作業

 今年大学受験を控えている3年が受験に向けての勉強が始まる前。

 夏休み期間は夏期講習で時間が取れない為に、2学期が始まって早々に開催される体育祭、文化祭への準備は1学期の段階から行われる。

 GWが終わり、夏休みまで残り1か月半に差し掛かった頃。


 まだ猶予があるが、行事の基盤作りの為に、不本意ながらに2年生の学年代表に選ばれた太陽及び光は、パソコンが置かれているコンピューター室でパソコンを使い資料作りをしていた。

 

「なんで俺達が文化祭で使う資料を作成しないといけないんだよ……こういうのって普通、先生が作る物じゃねえのか?」


「文化祭とかの行事は生徒が主役だからね。出来る範囲で生徒達が自主的に行うんでしょ」


 文句を言いながら作業を進める太陽と淡々と進める光。

 2人の席は3つ離れていて、これは太陽の判断で席を離して座っている。

 

 2人の作業はお世辞でも順調って訳でなく難航している。

 学生の内に本格的な資料作りを体験するのは稀有で、太陽も今回が初めてである。

 

 学校の授業でパソコン操作の基礎を学ぶ事はあるが、それでも殆ど初心者の太陽はあまり作業が進んでない。

 タイピングに関しては自宅のノートパソコンで慣れている為に戸惑わないが、渡された題材をどう綺麗にまとめあげればいいのかは分からない。

 昨年の資料を参考と渡されたが、まるっきり同じだと味気ないと言われているから、あくまで参考として眺めるしかない。

 太陽はまだいい……だが、光の場合は……。


「…………ねえ、ごめんだけど、しゅって打ちたいんだけどどう打つんだっけ?」


 淡々と進めてはいるが、タイピングは太陽よりも遥かに遅く、時折分からない文字打ちを太陽に訊いて来る。

 先ほども。や、などの記号打ちが出来なく尋ねて来たが、光はパソコンは不得手らしい。

 スマホは普通に扱えるが光はパソコンを持っていない為にあまり触る機会がないのだろう。

 無視すると作業は止まるから呆れながらに教える事にした。

 

「しゅはS、Y、Uで打てる。けど、訳が分からないなら、しは普通にS、Iで打って、小さい系の文字は先にLかXを打ってからローマ文字を打ってみろ。小さいゆなら、L、Y、Uな」


「あ、出来た。ありがとう古坂くん」


 再び無言の空気が流れる。

 2人以外に部屋には誰も無く、閑散とした空気が流れる。

 コンピューター室に響くのは壁に掛けられた時計の針が動く音とタイピング音。

 

 数分画面を見つめ続けた太陽は溜め込んだ息と共に鬱憤を漏らす。


「携帯で調べていいだろうけど、イマイチ理解が出来ないな、資料作りって……。大人になればこんな作業が当たり前になるとか、社会人怖っ。一生学生でいたい!」


 一種の現実逃避を行う太陽は思わず独り言を漏らしてしまう、そこそこな声量だった為に光の様子を窺う。が、光はそれに対して無反応だった。

 というよりも、光の手が遅くなっていた。光の横顔を見た太陽は首を傾げ。


「おい、渡口。そっちの作業は進んでいるのか?」


 同じ作業をしている光に確認を入れる太陽だが、コクンと頷いた様に見えたが、光はハッと目を見開き。


「……ご、ごめん。なんか言った?」


 反応を遅らせた上に聞いていなかったのか聞き返して来た。


「だから、そっちの作業は進んでいるのかって」


「ああ、そういうことね。作業の方は……順調からは程遠いかな。元々パソコン自体はあまり得意じゃないから、初めての作業に手間取っちゃってサッパリ進んでないや。ごめん、なるべく早めに終わらすから」


「いや……俺もあまり進んでないから別に咎めはしないが。それに、先輩から言われた締め切りまで余裕があるから、慌てる必要はないと思うが」


「そうだね……まあ、気楽に頑張ろって事かな…………ふわぁ……」


 話を切る様に小さく欠伸する光は目尻を擦る。

 よくよく光を観察すれば、どこか眠たそうに見える。

 現在は放課後で、昼に食べた昼食が眠気を誘っているのか、化粧で誤魔化しているが目の下に薄っすらと隈が見える。それに、パソコンと対面はしているが小さく首を漕いでいる。


「…………眠たそうだな」


「……大丈夫大丈夫……眠たくないから。眠たくない……眠たくない……」


 まるで自己暗示を唱えるみたいに呟いている。

 その言葉とは裏腹に瞬きの回数も増えている。

 必死に意識を保とうしているのが丸わかりな程に大きく眼を見開いては、瞼が弛んできて、それを押さえる様に瞼を指で抓っている。そして疲れてはギュッと目を閉じる。

 

「眠たいんだったら帰ればいいだろうが。別に明日以降でも」


「それは駄目。ただでさえ遅いのに後回しには出来ないよ。それに、ある程度作業を進めないと今後に支障が……時間もあまりないのに」


 光は眠気覚ましでかバチンと自身の両頬を叩き、よしっ!と奮起して作業に戻る。

 先ほど太陽は言ったが、資料作りの締め切りまで日にちは余裕がある。

 だが、光は時間があまりないと言っていた。何の時間なのか太陽は大体察した。


「……別にお前の事だからどうでもいいけどな」

 

 小さく呟いて太陽も作業に戻る。

 

 その後は部屋は静寂に包まれ、2人のタイピング音だけが響く。

 太陽は携帯でネットを開き、ネットに掲載されているお手本を許に資料を作成。

 集中していたからか時間の感覚が狂い、どれくらい自分が作業に没頭していただろうか。

 太陽が我に返った頃には部屋に響くタイピング音が太陽のみだけだと気づく。

 

 太陽は視線を真横に向けると……苛立ちか眉をピクリと動かす。


 先ほどまで自分を奮い立たせて作業を取り組んでいたはずの光だったが、見事なまでに机にうつ伏して寝ていた。

 耳を澄ませば微かに聞こえる寝息。呼吸に合わせて上下する体。

 やはり眠気には勝てなかった様子……。


「お、おい!」


 幼馴染故に一度眠った光は中々起きない事は太陽は熟知している。

 生半可な声量ではまず光は起きない。

 太陽は嘆息して、叩いてでも起こすかと腰を上げようとしたが、気持ち良さそう寝ている光の寝顔を見て、もう一度ため息を吐いて腰を下ろす。


「…………ちっ」


 小さく舌打ちをした太陽は自分の作業に戻る。

 

 カタカタカタカタと太陽のタイピング音のみが部屋に響いてからどれくらい経っただろうか。

 少なくとも出ていた日が沈みかけ、朱色の光に注がれていた。

 そこで寝息を漏らしていた光は目を覚ます。


「ん…………んんぅ……ここは————————って、えぇええ! 私、寝てたの!? いつから!?」


 飛び跳ねる様に上体を起き上らした光は周りを見渡す。

 そして壁に掛けられた時計を見て、


19時前!? もうすぐ完全下校じゃん! って事は……私、2時間以上も寝てたって事!?」


 最悪にも光が眠りに入ってから起きる頃には完全下校の時刻に差し掛かっていた。

 光は作業をしていたパソコンを観る。

 パソコンは暫く動かさなかった事で、暗い画面をOSのロゴが縦横無尽に動く画面へとなっていた。

 自分の失態にアワアワと狼狽する光に、まだ作業をしていた太陽は舌打ちをして。


「やっと起きやがったか。直ぐに起きると思ったが、まさかここまで熟睡するとはな」


「た、太陽……ご、ごめん私……」

 

 太陽に迷惑をかけて落ち込む光に太陽は冷酷に言う。


「なあ、お前……もう係の仕事はするな」


 思わぬ一言に光は言葉を失った。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。寝ていたのは私が悪いんだし言い訳はしないけど……仕事をするなってそれって……」


 取り繕う光の言葉を流し、太陽は先日の北条先輩の言葉を思い出していた。


『もう少し互いに腹を割って話してみたらどう? そうすれば、分かる事もあるかもよ』


「(……腹を割る、か……今更こいつと腹を割って話す事もないだろう……けど)」


 泣きかける光に視線を戻した太陽は首を横に振り。


「別に怒って言っている……いや、本当は滅茶苦茶怒っているが、それはどうでもいい。俺がお前に言いたいのは———————お前、舐めるのもいい加減にしろよ?」


 低い声で言われ光はビクッと驚く。

 光の困惑の表情から自分が何を舐めているのか分かってないのだろう。

 だから太陽がそれを言う。


「お前の寝不足の原因は分かっている。普通なら昼に飯を食べたから眠いってのに繋がるが、お前は普段から全然寝てないだろ?」


「…………ッ!」


 図星を突かれた様に光は顔を逸らす。

 その反応が太陽の推理を物語らせる。


「お前がもし、1か月後にある陸上部の選抜テストに出ようとしているんだったら、大体の予想はつく。早朝から登校ギリギリまで朝練を、その後は優等生のお前は学校で寝ない様に睡魔と闘い、放課後も練習だったり文化祭の係で遅くなる。そして家に帰った後は学校で出された宿題を終わらして、文化祭に向けてのギターの練習、最後は学業を疎かに出来ないお前は復習と予習をしている。お前、寝てる時間3時間もないだろ?」


「…………………」


 光は無言だった。

 光は相手が間違ったことを言うと強気の口調で否定をする。

 だが、無言って事は太陽の予想は正解だったようだ。

 ムカつくが、太陽は光とは幼馴染。光の行動など分かってしまう。


「お前は優等生だ。何をさせても出来てしまう。それがお前の長所で、短所でもある。その意味、お前は分かるか?」


 光は首を横に振る。自分の事など意外にも自分が分からない事がある。


「お前は誰からの評価を気にする。そして皆の期待に応えようと奮闘する。学業も、部活も、何もかも、お前は溜め込んでしまう。そして、勝手に破裂する……。そんなお前が、1つの事を頑張って来た晴峰に、本当に勝てると思っているのか!」


 光の胸倉を掴みに行きそうな勢いで叱責する太陽。

 

「あいつはな、お前との再戦を本当に心の底から待ち望んでいた。普通に選抜テストに出るならできるだろう。けど、あいつが望んでいる事は本気の勝負だ。色んな事を溜め込んで中途半端に私頑張ってますっていうお前との再戦なんか望んでねえんだよ!」


 太陽の怒号に光は後ずさる。

 まるで光が目を逸らしていた事実を叩きつけられた様に光は涙を流す。

 相手が嫌いな元カノでも、やはり……女性の涙は太陽は見てて辛い。

 だが、これだけは言わないといけない。


「……千絵から聞いている。お前、初めてまだあまり経たないのに楽器がかなり上達しているって。軽音部の先輩たちも凄く褒めているって。陸上の大会が終わった後でも文化祭までは時間がある。なら、軽音部の方はあまり焦らないでいいだろ」


「たい……よう」


 太陽は我に返る。無意識でか涙を流している光の頭を撫でていた。

 光も予想外と潤う目で上目遣いをして目を瞬かせていた。太陽は光の頭から手を退かして、その手を後ろに隠し、コホンと咳払いを入れ。


「文化祭の方も俺の方が何とかしてやる。大丈夫だ。お前もしているって先輩の方から俺が言っておく。だから、お前は残り少ないが、陸上の方に集中しろ。いいな?」


「う、うん……」


 光が頷き、まるで昔の様に太陽はニシっと笑い。

 

「よーし。なら、さっさと帰るか。もうすぐ下校時刻だし、遅れたら罰当番だぞ」


 鞄を拾い、太陽は部屋を出ようとしたが、光は太陽を呼び止める。


「ま、待って太陽! どうしてそこまで……太陽は私の事……」


 嫌いなはず……光はその言葉を言いたくなく呑み込んだが、太陽はその事を読んで答える。


「あぁ。俺はお前の事が嫌いだ。世界一お前の事が嫌いだ。未だにお前に付けられた心の傷は癒えてねえ。多分、俺はお前の事一生恨むかもな」


「なら、なんで……私にそこまで」


 普通なら嫌いな相手にここまでしないだろう。


「だから言っただろ。晴峰はお前との再戦を望んでいるって。だから、俺はあいつの望みを叶えてやりたい。……それに、相手が嫌いな奴でも、頑張ろうとしている奴の背中を押せない屑野郎にはなりたくないだけだ」


 それは誰の為なのかは分からない。それでも、太陽は自分のしている事は間違ってないと思っている。


「だからよ光。俺がここまでするんだ。不甲斐ない走りでもしてみろ。マジでお前のその綺麗な顔が腫れるまでぶん殴るからな? んじゃあな、戸締り宜しく」


 ひらひらと適当に手を振った太陽は部屋を後にする。

 太陽を茫然と見ていた光だが、我に返ると思わず笑ってしまう。

 そして又しても涙が流れている事に気づく。この涙はうれし涙だった。


「……ありがと太陽」

 

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