決着
「はぁ……はぁ……はぁ……ゴホッ……はぁ」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
互いに全力を振り絞り接戦を繰り広げた渡口光と晴峰御影は、トラック内で荒い呼吸で息を整える。
完走した光と御影は全部の体力を使い切ったのか、ゴール後は互いに1歩もトラック内から動いてない。
たかが1500mを1回走っただけかもしれないが、確かに練習であるなら一度キリで疲れては目も当てられないだろう。
しかし、本番は1度キリの勝負。
幾度も走り体力を付ける練習とは違い、1度の勝負に全身全霊の力を込めて後の事を考えずに走るうえに、試合での緊張も相まって、疲労は練習の比ではない。
「ど、どっちが……勝ったんだろう、ね……」
「さぁ……分かりません」
辛い呼吸で会話する光とは違い、1分程の休息で息を整える御影。
だが、御影の声音は何処か沈んでいた。
勝負の行方は当事者の2人には分からない。
目の前のゴールのみを見据えて走ったから、気づいた時にはゴールの白線は超えていた。
横の事を気にする余裕も無かったから、記録班の発表を待つ事しか出来ない。
渡口光、晴峰御影。
全国に名を轟かす2人の激闘は終え、続々と後続の選手たちもゴールする。
白熱した勝負に熱を帯びて沸き立っていた競技場は今、静寂に包まれていた。
その原因は選手全員がゴールした後に発表される選手たちのタイムを固唾を呑んで待っている。
光と御影は客観的に観てほぼ同時にも思えた。
よって目測では2人の勝敗は判断できない。
此度のレギュラー選抜テストの記録はマネージャー兼記録係の手動タイマーと競技場の公式でも使用される機械で判定される。殆どの場合は時間短縮で手動の方を記録するのだが、同着にも思えるゴールでは機械で判定する他無く、コーチたちが判定を確認している。
このレギュラー選抜テストはあくまで、個々の記録で優劣を決めるもの。
故に順位は無く、発表されるタイムが2人の激闘の勝敗を決める。
競技場の室内で確認作業をしていたコーチが戻って来て、記録が書かれた紙を発表係のマネージャーに渡す。
受け取ったマネージャーは紙を見るとハッと息を呑み、唾を呑む音がマイクが拾い競技場に響く。
「で、では……ただいまの1500m2組目の記録を発表致します」
緊張化でかたどたどしい口調で発表するマネージャーを会場全体が静寂に待ち、そして。
「わ、渡口光さん……4分17秒13……。は、晴峰御影さん…………」
ドクン、ドクン。
今か今かと待ちわびる音は、誰の心臓の音だろう。
隣の人のかもしれない。もしかしたら自分のかもしれない。
それだけ静寂で、それだけ強く御影の記録を待ち、勝敗が言い渡される。
「4分―――――16秒98!」
発表されて尚、誰もが記録を理解できずにいて、会場は閑散とする。
沈黙する事数秒。会場の1人が理解が追い付き「お、おぉお!」と声を上げると連鎖する様に会場全体は沸き立ち。
「は、晴峰の勝ちだぁあああ!」
「うぉおおお! 滅茶苦茶興奮したぜ! マジで鳥肌が立った!」
会場の興奮の上昇は止まらず、宛ら大会本番の様に拍手喝采が轟く。
観客席には選手の保護者、同校の生徒のみならず、他校から視察や観戦に来た生徒からも拍手が飛び交う。
それだけ2人の白熱した勝負が人々に興奮と楽しさを与えたのだ。
そんな中、御影は自嘲する様にボソッと呟く。
「こんな体たらくで褒められると、なんだか癪ですね……」
勝者とは思えない重苦しい表情の御影。彼女は今の勝負に納得してないのだろうか。
僅かの僅差で敗北した光。
荒かった呼吸も整え終えた光は、晴天の青空を仰ぎ。
「敗け……ちゃったか」
今、光は泣いているのだろうか。
走っている間は気にしなかったが、光は大量の汗を掻いていて判断が出来ない。
仮に泣いてたとしても、泣き顔とは縁遠い清々しい表情で真上に浮かぶ天体の太陽を眺める。
「悔しいな……けど、悔いは……沢山あるけど、これで良かったのかもしれない」
雲が少ない晴天の様に衒いのない表情の光だが、勿論悔しくない訳がない。
かなり悔しい。今にも屈んで泣き出したい程に悔しくて、唇を噛みそれを押さえる。
だがそれと同時に、胸のモヤモヤが払拭されていた。
「敗けたけど、最後の最後で欲しかった物が貰えた……って、あれが声援かどうかは分からないけど、最高の手向けになったよ。ありがと、太陽」
光は太陽のいる観客席の方を見るが、先程まで彼がいた所に太陽はいなかった。
帰ったのか、それとも別の場所に移動したのかは分からないが、光は太陽を探さずに、次の競技が始まる為にトラックから去ろうとするが。
「あ、あれ……足が、動かない……」
まるで足だけが石化みたいに動かない。
極度の高揚でアドレナリンが大量に分泌されていたからか忘れていたが、光は全身を蝕む様な痛みと痺れを思い出す。
疲労と足の激痛が吐き気さえも感じる光は早く行かないと迷惑になると無理やりと足を動かそうとするも、光の意思とは関係なく足は一向に動かない。
全く動かずに立ち尽くす光を周りが不思議がろうとした時だった。
光は後ろから誰かに軽く押され、前のめりに倒れる。
だが、倒れる途中で誰かに支えられ地面まで倒れなかった。
「なーにしてるんですか。早く戻らないと次の人に迷惑ですよ?」
光に肩を貸し、おんぶ気味に光を移動の手助けをしたのは、先ほどまで競い合っていた御影だった。
「晴峰さん……どうして」
「どうしてじゃないですよ。気づかないと思ってましたか? 貴方の足の異変に」
足の状態を看破されていた事に光は一瞬戸惑い、目を御影から逸らす。
御影は嘆息して、その後は会話が無く、入場ゲート付近の人口芝生まで移動した時に光は口を開く。
「なにがどうであれ、勝負は私の敗けだから……あの賭けは貴方の勝ちだね。約束通り、今後私は太陽には関わらない」
光と御影は試合前にある賭けをしていた。
内容は敗けた方は今後太陽とは関わらない。
レギュラーの座だけでなく恋慕も賭けいた2人だが、競技は御影の勝ち。僅差であろうと勝者は勝者だ。
光は自分の敗北を認めるが今にも胸が引裂けそうに苦しい。
これは体力でなく心の問題。光の心に小さくある気持ちがその痛みを生んでいた。
だが、だからと言って賭けを反故する訳にはいかない。
受けたからには覚悟は決めていた。そのリスクは御影も負っていた。光は敗けた。その事実があるなら、光は受け入れないといけない。
しかし、その賭けを持ち込んだ
「何を言ってるんですか渡口さん? あんなの、
「……………はい?」
あまりの返しに目を丸くする光。
困惑する光に御影はため息を吐き。
「そもそもこの賭けはあまりにも理不尽じゃないですか? 怪我をしていた貴方と、その間にも努力をし続けた私では不成立です。勝って当然の勝負を持ちかけるとか、どんだけ私って性悪なんですか」
「な、ならなんであんな賭けを言い出したのかな!?」
軽薄に笑う御影だが光は指摘すると、御影は悪戯っぽく舌を出し。
「貴方の本気を見たかったんですよ。後、覚悟も。本気で私に張り合おうとしているのか、って」
御影は光を競技場の壁に凭れる様に置き、光を讃える様に笑い。
「そして貴方は私に見せてくれました。貴方の本気を、覚悟を。流石、私が認めたライバルです」
光にとって御影は憧れの存在。そんな人に褒められて光は目頭が熱くなる。
「……もう。晴峰さんは意地悪だな……」
苦笑する光だが御影は一瞬真顔となり。
「そんなんじゃ……ないんですよ」
「え? なにか言った?」
「なにも言ってないですよ」
はぐらかす様に返され怪訝とする光だが、御影は光に背中を向けてから言う。
「渡口さんは……高校を卒業した後も陸上は続けるのですか?」
「…………どうしてそんなことを聞くのかな……?」
話は一転して陸上となり光は質問の意味を聞き返す。
御影は光に背を向けたままにその意味を話す。
「高校を卒業した後、スポーツを辞める人は多いです。理由は様々ですが、大学、社会人になると自ずとスポーツから離れる。大学でも続ける人は推薦とかが多いって聞きますし、やったとしても同好会とかの御遊び程度……それで、渡口さんは高校を卒業した後も陸上を続けるんですか?」
御影は質問の意図を述べた後に再度光に問う。
「どう……かな。分からないや」
光の中では決まっているはず。だが、実際に口にするのは躊躇ったのか煮え切らない返答をすると、御影は力強く振り返り。
「続けてください!」
ビリリッと耳が痺れる様な声量に光は竦むが、御影はお構いなしに言う。
「今日、私は貴方と競えて嬉しかったです! ですが、こんな事であの時のリベンジが果たせたなんて思ってません! 今後は治療に専念して、高校を卒業した後、大学でも社会人でもどちらでも構いません。もう一度私と闘ってください! その時が、本当の私とあなたの勝負です!」
ビシッと御影の伸ばした指が光を捉える。
御影はあの勝負に納得していない。光の怪我さえなければどうなっていたかは分からない。
だが、残念な事に光は高校で陸上を辞めるつもりでいた。光が陸上を続けた理由は太陽との繋がりを僅かでも感じたいと言う未練から。
だから、高校を卒業した後はその繋がりを完全に断つ為に光は陸上を辞めるつもりだった……今、御影に言われるまでは。
「勿論、無理強いはしません。これは私の我儘で、貴方の人生は貴方が決めることです。ですが、私は—————」
「闘おう。いつかまた、私も貴方と走りたい」
光は御影の言葉を遮り言う。
そして、壁を支えに手を付きながら光は御影との視線を合わせる。
「貴方が今回の勝負に納得してなくても、私が敗けた事には変わらないよ。正直言ってかなり悔しい。だから、私も貴方にリベンジしたい。私の高校での陸上は今日でお終いだけど。いつか足を治して、貴方と闘う。だから、精々高い所で待ってて。いつか絶対に追い越すから!」
ヤハリ、光は陸上が好きだった。
確かに切っ掛けは好きな人の誘いからだったが、彼だけが理由でずっと陸上を続けられない。
だから光は1人の陸上選手として御影ともう一度闘いたい。好きな物では敗けられないから。
光の曇りのない真っすぐな瞳と言葉に御影の口元は綻び、歯を見せる様に笑い。
「上等です、渡口さん。私だって、貴方が追い付けない程に高みまで行ってみせます。亀みたいに遅かったらおばあちゃんになっちゃいますからね」
今度は間接的でなく直接に、互いの強い握手と共に再戦の約束を交わす。
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