る。
確かに光の予想だにしない加速力は認めるが、結局は御影が負けじと速度を上げれば意味が無い。
故に3秒から縮まり2秒差になった現状での逆転勝ちは難しい。
……だが、光の闘志は滾る様に燃え。御影をも呑み込む勢いで迫る。
「(くッ……! 初めてですよこんな体験! 落ちたはずの選手が鬼気迫る勢いで追い上げるなんて!)」
今まで御影が対戦して来た選手たちは御影の実力に圧倒されて途中で諦めて失速する。
中には光の様に食らい付いて接戦をしてきた選手もいるが、その者たちも御影に敗けてはいるが、ゴールまで接戦していた。
だから御影は初めてだった。途中で諦めたはずの選手が、諦めるのを止めて喰らい付こうとするのは。
そしてその光の背中を
「キャッ!」
いつも以上に強く地面を蹴った事で空回りをしたのか、爪先を滑らし態勢を前のめりに崩れてしまう。
普通の選手なら今の失敗で転倒するだろう。だが、御影の鍛えられた体幹で踏みとどまり、直ぐに態勢を整える。
時間にして0.5秒程の刹那。勝負に支障が無い……わけがない。
先ほども言ったが、陸上は秒を競う競技。一瞬の緩みと油断が命取りになる。
足を滑らし態勢を崩した御影は確実に減速した。しかも、元通りの速さまでにスピードを乗せるにも時間が掛かる。0.5秒の時間でさえも2秒の差は埋められる。
つまり—————
「うぉおおおおお! 並んだぁぁああああ!」
盛り上がる様に会場が沸き立つ。
残り200mの佳境で、先を進んでいた御影と後方に落ちた光が先頭で並んでしまう。
脚の怪我と体力で尋常じゃない汗を流す光だが、その闘志は沈静する事はなく、鋭い眼光で御影を睨み。
「追い……付いた……。越す!」
「行かせませんよ!」
2人以外の後続とは10秒以上の差があり、実質2人の一騎打ち。
先ほどまでは御影が有利な対面だったが、今は全ての差が無くなった。
残りは運と実力もあるが、互いの気力の勝負でもある。どちらが最後まで全力を出せるのか。
「(最悪です最悪です! とんだ失態をしてしまいました! 今までにこんな失敗した事がありません!)」
御影は内心先ほどの自分の失態に動揺していた。
今までに失敗を経験した事がない天才ほど土壇場での失敗で動揺のふり幅は大きい。
しかし、その動揺から直ぐに冷静になるのも強者の力量でもある。
「(……反省会は後からです! 今は勝つ事だけに集中を! こんな無様な事で敗けてしまえば、もう、太陽さんに顔向け出来ません!)」
御影の思考にペース配分と言う言葉は消え去った。
スタートからゴールまで体力の9割をペース配分を考えて走る御影だが、最後まで体力が持つ事も考えずに残り150mの地点で勝負に出る。
御影の100mの11秒59で単純に見積もってゴール地点まで約16秒。
光は今年、去年の怪我の事を考慮して体力測定での100mの記録はないが、この感じだと御影とあまり大差無いのかもしれないと思えるが。
答えは否、確実に御影の方が速い。だが、選手の中には土壇場で限界以上の力を出して、その差を埋める者もいる。光は典型的なそのタイプなのかもしれない。
先程の失態で失速した速さを取り戻した御影は、スパートをかけて光を引き離しにかかる。
御影の思考を読んでいたのか、光もほぼ同時に更にスパートをかける。
光も最後まで体力と脚が持つかなんて今更考えてない。ただ互いに勝つ事のみを考えていた。
己の実力、そして気力を最大に振り絞り相手の先を行こうと足を踏み出す。
スポーツにおいて圧勝は要らない。ただ相手の先を行けばいい。陸上であるなら0.コマ何秒でも相手より速くにゴールすればいい。そうすれば勝者である。
僅かに勝っても勝者。僅かに負けても敗者。ただ単純にそれだけだ。
だから僅かでも相手の先を行こうとする2人の表情は戦場を駆ける夜叉の如く。
飢える野獣の様にぎらついた眼でゴールを見据える。
100mを切り、90m、80m、70m……徐々に2人はゴールに近づき、横並びで残り50mを通過。
恐らく互いに心臓が張り裂けそうになる程に鼓動をして、全力疾走で脳に酸素が送られてないだろう。
視界が疲労と汗で歪むも歯を喰いしばって堪え、尚も足を止めない。
互いに譲れないモノの為に1歩、1歩とゴールに走り寄り—————そして。
競技時間にして約4分。
短そうで長い2人の対決は互いにゴールの白線を超えて幕を閉じた。
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