過去編 小さいながらの一歩

 千絵が相談に乗る事を承諾してから一夜が過ぎ。

 月が沈み、日が昇り、お天道様の高さが頂点に達する昼頃。

 先日までは微弱ながらも涼し気な空気が漂っていた日々が、まるで境界線を越えたかの様に本格的に暑くなる。


 気温が30℃を超え蒸し暑く、何もせずとも額から汗が流れるほどで。

 教室の天井に首が振る扇風機が設置されているが、焼石に水ならぬ焼石に風なのか、油断をすれば脱水症状を起こしかねない。

 そんな中、太陽たち学生は近々の中間テストに備えて出題ポイントを重点的に学び、そして昼休みに突入する。

 

 先述したが、今日は昨日とは打って変わり猛暑なのだが、それでも遊び盛りの中学生の者たちは、今日も元気盛んに校庭を走っている。

 

 勿論と言ってもいいのか定かではないが、その中に光の姿も確認出来る。

 光は幼少期から屋内よりも屋外で走りまわるアウトドア気質の為にじっとするのを嫌い、猛暑だろうが厳寒だろうがお構いなしに走り回る。

 汗を光らせ、校庭の真ん中を駆け、無我夢中に男子に混ざってボールを蹴る人気者。

 そんな光を相も変わらず教室から横目で眺めているインドア派の太陽の許で、何故か集まった千絵と信也が雑談をしていた。


「へえー? 太陽、お前遂に渡口に告白する決心が付いたんだな。一昨日と昨日でエライ変わりようだな」


 2人がする会話の内容は太陽の恋愛の事だった。

 千絵は口が軽いのか、太陽からすれば他言無用の事を信也に滑らしたらしく、感心したように信也が太陽に言う。


「千絵にも散々言われたが。別にいいだろうが、俺がいつ決心しようと。それに、あくまで告白しようと思い立っただけでしちゃいない。だから別に威張れる事でもないだろうよ」


「いやいやいや。あのヘタレで踏ん切りつかない生煮えのお前が告白しようと思い立っただけでもかなりの進展だろうが。な、高見沢?」


「そうだねー。けど、思い立ったが吉日って言葉もあるから、しようと思った後に行動に出ない当たり、まだまだヘタレの領域は脱してないね」


「……前から思っていたが、お前らの中で俺ってどう思われている訳?」


 親友の中の自分の評価に疑問を持つ太陽を無視して、信也は腕を組み千絵に確認する。


「けどよ、高見沢。お前の話だと、太陽はお前に恋愛相談を持ち掛けられているんだろ?」


「うん、そうだよ。昨日いきなり太陽君からお願いされてね。あ、そうだ。太陽君。昨日貸したあれは見たのかな?」


 千絵は信也の質問を返すと次は太陽の方に視線を向ける。

 千絵の言う『あれ』とは予想がつく。

 昨晩に太陽が千絵の家に押し入った後に、千絵が半ば強引に貸した少女漫画。

 千絵曰く、少女漫画を読んで少しでも女心を学べという題材で無償で太陽に貸したのだが。

 読んでみて太陽は存外面白く、喜色を浮かべて頷き。


「ああ見たぜ。あれは本当に面白かったぞ。最初は、少女漫画なんて薄っぺらくて恥ずかしい文面が並んでいるだけの物だって高を括っていたが。見るや見るやマジでハマったぜ。まだ半分しか読んでないが、残りの内容も帰った後の楽しみにしているんだ。読み終わった後は、別の作品を俺の方で集めてみようと思ったいるんだが、千絵、他に何かおススメはあるのか?」


 太陽は闘いなどのファンタジー系を読むのだが、少女漫画の芸風が合っていたのか中々にハマっている様子で、その様子が少々早口に語っている部分から予想が出来る。

 太陽が少女漫画から得た魅力を感慨深く力説していると。


「うわぁ……男子が少女漫画を力説で語るなんて若干引くな……。正直、少しキモイと思っちゃった」


 何故だろうか……?

 太陽に少女漫画を殆ど強引に貸し与えた千絵当の本人が軽蔑な視線を向けながらに太陽と距離を空けていた。

 その態度に太陽は眉を痙攣させ。


「ちょっと待とうか千絵さんや。お前の今の発言は、全世界の少女漫画を愛読する男性を敵に回すからな、今すぐ謝ろうか……そして、お前に無理やりと少女漫画を勧められた俺に、いの一番に謝りやがれ!」


 理不尽に好感度を下げられた事に立腹の太陽は、失言を口にした千絵の両頬を引っ張る。

 

冗談ひょうはんだよひゃよ冗談ひょうはん! 痛いからひはいはら離してはひぅあひへ


 マシュマロの様に柔らかい千絵の頬が赤くなるまでに引き延ばし、周りからの視線も集まった所で、嘆息する太陽は頬を解放する。

 赤く腫れる頬を摩る千絵は傷みが引くと、むぅ……と頬を膨らまして太陽に尋ねる。


「……それで? 太陽君はあれを見て、何か学べる部分はあったのかな?」


「学べる部分って。お前が言う女心っていうやつか?」


 千絵は頷く。

 太陽は苦悩な表情で頬を掻き。


「確かに漫画自体は面白かったと思う。修羅場や甘い話とかでハラハラドキドキで、この先の展開が気になったりとかしてよ。だが……それで女心が学べたのかって聞かれると、どうかな~って感じになるな」


 物語の進行や登場人物の個性などに惹かれた部分はあるが、女心の理解に関しては収穫は殆どない。

 

「うーん。まあ、そうだよね。だって―――――


 千絵の爆弾発言に目を点にする太陽。

 数度瞼を瞬かせた後に、千絵の言葉を理解した太陽は青筋を浮かび上がらせ。

 

「おい千絵! お前、昨日と言っている事違うじゃねえか! 昨日は少女漫画は恋愛指南の参考書とか宣っていた癖に、それ、俺がお前に言ったセリフだろ!?」


 先の千絵の発言は昨晩に太陽が疑念で言った言葉そのままで。

 その時の千絵は文句を言われる筋合いはないと一蹴したのだが、まさかの自らの発言を覆す言葉に太陽は困惑する。

 そんな太陽に千絵はにへらと笑い。


「えー。太陽君、本当に少女漫画で女心が分かると思っていたの? 女心は複雑かつ難解なで奥深いのに、書籍を読んだだけで分かると思っていたなら浅はかだね」


「お前、昨日の自分の発言を思い出してみろ! 物凄いブーメラン発言だからな今の。つか、そう思っていたならなんで俺に少女漫画を勧めて来たんだ。意味が無いなら貸す必要はなかっただろ!?」


「うーん。強いて言うなら、趣味の共有、かな?」


「……よーし。なら、お前に怒りと新しい趣味を教えて貰ったお礼に、一発殴らせろや!」


 冗談だよ冗談! と殴ろうとする太陽に取り繕う千絵。

 勿論、元々殴るつもりのない太陽だが、自身を落ち着かせるためにデコピンで妥協する。

 まったくよ……と呆れて椅子に深く凭れる太陽。

 千絵への恋愛相談が現段階では殆ど意味がなしてないのではと思ってしまう。

 だが、友達が少ない太陽で他に相談できる相手は……。


「……なんだよ、こっち見て」


「いーや、なにも?……信也こいつに相談はねえか」


「おい。小さく言ったつもりだろうが聞こえてるからな? 一度お前とは、友達としての在り方を話し合う必要があるな」


 千絵以外に相談が出来そうな友達は信也しかいないが。

 信也はあまり恋愛事に疎そうなので除外される。

 太陽は自分に友達の少なさに悲嘆してしまう。


「まあ、ね。漫画を見ただけで女心は学べないとは思ったけど。太陽君。私が貸した『恋の振り子時計』でなにか思った所はあったかな? 例えば、何処かで見た事があるなー的な」


「……お前ってもしかして、確信犯であれを貸したのか?」


 冷ややかな視線を向けると、千絵は苦笑して誤魔化す様に顔を逸らす。

 太陽は少女漫画を読んだだけで女心は理解は出来なかった。

 だが、あの作品に対して、太陽はこの物語が何かに似ていると感じていた。


 幼馴染であるが冴えない者と人気者の恋物語。

 

 それは、現時点での太陽と光の立場に酷似していた。


「お前って、分かっていて俺にあれを勧めたのか? つか、知っててお前はあれを買ったのか?」


「……うーん。確かに勧めた時は多少なりとも狙った部分はあったけど、あの本を本屋で見つけた時は本当に偶然だよ? 並んでいる本はラッピングされてるし、中身が分からないままで買ったしね」


 本当かよ……と疑心暗鬼に千絵を疑う太陽。

 だが、別にそれはどうでもいいかと流すつもりでいる。

 

 空想の中と現実は違う。


 空想はあくまで描く作者の妄想で、現実は決して逃れる事が出来ない真実だ。

 だから、漫画の物語が自分の立場に似ていたとしても、必ず結末が一緒なわけがない。


 太陽の物語を描くのか、この世で1人しかいない、太陽自身だ。

 誰もが思う。

 自分の人生を描くのであれば、その物語は必ず幸せな結末ハッピーエンドであってほしいと。

 

「なあ、千絵……。今日の放課後さ、早速だけど恋愛相談に付き合ってくれないか?」


 太陽はどんな結末になるかは分からないが、少しでも前に進みたいと千絵に相談を持ち掛ける。


「うーん。一応は放課後に予定はないからいいけど。私に何を相談するのかな?」


「…………なにを相談するんだろうね」


「……いやいや。相談する内容が決まってないのに相談されても困るんだけど……?」


 本当に申し訳ないと切に思う太陽。

 相談をしたいとお願いしても、自分に何が必要で何を相談すればいいのか、頭の中で整理が出来ていない。

 千絵は喉が渇いたのか、机に置かれたペットボトルのお茶を1口飲み、再びペットボトルを置くとため息を吐き。


「乗りかかった船ではあるし、相談する内容が決ってないんだったら、私の中で太陽君に何が足りないのか色々指導してあげる」


「本当か千絵! いやー。やっぱり持つべきものは友達だな! なら悪いが、放課後は何処で集まろうか!」


「ん? それは俺も入っていのか?」


 ここまで黙って聞いていた信也が自身に指を差して聞く。

 千絵は申し訳なさそうに首を横に振り。


「ごめんだけど、信也君は参加しないでくれるかな……。ちょっと今日のは、あまり他人に見られたくないかも……」


 千絵の中で何をするのか明確に決まっているのか、恥ずかしそうに断る。

 信也は少し肩を落すが、無理強いして嫌われるのを避けたのか分かったと頷く。


「それじゃあ。そろそろ昼休みも終わる頃だし、私は自分の教室に戻るね。放課後になったら迎えに行くから、待っててよ」


 違うクラスの千絵は自分の教室に戻っていく。

 千絵が教室を出て行った数秒後に昼休み終了のチャイムが学校全体に響き渡る。

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