過去編 逃げていた気持ち

 時間は過ぎて、最終下校時刻になって、太陽は帰路に付く。

 罰当番の掃除が思ったよりも時間が掛かった訳でなく、殆ど無気力に次第に黒く染まる空を眺めていた。

 完全に暗くなる前に、罰当番を言い渡した白石先生に終わったと報告をして。

 「どれだけ時間が掛かってるんだ!」と小言を頂いた後、太陽は校門を出た。


 胸に突っかかるモヤモヤ。

 頭がガンガンと鈍器で叩かれたかの様に鈍い痛みを感じながら、太陽は思い悩む。


―――――俺はこのままでいいのだろうか。


 幼馴染である光に対する気持ちに背を向けて、このままの関係を続けていけるのだろうか。

 いや、違う。太陽は立ちどまって、空に浮かぶ三日月を仰ぐ。


「分かっているはずだろ、俺。俺が本当にしたい事をよ」


 街灯が付く薄暗い夜道の真ん中で太陽は呟くと、よし、と太陽は振り返り、家とは逆方向・ ・ ・ ・ ・へと走り出した。

  

 鞄を揺らしながら、夜の冷えた空気に肌を当てながらに太陽はある場所に向けて走る。


「俺は決死の想いで気持ちを伝えた奴を、止める資格はねえ。それもそうだ! 俺はずっと、自分の気持ちから逃げていた。そして、ずっと甘えて来たんだからよ!」


 太陽は光は、数日違いの生まれで、親同士が親友で、しかも家が隣同士と言う、典型的な幼馴染。

 一緒に育って来て、相手の嫌な所も何度も見て来た。だが、それと同じくらい、相手の良い所を見て来た。

 幼馴染として、一番の親友として育って来た太陽は、心の隅で、光との関係は変わらないと思っていた。

 

 だが違う。

 

 昔に遊んだ空き地も家が建って無くなり、前まで開店していた店も潰れて今は無い。

 小さい頃とは違う現在の街の風景。

 時が流れるごとに風景が変わり、街並みも、人の気持ちも、時の流れには逆らえない。

 

 ずっと隣でいて欲しいと願っていた相手も、何かしらの形でいなくなる。

 いつか変わってしまうのが、この世界の理だ。


 だから、光がずっと太陽の傍に居てくれるというのは、ただの自惚れに過ぎなかった。

 光も人間だ。その心は時間が進むにつれて変化していく。

 

 いつか光も太陽の許からいなくなる。


 誰かを好きになって、誰かと結ばれ、子を成して、幸せな家庭を築く。

 考えるだけで吐き気がする。

 喉を掻き毟りたい程に辛いが、太陽が文句を言う資格はない。

 

 太陽は幼馴染として一緒に育って来た。まるで兄妹の様に。

 いつまでも一緒に居てくれる様な安心感を覚える関係は、一種の罠である。


 誰だって人に自分の気持ちを伝えるのは怖い。

 相手が自分の事をどう思っているのか。

 告白を嬉しく受け止めてくれるのか。迷惑だと返してくるのか。

 それはまるで、ギャンブルなもので、誰だって怖い。


 告白をするに対して恐怖を感じないのは、相当な自信を持った自惚れ野郎ぐらいだ。


 だが、怖いからと言って、告白しない訳にはいかない。


 恋人関係を結ぶには、どちらかが最低でも歩み寄らねば成立しない。

 どちらかが相手に想いを伝えなければ、決して距離は縮まらない。


 だから相手の気を惹こうともがき。

 相手に好きになって貰おうと自分を磨き。

 相手と一緒にいるだけで幸せを感じ、自然と笑顔になれる。


 好きな人がいる者なら、誰もがその道を通るのだが、幼馴染として関係に甘んじていた太陽は、その1歩を踏み出せず、言い訳を連ねて停滞していた。


『仮に俺が光に告白したとしても、光に振られるのがオチだって言ってるだろ』


 光に振られるのが怖くて。


『幼馴染は昔から一緒に居過ぎた所為で相手を異性として感じられなくなるって。友人じゃなくて、どちらかと言うと、安心感を覚える家族の様なものだ』


 そんな関係を壊したくなくて。


『約束だよ、太陽!』


 あの約束を果たせなくなるのではと思って。


「俺は馬鹿だ。どうしようもない、超絶な馬鹿野郎だ! 結局、関係が壊れるのが嫌で、逃げてただけだろうが!」


 太陽は分かっている。

 こんな自分の事しか考えず、自分勝手なエゴを押し付けて、逃げている様な男に、好きな人が好意を向ける訳がない、呆れるだけだと。

 

 だが、やっと太陽は分かった。

 

 太陽は自分の長年の想いを光に伝えたい。

 ずっと関係の崩壊を恐れて、逃げていた気持ちだが、初めて太陽は自分の気持ちに向き合った。

 初めて、太陽は自分の気持ちを真正面に光に伝えたい。

 そう思った。


 だが、分からない。

 どうすれば、光に太陽の気持ちが伝われるのか。

 スタートラインに立つ決心はついた、だが、そこからどうやって足を踏み出せばいいのか。

 このままの勢いで光に想いを伝えればいいのか、どんな言葉を言えばいいのだろうか。

 

 太陽は自分が臆病者だと自覚している。

 だが、一時間前の、友達以上の関係をずっと続けたいと尻込みしていた太陽とは違った。

 

 薄っすら照らす夕焼けは完全に山の方へと沈み。

 星空に雲が陰る空の下で、太陽は一心不乱に歩道を走り、坂を奔り、住宅街に辿り着き。

 汗で濡れるシャツに、全力疾走で切れる息を吐きながらに、太陽はある一軒家の前で立ち止まる。


 汗で眼が染み、ゴシゴシと袖で拭う太陽は、息を整えて門を潜り、玄関前へと歩む。

 太陽はそっと下げた腕を挙げ、ゴクリと唾を呑んで一拍空けた後に、意を決して扉を叩く。


「おい千絵、いるか!? 俺だ、古坂太陽だ!」


 日が暮れ、夜となった時刻にも関わらずに扉を叩いて叫ぶ太陽。

 そう、この一軒家には、太陽は光に次いで最も長い親交と、相談できる親友の高見沢千絵が住んでいる。

 玄関は暗かったが、リビングの電気は点いていた。

 暫くすると、インターホンのライト機能が点いたかと思えばすぐに消え。

 代わりに扉の奥からドタバタとした足音が響く、玄関の電気が点く。

 スリッパを履く音が聞こえると、扉が勢いよく開かれる。

 

「なーに太陽君……。今、私ご飯食べてた所なんだけど……って、なんでそんな所に蹲ってるの?」


 強く開けられた扉に顔面をぶつけた太陽は顔を押さえて蹲っていた。

 だが、遅い時間の来訪だからと、その事に太陽は責める事はせずによろよろと立ち上がる。


 家から飛び出た千絵は、本人の言う通りにご飯中だった様で。

 箸を咥え、ご飯が注がれた茶碗を片手に来客を相手したみたいだ。

 太陽は内心『いや、箸と茶碗ぐらい置いてこいよ……』と思ったが、同上の理由で言わないでおく。

 

 千絵は基本的に外ではコンタクトだが、自宅では眼鏡をかけるのか現在黒ぶちの眼鏡をかけている。

 あまり眼鏡をかける千絵を見た事がない太陽は新鮮だなと感じたが、単刀直入に要件を口にする。

 

 千絵は先日に確かにこう言った。


『もし、光ちゃんに告白しようと決心した時は私に言って。この、太陽君と光ちゃんの親友である私が、ドドンと一肌脱いで2人の恋の架け橋になってあげる』


 その言葉の後、太陽ははぐらかす様に冗談を言い流したが。

 この言葉は今の太陽からすればこれ以上に有難い言葉はない。

 疲れて乱れていた息を正常に戻した太陽は、真剣な眼で千絵と向き合い。


「なあ、千絵! 俺に力を貸してくれ! 俺、やっぱり光の事が好きだ! この想いを……光に伝えたい! お前の力を、俺に貸してくれ!」


「………………え?」


 太陽の深く頭を下げての決死の懇願に返って来たのは。

 千絵の間抜けな声と、カランコロンと彼女が咥えていた箸が地面に落ちる音だった。

 

 

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