もう一つの場所で

 太陽と御影が運動場で朝練しているのと同時刻。

 別の自主練が可能な開放された運動場に2人の人物。


「ふわぁ~。はぁ……やっぱり歳には敵わないね。流石若人。こんな朝っぱらから練習で精があっていいな」


「ごめんなさい三好先生。わざわざこんな朝早くに出て貰って」


「いや、医療に携わる身としては患者の要望に応えるモノさ。まあ、時間外だから完全なプライベート時間だけど」


 まだ一般的な活動時刻も来ていない早朝に呼び出した事に申し訳なさそうにする光。

 そんな光に呼び出されたのは、現在光の足の治療を受け持っている幼馴染の千絵の伯母である三好優香。

 優香は整体院を経営して光はその患者である。

 

「時間外の治療費はビール缶一本でいいから。ほら、足が止まってるよ。足踏みもう100回」


「未成年にお酒を奢らせないでください……」


 ツッコむ光は優香の指示通りに足踏みを開始する。

 膝を胸の高さまで上げる足踏みは下半身を鍛えるのには最適だ。

 

 そもそも光は優香を運動場に呼ぶ必要はそこまでない。

 なら、何故光が優香とマンツーマンで特訓を行っているのかは、他でもない優香の判断だった。

 光は目を離すと焦りか自分を追い込む程の過剰練習をしてしまう恐れがある。

 現に光には前科があり、一度脚を怪我している。

 だから、光が無茶な練習をしない様に優香は監視しているのだ。だが、当の優香もこんな早朝に練習するとは思っていなかったのか憂鬱な様子だ。


「よし。次は嬉し懐かしシャトルランだ。あんたは体力測定でのシャトルランは最高何回?」


 シャトルランは学生の体力測定で行われる測定法。

 一般的に20メートルの間隔で合図音と共に走り、最後の合図音よりも先に決められた線を超えなければならない。合図音の間隔は次第に短くなり、時間が進むごとに脱落する者が多くなる。

 勿論、光もこの測定を幾度も経験があるから優香の質問に答える。


「えっと、今年は足の怪我の所為で先生から走るのを止められましたから……高1去年での記録だと149回です」


「……流石陸上で全国優勝経験者か。女子高生どころか男子高生の平均を遥かに堪えるとは……。まあ、今は足の事を考えると100回を目安にしようか。勿論、足に違和感があったりしたら直ぐに止めること。正直な話、完走できるなんて思ってないから」


 光は了承の意で頷く。

 今はネット社会で検索すれば簡単にシャトルランの音楽が入手できる。

 スマホの音量を最大にして、自分たち以外に誰もいない運動場に音階が轟く。

 始まる前は男子高生の平均をも超える回数に達するかが不安だったが、光の気魄か持前の体力かは分からないが、100回のシャトルランをこなしてみせた。

 だが、もし全盛期の149回をしろと言われたら無理な程に光は疲弊していた。

 大量の汗を掻き、濡れた手で膝を付き、荒い呼吸で息を整える。


「……恐れ入ったよ。まさか完走するなんて。お疲れさん。どう? 足の調子は」


 光が疲れる事など明瞭であるから体力の心配よりも足の心配をする整体師。

 光は目に入って染みる汗を腕で拭い答える。


「はぁ……はぁ……はい、全然大丈夫です。先生に何度も身体を触られたりしましたから」


「ねえ、その言い回しだと、私が麗しい女子高生の身体をこねくり触る変態みたいに聞こえるから止めてくれる? けど、もし少しでも違和感があれば言いなさい。もしあんたの足が悪化でもすれば、私がチーに嫌われるんだから……」


 千絵から聞いた話だと、現在独身のバツイチで子供がいない優香にとって姪の千絵は自分の子供同然に大切にしてくれてるらしい。だから、そんな千絵に嫌われるのは優香にとってある意味死活問題かもしれない。


「分かってます。残り1か月、三好先生宜しくお願いします」


「はいはい承りました。そう言えば渡口の娘。問診票の時に書いて貰った住所から察するに、あんたの家から一番近いのって中央公園の運動場じゃないか。なんでわざわざこんな遠い場所で朝練するんだ?」


 優香は治療を受ける事が決った後に彼女に書かせた問診票で光の住所を知っている。

 そこから計算して、光の家から現在の運動場よりも近い運動場が1か所ある。

 面積も広くて早朝であれば人気も少なくて練習に最適な場所が。

 中央公園とは光が昔から練習で利用している運動場の名前である。


「ここでしたら先生の自宅からも近いですし、私の練習に先生を遠出させる訳にはいきませんから」


「遠出って……距離も5キロぐらいだし、私は車があるから別に大差はないが。まあ、人の練習場所に文句は言わないが。お前は学生でこの後は学校があるんだし、少しでも家から近い方がいいだろ?」


 光は優香の提案に顔を歪める。

 光が何故、わざわざ遠い運動場に足を運んでいるのかは理由がある。


「スミマセン……。私、嘘吐いてました。本当は、私事であの運動場は使いたくないんです……」


「どうしてだ?」


 それは……と言い淀む光。

 言えるはずがない。あの中央公園と呼ばれる場所が使えない理由が……あの2人に鉢合わせになるかもしれないから。

 2人とは、光の幼馴染で元カレの古坂太陽と、自分の事を好敵手だと認めてくれた憧れの選手晴峰御影。

 御影が転校して来るまでは光はそこで朝練をしていたのだが、転校して間もない頃に恐らく太陽の勧めで御影が中央公園で朝練を開始してから、光は鉢合わせする訳にもいかずに練習場所を移した。

 

「……別に言いたくないならいいが。先刻さっきも言ったが別に練習場所が何処であれ、練習さえ出来ればいいんだから。だが、毎朝自転車でここまで来るのは大変だから、今度から私が迎えに来るから、それでいいだろ?」


「そ、そうですか? でしたらお言葉に甘えて—————」


 光は優香の厚意に甘んじようとしたがその口は閉じる。

 光の脳裏に過った不安が光を強く首を横に振らせた。


「いやいや! やっぱりそれは先生にも負担がかかりますし、これは私の問題ですから気にしないでください! その気持ちは嬉しく頂きますが!」


「ん? そんな遠慮しなくていいんだけど。それに、あんたの家に行けば昔馴染みの雅人あんたのお父さんもいるからな。色々と話しをしたいし」


「(だからですよ! 私の家って事は、つまり隣は太陽の家。もし私の推測が当たっていれば、先生の昔好きだった人は太陽のお父さんかもしれない……。太陽のお父さんは私のお父さんと学生の頃からの親友……。もし来てバッタリ太陽のお父さんと鉢合わせでもすれば!)」


 修羅場めんどうごとが起きない様にする為に、光は優香の厚意を断る為に必死に言い訳を考えるのだった。

  


 

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