突然の涙

『いやーそれにしても不思議よね。私と光さんは同じ地元にいるのに、中学と高校となると会う機会がないんだから。よーし。今日は再会と全国大会優勝という快挙を成し遂げた光さんに、私と清太が奢ってあげるわ』


『い、いえ。大丈夫です。私は母に御使いを頼まれてたまたま会っただけですので。その気持ちだけでもありがたいです』


『そんな遠慮しなくていいから。近くに絶品のとんかつ屋さんもあるから、そこで一緒に食事をしましょう。あ、清太会計宜しく』


『……お前、自分も奢るって言ってなかったか? まあ、いいけど』


 先輩である大久保清太と本条明日香が卒業してから初めて会った光。

 2人が卒業した後に、創立されて初の個人で全国大会優勝を果たした光は、2人にとって喜ばしい存在。

 その時には祝う事は出来なかったが、祝いたい気持ちがあった大久保と本条は光を食事に誘う。

 部活時代から良き先輩にして色々と振り回す本条に勝てぬ光は、半ば強引に赴く事となる。


『それにしても大久保先輩、こっちに戻って来てたんですね』


『まあな。春休みだし、県外だから長期休みぐらいは地元に帰って来ないとな』


 それもそうですね、と光は納得する。

 大久保と北条が先導して並んで歩き、その後ろを歩く光だったが、コンビニの前を通り過ぎようとした時、北条がモジモジと恥ずかしそうに小さく手を挙げ。


『あ、あの……ごめんだけど、ちょっとお花を摘みに行ってもいい……?』


 大久保は北条よりも数歩歩いた後に振り返り、呆れた様に顔を顰め。


『おいおい。後輩の前でトイレ宣言って……』


『い、いいじゃない、生理現象なんだから! ちょっと待ってて、直ぐに終わらして来るから!』


 相当膀胱に来ていたのか光たちの返事も聞かずに颯爽とコンビニに入る北条。

 仕方なく大久保と光はコンビニの前で待機する。


『なんか買うか? ジュースぐらいは奢るぞ?』


『いえ。この後に食事を奢って貰うので、これ以上は遠慮します』


 小さく頭を下げて断る光に大久保はふぅと息を吐き。


『俺が在学していた頃からお前は遠慮する気質だったよな。人から奢ってやるって言われたら素直に奢って貰うのも礼儀だぞ』


『す、スミマセン……』


『いや、別に怒っているわけじゃないんだけど……。まあ、どっかの誰かさんみたいなたかる様な女は嫌われるけどな』


 ニシシと笑いながらに大久保の視線の先はコンビニのトイレの方。

 その視線から”どっかの誰かさん”が誰なのか光は直ぐに察した。


『本当に明日香先輩と仲が良いんですね、大久保先輩は』


『まあな。あいつとは長い付き合い、腐れ縁? 幼馴染ってやつだからな』


 光は知っていた。

 大久保と北条の関係を。2人から良くして貰っていた光は色々と事情を知っている。

 

『あいつは本当……遠慮なしというか。我儘三昧だよ、まったく……あれしてこれしてって。俺はお前の奴隷じゃないっての』


『それは大久保先輩を北条先輩は信頼しているからじゃないですか? 気の許せる相手には誰だってそうなりますから……』


 光は微笑みながらに北条のフォローを入れる。

 

『だけどよ……流石に長い付き合いだからってもう少し女らしくと言うか……。この前なんかよ。新しい携帯に替えたってはしゃいで、俺とテレビ通話で会話したんだけどよ……お前の爆発した様な寝癖の方が気になって会話が入って来ないって言うか!』


『ハハハッ。北条先輩って寝癖が本当に凄いですからね。合宿の時は後輩の私たちは笑うのを我慢—————』


 光は会話を止めて視界の端に入った人物へと視線を向ける。

 だが、光が顔を向けた時には誰かがいたはずの所に人はいなかった。

 横目の狭い視界で顔を認識は出来なかったが、どこか見覚えがあったような……。


『どうしたんだ渡口?』


『…………いいえ。気のせい、かな?』


 気にして会話を濁せば久しぶりに再会した先輩に悪いと思い、騒つく胸を押さえて会話を続けた。


『話を続けますが、本当に北条先輩には笑わせて貰いました。その寝癖の件もですが、女子部員の中で家族で羊を見に行ったって話になったんですが、何を勘違いしたのか北条先輩が『へえー。って事は相当なお金持ちの家に行ったんだね。あぁー私も一度でいいからお帰りなさいませお嬢様的な事言われたいな~』って言って————』


『わーたーぐーちーさーん? なにか面白そうな話をしているようね。私も詳しく聞かせて貰えないかしら~?』


 怨恨囁く怨霊の如く背後から這いよる北条に光の表情は青ざめる。


『うわぁあ北条先輩むぎゅ!』


 怒りで青筋を立てる北条に両頬を抓られる光。

 

『貴方ね……その事は内緒にしてってジュース奢って買収したでしょ。よりにもよって、清太こいつに話して!』


『お前……羊と執事を間違えるとか……しかもお前にそんな願望があったなんて……』


『ほら! 面白いネタ貰ったって笑い堪えてるよこの性悪男! てか、私がいない間にどんな話題の派生からそんな話になったの!』


 頬を解放して追及する北条に光は頬を摩りながらに答える。


『えっと……確か最初は大久保先輩が私にジュースを奢るって誘ってきて……。それを私が断った後に、大久保先輩が北条先輩の事をたかる女だって……』


『せ~い~た~? 貴方、私をそんな風に見ていたのかな~?』


『ちょっと待て! 確かに言ったが、お前だって色々と俺に強請ったりしてたじゃねえか! お前こそ、もう少しは彼氏の財布事情を考えてくれ!』


『うぅ……善処します』


 どっちが優位か分からないが、大久保と北条のやり取りに光は失笑して。


『やっぱり先輩たちは仲が良いですね。卒業した後でも変わりなく』


 は?何処が?と意外そうな顔をする大久保とは対照的に北条は誇らしげに頷き。


『そうでしょそうでしょ! なんてったって8年来の恋が実ったんだから、いつまでも純情気分は味わいたいからね』


 マジで何を言ってるんだお前……と分かり易い表情をする大久保を無視して、光は


『幼馴染ですもんね……お2人は』


『そうだよ。こいつとは保育園の時から一緒なんだけど。こいつったら顔と運動神経がいいから昔からやたらモテ続けて。私が何度胸をモヤモヤさせたことか……こっちなんて小学生の頃から好きだったのに』


 心労を思い出したかの様に深いため息を吐く北条に光はなんとも言えない苦い表情で。


『ま、まあ大久保先輩は本当に女子の憧れの的でしたから……まあ、私は北条先輩に色々と愚痴を聞かされてましたので本当に……本当に先輩たちが付き合ってホッとしました……振られてたら私、とんでもない八つ当たりが来そうでしたので……』


『光さん。あなた、私を野蛮な先輩だと思ってない?』


『正直思ってましひたたたっ! ひひゃいでひゅふぉふぅひょうへんはい!』


 光に両頬抓りの刑を執行した北条は気持ちが爆発させた様に叫び出し。


『顔と成績に目を引かれて群がって来る女どもを追い払い続けて、苦節8年! 中学の頃に新記録を出したら私の方から告白しようって計画立ててたのに、突然清太の方から告白してきて! いや、かなり嬉しいよ。飛び跳ねるぐらい嬉しかったよ? けど……どっちかと言うと私は自分から告白したかったと言うか……いや、再三言うけど滅茶苦茶嬉しかったからね? これから幼馴染から恋人にランクアップしてイチャイチャできるかと思えば、告白して来た張本人が『けど、互いに陸上で良い成績を出さないといけないし、部活が終わった後は受験も控えてるから。恋人らしい事をするのは部活と受験が終わってからな』って言ってきて! それらが終わってやっとで高校でイチャイチャできると思ったら、こいつは県外の高校に進学するっ事になってるし! まあ、私が女子高に通うから結局は同じ学校にはなれなかったんだけど……。けど! 同じ地元でしかも家が近所なんだから いつでも会えると思ってたのに! 本当にどう思う光さん! この彼女を置いて夢に突き進むカッコいんだけど身勝手な男!』


 連射速度が凄まじいマシンガンの如きの喋りに圧倒され、半分以上聞いていなかった光は、何とか聞き取れた部分を噛み締めて返答する。


『え、えっと……イチャイチャって言っても、私からすれば、中学の時も十分に恋人らしかったと言うか……逆になんで、周りの人は2人が付き合ってるって気づかなかったのか不思議なくらいで……』


 別に大久保と北条のやり取りは恋人になってから始まったことではなく、中学の時から光は幾度もその現場を目撃している。人目をはばからずにだ。

 だが、光はあの事実だけは黙っておこうと決めている。

 2人のやり取りの図で『口やかましい女子部員がイケメンの男子部員にちょっかいをかけている』と影で言われてたことを……。

 誰も、これが2人の幼馴染としての微笑ましいやり取りなど微塵も思ってないことを……。


『まあ、周りがどうであれ清太と私は現在も付き合っているのは事実なんだけど……なんだけど! 光さんに分かるかな!? 彼氏がいる身でありながら夜な夜な身も心も寂しい想いで過ごして、声が聴けるのは電話越しのみ……寂しくて、それでも湧き上がる欲情に駆られて疼くこの身を自分で解消する虚しさが、あなたに—————むぎゅ!』


『おい。渡口が完全に引いてるからそこまでにしておけ』


『…………ごめんなさい』


 大久保に頭を叩かれ冷静になった北条を光はクスクス笑い。


『それでも先輩たちは凄いですよ……遠距離恋愛になっても、こうやって仲良く恋人でいられるんですから。大久保先輩もただ帰省して来たってわけじゃないんですよね。北条先輩に会いたいから帰って来たんですよね……?』


 光に指摘され頬を赤くしてそっぽ向く大久保。


『ま、まあ……長期休み前になったら明日香がいつ帰って来るいつ帰って来るって煩いからな。しかもバスで帰って来ればバス停まで迎えに来るし……』


『なによ。彼女が迎えに来て本当は嬉しい癖に』


『うるさい』


 本当に2人は仲が良い。

 光は大久保と北条が幼馴染の間柄だという事は知っていて、陰ながらに光は北条の事を応援していた。

 それは恋に悩む北条の姿に自分を投影していたから、どこか親近感を覚えて成就して欲しいと本気で願っていた。

 そして先輩たちが卒業する前に2人が陰に付き合い始めた事を知って、本当に嬉しかった。

 だから、次は自分の番だと思った。

 

 そして、光も小さい頃からの初恋を叶える事に成功した。

 幼馴染の彼から告白された時は、最初は勘違いだと思ったが、それが本当だった時は嬉しかった。

 ずっと、ずっとこの恋が続くのだと、先輩たちの様にいつまでも仲睦まじく過ごしていけるのだと本気で思っていた。

 ……だが、あの本を見た後に光は……彼の前で本当の笑顔を浮かばせる事が出来なくなった。


 何処で道を間違えたのだろうか。本当に自分の選択は正しかったのだろうか。

 もしかしたら、他にも別の道があったのではないだろうか……もし、自分が選択を間違えなければ、今も先輩たちの様に冗談や本気を言い合えるような恋人同士でいられたのではないか……。

 目の前の先輩たちと今の自分を重ねてしまい、光は己を責めてしまう。

 光が必死に逸らしていた心に空いた虚無感が沸き上がり、涙が出始める。


『ちょっとなんで泣いてるの光さん! 何処か痛いの!? 病気!? 怪我!?』


『ごめんなさい、ごめんなさい……』


 光の意志とは関係なく溢れる涙に対して、光はその言葉しか出なかった。

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