声援

「(嘘! 何で!? 何でこのタイミング!? さっきまで大丈夫だったじゃん! いつも練習でこれ以上に走っても大丈夫だったのに、なんで!?)」


 太もも部分が痙攣する様に痺れ、そこから痛覚が脳まで通達。

 一瞬硬直するが意地で脚力を踏ん張らせて足を回す。

 だが、1歩1歩爪先が地面を踏む度に痛みが増し、顔色が険しくなる。


「(保ってよ私の足! 残り500mもあるんだから!)」


 いつも走ってる間はあまり残り距離を気にはしない。

 だが、残り500mが今の光には遠く感じた。

 

 光の足は決して万全ではないと言うのは自覚していた。

 去年に靭帯を損傷する怪我を負い、手術を請け負った医者からはリハビリ含めて全治まで2年はかかると診断された。

 だが、光は整体師の治療で何とか回復はしたものの、完治した訳ではない。

 少なくとも全国大会まで持つかどうかまでしか回復してない足は短く限界が訪れていた。


 原因は多々あるが、単純に完治してないからである。

 練習の間は整体師の優香の指導で極力足に負担がかからない練習法を行って来たから、練習中に足の痛みは抑える事は出来た。

 だが、練習と試合とでは同じ怪我でも別物だ。

 練習では監督してくれる者が抑制してはくれるが、陸上の競技ではそれは出来ない。

 野球などの途中交代が認められるスポーツなら兎も角、一度スタートしたら陸上はタイムがない。

 最初から最後まで己と敵との闘いである。


 しかも、一回勝負の試合において、筋肉の疲労は練習の倍以上ある。

 それは試合に対する緊張で無意識に力んでしまう。それ故に光の足は早々に限界が訪れたのだ。

 整体師で体の構図に知識に幅を持たせる優香だが、これまでスポーツあまりして来なかったから、その事を計算に入れてなかったのかもしれない。


 脚部の激痛で徐々に減速してしまう光。

 距離も開き始める。


「(もう少しなのに、もう少しなのに! この試合が最後だって決めてたのに、なんで保たないの私の足!)」


 歯を喰いしばり無理やりと足を回転させるが、まるで足が紐で絞められ、鉛を引っ張る様に重たい。

 1000mを細い紐を引き寄せる様に接戦してこれたが、御影の背中が僅かに遠くなる。

 必死に掴んで離さなかった紐は光の手から落ち、光は直感した。


「(あぁ……敗けたな、これは)」


 元々望みが薄い勝負だった。

 だが、光は勝てないと思っている試合には出ない。

 だから、この試合も希望は薄くても勝てると信じて走っていた。

 しかし、不幸な足の痛みでその望みは断たれ、光は負けを確信した。


「(そうだよね……元々私が勝てるなんてなかった。ハハッ。我ながらに哀れだよ。相手は去年も全国大会で高記録を叩き出した天才。そんな人に私が勝てるはずがないんだ……)」


 光の闘争の炎は小さくなる。

 人の精神は傷みによってネガティブになっていく。

 脚の痛みが光の心を強く蝕む。


「(そもそも私は何のために頑張ってるのかな……。ここで頑張ったって私が欲しい物が手に入るわけでもないのに……。周りが褒めてくれても、それは私が欲しい物じゃない)」


 諦めた様に自嘲する光の心は折れていた。何故、自分はこんな辛いと思いながらも頑張ってる意味さえも忘れるほどに。


「(ここで足を止めちゃってもいいよね。観に来てる人や部の人からは失望されるだろうけど、もうどうでもいいや。だってしょうがないよ、私、怪我してるんだから)」 

 

 しょうがない。

 光はこれまでに陸上に対して一度も言い訳をした事がなかった。

 試合において如何なる理由があろうと、それは自身の未熟さであるからと考えていたから。

 逃げたいが為に誰もがする言い訳をして来なかった、強い精神を持っていたのは、光には支えがあったから。

 どんなに挫けても、光を支えてくれる存在が居たから、光はこれまで過酷な練習も、接戦でも諦めずに乗り越える事が出来た

 

 だが、今の光には支えが無い。

 腐り朽ちる木は容易く折れやすい。今の光の精神はそうなっている。

 支柱が無いと折れる木。だが、光は昔にそれを自ら捨ててしまった。


「(あーあっ、最悪だな。最後に見せる姿がこんなカッコ悪いのって。まあ、仕方ないか。これは私が招いたこと。自業自得だから素直に受け入れよう。)」


 支えが無い。頑張る理由さえも見失う光はもう走る気力はなかった。

 一生この不甲斐ない自分を抱える事になろうが、光は一向に構わなかった。


 早く楽になりたい。


 まるで、自分が諦める目の前の景色を見たくないとばかりに光は目を閉じようとした時だった。

 

「—————ッざけんじゃねえぞゴラぁぁあ!」


 競技場に轟く怒声が光の意識を返らす。

 顔を向けるわけにはいかずに、目だけをその怒声が聞こえた観客席へと向ける。

 光の目に入ったのは—————


「—————たい……よう」


 観客席の柵に身を乗り出して険しい顔で光を睨みつける太陽の姿があった。

 まるで二階席から飛び降りて殴りかからんばかりの勢いで太陽は叫んだ。


「テメェ、何不甲斐ない走りをしてやがるんだ! 怪我か? 足の怪我で走るのを止めようとしているのか!」


 太陽に言われ光の心臓はドキッと跳ねた。

 確かに足の痛みで減速はしてもまだスピードは乗っている、御影との距離も数秒程度しかない。分かるはずがない。

 だが、彼は気付いた。光の足の異変に。


 柵に身を乗り出す太陽を観客席にいた他の観客に止められるが、構いなしに太陽は吼えた。


「お前まさか、自分が怪我してたんだからしょうがないと思ってんじゃねえよな? そう思ってるなら————お前のその可愛い顔が不細工になるぐらいにぶん殴るぞ!」


 他の観客たちが「お前何言ってるんだ!」と太陽を諫めるが、光も同感だった。

 太陽は何を言ってるんだ、と光は理解出来なかった。だが、光は前に言った太陽の言葉を思い出す。


『不甲斐ない走りでもしてみろ。マジでお前のその綺麗な顔が腫れるまでぶん殴るからな』


 光が陸上に集中する為に、太陽が文化祭の係の仕事を全て引き受けてくれた時に言った言葉。

 あの後、太陽は言った通りに光の仕事も全て引き受けてくれた。

 おかげで光は今日のこの選抜テストまで陸上に集中する事が出来た。


「お前昔俺に言ったよな。どんな事があっても言い訳はしないって。全てひっくるめて自分なんだって。正直怪我は仕方ねえとは思うが……自分の言葉ぐらいは責任持てよ!」


 太陽はエスパーかと光は目を見開く。

 太陽は勘付いていた光の心情も。怪我の所為にして諦めようとしていたことを。

 

「お前は散々周りに心配させて、我儘をしてきたんだ。なら————最後までその我儘を貫き通せよ! 周りがこれなら迷惑掛けられても良かったってぐらいに最後までやり通せ! だから…………頑張りやがれ、光!」


 太陽は堪える様に険しい顔を浮かべると、天を仰ぎ大きく光目掛けて言葉を飛ばす。

 

 太陽の特大のエールが競技場に響くと、競技場内は太陽に圧倒されてか静寂になる。

 静まる競技場する中、光の体内で小さくとも強く鼓動する昂りを感じた。

 昔に幾度も体験した久方の高揚に光は口端は上がる。


「(太陽のバーカ。それはもしかして、私に発破をかけてるつもりなの? なら、もう少し言葉を選ぼうよ。それだと周りから異常者だって思われるよ)」


 辛辣に内心吐露する光だが、胸が熱いぐらいに温まる。

 

「(確かに私は、調子に乗って偉そうな言葉を言った。自分は周りとは特別だから、沢山の人の期待に応える為に言い訳は出来ないって思ってた。けど、私が今日まで頑張り続けて来れたのは、太陽、貴方が居たからだよ。どんなに挫けそうになっても、太陽がいたから私が頑張って来れた。私にとって太陽は、私を助けてくれる王子様ヒーローで、名前通り私を励ましてくれる太陽そのもの)」


 太陽が居たから挫けなかった。

 太陽が居たから笑顔でいられた。

 太陽が居たから周りには敗けてられないと思った。

 

「(けど私は……自分勝手な理由で太陽を深く傷つけてしまった……)」


 光の脳裏にあの時の光景が思い浮かぶ。

 もし時間を戻せるなら、戻りたい消去りたい過去、卒業式後の体育館裏。

 太陽が決死で光に想いを告げてくれた場所で、光は太陽の想いを引き裂いた。


『私好きな人が出来たの……だから、別れよ、私たち……』


 それ以外にも選択肢があったはず。なのに、光はその言葉を言ってしまった。

 その時の太陽のこれまでに見た事がない程の悲しい表情は今でも忘れられない。

 あの時、遠ざかる太陽の背中を観て、光は自分の言葉に大きく後悔をして、呼び止めようとした。


————待って、太陽! 本当は!


 だが、自分で捨ててしまった光に、その言葉を言う資格は無かった。

 親友の気持ちも裏切り、好きな相手の言葉を信じ切れなかったのだから。

 

 幾ら諦めようと、忘れようと、彼を嫌いになろうとしたが駄目だった。

 それだけ初恋という呪いが光の心に侵食していたから。

 

 そんな今も好きな相手の前で、一瞬でも無様な姿を見せる事を良しとした自分に怒りを覚える。

 足はまだ動く。不思議な事に先ほどよりも足が軽い様にも感じる。

 まだ行ける。まだ諦める時じゃない。


「(太陽。私も自分の言葉に責任を取る。けど、太陽もその言葉に責任を持ってよね! 私、自分の我儘を貫き通すから!)」


 足が引き千切れそうな激痛を伴いながら、光は力強く大地を蹴る。

 

 光が捨てても、もう一度欲しいと熱望していた太陽の声援を貰い。

 ここで光は—————絶好調となった。

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