過去編 差し入れ

 夏休みをもうすぐに、陸上部は近い大会に向けて練習をしていた。

 地元の小さな陸上競技場で練習をする鹿原中学陸上部。

 鹿原中学の校庭は小さく、野球部とサッカー部が練習するだけで手狭の為に、陸上部は少し離れた競技場で練習をするのだが、他の中学の陸上部も集まる為に、殆ど合同練習となる。

 

 100名以上集まる競技場で各々が良い結果を出す為に自分の種目を練習する中、長距離走の期待の星である渡口光も練習に精を出す。

 前の大会は全国大会に出場できたまでは良かったが、結局全国の壁が大きく、順位は下の方だった。

 周りからは全国大会に出場出来ただけでも凄いと称賛するが、光はそれで納得できる程に陸上に賭ける想いは薄くない。

 次こそは全国一位を目標に更に自分を追い込もうと走ろうとするが。


「…………あれって」


 競技場にある小さな観客席の端に小さく手を振る男性。

 光はそれを見つけると、少し顔をほころばせ。


「スミマセンコーチ。少し休憩してきます」


「ん? 分かった。お前はさっきから走りっぱなしだからしっかり休んでこい。過労で怪我をしては元も子もないからな」


「分かりました」


 コーチからの休憩の許可を得た光は、休むためにも関わらず、そこそこな速足で観客席へと行く。


 競技場のトラックから死角で、他の選手には見つからない場所に向かった光は、男性と対面する。


「相変わらず練習中の私に直接声を掛けようとしないよね。声援の一つぐらい送っても罰は当たらないと思うけどな。太陽」


「誰がそんな恥ずかしい事するかよ」


 光と対面した男性は、光の家の隣に住む幼馴染である古坂太陽だった。

 太陽は手提げカバンを持っており、そのかばんに光は見覚えがあったが、まず要件を聞く。


「それで? こんなこそこそとどうしたのかな?」


「どうしたもこうしたも、お前、今日1日練だって言うのに弁当だったりを忘れただろ? おばさんは用事があるから俺に届けて欲しいって頼んで来たんだよ」


 太陽が持つ手提げカバンは光の家にある物だから見覚えがあるはずだ。

 光は弁当を忘れていたという自覚がなかったらしく、「あれ、そうだっけ?」と苦笑い。

 恥ずかしながらに頬を掻く光を少し可愛いと思った太陽も、少し顔を赤くして手提げカバンを差し出す。

 光はそれをお礼を言いながら受け取り。


「太陽はこれからどうするの? 今日は学校は休みだし、見学していく?」


「別に俺はいい。こんな暑い中に一人見学ってのも嫌だしな。俺は涼しいエアコンが効いた部屋でダラダラ寝させてもらうよ」


「むぅ。太陽は昔と違って本当にインドア派だね。そんなんじゃ、体に苔が生えるよ」


「人間に苔は生えねえよ」


 当たり前のことをマジレスで返す太陽。

 太陽は小学生の頃は外で遊ぶアウトドア派だったが、昔に遭った交通事故で足を負傷してから、入院中にゲームや漫画を興じた事でインドア派に転向したのだ。

 

 部屋に籠る宣言をする幼馴染に呆れながら、光は持って来てくれた手提げカバンの中身を確認する。

 その行動に太陽は少し顔を顰めた直後に、光はカバンの中に入っていた物に気づく。


「これって?」


 光が取り出したのは弁当以外に入っていた軽食に最適な機能性食品や凍ったスポーツ飲料。後、乾いたタオルに極めつけは小さなタッパーに入ったレモンのハチミツ漬け。


 光はそれらを取り出すと太陽を一度見る。すると太陽は勢いよく顔を逸らす。

 その反応で光は察したのか、ニヤリと口端を上げ。


「あれれ~? お母さんから頼まれたにしては色々と入っているね? 可笑しいな~」


「い、いや、ほ、ほら。こんな暑い中で一日練習だろ? だからおばさんが気を利かせて入れてくれたんじゃないのか?」


 それは合理にかなっている。

 母親なら娘の体調を気に掛け、熱中症対策や栄養を取れる物を入れても不思議ではない。


「けど可笑しいよね。お母さん、朝の内にこれ全部私に渡したけど? レモンのハチミツ漬け以外」


「いや、補充ってか、足りないかと思って入れたんじゃないのか?」


 尚も誤魔化す太陽に光は呆れの半眼を向け。


「ねえ太陽。帰ったら大体バレる事だから、白状した方がいいよ?」


 核心を突く言及に太陽は白旗を上げ。


「……はいはい。弁当以外のやつは俺からの差し入れだよ」


 太陽の自白に光はやっと認めたかと嘆息を零し。


「何も黙ってなくていいと思うけどな。別に悪い事じゃないんだし」


「悪くなくても恥ずかしいだろうが。幼馴染だとしても異性に差し入れなんて」


「太陽はそういう所が小心者だよね。超絶ヘタレだし」


「……俺の周りでは、俺の事をヘタレって言うのがトレンドになっているのか?」


 多くの者からヘタレと言われるのが心外の太陽を他所に、光はタッパーの蓋を開く。


「レモンのハチミツ漬けって。これって太陽が作ったの?」


「ああそうだ。家に丁度材料があったからな」


「へえー。それは凄いね」


 感嘆を言いながら光はタッパーに入っている、ハチミツで漬けられてレモンの一枚を摘まむ。


「別に難しい物でもないからな。切ったレモンをハチミツで漬けるだけだし。まあ、動画を参考にしながら作ったけどな」


陸上部うちのマネージャーでもこんなの作らないよ。それに、私はこういったのは苦手だから、ありがたく頂くよ」


 そう言って光は差し入れのハチミツで漬けられたレモンを躊躇いもなしに口で頬張る。

 太陽は自作したレモンのハチミツ漬けを咀嚼する光を固唾を呑んで見守る、と。


「……太陽」


 ゴクンと飲み込んだ光は不穏な声音で太陽の名を呼ぶ。


「な、なんだよ……?」


 もしかして不味かったのでは?と不安になった太陽だが、光は真っ直ぐな目で言う。


陸上部うちのマネージャーにならない?」


「いや、ならない」


 味の感想ではなく勧誘に脊髄反射で即答する。

 光はそれにブーイングをして。


「ええなんで。これ、めちゃくちゃ美味しかったよ! 初めてにしては上出来すぎ。それに、太陽は昔から私のマネジメントをしてくれたし、マネージャーになっても十分役に立つよ」


 褒められて嫌な気はしないが、それでも太陽は首を横に振る。


「俺は自由気ままな帰宅部が性に合っているから、マネージャーなんて大儀は務まらないよ。まあ、お前のマネジメントなら引き受けてもいいけどな」


 光はもう一つと口に入れようとしたレモンを摘まんだまに硬直する。

 そしてミルミルと顔を赤くして。


「えっと、た、太陽? それってつまり……どういう意味?」


 聞き返され、太陽は、ん?と首を傾げて自分の言葉を振り返る。

 そして気づいたのか、太陽の顔も負けずに真っ赤になり。


「な、ば! 違うぞ! 今のは幼馴染だから面倒だが自主練には付き合ってやるってだけで変な意味はねえよ!」


「そ、そうだよね……」


 何故かしょんぼりする光に太陽はこれ以上居た堪れないとため息を零し。


「まあ、後の練習頑張れよ。これでもお前の幼馴染だって事で内心誇らしげなんだからよ。次の大会、全員ブッチぎって優勝しろよ」


「そんな簡単はいかないけどね。同年代で凄い選手が沢山いるんだから……けど、太陽が応援してくれるなら、私、全力で頑張ってみせるよ」


 幼馴染ながらの関係かパチンと互いの手をタッチする2人。

 

「その代わり大会に優勝したらご褒美頂戴ね」


「ご褒美って何をご所望だよ。学生で行ける範囲で頼むぜ」


「そうだね……なら、水族館に連れて行ってほしいな。前に行ったのって小学生以来だから」


「水族館ね。了解。頑張れば水族館でもどこでも連れて行ってやるよ。練習頑張れよ」


 太陽はそれを言い残して去って行く。

 遠くなる太陽の背を小さく手を振りながら見送る光は、渡された手提げかばんをギュッと抱きしめ。


「本当に鈍感でヘタレだよね、太陽は」


 それが太陽の個性だと認めて苦笑する光は競技場へと戻る。


 光が戻って来た頃に他の選手たちも休憩に入っていたのか迎えられ。


「光さん遅かったね。どこ行ってたの?」


「んー。ちょっと知り合いが忘れ物を届けに来てくれたんだ」


 そう言って光は太陽が持って来た手提げカバンを見せる。

 手提げカバンの隙間から中身が見えたのか、1人の女子が目を輝かせ。


「レモンのハチミツ漬け入ってるじゃん。いいなー。ねえ光さん、一つ頂戴」


 選手には酸っぱさと甘さを補えるレモンのハチミツ漬けは最適。

 強請る女子に光は考える素振りは見せた後に、悪戯っぽく舌を出し。


「イヤーだよ。これ、私の物だから」


「えぇーなんで、光さんのケチ―」


 頬を膨らます女子とのやり取りで光の周囲は笑いが沸き立つ。

 光は渡さない。だってこれは、太陽が光の為に用意した物だから。

 みみっちいかもしれないが、少なからずの独占欲を生んでも罰は当たらないだろう。

 

 光も他の選手に合わせる為にもう少し休息を取ろうとするが、自分とは別の場所での会話が耳に届く。


「そう言えばさっき、同じクラスの古坂を見たな」


「古坂? って、確かB組の男子だよね? なんで?」


「さぁあ。何か用事か偶然かは分からないけど。そう言えば最近あいつに彼女が出来たかもって噂知っているか?」


 その会話に光は心臓を握られたかの様に動揺を見せた。

 息をするのも忘れてしまいそうな程に衝撃だった。


「古坂に彼女!? 古坂ってあれだよね。顔は悪くないけどあまり目立った感じがしないフツメン。へえ~あいつに彼女ね。去年が同じクラスだったけど。彼女は誰なの?」


「それが、C組の高見沢かもしれないって。そいつ知ってるか?」


 更に光の鼓動が速くなる。

 高見沢とは、光からすれば太陽とは別のもう一人の幼馴染で、女友達の中で最も信頼を置ける親友だ。

 

「知ってるも何も同じクラスだし。そうか~。あの2人がね。2人共顔は悪くないけど、あまり目立たないタイプだからお似合いかもね。そう言えば、2人で一緒に居るところをよく見るな。前にも街で2人で並んで歩いている所を見たし」


「そうなのか。噂程度だって思っていたが、これは確定だな。まあ、他人の恋愛に口出しするのは野暮だし、別にどうでもいいかもな」


 その後は2人は話題を変えて盛り上げるが、2人の会話が光に特大の爆弾を乗せていた。

 

「そう……か。ハハッ。やっぱりそうだったんだね……太陽、私がアプローチしても全然靡かない訳だ。そうか……千絵ちゃんとね。確かに私なんかよりもお似合いだよね」


 太陽がわざわざ暑い中、休みにも関わらずに持参してくれた差し入れ。

 普通の友達ならこんな事しないと思っていて浮かれていた光だが、勘違いだったのだろうか。


「太陽からすれば、私って……ただの幼馴染なのかも、ね……」


 小さい頃から秘めた初恋の芽が踏み潰されたかの様に光の心を痛めつける。

 その後の光は、午前中の記録が嘘だと思わせる程に絶不調か、記録を落としてしまった。

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