観客席

 1500mの最初の組がスタートした時間に遡る。

 

「……光ちゃん、来たね」


「…………あぁ。だが、お前は分かってたんだろ。あいつが来るってこと」


「そうだね。けど、それは太陽君もだよね?」


「………………」


 図星だったのか押し黙る太陽。

 未だに怪我をした退部した光の登場で動揺が収まらない他の観客たちとは違い、2人は知っていた。

 

「……光ちゃん、勝てるかな」


「勝てるわけがないだろ。影で練習していたって言っても、試合としてのブランクは1年以上ある。練習と試合は全然違う。1年間努力し続けて来た晴峰に勝てるはずがないだろ」


「そうだね。普通ならそうだね。怪我をしていたんだから敗けたって可笑しくないよ」


 試合に出るか出ないかまでは把握していたが、未来の事は知らない。

 少なくとも現時点で光が御影に勝てる確率はゴマ粒程度しか2人は考えてない。

 怪我をして一時陸上から離れていた光が御影に負けても不思議ではない。それが言い訳になるから。


「…………けどあいつは、それを言い訳にはしないだろうな」


 ボソッと太陽は呟く。

 

 光は怪我を言い訳にはしない。

 怪我だけでなく、全てにおいて、光は一度も言い訳はしなかった。ただその敗因は自身の未熟さだと受け止めるから。


 太陽は昔の事を思い出す。


 それは太陽たちが小学6年の頃で、光にとって小学生最後の大会の事だった。

 元々足の速かった光が陸上を始めてから、グングンと頭角を現し始め、最高学年に上がる事には県ではそこそこの名の知れた選手になっていた。

 全国は無理でも、県で上位入賞を期待された光の小学生最後の結果は……後ろから2番目の結果だった。


 光は昔から、大会前は気持ちの高揚か自分を追い込む癖があり、皆の期待に応えようと頑張っていた。

 だが、その時は練習のし過ぎで足の裏に血豆ができ、それを試合前に潰してしまった。

 足裏からは血が流れ、足踏みする度に苦痛が光を蝕む。

 その事にいの一番に気づいた太陽は光に出るなと止めたが、最後の大会だという事で光は太陽に頼み、怪我を隠して大会に出場した。

 

 やはりその怪我が大きく響いたのか、いつもの光の走りが出来ず、スピードを乗せる事なく、ギリギリで最下位は免れたが、光は周りの期待に応える事は出来なかった。


 周りは敗退した光に慰めの言葉をかける事が出来ず、光は誰もいない所で泣いた。

 光は何に対して泣いていたのだろうか。


 予選で敗退した事だろうか。

 最後の大会に自分の全力を出し切る事が出来なかった事だろうか。

 周りの期待に応える事が出来なかった事だろうか。

 

 全てだろうか。


 光は人の前では気丈に振る舞うが、1人になると周りに知られずに落ち込んだ。

 そんな光をいつも慰めていたのが、太陽だった。

 太陽は言った。


『結果は残念だったけどさ……そう落ち込むなよ光。しょうがないだろ、怪我が原因なんだから。いつものお前なら、あいつらなんかに負けるわけがない。だから……元気だせって』


 精一杯に言葉を捻りだし励ましの言葉を贈る太陽だが、光は首を横に振った。


『違うよ……太陽。怪我なんか言い訳にはならないよ……。試合ってのは今までの集大成、自分が頑張って来た証を見せる場……だから、全てがこの結果なんだよ。怪我をした、だからしょうがないじゃないんだよ』


 歯を喰いしばって涙を堪える光は言う。


『怪我をしたんなら、それでも敗けないぐらいに速くなる。怪我のハンデを物ともしないぐらいに速くなる! 言い訳をする人は、成長を諦めた人なんだから! 私はもっと、もぉおおっと速くなる! だから見てて太陽! 私、いつか全国で一番に速くなるから!』


 荒唐無稽な言葉だが、光は本気だった。


 如何なる怪我をしようがそれは自分の管理が悪い。

 走ってる最中に靴紐が切れた、解けたがあったら整備しなかった自分が悪い。

 勝敗の上で言い訳は通用しない。それら全ては自分の未熟さが招いたこと。


 光はそれを自覚している。だから、今まで一度も言い訳をした事がない。


「……まあ、晴峰に完膚なきまでに敗けて自信を喪失しないかが心配だがな」


 自分の膝に肘を付いて頬杖をする太陽に千絵はにんまりとして。


「へぇ~太陽君、光ちゃんを心配するんだ」


 それに太陽はハッとした後にチッと不愛想に舌打ちをして。


「そんなんじゃねえよ。あいつがどうなろうが、俺には知ったことがねえ」


 頬を赤めらす太陽と揶揄う千絵の会話の最中に1組目が全員完走する。

 放送される各選手のタイムを聞いて太陽は確信する。


「(今までに何度か御影のタイムを計ったが、これは晴峰が一位で確実だな)」


 朝練に半ば無理やり付き合わされた太陽は御影のタイムを知っている。

 朝練って事で全力ではなかったにせよ。それを踏まえて、今発表された1年、3年のタイムよりも早いと確信する。

 レギュラーの人数は3名で、実質2位と3位が誰になるのかである。

 

「次は光ちゃん達の番……どうなるんだろう」


 千絵は不安が混じった声を呟く。

 太陽も預言者ではないからそれに答える事は出来ない。

 ただ、この試合がどうなるのか不覚にも胸を躍らしている自分に苛立っていた。


 相変わらずに陸上となるとキャラが変わるぐらいに集中する御影の闘志がピリピリと伝わる。

 出場する選手たちもそれに負けないぐらいにやる気に満ちているが、御影の圧力に若干押されている。

 だが、1人だけ、御影の強者の圧力に敗けてない者もいた。光だ。

 目の前の試合に向けて光も集中していた。それは余裕からか、それとも精一杯の空元気か。


 目の前の競技場は地元にある小さな競技場。

 だが、太陽の目に見える光景は、2人が中学時代に走った日本有数の大競技場。

 まるで昔に遡った様に太陽はあの時の光景が目に浮かぶ。

 

 そして太陽を現実に呼び戻したのは、競技場に轟く号砲だった。


 響いた号砲に選手は一斉にスタートする。

 それぞれがレギュラーの座を賭けて己の全力を出し切る為に前に足を踏み出す。

 1500mなどの中距離走以上は最初は相手への牽制や手探りである程度の低ペースで序盤は走るのだが、勝負に全力の御影が集団を置いて先行する。

 

 その行動に観客たちは驚愕でどよめくが、もう一度驚く。

 御影に続いて集団を置いて、光も御影を追走していた。

 怪我で一時離脱していたと思えない走りで光は御影に食らい付いている。


「だ、大丈夫なのあれ!? 光ちゃん、あんなハイペースで最後まで持つのかな!?」


 千絵が狼狽するのも分かる。

 光は人一倍体力があったが、それは怪我をする前の話。怪我をした後は少なからず体力は低下する。

 人間は長時間ハイペースは続かない。それは人間の限界がそうさせている。

 だから序盤は精々5、6割で走るのだが、少なくとも先行している光と御影は自分の7割は出している。

 

 不安がある千絵を他所に他の観客たちは大きな賑わいを見せる。

 2人の実力をある程度知っている者なら、2人の勝負は夢の様なもの。白熱しない訳がない。

 後続の選手を置いて接戦する2人に会場全体から黄色い声援が送られる。

 だが太陽は、手汗が滲む程に強く拳を握りしめていた。


「(あいつ、どんだけ必死なんだよ。足の方も本調子じゃねえのに……。まだ1年しか経ってないんだぞ。完治しているわけがない。なのに……なんでお前はそこまで頑張れるんだよ)」


 光を小さい頃から一番近くで見て来た太陽はいつも思っていた。

 光は怪我をしようが、辛い練習であろうが、めげずに頑張る姿を、ずっと。

 

 太陽はまた昔の事を思い出す。

 昔の太陽も同じ様な事を疑問に思い、一度光に尋ねた事があった。

 なんでお前はそこまで頑張るのか、と。光の返した言葉はこうだった。


『選手なら当たり前だよ。良い成績を取りたい。単純かつシンプルにね』


 それもそうだ、と太陽も理解したようとした矢先だった。光はその言葉に続いて言った。


『まあ、それもあるんだけどさ。私の場合はちょっと不純と言うか……見せたいじゃん、やっぱり』


『見せたいって何をだ?』


『それはその……自分のカッコイイ姿を見せたいをだよ。大切な人にね。敗けてる姿よりも勝ってる姿の方が良いから、いつも応援してくれる人に、飛び切り輝いてる私を見せたい。だから私は頑張るんだ』


 この人の太陽はその大切な人、いつも応援してくれてる人は光の両親の事だと思っていた。

 今もその言葉の真意は分からないが、次に光が見せた笑顔、そして言葉も忘れられない。


『だからずっと応援してね、太陽!』


 今、御影と接戦して並走する光の姿を見て太陽は胸が苦しくなる。

 光が頑張る姿を見て、あの頃の楽しかった思い出を思い出し吐き気がする、今すぐに離れたいと思った。

 だが、最後まで観たい。2人の勝負の行方を。観ないといけないと思った。

 何故かは分からない。だが、この試合が他人事の様に思えなかったから。


「(俺は光の事が嫌いだ。あいつは俺を裏切りやがったんだ。そう簡単に許せるわけがない。元々ここに来たのだって晴峰を応援しに来たんだ。あいつじゃない。なのに……畜生……なんで俺は、光の方を応援したいと思っているんだ)」


 太陽は自分の気持ちが分からない。自分の事なのに、頭がガンガン響いて、胸が張り裂けそうに痛い。

 嫌いな気持ちとそれでも応援したいと言う矛盾な気持ちが、太陽を先の見えない迷路に迷わしている。

 答えがあるのなら誰か教えて欲しい。自分を楽にして欲しい。そう願うしかなかった。

 

「太陽……君?」


 何処か辛そうにしている太陽の表情に怪訝そうにする千絵だが、会場の沸き立ちに2人の視線はトラックに映る。


「おいおい! 今半分を超えたところだがどっちも譲る気ねえ! マジでどっちが勝つんだ、これ!」


 観客の誰かが言った。

 気づけば半分を経過していた。残り約700m程。

 光は怪我を物ともしない程の果敢な走りで今も御影を追走していた。

 小さい頃に言った言葉を有言実行するかの如く。光の表情から闘志は消えていない。


「凄い……」


 驚嘆する千絵がそう零す。千絵にとってこの状況は予想外だったようだ。

 太陽も同様だ。光に才能があるにせよ。同格以上の天才の御影にここまで接戦するなど、予想が出来なかった。もしや、とそう思った矢先だった。

 太陽は気付く。


「ま、まさかあいつ—————!」


「ど、どうしたの、太陽君?」


 跳び上がる様に立ち上がる太陽に吃驚する千絵。太陽の後ろの席から「おい立つなよ。邪魔だ」と言う声が聞こえたが、太陽の耳には入らなかった。

 太陽だけが気づている。ずっと、誰よりも彼女の走りを見て来た太陽だから、気づいた異変。

 そして、彼女の心情も、心外だが気づいてしまった。

 

 強く歯を噛み締める太陽は表情を強張らせ。


「ふざけるんじゃねえ!」


 太陽は観客席の前席へと走った。


 

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